第4話 憂愁の横顔と皇家の肖像
「きゃあああああぁぁぁぁぁーっ!」
シルヴィアの魂消る悲鳴が響いた。もしかしたら、皇宮中に轟いたかもしれない。
「……うるせえよ。なんちゅう声出してんだ」
リオネルは、両耳の穴に指を突っ込んでしかめっ面をした。
「だ、だって、殿下がそんなところにいるのですもの。びっくりして当然でしょう?」
ゼーゼー言いながら、シルヴィアは胸を押さえた。
「悲鳴は『きゃあ』なんだな。いつもにゃあにゃあ言ってるくせに」
「失礼な、人をバカにして」
「バカにしたんじゃねえ。気を悪くしたんだったら、謝るよ。すまなかった」
素直に頭を下げるリオネルを、ジロジロ見つめた。皇宮内だというのに、相変わらず農民のような格好をしている。
「―いつからそこにいらしたのです?」
さり気なく聞く。未だ心臓がバクバクしている。
(まさか、さっきの会話、聞かれた?)
「今来たばっかりだよ。ネコどのは、人の気配に敏感なんだな」
「またネコだなんて仰って…って、なんでベランダなのです? というか、どこからどうやってお出でになったのですか」
「ベランダを伝ってきた」
リオネルは、遥か先の部屋のベランダを指差した。
「にゃあっ!? あんな遠くから…」
開いた口が塞がらないとは、このことである。
「……呆れた人。中を通ってドアから入ってきたほうが、よっぽど楽でしょうに」
「なんで。中をぐるぐる回るより、ベランダのほうが一直線で早いだろう」
「……」
(変わった人だとは、グロリアお姉さまの手紙で知ってたけど、ここまでとは)
「それより、こっちに来て外を見てみろ。いい景色だぞ」
リオネルの手招きに応じて、ベランダに出た。
眼下に街並みが広がっていた。皇宮が高台にある上に、更にこの部屋は5階にある。リシャールの威容が一望に見渡せた。
大通りを通っているときには気がつかなかったが、街は綺麗にマス目状に整備されており、商業地区、工業地区、住宅地区ときちんと区画整理されている。
何と言っても活気が溢れているのは商業地区だ。行き交う人々の姿がよく見える。対象的にしんと静まり返っているのは、貴族の大きな館が立ち並ぶ地区だ。建物ばかりが立派で人の息吹のようなものが感じられない。そして工業地区には、独特の熱気のようなものが立ち込めていた。
なんと豊かで生き生きとした街だろう。カトゥスのような素朴で人情味溢れた町も大好きだが、大都会も得も言われれぬ魅力に満ち満ちている。
「―わあ。素敵」
我ながらつまらない感想だと思った。もっと言葉を飾って褒め称えたいのだが、結局、ありふれた言葉しか出てこない。しかし、
「だろう? 俺は、ここからの眺めが一番好きなんだ」
リオネルは気にしてはいないようだ。じっと街並みを見つめている。その横顔に思わずハッとさせられた。
よくよく見れば、とても整った顔立ちをしている。ボサボサの黒髪はいただけないが充分イケメンと言っていい。しかし今は、強烈な光を放つ瞳が悲しみに彩られている。好きなはずの景色を眺めながら、なぜこの人はこんなにも辛そうなのだろう。
ふとリオネルはシルヴィアを見た。シルヴィアも見つめ返す。つかの間、お互い無言で見つめ合った。先に視線をそらしたのはリオネルの方だった。
「……部屋は気に入ったか?」
「はい。とても素敵なお部屋です。フランベルジュと二人じゃ、広過ぎるくらい」
「ユニコーンを部屋で飼うのか」
「フランベルジュはペットじゃありません。私のほうが一緒にいさせてもらってるんです」
「聖獣は気難しいと聞いたことがある」
「フランベルジュに認められないと、触れることもできませんよ」
「シルヴィアは、相当気に入られているわけだ」
「……はい。今では親友ですわ」
(名前で呼んでくれた…)
無性に嬉しい。ようやくリオネルに認めてもらえた気がする。と、思ったら、
「ネコとウマは相性がいいんだな」
「殿下っ、私はネコじゃありませんっ」
「すまんすまん。どうしてだか、シルヴィアを見るとからかいたくなるんだよな」
「……」
「アニェスにも叱られたよ。そのうちシルヴィアに嫌われてしまうってな」
「……!」
情報量が多過ぎて頭がすぐに追いつかない。姉グロリアの手紙では、アニェスとはリオネルの妹である。病弱でこの3ヶ月後に亡くなってしまう。
(それに、あたしに嫌われてしまう…?)
政略結婚なのに、嫌われることを気にしているというのは、どういう意味なのだろう?
姉の身代わりに嫁入りすることを決断したときから、愛のある生活は諦めていた。ましてや、今はのほほんとした顔をしているが4年後には悪魔に変貌してカトゥスを滅ぼす男だ。愛などとは無縁のはずである。
「実は、お前を迎えに行ったのも、ここに顔を出したのも、アニェスに言われたからなんだよ。知らない国に独りで来て心細い思いをしているだろうからって」
「妹さまは、お優しいのですね」
「ん? アニェスが妹だと話したか?」
「にゃ…それは…その…事前に調べてまいりましたから」
「ほう、俺の家族をか?」
「それはそうですよ。旦那さまになる方のご家族ですもの。どういった方々がいらっしゃるのか、知りたくなるのは当然でしょう?」
「アニェス以外、ロクな奴はいない」
「……そうなのですか」
慎重に答える。少しでも不審に思われないように。
「―失礼いたします」
そこへ、マノンが戻ってきた。嫁入り道具の荷物を抱えた使用人たちと一緒に。
「―じゃあ、俺は退散するよ」
リオネルは、ベランダの手摺りに手をかけた。
「にゃっ!? で、殿下、まさか―」
慌てて手を伸ばすが、既にリオネルの長身はひらりと宙を舞っていた。
「殿下っ!」
リオネルは、器用にベランダからベランダへと次々飛び移っていく。
「今度はドアから入ってきてくださいねーっ!」
シルヴィアの呼び掛けを聞いているのかいないのか、後ろ姿がどんどん遠ざかる。そして、あるベランダに降り立つと、部屋の中へと消えていった。
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「お初にお目にかかります、陛下。カトゥス王国国王ティーノの第七王女、シルヴィアと申します」
シルヴィアは、膝折礼をした。相手は無論、ブランシャール帝国第12代皇帝、グレゴワールである。無駄にだだっ広い謁見室の中央の玉座に鎮座し、左には、皇妃アレクシアが臨席する。左右には、皇子や重臣たちが居並ぶ。
「……ティーノ国王の親書によれば、嫁すはずのグロリア姫が急な病にて起き上がれぬほどの重病とか」
先に奉じたティーノの手紙をヒラヒラさせながら、グレゴワールが鋭い視線を向けてくる。剛毅な人柄らしい重々しい声音だった。
「はい。医師の診立てでは、原因不明で治療方法もわからぬとか。婚儀の延期も検討いたしましたが、両国の友好を滞らせるわけには参りませぬゆえ、妹たる私が代わりに嫁して参りました」
「それは殊勝なことだ。グロリア姫には養生するよう伝えよ」
「は。姉の身を案じてくださり、恐悦至極に存じます」
「シルヴィア姫においては、我が国にお越しいただいた折、軍服姿であったと聞き及んでいる」
スラリとした長身の男が口を開いた。名乗りもしないが、第二皇子のジルベールに違いない。目つきがヘビのように無表情で冷たい。
「未開の蛮族である猫耳族では、軍服がウェディングドレスかと肝を冷やしていたが、さすがに最低限の礼儀はわきまえていたようだな」
シルヴィアのドレス姿を舐めるように見回す。
(ちっ。ヘビ野郎が)
負けじと睨み返す。
「かねてより治安に優れた大国とお聞きしていましたが、野盗団が我が物顔で闊歩している様子、身をもって体験して参りました。道中、軍服で参って正解だったようです」
「何だと…!?」
ジルベールの顔色が変わった。
「猫耳族の姫は、勇ましいことよの」
大柄な男が何か言いかけたジルベールを抑えた。これが第一皇子のラファエルだろう。全身、筋肉の塊のような見るからに戦士という男だ。
「質実剛健の我が国には、びったりの嫁ではないか。一度手合わせしたいものだ」
(こちとら、脳筋男なんか興味ないよ)
心の中で舌を出す。しかし、面にはおくびにも出さず、
「ラファエル殿下の武勇はカトゥスにも鳴り響いております。何条もって私など敵いましょうや」
「猫耳族の戦士としての能力、俺は高く評価している。もっとも、軍の運用は下手過ぎて話にならんがな」
「……恐れ入ります」
「政略結婚などと、まどろっこしいことをせずとも、猫耳族なんぞ一揉みに揉み潰してしまえば済む話だ。女が欲しけりゃ、その後、妾にでも奴隷にでもすればいい」
「……!」
「兄上は、いつも直線過ぎる」
ヘビ男が言う。
「ルメールとの決戦が控えている。後方の安定は必須だ。それは納得済みのはずだろう、今更蒸し返すな」
「そんなもの、俺が両国とも即座に滅ぼしてみせるわ」
「焦る必要はない。猫耳族など、所詮どうとでもなる弱小国ではないか」
(……黙って聞いてりゃ、言いたい放題。ふざけんなっ)
「恐れながら―」
目元に険を現しながらシルヴィアが反論しようとした、そのとき。
「―兄上たち、その辺でやめてあげなよ」
小柄な男が口を挟んだ。
「義姉上が怒ってるじゃないの。僕たち、初対面だよ。始めからいびるのは良くないなあ」
天使のような微笑みを浮かべるその姿は、絶世の美少年だった。第四皇子のガブリエルだろう。姉グロリアの手紙にはあまり登場しない。シルヴィアにとっても未知数の多い皇子である。
「僕たちの義理の姉妹になる方だよ。歓迎してあげようよ」
ニコニコと笑みを振り撒くガブリエルに、兄たちは申し合わせたようにピタリと口を閉ざした。
「義姉上は、通常の深窓の姫君とは少々異なるようだ。リオネル兄上にはお似合いの王女さまなんじゃないかな」
「……もうよい」
グレゴワールが重々しく言う。
「シルヴィア姫を我が国の嫁として迎え入れたからには、カトゥスは同盟国である。その旨、皆よくよく心するように」
「ははっ」
居並ぶ者たちが、一斉に頭を下げた。グレゴワールが退出する。謁見は終わったらしい。皇子たちも、三者三様の態度でシルヴィアを見下ろしながら、退出していった。すなわち。
ラファエルは、好戦的にギラギラと瞳を光らせて。ジルベールは、氷のように冷たい視線を崩さずに。ガブリエルは、天使のような微笑みを絶やさずに。
【裏ショートストーリー】
ラファエル「猫耳族の嫁などと、ベルトラン王家の汚点になるわ」
ジルベール「兄上は、まだそんなことにこだわっているのか」
ラファエル「あんなやつら、人のフリをしたただの獣に過ぎん。俺に任せてくれれば、狩り尽くしてやるものを。なぜ父上は同盟などとまどろっこしいことをするのだ」
ジルベール「……武を振るうことしか頭にないのか。脳筋め」
ラファエル「何か言ったか?」
ジルベール「時期を待てと言ったのだ。時期が来たら好きなだけ猫を狩ればいい」
ラファエル「待ち遠しいのう。猫どころか、世界中の獣人どもを狩り尽くしてやるわ。わっはっはっ」
ジルベール「……その頃には、私が貴様を蹴落しているがな」
ラファエル「何か言ったか?」
ジルベール「うつけに猫を妻として与えておくのが、時間稼ぎにちょうどいいと言ったのだ」
ラファエル「リオネルか。うつけに猫、お似合いの夫婦だ」
ジルベール「うつけなどより、真に警戒すべきはガブリエルだ」
ラファエル「ガブリエル? あんな臆病者、敵ではないわ」
ジルベール「……真実の見えぬ脳筋は、幸せで良いな」
ラファエル「何か言ったか?」
ジルベール「……兄上は、真に聞こえておらぬのか?」
ラファエル「何の話だ?」
ジルベール「……いや、いい。尋ねた私がバカだった」
ラファエル「お前は、頭が回り過ぎる。もう少しバカだったら、幸せだったろうにな。わっはっはっ」
ジルベール「……」




