第64話 再逢と不倶戴天
「―まだかしら。ねえ、マノン。馬車はまだ見えない?」
「……まだのようですねぇ」
マノンは苦笑いを浮かべた。
シルヴィアは、朝から何度同じ問いを繰り返していることか。今も、ベランダをそわそわと往復しながら大通りをしきりと眺めている。
今日は、カトゥスから姉たちが到着する日なのだ。数日前から、楽しみ過ぎて何も手につかない。昨夜など、結局一睡もできなかったくらいである。
「……ふふっ、可愛いっ」
コレットは、掌を胸の前で合わせた。
「シルヴィアさまったら、まるで子どもね。あんなに浮かれた様子は、初めてだわ」
「それだけ、大事な方々ということよ」
「―ねえ、マノン」
「は、はいっ!」
「まだ馬車は―」
「あっ! 見えましたっ」
コレットが一点を指差した。
「にゃっ!? ほんとう?」
ベランダの手摺につかまり身を乗り出す。
「見えたっ! お姉さまたちの馬車だわ!」
確かに、大通りの遥か先、一台の馬車がこちらへ向かってくる。
「きゃあぁぁーっ! グロリアお姉さまぁ〜っ!」
届くはずもない声を張り上げた。当然、応えはない。シルヴィアは身を翻し部屋を飛び出した。慌ててマノンとコレットが追いかける。
シルヴィアは皇宮を駆け抜けた。さすがに宮外にまでは出ようとせず、車寄せで立ち止まりはした。したが、待ち切れないように、その場でピョンピョンと飛び跳ねた。
ようやく、城門が開かれ、馬車が庭園の遊歩道へ乗り入れてきた。窓を開けて、グロリアが手を振っている。
「きゃあぁぁ〜っ、グロリアお姉さまぁーっ」
「あっ!? シルヴィアさま、お待ちを!」
マノンの制止も聞かず、とうとうシルヴィアは、まだ動いている馬車へと駆け出していった。
「シルヴィア!」
はっきりと姉の声が聞こえる。懐かしく優しい声が。
皇子妃を轢くわけにもいかず、馬車は車寄せに届かぬ手前で停車を余儀なくされた。
「お姉さまっ!」
馬車から降りるのももどかしく、シルヴィアはグロリアに抱きついた。
「会いたかった〜。お出でになるとお聞きしてから、ずうっとずうっとお待ちしていたのよ」
「私もよ。元気そうで何よりだわ」
「お姉さまも変わらないわね。とっても良いにおいがする」
「いやあね。久しぶりに会ったのに、いきなり人の匂いを嗅ぐなんて」
「だって、お姉さまの香水の匂い、大好きなんですもの」
「……相変わらず、変な子ね」
馬車から、もう一人が降りてきた。
「お嫁になっても、中身は昔のシルヴィアのままじゃない」
「ティアナお姉さま!」
今度は、ティアナに抱きつく。
「懐かしいわ、お姉さまの毒舌。お二人とも、お変わりなくて良かった」
「ご挨拶ね。せっかく遥々会いにきてあげたのに、グロリアお姉さまと態度が違い過ぎない?」
「そんなことないよ。ティアナお姉さまに会えて、とっても嬉しいわ、グロリアお姉さまの次に」
「ほらっ。やっぱり差をつけてる。憎らしい」
グロリアが笑い出した。シルヴィアの大好きなふわりとした笑顔は変わらない。
「―本当に懐かしい。こうやって三人でよくおしゃべりしたわね」
年長の四人の姉たちは、歳が離れているせいか、姉というより母に近い。やはりシルヴィアにとって、親しい姉とは、この二人であった。
「また三人でおしゃべりしようよ、昔みたいに。何日こちらにいられるの? すぐに帰ったりしないよね?」
「―もうお出迎えしているのか、早いな、シルヴィアは」
後ろから声をかけられた。誰かは振り返らずともわかる。
「旦那さま! わざわざお出迎えに来てくださった…の!?」
リオネルの姿を一目みるなり、心臓が口から飛び出しそうになった。実際、少し出たのに違いない。心臓の味がする。
なんと、いつもの農民のような服ではなく、貴公子の正装をしていたのだ。
「―だ、旦那さま!? その格好は、いったいどうなさったの?」
「そりゃあ、シルヴィアの姉上となれば、俺にとっても姉上だ。礼を失するわけにはいかんからな」
(……カッコいい!)
心臓がまだバクバクしている。リオネルの正装は、結婚披露パーティー以来だ。この男は、ちゃんとした身なりをすれば、絶世のイケメンなのだ。
(でも、こんな格好、毎日見せられたら、あたしの心臓が保たないわ)
「お初にお目にかかります、リオネル殿下」
グロリアは、見事な膝折礼をした。
「カトゥス国王ティーノの五女、グロリアと申します。これは、妹の六女、ティアナにございます」
ティアナも、お手本のような膝折礼をした。
「リオネルだ。姉上方、歓迎する。立ち話もなんだから、まずは皇宮へ―」
「―シルヴィア!」
リオネルが案内しようとした、その刹那。灰色のフードを被った男が声を放った。振り向いた目の前に剣が振り下ろされた。
後ろに引いたら斬られる。とっさに身体が判断して得意の頭上越えジャンプで逃れた。フードの男は即座に反応して横殴りに剣を振った。それをバック宙でかわす。
「―きさま、何をする!?」
「やめなさい! アズール!」
リオネルが剣を抜いた瞬間、グロリアの制止する声が空気を斬り裂いた。
「―げっ!? アズールだって?」
名前を聞いた途端、シルヴィアは嫌そうな顔をして後退った。
「シルヴィア。久しぶりだな」
灰色のフードを外すと、鮮やかな天色の髪をしたイケメンが現れた。
「……アズール。なんであなたが、ここにいるの?」
「ごめんなさい、シルヴィア」
グロリアが慌てて言い訳する。
「どこで聞いたか、私たちがシルヴィアに会いに行くというので、一緒に連れて行ってほしいと懇願されたの」
「だからって、なんでこんなヤツを連れてきたのよ」
「だって、ルプス王家の王子さまの頼みだもの。無碍に断れないでしょ」
「……シルヴィア」
アズールが、一歩近づく。シルヴィアは、一歩退く。
「……近寄らないで」
「なぜ逃げる? せっかく久しぶりに会ったというのに」
「あたしは、会いたくないわ」
「つれないことを言うなよ。俺たちの仲じゃないか」
「にゃっ!? どういう仲よ!? ヘンなこと言わないで」
「ヘン? 俺たちは許婚だろう。少しもヘンじゃない」
「何だと!?」
驚いたのは、リオネルである。血相を変えた。
「許婚だと? どういうことだ? シルヴィア」
「ち、違うんです、旦那さま。親が勝手に決めた話なんです。そもそも、許婚が再会した途端斬りつけたりしないでしょう」
「お前の腕がさびていないか、確認しただけだ。俺を唯一負かした相手だからな」
「だったら何だっていうの。あなたなんか、あたしと何の関係もないよ」
「可哀想に、政略結婚で無理やり人間族と結婚させられて、さぞかし辛い思いをしただろう。俺が愛の牢獄から救い出す王子となるよ」
「はあ!? 訳わかんないこと言わないで!」
「―おい、待てよ」
ゆらりとリオネルが動いた。手には剣を下げている。
「お前、勝手なこと言うな。シルヴィアは俺の妻だ。手を出すんじゃねえ」
アズールは、ゆっくりとリオネルに向き直った。犬牙族の特徴である二本の牙が口元から見える。
「てめえがリオネルか。俺のシルヴィアを横から奪いやがって。てめえには礼をしてやろうと思っていたんだ」
「面白い。叩きのめしてやる、かかってこいよ」
「やめてっ! そんなことして、何になるっていうの!」
「シルヴィアは、どいていろ。クソ人間族をぶっ倒したら、すぐに俺が連れ帰ってやる」
「だから、違うって言ってるでしょ!」
まさに一触即発かと思われたそのとき。
「―静まりなさいっ!」
アニェスの一喝が空気を震わせ轟いた。双方、ビクッと身を竦ませた。
「あなたたち、皇宮の正門前で何をやっているの! それが皇族としてのあるべき姿? 恥を知りなさい!」
暫時睨み合っていた二人は、同時に力を抜いた。
「―ちっ。命拾いしたな、犬っころ」
「てめえこそ。しばらく命を預けておいてやる、クソ人間」
「二人とも、バカなことを言うんじゃありません」
アニェスは、目を瞋らせた。その姿は、美しくも威厳に満ち溢れていた。
「とにかく、みなさん、いったん中へお入りになって。話はそれからよ。―それと、二人には後で説教ですからね。覚悟なさい」
【裏ショートストーリー】
グロリア「シルヴィアは元気にしているかしら」
ティアナ「手紙では、リオネルと上手くやっているみたいじゃない」
グロリア「あの子は優しいから、心配させないように良いことしか書いていないかもしれないじゃない。実際に会ってみないと安心できないわ」
ティアナ「お姉さまは、心配性なのよ。あの子は結構逞しいから、大丈夫だと思うよ」
グロリア「最近だって、戦争に従軍したのよ。自分が女の子ということを忘れてしまうんだわ」
ティアナ「そういう時代じゃないわ。女性だって男性と同じように働けるわよ」
グロリア「女性は、結婚したら家庭に入るものよ。夫を陰から支えるのが役割なの」
ティアナ「(意外と保守的なのよね、グロリアお姉さまは)……あの子は幼年学校を卒業して軍人になるくらいだから、結婚しても軍から離れられないんでしょうよ」
グロリア「心配だわ。そんなことでお嫁さんとして向こうの家に受け入れられているのかしら。呆れられて相手にされていなかったら、可哀そう」
ティアナ「私は心配ないと思うけどなあ」
アズール「……心配するな、グロリア。シルヴィアは、俺が必ず助け出す」
ティアナ「ちょっと、アズール! 余計なことしないでよね。どうしても連れて行けというから、特別に許したのよ」
アズール「……」
グロリア「アズール。本当に会うだけよ。大人しくしていてね」
アズール「……」
グロリア「心配だわ。やっぱり連れてこなければ良かったかしら」
ティアナ(お姉さまの心配性は、きっと死ぬまで治らないわね)




