第49話 彗星、現る
翌朝。朝食のために二人並んで食堂へ向かうと、偶然アニェスと廊下で出会った。
挨拶を交わしてにっこり微笑む。アニェスが不審そうな表情を浮かべる。リオネルを廊下の端へ引っ張っていき、何かを問い質す。アニェスは顔色を変え、リオネルを叱りつけると、シルヴィアの隣に並んで歩き出した。
お互い、言葉は交わさない。しかし、後ろでとぼとぼとついて歩くリオネルを振り返り、目を見交わして笑い合った。それだけで、充分気持ちが伝わる。
アニェスのことが大好きだ。兄想いで姉想いの素敵な妹ができた。そう、思った。
晩餐会のメンバーで賑やかな朝食を堪能して、食後の紅茶を楽しんでいるときだった(シルヴィアは、ほとんどティーカップに手を付けなかったが)。
「―ご歓談中、失礼いたします」
一礼してギーが入ってきた。リオネルに近づき耳元でささやく。
「―わかった」
再度一礼して、ギーは退出していった。
「皆に報告しておく」
リオネルは、軽い調子で話し出した。まるで天気の話をするように。
「ラファエル兄上からの通達だ。リオネル軍は、ガイヤールにて待機せよ、だそうだ」
「……! 旦那さま。それは、何もするな、ということですの?」
つい、声が尖る。
「そういうことだ。よっぽど俺には手柄を立てさせたくないらしい」
「確か、ミュレールを陥落させた後は、周辺を征圧して王都シメオン攻略のための拠点を築くはずでしたわね」
考え考えアニェスが言った。
「―しばらく、しばらくお待ちを」
ギュスターヴが急に立ち上がった。ヴァネッサとエミリアンに目配せする。
「私たちは、席をはずさせていただきます」
「なぜ?」
アニェスが小首を傾げた。仕草の一つ一つが美しい。
「一緒に聞いていてください、ギュスターヴさま。構いませんよね、お兄さま?」
「ああ。むしろギュスターヴには知っていてほしい」
「されど、お話の内容は軍の機密事項と推察いたします。新参者の私が聞いてよい内容ではございますまい」
「堅いこと言うなよ。お前はもう、俺たちの仲間じゃないか」
「しかし…」
「ギュスターヴさま。旦那さまは、一旦信用するとお決めになったら、とことん心をお許しになる度量の大きなお方。是非にもお聞きください。今後のブランシャール軍の方針は、ガイヤールにも他人事ではないはずです」
「……そのように遇してくださるとは…」
ギュスターヴは、感動のあまり打ち震えた。
「されば、同席させていただきます。ただ、子どもたちは退席させたく存じます」
シルヴィアは、アイコンタクトでリオネルの了承を得ると、子どもたちに笑顔で話しかけた。
「……ヴァネッサさま、エミリアンさま。ごめんなさいね。これからお父さまと大事なお話しがあるの。部屋に戻っていてくださる?」
「……はい、妃殿下」
不満そうにしながらも、ヴァネッサは聞き分けて立ち上がった。ドレスの裾を少し持ち上げ膝を軽く曲げると、弟を促し退出していった。
「大変恐れ入りました、妃殿下。ヴァネッサが一度で言う事を聞くとは、驚きです」
ヴァネッサたちが退出するのを確認すると、ギュスターヴは頭を下げた。
「ヴァネッサさまは、賢い姫さまですわ。ちゃんと場をわきまえることができますもの」
「恐れ入ります」
「―ギュスターヴ。しばらくやっかいになるぞ」
リオネルは、足を投げ出した。どこにいても、行儀の悪さは直らない。
「当分、動けそうにないからな」
「無論でございます。お好きなだけご滞在ください」
「旦那さま。ラファエルは手柄を独り占めにするつもりですわ。情報では、ジルベールもミュレールを追い出されたらしいではないですか。本当に指を咥えて眺めているだけでよろしいのですか」
「しょうがねえだろ。総大将は奴だ。命令違反をするわけにもいかねえし」
「今回は、ミュレールを確保するのが第一の目的。一気に王都へ進軍することはないはずです」
アニェスは確認するように言う。おそらく軍事計画を知らないギュスターヴへの配慮もあるのだろう。
「ミュレールが落ちた今、手柄と呼べるほどの戦功は、周辺にはないと言えます。それほど焦る必要はないかと」
「アニェスの言う通りだ。ここは、のんびり英気を養うとしようや。それに―」
ふいにリオネルは、体を起こした。
「ガイヤールは、大河オランドを使えばシメオンと直結している。いざとなりゃ、俺たちこそシメオンに一番乗りだ」
「ギュスターヴさまにお尋ねしたいのは、実はそのことなのです」
アニェスがじっと見つめた。ギュスターヴは、静かに見返す。絶世の美女を前にして、少なくとも表面に動揺は見られない。
「ガイヤールに水軍はあるのでしょうか」
「申し訳ありません。輸送船はあるのですが、軍船はないのです」
「では、輸送船を戦に使用させていただくことは可能でしょうか」
「兵馬や兵糧を輸送するだけであれば、可能かと」
「充分ですわ。―どうかしら、お兄さま」
「いいんじゃないか。どのみち水上戦なんて、誰もやったことねえし、ほんとに河の上で戦わなきゃならんとなれば、俺たちはラ・ファン、だ」
リオネルは己の首を斬るマネをした。
「お兄さまったら」
何が可笑しいのか、アニェスは鈴の音のような笑い声を響かせた。
「―それでは、ギュスターヴさま。ガイヤールの輸送船をお借りします」
「それは構いませんが、この先シメオンに向けて進軍なさるのであれば、是非推薦したい男がいるのです」
「ほう、ギュスターヴが推薦するからには、有能な男なのだろうな」
「極めて。少々性格に難があり、今はシメオンから遠ざけられているのですが、頭脳はルメール随一です。必ず殿下のお役に立ちます」
「それは楽しみだ。名はなんという?」
「マクシム。マクシム・フーコーと申します」
「にゃにゃーっ!?」
聞くなり、シルヴィアは、思わず仰け反ってしまった。
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シルヴィアたちの噂の的となった当人は、このときどうしていたかというと、王都シメオンにいた。ミュレール陥落の報に慌てた首脳たちが、急遽、領地で謹慎していたマクシムを呼び寄せたのだ。
「まったく、呆れて何も言えませんわ」
スラリとした長身の美女が憤った。
「自分たちでマクシムさまを謹慎させておいて、都合が悪くなると頼るんですから、面の厚さではブランシャールに圧勝です」
「まあ、そう怒るなよ、ララ」
「ウチも、ララに同意です。奴らの節操のなさは今に始まったことじゃありませんが、そろそろ我慢の限界というもので」
「まあまあ、エテルナも、カッカしなさんな」
エテルナと呼ばれた女性は、明らかに犬牙族だった。口元から牙が覗いている。大柄でいかにも戦士という体格をしている。
「……マクシムさまは、何でそないに嬉しそうなんです? いわば、コケにされてはるんですよ。もう少し怒ったらどないです?」
「だって、軍の全権をくれたんだよ、あのドケチ連中が。ようやく望みが適ったんだもの、嬉しくてしょうがないよ」
「これだから、マクシムさまは…」
ララと呼ばれた長身の美女が頭を振った。
「ルメールにとっては幸福ですが、ブランシャールにとっては悪夢としか言いようがないでしょうね」
「さあ。どうかなあ。ルメールにとっても悪夢かもよ」
「……冗談はともかく、これからどうなさるのです?」
「……冗談じゃないんだけどな」
「マクシムさま…」
「わかった、わかった。そう睨むなよ」
マクシムは、両手を上げた。
「―まずは、状況把握といこうか。子猫ちゃんに情報収集はしてもらってたから、軍営でその突き合わせをしよう」
「『ブラックキャッツ』ですか」
「そだよ」
「謹慎中、畑仕事をしていただけではなかったのですね。まるで総司令官に請われるのを見越していたかのようです」
「いやあ〜、単なる好奇心さ。ブランシャールの侵攻なんてこんなワクワクする事態を、見逃す手はないから」
「ワクワク、って…。ルメール存亡の危機とちゃいますの?」
「そりゃあ、僕が出張る前だったら、ヤバかったと思うよ、エテルナ」
「……相変わらずマクシムさまは途方もなさ過ぎて、ウチにはようわかりませんわ」
「エテルナ。私たち凡人には、しょせん異次元の生き物なんか理解できるはずもない」
「やだなあ、ララ。僕はただの人間族だよ。人外の怪物みたいに言わないでよ」
「似たようなものでしょう」
「それはヒドい。僕にだって人権が―」
「軍営に着きましたよ。四の五の言ってないで、威厳を正してください。兵が見ているのですから」
「ちぇっ…。キッツイなあ。こう見えて心は繊細なんだけどなあ」
「文句言わない!」
ぶちぶち不満を述べながらマクシムは、無駄に豪華な造りの軍営へと入っていった。
これが後に、『ルメールの彗星』と呼ばれることになる男の、歴史の表舞台に躍り出る最初の一歩となるのである。
【裏ショートストーリー】
ヴァネッサ「あ〜あ。私もお父さまたちのお話、お聞きしたかったわ」
エミリアン「……」
ヴァネッサ「子どもはつまらない。いつも除け者だもの。早く大人になりたいなあ」
エミリアン「……僕は、子どものままでいたい。大人になんか、なりたくない」
ヴァネッサ「あなたはそうでしょうよ。でも、ケヴィン家を継ぐ身だということを忘れないでよ」
エミリアン「……お父さまはいつも、僕とお姉さまが逆だっら良かったと仰る。僕のことなんか、何とも思っていないよ」
ヴァネッサ「すぐ、そうやっていじける。あなたは、優しいし頭もいい。良い城主になれると思うわ」
エミリアン「僕よりお姉さまのほうが、城主に向いてるよ」
ヴァネッサ「嫌よ。私は、ガイヤールから出たいの」
エミリアン「……昨日は、ずっとここにいてお父さまを支えると言っていたけど」
ヴァネッサ「あんなもの、お父さまを安心させる嘘に決まっているじゃない。こんな田舎で一生を終えてたまるものですか。リオネルさまがガイヤールに侵攻してきたのも、きっと天空の女神フレイのお導きに違いないわ。アニェスさまのお美しさといったら、この世の者とは思えないし、シルヴィアさまは一流の剣士だそうよ。憧れるわ〜」
エミリアン「……お姉さまは、本当によくしゃべるよね。そんなに口を動かして疲れないの?」
ヴァネッサ「疲れるわけないでしょ。むしろ、おしゃべりは活力の元よ」
エミリアン「……」
ヴァネッサ「見てなさいよ。絶対にここから出てやるんだから」
エミリアン「……また良からぬことを企んでるの? お父さまに叱られるよ」
ヴァネッサ「人聞きの悪いこと言わないで。戦略よ、戦略」
エミリアン(企んでることは、否定しないんだ)




