第45話 水魚之交と金蘭之交
リオネル軍は、その後も城門への突撃を繰り返してきた。城側はその度に反撃する。リオネル軍は頻繁に前進後退させるだけで、攻めあぐねているようだった。
一日が、暮れた。何の進展もない一日だった。城側は守りきった安堵感に満ちていた。しかし、夜。喚声が上がった。哨戒兵だけではない。就寝していた兵も飛び起きた。
すわ、夜襲か!
城兵たちは、慌てて持ち場についた。喚声が城門のすぐ側まで迫っていた。必死に暗闇に目を凝らすが、新月の闇夜とてまったく敵兵の姿は見えない。風に乗って喚声以外にも鳴り物が不気味に響く。
今にも敵が城門に取り付くのではないかと、緊張して手にじっとりと汗がにじんでくる。まんじりとした時間だけが流れ、夜が明けた。結局、城兵は一睡もできなかった。いつの間にか喚声はなくなっていた。
リオネル軍は、朝から突撃を始めた。まるでそれは、城兵を休ませないかのような執拗な攻めだった。
「……あいつら、俺たちの消耗を狙ってやがるんだ」
「城門は、絶対に破れない。だから、戦術を変えてきたに違いない」
「こうなったら、我慢比べだぞ」
「耐えていれば、必ずミュレールから援軍が来る。それまでの辛抱だ!」
城兵の士気は高い。徹夜をしたので、皆、ハイになっているだけかもしれないが。
リオネル軍は交替制を敷いているようで、間断なく攻め続けてくる。しかし、こちらは人員に限りがある。ほとんど休む時間が取れないまま、また日が暮れた。
今夜も喚声が上がった。眠らせないためだとわかっていても、警戒に立つしかない。攻めてこないと高をくくって警戒を緩めることこそを、リオネル軍は狙っているかもしれないからだ。
兵たちは、重い体を引きずるようにして立ち上がった。また長い夜が始まる…。
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「……シルヴィアさま。サンドラです。入ってもよろしいでしょうか」
夜である。城の方からは遠く喚声が聞こえてくる。昼と夜、3交替で攻め続けることになっていた。アダンが船を調達するまでの時間稼ぎである。同時に天馬隊が突入する際のカモフラージュも兼ねていた。
城攻めは4人の隊長が交替で指揮をしている。兵に死傷者が出ないよう、それでいて偽装攻撃と悟られないよう、皆、巧みに兵を動かしていた。
シルヴィアの天馬隊だけは城攻めを免除されている。突入に備えて兵気を養うための配慮であった。今も、隊長専用の天幕で一人、書き物をしているところだった。
「いいわよ。どうぞ入って」
「失礼します」
「どうしたの? 急用?」
「いえ…。何か不自由なことはございませんか」
「大丈夫よ。心配してくれたの? ありがとう」
「シルヴィアさまの侍女から外れて、軍属になってしまいましたから。マノンを軍には帯同なさいませんし、身の回りがお寂しいのではないかと」
「優しいのね。あたし、これでも軍営には慣れてるの。カトゥスでもしょっちゅう訓練で野営していたから」
「そうでしたか…」
サンドラは、テントの入り口でうつむいたまま立ち尽くしている。シルヴィアは、ピンときた。
「……サンドラ。こっちへおいで」
「えっ…」
「ちょっとお話ししましょ」
サンドラは、少し躊躇する様子だったが、意を決したように中へと歩を進めた。シルヴィアは、椅子を一つ引っ張ってきて、サンドラを座らせた。
「サンドラとは、最近お話ししていなかったから、ちょうどいい機会だわ」
「お休みのところを、ご迷惑…ではありませんか」
「迷惑なものですか。いつでも歓迎よ」
「……」
「このごろ、元気ないよね。何かあったの?」
サンドラは、驚いたように顔を上げた。
「……お気づきでしたか」
「当たり前じゃないの。天馬隊が発足したころからよね。心配事でもあるの?」
「私は…私のことは、もう関心がおありではないのかと思っていました」
「……どういうこと?」
「以前はうるさいくらいに姉とのことをお尋ねになっていたのに、姉と和解して以来、まったくお尋ねにならないし、隊長になられてからは、私を侍女から解任して遠ざけてしまわれた。姉の命を狙わなくなった私のことは、関心を向ける価値はないのかと」
「にゃっ!? そんなわけないじゃない。あなたは大事な―」
言いかけて、サンドラの顔を覆う暗い翳にハッとした。オッドアイは弱々しく伏せられている。人知れず悩んでいたのだろう。胸が締め付けられた。
「……あなたは、そう考えるのね。あたしの配慮が足りなかったわ。傷つけてしまって、ごめんなさい」
「そ、そんな。謝らないでください。私がわがままなだけなんです。私の心が弱いだけで―!?」
シルヴィアは、サンドラを抱きしめていた。しっかりと。強く。
「シルヴィアさま…」
「あなたのこと、大好きなの。本当よ。友だちだとずっと思ってる。これまでも、この先も」
「……」
「初めて会ったときから、気になってた。どこか思い詰めたような、それでいてとても不安そうなあなたが」
「シルヴィアさま…」
「エマさまとのことを聞かないのは、あなたから話してくれると思ってたから。姉妹の間のことは、あたしなんかが気軽に踏み入っていいことじゃないわ。以前、うるさく聞いたのは、なんとしてでも姉殺しを止めたかったからよ。エマさまと和解したのなら、それでいいの」
「……」
「侍女から解任したのは、あなたを遠ざけたわけじゃない。あなたを見込んで力を貸してもらいたいからよ」
「私の力を…」
「そうよ。頼りにしているの。心から信用できる友だちは少ないわ。あなたは、数少ないその一人なのよ」
「私なんかを…もったいないことです」
「―ねえ、サンドラ。あたしのこと、どう思ってる?」
「えっ」
「あたしの一方的な思いだけだし、もし、迷惑なら―」
「そんなこと、ありません!」
オッドアイに強い光が戻ってきた。
「私のほうこそ、侍女に拾っていただき、内心では嬉しかったんです。私なんかを気にかけてくれる人がいる、と」
「サンドラ…」
「お側近くに置いていただいて、間近に接するようになって、シルヴィアさまのお優しく広い心に胸打たれていました。尊敬しているし、お慕いしています」
「ありがとう、サンドラ。そう言ってもらえて、とても嬉しいわ」
「本心です。おべっかなんて、言いません」
「わかってるわ。あなたがそんな人ではないことは」
「もし…もし、許されるなら、一生お側でお仕えさせてください」
「ええ、もちろんよ。あなたにいい人ができるまでは、ずっとあたしの側にいてよ」
「いい人なんて…できるわけがありません」
少し頬を紅く染めてオッドアイを伏せた。
「どうして。こんなに美人さんだもの。モテるに決まってる」
「男なんて…一生好きにはなりません!」
「ムキになるとこが、とてもかわいいわ」
明るい笑い声が弾けた。
「シルヴィアさま! おからかいにならないでください」
サンドラは、頬を膨らませた。シルヴィアは笑いを収めて、じっと見つめた。
「……ごめんなさい。でも、良かった。表情が明るくなったわ」
「……」
「これからも、あたしを支えてね」
「……シルヴィアさま。もう少しお時間をいただいてもよろしいでしょうか」
「もちろんよ」
「姉とのことをお話ししたいのです」
「ぜひ、聞かせて」
「……私たち姉妹は、クニークルス王国の王女でした―」
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翌朝。リオネルから緊急招集を受けた。取るものも取りあえずリオネルの天幕へ向かった。
「何事が起こったのですか、旦那さ…ま…!?」
思いもかけない顔を見出し、シルヴィアは、パッと顔を輝かせた。
「マノン! マノンじゃないの!」
思わず手を取り合って飛び跳ねた。
「シルヴィアさま。ご無沙汰しておりますぅ」
「うわ〜、久しぶり! 元気そうで良かった」
「シルヴィアさまもご壮健で何よりですぅ」
「……おい、お前ら、大げさにもほどがある」
リオネルは咳払いした。
「言ってまだ一カ月も経ってねえぞ。数年ぶりの再会のノリじゃねえか」
「だって、旦那さま。輿入れして半年以上になるけど、こんなに長いことマノンと離れるの、初めてなんですもの」
「きっと妬いているんですよぉ。リオネルさまは、ヤキモチ妬き屋さんですからぁ」
「ざけんな、誰がヤキモチ妬き屋だ」
「ふふふっ。楽しい!」
アニェスが笑い転げる。
「―シルヴィア。マノンから報告がある」
ぶんむくれたまま、リオネルは言った。促されて、マノンの表情が真剣なものに変わった。
「……ミュレールが陥落しました」
「にゃっ!? もう? 早すぎない?」
ミュレールは、ルメール西部地方の要衝だ。いくらガイヤールが難攻不落といえど、ミュレールのほうが規模としては何倍も大きい。それが、数日で落ちるとは考えられない。
「内部からの裏切りです。ジルベールは、早くから手を打っていたようで、ミュレールの部隊長が裏側から城門を開けて軍を引き入れたのです」
「ジルベールがやりそうな手ね」
「早晩、リオネル軍に撤退命令が来ます」
「―!」
「ラファエル兄上から正使が来る前に、マノンが早馬で報せに来てくれたんだ」
「……そっか。マノンは、今は紅烏団として動いているのね」
マノンが紅烏団の団長と知っているのは、今ここにいる三人しかいない。実弟のギーですら、知らされていないのだ。
「俺たちに戦功を挙げさせないためにも、ラファエルは必ず即座に命令してくる」
ガイヤール攻略の名目は、ミュレール攻めの間の背後を守るためというものだ。ミュレールが落ちた今、戦略上ガイヤール攻めは意味を失った。
「天馬隊の突入を今夜にも決行したい」
「でも、まだ船の準備が…」
「―準備なら、たった今、できたぜ」
「アダン!」
朱鷺色の髪とアクアマリンのような瞳をした青年が、いつの間にか背後に立っていた。彼は、殊更優雅にお辞儀をして言うのであった。
「ご注文の船2艘と鑑札1つ、お納めにまいりました、妃殿下。どうぞ、お確かめを」
【裏ショートストーリー】
ラファエル「うまく事が運んだな」
ジルベール「利で転ばない人間はいない」
ラファエル「そうか? すぐ身近に、利では動かない男がいると思うがな」
ジルベール「……誰のことだ?」
ラファエル「ところで、ミュレールを拠点にしてルメール西部を攻略していく手はずだったな」
ジルベール「……。そうだが、それがどうした?」
ラファエル「ミュレールは、俺がいただく」
ジルベール「……! それは約束が違う。二人で山分けにするはずだったろう?」
ラファエル「攻略した都市は、攻略した者の裁量に任されるのが絶対唯一の取り決めである」
ジルベール「だから、俺も攻略に手を貸しただろう」
ラファエル「お前は、裏切り者を抱き込んだだけだ。実際に市中を制圧したのは、我が第一軍団である」
ジルベール「きさま…! 初めからそのつもりだったな!」
ラファエル「お前もリオネル同様勘違いしているようだから、教えてやる。我が母上のご実家カルダン家は公爵だ。それに引き換え、お前は何だ? 母親のボワイエ家は、侯爵ではないか。家格、武力ともに俺の方が上なんだよ」
ジルベール「……」
ラファエル「俺はお前の頭脳を買っている。俺のために働け。そうすれば、生かしておいてやる」
ジルベール「……脳筋がっ…」
ラファエル「何か言ったか?」
ジルベール「お前のために働こうと言ったのだ」
ラファエル「それが賢明だ」
隊長A「ラファエル殿下! ルメールの部隊長が挨拶したいと参っておりますが、いかがいたしますか」
ラファエル「処刑しろ」
隊長A「……よろしいので?」
ラファエル「裏切る奴は、いつかまた裏切る。今のうちに殺しておくのが上策というものだ。庶民どもの前で磔にして殺せ。裏切り者の末路を見て、庶民どもも喜ぶだろうよ。わっはっはっ!」




