第37話 兎の悲劇と最強無敵
「失礼ながら、シルヴィア妃殿下のことは調べさせていただきました」
人懐っこい笑顔を浮かべるマクシムに、思わず身構えた。
「リオネル殿下は、どなたでも受け入れるような大きな度量の持ち主です。ただし、お心内となれば別の話。むしろ、心を許されるのは極々わずかな側近の方々ばかり。皇帝家の内情からすれば、むべなるかなというものですが、それだけに、こう言っては何ですが、他所の国から来られた妃殿下に絶大な信頼を寄せられているという一事をもって、妃殿下の特殊性が嫌が上にもわかろうというもの」
(……よくしゃべる男だなあ。特殊性って、なによ)
「買い被りですわ。殿下は、物珍しさに面白がっておられるだけです」
「そういう面も含めて、リオネル殿下にとってもはや欠かせぬお方となっておられる。シルヴィア妃殿下の直情径行…おっとっと、失礼。情熱あふれる行動力は目を瞠るものがございます。殿下のお覚えめでたき妃殿下の言であれば、必ず殿下は動かれるはず。是非ともご仲介のほど、よろしくお願―」
「―フーコーさま。申し訳ございません。私、本当に急いでおりますの。言上は直接殿下にお願いいたします」
「あ、お待ちください、妃殿下。気に障るようなことを口にしていたのならお詫びいたします。どうか、お慈悲をもってご再考を」
「……失礼いたします」
追いすがるマクシムから身を翻した、そのとき。音楽の調べが流れてきた。宮廷楽団が演奏を始めたのだ。それは、ダンスの始まりを告げる鬨の声でもあった。
「―げっ!? ウソでしょ? このタイミングで?」
ガヤガヤと歓談に講じていた人々は、波が引くように一斉に壁際へと下がっていった。中央にぽっかりと広い空間が生まれる。
リオネルと二人、その空間に取り残された。ダンスは主役である二人が先陣を切る決まりである。
「……あはは…は…」
シルヴィアの笑顔が引きつった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「―待った?」
「遅い!」
エマが手を振りながら現れると、サンドラは吐き捨てるように言った。
人気のない演習場である。模擬戦で直接対決した思い出の場所であるはずだが、双方ともに、何の感慨も抱いていないようだ。
「愛しい妹に会うと思うと、身仕度に時間がかかっちゃって」
エマは、シナを作った。
「ふざけるな。どうせキサマはここで死ぬんだ。身仕度も何もないだろう。それとも、死に装束の準備でもしていたのか?」
「……あなたの気持ちは、よくわかるわ」
エマは態度を改めた。顔つきが引き締まる。
「確かにあなたを裏切ったかもしれない。あなたにしたら、許せないでしょう。でもね、これだけは信じてほしいの。故国のことを忘れたことは、一度たりともない」
「ウソを、言うなっ!」
サンドラは、激しく否定した。この世のすべてを否定するかのように。
「帝国の犬に成り下がっておいて、クニークルスのことを忘れたことがないだと? よくそんなことが、言えるな。キサマは、国を滅ぼしたブランシャールに復讐するどころか、しっぽを振って飼い犬になることを選んだのだ!」
兎脚族の王国クニークルスは、4年前、ブランシャールに滅ぼされた。帝国軍の指揮をしていたのは、当時17歳のジルベールだった。
エマたち王国軍は王宮を最後の砦として頑強に抵抗した。しかし、兵力差は圧倒的で、外部からの援軍も見込めず、食糧も底を尽きかける中、父である国王は降伏を決断した。
エマたちは最後まで反対したが、兵だけでなく王宮に避難していた国民たちの窮状を目の当たりにし、泣く泣く承知した。
だが、ジルベールが突き付けた降伏の条件は過酷なものだった。国王の処刑が降伏を受け入れる条件とされたのだ。
烈火のごとく怒ったサンドラは、単騎、帝国軍本陣に突撃しようとした。それをエマは必死に止め、父に訴えた。すなわち、玉砕覚悟の籠城全軍による総突撃である。
父は、許さなかった。処刑を受け入れる代わり、国民の生命の保証を求めると言ったのだ。己一人の命で、国民全員が助かるのであれば、安いものだ、と。
ジルベールは、父の条件を呑んだ。一人軍門に下った父は磔にされ、エマたちが血涙を流すなか、ジルベールによって処刑された。
固く閉ざされた王宮の大門が開き、帝国軍が入城した。ジルベールは、約束を守らなかった。帝国軍は、無抵抗の国民や武装解除した兵を虐殺して回った。
「―そうだ、まさに虐殺っ。ジルベールは、私たちを虐殺したのだ!」
サンドラは、怒りに打ち震えた。淡褐色の左目がギラっと光った。
「覚えているか? キサマは私に言ったんだ。ここは逃げ落ちよう。生き永らえて、王国の再興を図ろう、と」
「―ええ。覚えてるわ」
「その言葉を信じて、ジルベールを見逃した。キサマの妄言を信じたばかりに…故郷は悪魔に蹂躙され…国民は流浪の民となってしまった」
サンドラは、唇を強く噛んだ。オッドアイから雫がこぼれた。
「……信じてもらえないかもしれないけど、リシャールへは、ジルベールを殺すために来たのよ」
「何…だと?」
エマの告白に、サンドラはキッと睨みつけた。涙に濡れた目は、猜疑と憎悪に塗り固められていた。
「3年前、ジルベールを討つべく皇宮に侵入したの。使用人のフリをして奴の行動をつぶさに観察したわ」
「……」
「そして、決まった日に独りで皇宮内の園庭を散歩することがわかった。だから、待ち伏せして襲った。だけど、手練の剣士が隠れて護衛していたの」
「……ウソだ…」
否定するサンドラの声は、しかし弱々しかった。
「嘘じゃないわ。気付かなかった私は、脚を斬られた。『刀』とかいう物凄く斬れる剣で、かわしたつもりだったけど、かすったのね。それでも肉をバックリやられたわ。まあ、私も相手の顔を斬り下げてやったけどね」
「……」
「必死で逃げたんだけど、途中で歩けなくなってしまって。叢に隠れていたら、偶然、アニェスさまに見つかってしまったの」
「アニェス…」
「当時13歳だったアニェスさまは、侍女たちとボール遊びをしていたのよ。そのボールが叢に飛んでいってしまって。探しに来たのね。それでバッタリ。これで終わった、と思ったわ。そしたら、アニェスさまはリオネルさまを呼んできてくれた。怖がるどころか、脚から血を流していた私を心配してくれたのね。お二人に匿っていただいたおかげで助かったわ」
「だからと言って、帝国の犬になったことを正当化できないぞ」
「帝国の犬にはなっていないわ。リオネル家に忠誠は誓ったけど」
「……言ってる意味がわからない」
「私は、帝国に忠誠を誓ったのじゃない。リオネル家だけに誓ったのよ。リオネルさまたちとお話しする中で、気づいたの。ジルベールに復讐したところで、クニークルスは、再興できない」
「……ウソだ…作り話だ…」
「リオネルさまは、帝国のどの連中とも違うわ。あの方は、崇高な志をお持ちよ。私はそれに賭けることにした。志を果たした折には、クニークルスを再興するお約束もいただいたのよ」
「それこそウソだっ。リオネルも帝国の人間だぞ。約束など守られないことは、キサマだって百も承知だろうが!」
「リオネルさまは、違う! ジルベールなんかと一緒にしないで。約束は必ず守る方だわ。あなたも話をすればきっとわかる」
「黙れ黙れ黙れっ!」
サンドラは、槍の鞘を外した。一度、力を込めてブンと振った。
「これ以上、キサマの戯言は聞きたくない。決着をつけようじゃないか」
「……仕方ないわ。言っても聞かないと思ってたし」
エマは鉢巻を取り出した。
「―力付くでてめえの愚かさを教えてやるよ! かかってきな、クソバカ妹!」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「……いいか、シルヴィア。落ち着け」
「はい…」
二人は、お互いお辞儀をして組んだ。一旦、音楽が止む。静寂が大広間を包む。
「大丈夫。練習通りにやれば必ずできる」
「ええ…」
「肩の力を抜け。顔が強張ってるぞ」
(そんなこと言ったって、緊張するものは緊張するのよっ)
少し手が震えた。リオネルの力強い手が握り返してきた。シルヴィアは目を瞑った。一つ大きく深呼吸した。音楽が奏でられた。最初のステップを踏み出した。
(呼吸を…リオネルと息を合わせるのよっ)
全神経をリオネルに集中させる。背景が消し飛んだ。
無限の空間を、リオネルと二人、ステップを踏んでいく。何か言い知れぬ歓喜のようなものが押し寄せてきた。体が軽い。思い通りに四肢が動く。夢中になって空を飛んだ。
上下も左右も何も無い。亜空間を舞い踊った。何人たりとも二人を遮ることなどできはしない。二人ならば…リオネルとならば、何でもできる。あたしたちは、最強無敵だ!
再び静寂が訪れた。音楽も人の息吹も何も感じられない。まだ亜空間にいるような気がして急に心配になった。現実世界に戻れなくなったら、どうしよう?
そっと目を開いた。目の前にリオネルの喜びにあふれた顔があった。
「……終わった…の…?」
「ああ」
いきなり抱きしめられた。
「にゃっ!? だ、旦那さま、どうなさったの?」
「お前は、最高だ!」
刹那。大歓声が沸き起こった。大広間は割れんばかりの拍手と賞賛の嵐が吹き荒れた。
「……成功…したのね」
信じられない思いで周りを見回した。リオネルは、興奮したように黒い瞳をキラキラと輝かせて言った。
「当たり前だ! 俺たちだぞ。ヘマをするわけがない。俺たちは、最強無敵なんだからな!」
【裏ショートストーリー】
トリュフォー「ヒマだなあ…」
エマ「大欠伸なんてして、たるんでるわね〜」
トリュフォー「だってよ、リオネルさまの結婚披露パーティーの影響で、一週間も活動休止だぜ。欠伸も出るってもんだ」
エマ「どこかへ遊びに行くとか、趣味に没頭するとか、何かあるでしょう? 兵たちだって、みんなそれぞれ楽しんでいるわよ」
トリュフォー「俺の趣味は筋トレだ。休みとか関係なく毎日やってらあ」
エマ「だったら、たまの休みなんだから、遊びに行ったら? 旅の劇団が来てるらしいわよ。人気があるらしいじゃない」
トリュフォー「興味ねえな。エマが行くっていうなら、付き合ってやってもいいが」
エマ「ごめんなさい。今日は先約があるの」
トリュフォー「へえ。デートか?」
エマ「それなら、いいんだけどね。無粋な用事よ」
トリュフォー「無粋ねえ。美人なんだから、カレシくらい作りゃいいのによ」
エマ「……それ、セクハラになるわよ」
トリュフォー「おう、こりゃ、いけねえ。気をつけなくちゃな」
エマ「それじゃ、私は出かけてくるね」
トリュフォー「エマ! 例の件、リオネルさまに言上するぜ。いいよな?」
エマ「もちろんよ。間違いなくリオネル軍の戦力アップになるわ」
トリュフォー「今から楽しみだ。腕が鳴るなあ」
エマ「……黒牛隊に入れるわけじゃないのよ。あなたの無駄に太い腕なんか、勝手に鳴らさないでよ」




