第63話 主従の愛と恋の萌芽
皇都リシャールは、めっきり冷え込んでいた。本格的な冬到来である。朝には庭園に霜が下りるようになったほどだ。
大通りは変わらず活気に溢れている。それなのに、街全体が薄い膜に覆われ沈んでいるように感じるのは、なぜだろう。冬は、あらゆるものを『閉じてしまう』。
マティスから戻ったシルヴィアは、経験したことのない寒さに、体の芯から震えた。凍えながら馬車から降りると、リオネルが肩を抱いてくれた。優しさと温もりに、たちまち心は常夏の島へと飛んでいった。
皇宮内でリオネル、ギーと別れると、一カ月ぶりの我が部屋へ飛び込んだ。
「シルヴィアさまっ!」
「久しぶり〜、マノン! 元気だった?」
出迎えたマノンに、早速抱きついた。
「もちろんっ。シルヴィアさまも、お変わりなくぅ」
「マティスでは、いろいろなことがあったのよ。何から話したらいいか、わからないくらい」
「まあ…。ずいぶん興奮されて、いったい何が…あれ? お変わりないどころか、だいぶ変わられましたね」
「にゃっ!? そう? あたし、変わった?」
「なんだか、華やいでいるというか、お美しくなったというか―いえ、前からお美しいんですけど、もっと煌めいているというか…」
「自分では、わからないわ。でも、今、とっても幸せな気分なの。外は寒いけどね」
「リシャールの冬は、格別寒いですからねぇ」
「氷室にいるみたいだったわ。なんでリシャールの人は凍らないのか、不思議」
「外出するたびに凍っていたら、困りますねぇ」
「あのう…お二人だけで盛り上がらないでいただけませんか?」
顔を見合わせて笑い転げる二人に、コレットが割って入ってきた。
「私がいることをお忘れにならないでくださいよ」
「コレット〜。もちろん、忘れてなんかいないわよ!」
シルヴィアは、口を尖らせるコレットにも抱きついた。
「……お帰りなさいませ、シルヴィアさま」
「ただいま。―なんか、ほっとするわ。自分の家って、いいわね」
「家だなんて、大げさだね。ただの部屋じゃないか」
ベッドの上で寝転がっていたフランベルジュが言う。
「フランベルジュ〜。憎まれ口も、今は心地よく聞こえるわ〜」
シルヴィアは、フランベルジュにも抱きついた。
「ちょっと! 鬱陶しいよ、離れてよ」
「そんなこと言って、ホントは嬉しいくせに」
「……シルヴィアが帰ってきたら、たちまち騒々しくなった。せっかく静かな日々を楽しんでいたのに」
「ホントに口が減らないわね。―!? シャウラっ!」
猫のシャウラが、シルヴィアに体をこすりつけてきた。抱き上げて頬ずりする。
「可愛いっ! ―ただいま、シャウラ。いい子にしてた?」
「シャウラは、すっかりフランベルジュさまになついちゃって、いつもお二人で過ごしていらっしゃいますよ」
「へえ〜、そうなんだ。フランベルジュが猫好きとは、知らなかったな」
「……マジか。ボクは、根っからの『ネコ好き』なんだけど」
フランベルジュのつぶやきは、シルヴィアに聞こえなかったようだ。コレットを掴まえて迫る。
「―ねえ、コレット。あなたの修行は、どうなったの? マノンが特訓すると言っていたけど」
「マノン先生のおかげで、とても勉強になりました。もう二度と、あんな失敗はいたしません」
「それは頼もしいわ」
マティスに出かける前のお茶会事件のことである。あの事件がきっかけで、二人はマティスに同行せず、侍女修行に邁進していたのだ。
「シルヴィアさまには、ご不便をおかけしてしまって、申し訳ございませんでした。サンドラなら、間違いはなかったと思いますが」
「ええ、マノン。サンドラは、よくやってくれたわ。とても助かった」
「それは、ようございましたぁ。サンドラは、兵舎ですかぁ?」
「ええ。徴集兵を引率してもらったの。あと、プラスアルファもね」
「プラスアルファ…?」
「それも、後でマノンに話しておかなくちゃね」
意味ありげな視線を受けて、マノンは、お人形のような愛らしい笑みを浮かべた。
「……そうですかぁ。安心しましたよぉ。シルヴィアさまに何かあったら、私まで侍女失格になるところでしたものぉ」
「……マノンさま。言葉に毒がありますけど」
「気のせいじゃな〜い? ―シルヴィアさま。さっそくで申し訳ありませんが、ご報告がありますぅ」
「どうしたの」
「カトゥスから、グロリアさま並びにティアナさまがリシャールへご訪問なされる由、ご連絡がありましたぁ」
「にゃにゃっ!? グロリアお姉さまとティアナお姉ささまが!?」
文字通り、シルヴィアは飛び上がった。
「きゃあぁ〜、会いたいっ。早く会いたいわ!」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「―ここが、兵舎だ」
「知ってるよ、サンドラ。徴集兵として入隊したときは、いつもここを使わしてもらってるからな」
サンドラは、マティスの志願兵6百人を引き連れてリオネル軍の兵舎前に来ていた。
「そうだったな、クロヴィス。徴集兵経験者が多いんだった。部屋割りとかは、いつもどうしているんだ?」
「俺が適当に差配してる」
「そうか。人数が増えていけば、そのうち専従の事務員が必要になるな」
「増えていけば…って、まだ増やすのか」
「そうらしい。リオネルさまは、将来的には1万を目指しているそうだ」
「い、1万!?」
「―そりゃあ、えらいこったなあ」
二人に割り込んできたのは、バスティアンだった。
「……またお前か」
「1万っていったら、マティスの地方の村より多いじゃねえかよ。それだけの人数、給料払ってメシを食わせるってのは、相当掛かりが必要だぜ」
「……お前が心配することじゃない」
サンドラは、素っ気ない。それでもバスティアンは嬉しそうに微笑んだ。空色の瞳がくしゃっと崩れる。
「そういうなよ〜。俺の家は、マティスじゃ名の知れた貿易商だ。使用人も多いし、住み込みだっている。そっちのほうにすぐ頭が回っちまうんだ」
「……それじゃ、クロヴィス。後は任せた」
興味ないとばかりに踵を返そうとしたその背にバスティアンの声が刺さった。
「サンドラ! 無視するなよ、俺たちの仲じゃねえか」
「どういう仲だ!?」
サンドラは、キッと睨みつけた。
「お前とは何の関係もない。いい加減なことを言うな」
「焚き火を囲んで語り合った仲だろうが」
「―ふざけるな! きさま、それ以上舌を動かしたら、槍を喰らわすぞ」
「おおっと! それは勘弁してくれ。あんたの槍を受けて無事でいられる奴なんて、そうはいねえぜ」
バスティアンは、俊敏な動きで2、3歩後ろに退がった。
「ちっ……」
「―サンドラ!」
衝き出した槍を引いた、そのとき。不意に声をかけられた。
見ると、エーヴだった。数人部下を従えている。
「マティスから戻ってきたのか」
「―ああ。たった今、な」
「ん? なんか物々しい雰囲気だな。なんかあったのか」
「何でもない。―行くぞ」
サンドラは、バスティアンに見向きもせず歩き出した。
「お〜い、サンドラ! シルヴィアさまの天馬隊なんだろ? 同じ隊に配属されたら、よろしくなぁーっ」
バスティアンは、気にしたふうもなく、遠ざかる背中に大声で怒鳴った。エーヴが驚いて振り返った。
「……なんだ? あいつ」
「知らない」
「知らないことないだろ? 親しそうじゃんか。手を振ってるし」
「誰が!? 親しいわけないだろ!」
血相を変えてエーヴに迫った。
「……なにムキになってんだ」
エーヴは目を白黒させた。
「……」
サンドラは、プイっと横を向いてしまった。
「―サンドラ〜っ」
エーヴは、ニタァと笑った。青い瞳を煌めかせると、飛びつくようにしてサンドラの肩を抱いた。
「マティスで何があったか、じっくり聞かせてもらおうじゃねえか」
「話すことは何もない」
「ウソつけ! オトコには興味ありません、って、澄ました顔しておいて、ちゃっかり掴まえてきやがって、こいつめ」
「そういうんじゃない。ただの志願兵だ」
「なに!? あんたに志願してきたのか!」
「……」
「そりゃ、そうか。あんたみたいなお堅いお嬢さまがナンパするわけねえもんな。逆ナンされたわけだ」
「……エーヴ。それ以上バカなことを言うなら、殺すぞ」
「照れるな、照れるな。お年頃だもんな。オトコの一人や二人いたって、おかしかない。ましてや、サンドラは美人だからなあ。オトコが寄ってこないほうがおかしい」
「お前、よっぽど殺されたいらしいな」
「まずはメシ食いに行こうぜ。ハラ減っちまった。話はそれからだ」
「話すことは、何もないぞ」
「わかってるって」
エーヴはサンドラの手を取ると、引っ張るようにして走り出した。
サンドラは、無表情を崩さない。オッドアイだけが、夜空の星のようにキラキラと輝いていた。
【裏ショートストーリー】
バスティアン「お疲れ!」
サンドラ「……またお前か。休憩のたびに寄ってくるな」
バスティアン「皇都までは遠いだろ。馬車に座りっぱなしじゃ、疲れるだろうと思って、水を持ってきた」
サンドラ「いらない。飲み物なら、自分のがある」
バスティアン「サンドラは、妃殿下直属の天馬隊なんだってな」
サンドラ「それがどうした」
バスティアン「俺もガイヤール戦には従軍してたんだよ。天馬隊の活躍は大評判だったからなあ。同じ場所で一緒に戦ってたんだぜ、運命を感じないか?」
サンドラ「一つも感じない。鬱陶しいから、近づいてくるな」
バスティアン「そう言うなよ〜。ここで知り合ったのも何かの縁。あんたのこと、知りたいんだ。少し話そうぜ」
サンドラ「一人で勝手にほざいてろ」
バスティアン「あっ…!? 待てって…あ〜あ、行っちまった」
クロヴィス「……バスティも懲りない奴だなあ。全然、相手にされてねえじゃねえか」
バスティアン「うるせえ。ほっとけ」
クロヴィス「相手は、シルヴィアさま直属の部下で天馬隊の小隊長だぞ。その上、軍に入る前は侍女をしてたっていうから、貴族さまだ。どうあがいたって、庶民のお前にはムリってもんだぜ」
バスティアン「身分なんか、知るかよ」
クロヴィス「……まさか、本気じゃねえだろ?」
バスティアン「なんだよ? 本気になっちゃ、いけねえのかよ?」
クロヴィス「やめとけ。お前が傷つくだけだ」
バスティアン「はんっ! んなもの、クソ喰らえだ」
クロヴィス「……あ〜あ。行っちまいやがった。バスティの野郎、完全に分別なくしてやがる。……シルヴィアさまが聞いたら、どう思うかな。あの人なら、どうするんだろう…」




