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第6話 窮地と豹変

「あ"〜、どうしよう…」


シルヴィアは、トボトボと廊下を歩く。アレクシアの御前から辞して、自室へ戻るところである。


すれ違う女官や使用人たちは、リオネルを見て様々な反応を見せる。笑うもの、眉をひそめるもの、挨拶もせず通り過ぎるもの。第三者からみれば、リオネルの宮廷内での立ち位置に自然と興味が湧くというものだ。


「一週間で料理を覚えるなんて、絶っ対、ムリ〜」


義母(はは)上は、そういったことには殊の外厳しい」


隣を歩くリオネルが含み笑いをする。少なくとも表面上は、人々の視線など気にしてはいないようだ。


「ご自身、料理の腕前は超一流だ。裁縫も編み物も得意中の得意。皇族の娘だろうと、侍女や使用人まかせなどもっての外との考えでいらっしゃる。アニェスも小さい頃から、相当鍛えられてきたよ」


「申し訳ございません〜。何もできない嫁で〜」


ガックリと落ち込む。猫耳族と蔑まれるより辛い。


「謝ることはない。猫耳族は戦士として名高い。女も料理より剣術ということだろう」


「―猫耳族全女性の名誉のために言っておきますけど、幼年学校を卒業したら、大抵は花嫁修行をするのです。軍人になった私が、特殊なんです。グロリアお姉さまは、それこそ料理の達人ですよ」


「何を悩むことがある。ダメならダメで祖国に帰れるんだぞ。大義名分ができたとは思わないのか?」


「それでは私が姉の代わりに輿入れした意味がなくなります」


「……一つ確認したいんだが」


面白そうにリオネルが尋ねる。


「所詮、俺たちは政略結婚だ。なぜそれほどこの結婚に固執する?」


「……」


リオネルを悪魔にしないためだ、とは言えない。


「同盟のために輿入れしたんです。私が逃げ帰ったら、ブランシャールはカトゥスへ攻め込むつもりでしょう?」


「今は、隣国ルメールと一触即発状態だ。いつ戦争がおっ始まってもおかしくない。カトゥスに侵攻する余裕なんか、ないさ」


「でも、ルメールに勝って内乱が治まれば、カトゥスに侵攻できるではありませんか」


「……ちょっと待て。内乱だと? 何のことだ?」


リオネルの表情が一変した。黒い瞳が強い光を放つ。


(しまった。つい口が滑った)


ブランシャールはルメールとの戦争に勝つ。その後、グレゴワールが死に、兄弟間の後継争いの末、リオネルが勝ち残るのだ。姉グロリアの手紙が告げる未来の出来事である。


「その…つまり、アレですよ。単なる私の想像です」


「想像とは何だ?」


「別にいいじゃないですか、私のいい加減な想像なんて」


「いい加減でもいい。教えろ。何を想像した?」


意外としつこい。強く追及されて、仕方なく答える。


「……ブランシャールは、未だ皇太子が定まっていません。それは後継者が決まっていないということです。ご兄弟はいずれも不仲なご様子。もし陛下に万が一があれば…と思っただけです」


リオネルの瞳の光が強まった気がした。


「も、申し訳ありません、旦那さま。よく事情も知らない私なんかが勝手な想像を―」


「いや…いい」


慌てて頭を下げたシルヴィアに、リオネルは表情を消した。


「なるほど、お前はそう思うのか。だから同盟を維持したい、と。でも、お前は俺の妻だ。兄上たちのいずれかが残ったら、結局同じことだろう。兄上たちにとって、お前なんか抑止力にはならんぞ」


「それこそ、旦那さまが勝ち残ればよいのです」


「……!」


事も無げに言うシルヴィアを、不思議な生き物でも見るような目を向けた。


(場合によっては、勝ち残ったリオネルをあたしが暗殺してもいい)


そんな物騒なことを考えていると、リオネルは視線を外し、ポツリと言った。


「……料理の先生を紹介してやってもいい」


「にゃっ!? 先生…ですか?」


「心当たりがある。ネコどのとしては、どうしても義母上に認めていただきたいのだろう?」


「それはそうですけど…」


「一週間しかない。自力では不可能だ。だったら、先生を頼んで習うしかない」


「……ぜひ、お願いしますっ」


勢いよく頭を下げた。


そして、その翌日。シルヴィアは、リオネルに呼ばれて独り厨房で待っていた。朝早くベランダに現れて、先生が承諾したという。


昨夜は、自室でフランベルジュと二人、マノンの給仕で夕食を食べた。夕食後は、マノンを交えてあれこれおしゃべりして過ごした。


ある意味、新婚初夜のはずだが、リオネルが部屋にやってくることはなかった。シルヴィア自身も結婚生活というものをよくわかっていないので、さして疑問にも思わない。フランベルジュと仲良くベッドで丸くなって眠りについた。大きな悩み事があるはずだが、ぐっすり眠れた。シルヴィアの性格は、推して知るべし、である。


「……どんな人かな」


リオネルの言葉が脳裏に浮かんだ。


『少し変わった奴だが、腕は確かだ。よく習うといい』


ドキドキしながら待った。そこへ。


「―失礼します」


厨房に人が入ってきた。否。ただの人ではない。大きな長い耳。バネのある太くて筋肉質の脚。明らかに兎脚族の女性だった。


「お初にお目にかかります、妃殿下。エマ・デシャンと申します」


とんでもない美女だった。絶世の美女とはこのことを言うのだろう。白藍の髪に紺碧の瞳をしている。大きな胸がやたらと自己主張していた。


「こ、こちらこそ、初めまして。シルヴィアと申します」


慌ててペコリと頭を下げた。


「リオネルさまからお話を伺いました。一週間で料理を覚えなくてはならないとか。あまり時間がありません。詳しい自己紹介は後回しにさせていただきます」


「は、はい。この度はご迷惑をおかけしますが、どうぞよろしくお願いします」


(良かった〜。普通の人じゃないの。リオネルがヘンなこと言うから、どんな人が来るかとドキドキしちゃった。色気ムンムンの人だけど、このくらいは許容範囲よね)


「それでは、妃殿下。早速始めましょう」


「その前にエマさま。一つお願いがあります」


「……何でしょうか、妃殿下」


「その妃殿下という呼び方、やめましょうよ。シルヴィアと呼んでください。エマさまとは仲良くしたいの」


「そうですか。妃殿下がそう仰るなら。―では、シルヴィアさま。まずはサラダから。野菜を切ってドレッシングをかけるだけですから、誰でもできますよ」


エマは、ニッコリ微笑んだ。


「は、はい。でも、包丁すら持ったことなくて…」


シルヴィアが包丁を手に取っている間、エマは、鉢巻を取り出して自分の頭に巻いた。


「エマさま。包丁はどう使ったら―」


何気なく振り向いた。すると、エマの様子が一変していた。


「―てめえ、野菜切るのに何もたもたしてやがる。さっさと()れよ!」


「にゃっ!?」


紺碧の瞳が爛々と光っている。まるでそれは、獲物を狙う肉食獣のようだった。


「何が、にゃっ、だ。ナメてんのか、このヤロウ」


「エ、エマさま…?」


「包丁はこうやって使うんだよっ!」


エマは、レタスを鷲掴みにすると、目にも留まらぬ速さで細切りにしていく。


「ひゃ〜、上手…」


「関心してる場合か、グズヤロウ。てめえが()るんだよ!」


「は、はいっ」


シルヴィアは、包丁を一閃した。鈍い音と共に調理台が真っ二つに斬れて倒れた。


「……あはっ。台ごと切っちゃった」


包丁を片手にぶりっ子でごまかす。


「―ほう。見事な腕前だな。包丁だけでまな板どころか調理台まで一刀両断するとは。相当な剣の技倆をしてやがる」


「あ、ありがとうごさいます」


「―って、褒めるわけねえだろ! クソがっ」


「ひえ〜っ」


「調理台切ってどうすんだよ、バカかてめえは。野菜だけ切れ、野菜だけ。ふざけんじゃねえぞ」


「ご、こめんなさいっ」


「罰として、腕立て伏せ30回!」


「にゃっ!?」


「これから失敗するごとに罰を与える。料理は身体で覚えろ!」


「ひーっ!」


それからエマの地獄の猛特訓が始まった。


「……それは砂糖だっ。バカかてめえは。塩を入れろ、塩を。砂糖と塩の区別もつかねえのか、クソがっ。―腕立て50!」


「す、すみませんっ」


「……魚が真っ黒じゃねえか、弱火にしろっつったろう! どこに耳つけてんだ、このタコがっ。―腕立て70!」


「ご、ごめんなさいっ」


「……完全にオレのことナメてるだろう。肉を焼けっつったんだ、てめえが焼いたのはシイタケだっ。食感は肉に似てるけどよ…って、殺すぞっ、てめえ。―腕立て100!」


「ひえ〜っ」


こうして、いつの間にやら、日が翳ってきていた。


「……今日は、これくらいで勘弁してやる。明日もふざけてるようだとマジで殺すぞ!」


「も、申し訳ありませんっ」


ガバっと頭を下げた。どっと疲れが押し寄せる。全身汗でびしょ濡れだ。もしかしたら、冗談抜きで体重が減ったかもしれない。だとすれば、ちょっぴり嬉しかったりして。


エマは、鉢巻を取った。とたん、表情が柔らかく変貌した。


「……シルヴィアさま。一日では、そうそう上手くは参りませんよ。めげずに明日も頑張りましょう」


エマは、ニッコリ微笑んだ。絶世の美女がそこに佇んでいた。


「……」


シルヴィアは、茫然自失、放心虚脱。その場に立ち尽くすばかりであった。

【裏ショートストーリー】

リオネル「そういう訳なんで、ネコどのを鍛えてやってくれ」

エマ「それは構いませんが、リオネルさま。料理をしたことのない深窓のお姫さまなのでしょう?」

リオネル「包丁も触ったことがないと言っていた」

エマ「そんな方が一週間で皇妃陛下のお口に適う料理を作るのは、いくらなんでもムリがあるのでは」

リオネル「それはたぶん、心配いらない」

エマ「……どういうことでしょう?」

リオネル「義母上は、味がどうのというのではなくて、過程をご覧になりたいのじゃないかな」

エマ「……過程、ですか」

リオネル「とにかく、ビシビシ鍛えてやれ。気兼ねなんか必要ないからな」

エマ「仮にも奥さまですよね? 私、イジメに加担したくはありませんよ」

リオネル「おい! 俺が弱い者イジメをする男だと思ってるのか?」

エマ「弱い者イジメはなさらないけど、おからかいには、なりますよね?」

リオネル「それくらいで逃げ出すような『タマ』じゃねえよ」

エマ「……もしや、リオネルさま。奥さまにお心が動かされたとか?」

リオネル「……何の話だ?」

エマ「相変わらず、素直じゃありませんね」

リオネル「俺は何も言ってないぞ」

エマ「そういうことなら、私にお任せください。全力を尽くします」

リオネル「変な納得するな!」 

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