第51話 謀略の裏とウラ
ジルベール軍、壊滅。
その報にシルヴィアたちは声を失った。しかも、その相手はギュスターヴがリオネルに推薦した男だった。
「―正直、驚きました。まさか、シメオンがマクシムを軍の総司令官に抜擢するとは」
「マクシムさまは、シメオン首脳部と折り合いが悪いというお話でしたね」
アニェスがギュスターヴに言う。決してそれは咎めたわけではなかったが、ギュスターヴにしてみれば、責めを感じずにはいられなかったのだろう。平身低頭となった。
「誠に申し訳ございません。彼の者は目上に対する謙譲を知らず、思ったことを口にしてしまうといいますか、耳障りの悪いことも平気で言ってしまうので、首脳部には嫌われているのです。まさか、彼に軍権を与えるとは…。予想外でした」
「ギュスターヴさまを責めたわけでは、ありませんわ。お気になさらずに」
「はっ。面目次第もございません」
「……旦那さま。ジルベール軍壊滅とは、具体的にどのような形でそのようなことになったのですか」
シルヴィアが問う。
「空城の計をしかけられた」
「空城の計…」
ジルベールは、ミュレールを事実上追い出されてから、周辺各地の征旅を続けていた。その途上、人口1万ほどのクランという町を攻めたときだった。
わずか二千の部隊と野戦を行い、これを撃破。逃げるクラン軍を追って城門へさしかかると、気持ち良いくらいに開け放たれていた。
城内は不気味に静まり返り、望楼では、男が一人優雅にリュートを奏でていた。その男こそ、マクシムであった。
「―そのリュートがものすごく下手っぴいでよ、聴くに堪えない音色だったんだってよ」
「……旦那さま。余計な感想はいいから、真面目にお話しください」
笑い転げるリオネルを、シルヴィアはたしなめた。
「……それは、古代王朝時代の天才軍師といわれたガストン・ポワロをなぞらえているわね」
アニェスが博識なところを披露する。
「名前だけは、聞いたことがあります。有名な軍略家でしょう?」
「兵法書『武略経』の著者ですわ、シルヴィアさま」
エマが言う。天才秀才には基本中の基本らしい。
「ガストン・ポワロは小城に立てこもって大軍と相対したとき、城門をわざと開け放ち、望楼に登ってリュートを奏で待ち受けたといいます」
「敵方は、静まり返る城を怪しみ、罠が仕掛けられているに違いないと危ぶんで撤退したのです」
「実際は、兵も少なく罠も何も用意されていなかったのですわ」
「見事な心理戦ですわね。相手が頭が回る優秀な者ほど有効な手段です」
二人は、軍略談義で大盛り上がりである。
「―まさにジルベールは、その故事を知っていて、空城の計を疑ったんだ」
リオネルが話を現実に引き戻した。
「そして空城の計であると断じて、城内に全軍突入した。ところが―」
実際にそれは罠で、1万人の城市の中に1万人の兵が隠れ潜んでいた。城門は閉じられ、城内の各所で分断されたジルベール軍は、散々に討ち取られた。
「親衛隊が血路を開いて、ジルベールは辛くも城を脱出。中でも刀を使う抜刀隊が獅子奮迅の働きを見せたそうだ」
「刀…!」
シルヴィアには充分過ぎるほどの心当たりがあった。
「旦那さま。キサラギ、ですね」
大きくうなずいたリオネルは、話を続けた。
「ジルベールは、這々の体でロワイエへ逃げ込んだ。従う兵はわずか5千だったそうだ」
「5千…! ジルベール軍は2万だったはず。1万5千が討ち取られたというのですか」
ギーが驚きの声を上げた。
「捕虜になった者も、脱出後に散り散りになった者もいるだろうから全部が全部討たれたわけじゃないだろうがな」
トリュフォーが言った。
「それでも、大敗北には違いない。確かにマクシムという男、とんでもない軍略家だと言っていい」
「ロワイエでは市民の間に不穏な動きがあるらしい。ジルベールは恨みを買ってるからな」
「それはまずいですわ、旦那さま。もし市民が蜂起してロワイエを取り返されたら、退路を断たれて私たちはルメール内で孤立してしまいます」
「……と、危機感を覚えたガブリエルが全軍を率いてロワイエへ向かっている」
「……それは、良かった」
「その分、ミュレールが手薄になる。それを天才軍師どのが見逃すはずがない」
「一気に形勢が逆転したわね。シメオンは、賢明な判断をしたということでしょう。素晴らしいゲームチェンジャーだわ」
「感心している場合か、アニェス」
「―旦那さま。ラファエルは、私たちをミュレールに呼ぶでしょうか」
「わからん。あいつは俺を嫌ってるからな。意地でも呼ばないかもしれない」
「はっきり言ってラファエル殿下では、マクシムの相手にならないでしょう。ミュレールは奪還される可能性が高いと思います」
「ギーの言う通りだ。もしミュレールまでが取り返されれば、遠く離れた俺たちこそが孤立することになる」
「非常に難しい局面に立たされましたね」
「これも天才軍師どののおかげというものだが」
「―ギュスターヴさまにお尋ねします」
じっと何かを考え込んでいたエマが、ふいに顔を上げた。
「先日、マクシムを推薦なさると仰いましたが、今もそのお気持ちに変わりはありませんか」
「えっ…。それは変わりませんが、今となってはこちらに引き込むのは無理かと」
「今は無理でしょうね。でも、近い将来には、とても有効な手になります」
「……エマ。何を言っている。将来のことより、今の危機をどう乗り越えるかのほうが大事だろ」
「今の状況は危機でも何でもありません、リオネルさま」
「あ…? わかるように言え。ミュレールに救援にも行けない。攻勢に出ようにも相手は天才軍師。八方塞がりだろが」
「私たちの進退は簡単です。敗走すれば良いのです」
「……ますますわからん」
「―わかった! エマさま。ガイヤールから逃げればいいのね」
「そうです、シルヴィアさま。やはり、優秀な教え子ですわ」
「おいおい。二人だけで納得するな。俺にもわかるように説明しろ」
エマは、にっこり微笑んだ。まさにそれは夜に舞う蝶のごとく妖艶な笑みだった。
「では、ご説明します。いいですか、皆さん。これから劇団リオネルを始めますから、大芝居を打ってくださいね」
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ブランシャール帝国第二皇子であるジルベール軍が壊滅した。
その報せに動揺したリオネル軍の警備が緩んだところへ、密かに再武装していたガイヤール軍が不意打ちを喰らわせた。
浮足立ったリオネル軍は、我先にガイヤールから撤退し、一路ロワイエへ向かった。城内に運び込んだ兵糧や武具を置いたまま逃げ出すというドタバタぶりだった。
「―というのが、ギュスターヴが手紙で知らせてきた顛末だよ」
「何だか、リオネル軍にしてはあっさりし過ぎているような気がします、マクシムさま」
「そうかい、ララ」
「ウチもそう思います。これまで聞いたリオネル軍であれば、もうちいとは抵抗していてもおかしくはないんとちゃいますか」
「ふ〜ん。エテルナもそう思うんだ」
「マクシムさまは、違うお考えなのですか?」
「……」
マクシムは、執務机に手紙を投げ出した。
ミュレールから馬で一日という距離にあるカロンという城市である。ジルベール軍をクランの戦いで壊滅させた後、マクシムがルメール軍の大本営を置いた町である。
その中心にある白亜の城の一角。領主の執務室を間借りして臨時司令部としていた。
「僕も君たちの考えに同意する。と、いうことは、ギュスターヴが裏切ってブランシャール側についた、ということでもあるけど」
「……ギュスターヴさまは、真っ直ぐな性格のお方。謀略を巡らすようなタイプではありません」
「だとすると、矛盾するね。ギュスターヴの協力がなければ一連の動きは説明できない。さりとて、こんなわかりやすい策をリオネルが謀るかな」
「そう言われてみれば。ガイヤールを落とした策といい、相手には優秀な軍師がいるようですし」
「裏の裏…かな」
「はい?」
「僕に、裏の裏を読ませて混乱させようとしているんだろうなあ。やっぱり、リオネル軍には優秀な軍略家がいるねえ。名高いのはエマ・デシャンだけど、彼女であれば噂通りの名軍師さま、だね」
「感心している場合ですか。何か手を打つべきなのでは?」
「……まあ、いいんじゃない? 放っておこう」
「将来の禍根になるんとちゃいます?」
「仕方がない。あの真っ正直な男を落としたとあれば、リオネルは相当魅力的な男なんだろうし。こうなると、結婚披露パーティーで無理にでも彼に知己を得ておけば良かったなあ」
「何を仰っているのやら」
「亡命するときに、事前に顔見知りであれば飛び込みやすいでしょ」
「亡命…。今からそんなことを考えていらっしゃるのですか? ジルベール軍に壊滅的な打撃を与えているのですよ」
「そうだった、そうだった」
マクシムは、椅子の上であぐらをかいた。行儀が悪いといえばそうだが、器用ともいえる。
「でも、リオネルを皇帝の座につけるという条件を出せば、別にジルベールに遠慮することないしね。どうせそのうち、後継争いを始めるんだろうし」
「……いったい、マクシムさまは何を考えているのです? 今はルメールの総司令官ですよ。ルメールを勝たせれば済む話ではないですか」
「まあね。僕も一応ルメール人だし。祖国の滅亡は見たくないから全力を尽くすつもりだけど―」
マクシムは、大きなため息をついた。
「いつまで総司令官の地位にいられるかわかったもんじゃない。長くなればなるほど、ルメールが滅亡しなくて済むんだけどなあ。こればかりは、運を天に任せるしかないんだろうなあ」
【裏ショートストーリー】
ジョエル「せっかく苦労して落とした城なのに、手放すなんてもったいないねえな」
レイモン「しょうがねえだろ、ジルベールが大負けしたんだがらよ」
ジョエル「クソ野郎だな。リオネルさまとは大違いだ」
レイモン「でもよ、城主のガイヤール伯ってのは、俺たちの仲間になったんじゃねえのか。なんで追われるように逃げなきゃなんねえんだ」
ジョエル「それはお前、戦略的転進ってやつよ」
レイモン「なんだよ、その戦…なんとかって」
ジョエル「知らねえよ」
レイモン「……知らねえくせに、偉そうにムズい言葉使うんじゃねえ」
ジョエル「と、とにかくミラベルは言ったんだ。将来勝利を掴むために一旦ここは引くフリをするだって」
レイモン「俺の頭じゃ、よくわかんねえや。兵糧だって持っていけたのに、わざと置いておけって命令もよくわかんねえし」
ジョエル「あれは、遺族の補償金代わりだよ」
レイモン「セリーヌが母子に約束したってやつか」
ジョエル「武具とかもみんなガイヤールにくれちまった。敵さんの市民にまで気を遣うんだから、俺たちの大将は心が広いというか甘ちゃんというか、いろんな意味で普通じゃねえ」
レイモン「だからいいんじゃねぇか。俺は好きだね」
ジョエル「俺だって褒めて言ってるんだ」
レイモン「そういやお前、リオネルさまから褒美を貰ったんだろ」
ジョエル「おうよ! 感状と金一封を頂いたんだ」
レイモン「感状…って、なんだ?」
ジョエル「感謝状だよ。この度の働き、よくやりましたってリオネルさまからお褒めいただいたんだ」
レイモン「つまんねえな。金一封だけでいいのに」
ジョエル「バカ言うな! リオネルさま直筆入りだぞ! 一生の宝物にするんだァ」
レイモン「……ただのヲタクだな」




