第36話 華麗なる宴
控室らしい部屋の真ん中に、一人の貴公子がぽつねんと佇んでいた。
黒髪を綺麗に整え、正装に身を包んだ涼やかなイケメンだった。それがリオネルだと頭が理解するまでしばらく時間を要した。
(リ、リオネルって、こんなにイケメンだったの!?)
あまりの衝撃に、絶句したまま、立ちすくんだ。
「……いつまで見惚れていらっしゃるんですか」
マノンの囁きで、ハッと我に返る。
「べ、別に、見惚れてなんかいないわよ」
チラッと横目でリオネルを見ると、魂を抜かれたかのようにポカンと口を開けて呆けている。シルヴィアは、つかつかと近付いた。
「旦那さま、お待たせしました」
にっこり微笑んでみせた。リオネルは、慌てたように視線を外した。
「あ…いや…俺もさっき来たばっかりだ」
「旦那さまも、ちゃんとした格好をすれば、まあまあ見られるのですね」
「お前こそ、着飾れば人並みになるんだな。ネコにも衣装ってやつか」
「……それ、前にも仰ってたわ。二番煎じはつまらない」
「うるせえ。大きなお世話だ」
「……」
「……」
二人とも、急に黙り込む。モジモジしてお互いチラ見ばかりだ。見かねて、マノンが口を出した。
「―リオネルさま。シルヴィアさまのドレス、どうですかぁ?」
「どう…ったって…」
「リオネルさまのために、一生懸命オシャレしたんですよお。パーティーの参列者のためなんかじゃなく」
「……綺麗だよ」
「えっ!? 聞こえませんよぉ。もう一度、仰ってくださぁい」
「綺麗だよ!」
「……」
「正直、見違えた。その…黄色いドレス、すごく似合ってる」
カァーッと顔が熱くなった。ついつい、頬が緩んでしまう。
「……ありがとうございます。とっても嬉しい。旦那さまも…カッコいいわ」
「……」
リオネルは、困ったように頭をかいた。
しばらくお互いあらぬほうに視線を泳がせていたが、
「「あの…!」」
きれいにハモった。
「……だ、旦那さまから、どうぞ」
「……いや、シルヴィアから先に言え」
意を決して、ガバっと頭を下げた。
「……ごめんなさいっ。変な意地を張って、口も利かないなんて失礼な態度を取ってしまった。反省しています。許してください!」
「……いや、謝るのは俺のほうだ。ロクに話を聞かずに決めつけて心ない言葉を浴びせてしまった。すまなかった。許してくれ」
リオネルもガバっと頭を下げた。
マノンは、ほら見ろと言わんばかりにサンドラを見た。サンドラは、ただ肩をすくめただけだった。
「―入場の許可が出まし…た…?」
そのとき。ギーが勇んで部屋に飛び込んできた。しかし、二人が頭を下げ合ってるのを見て、戸惑ったようにその場に固まる。
「そ、そうか。それじゃ、そろそろ行こうか」
リオネルは、腕を出した。シルヴィアは、輝く笑顔で腕をからませた。
「……はい」
静々と部屋を出る。
「……」
ギーは、問いたげにマノンを見た。マノンは何も言わず、ギーの背中を叩いた。
(……何だろう? とってもふわふわする)
シルヴィアは、冷たい石の床を歩いている気がしなかった。まるで柔らかい羽毛の上を歩いているような、それでいて、しっかりと支えられた揺るぎない大地にいるような、不思議な感覚だった。
心臓は、さっきから跳ね回っている。全身の血が沸騰しそうだ。
視線をチラッと上げた。リオネルと、まともに目が合う。慌ててうつむいた。
(……あたし、この人のこと―好き…なのかしら)
愛のある結婚など、初めから諦めていた。あくまでも故国を守るために姉に代わって輿入れしてきたのだ。
(リオネルは、あたしのこと―好き…なのかしら)
悪魔だと思っていた男は、優しくておおらかな魅力あふれる好男子だった。
(もしかしたら、あたし…恋をしてる―のかな)
ふと気づくと、大きなドアの前に立ち止まっていた。その重そうなドアが目の前で静かに開いた。
「―第三皇子リオネル殿下、カトゥス王国第七王女シルヴィア殿下、ご入場ーっ!」
入場を告げる声が高らかに響いた。静かに中へ入ると、声にならないどよめきが起こった。
列席者がずらりと並ぶ中、奥へと進む。さまざまな視線が差してくる。驚嘆、羨望。好奇、蔑視。憎悪、疑惑。貴族だけではない。国内の有力者や諸外国の使者が集まっているのだ。それぞれの思惑が渦巻いているのに違いない。
リオネルは、その中を胸を張って堂々と歩いている。彼は今、何を思っているのだろう。何を感じているのだろう。とても知りたい。想いを共有したい。
大広間の最奥、一段高い壇で待ち構える人物の前で、リオネルとシルヴィアはひざまずいた。
「……父上。本日は、私たちのためにこのような名誉ある席を設けてくださり、恐悦至極にございます」
リオネルは、父・グレゴワールに深々と頭を下げた。
妙にゴツゴツとした意匠の玉座に座る皇帝の横には、皇妃アレクシアが鎮座している。その二人を挟むようにして第一皇子・ラファエルと第四皇子・ガブリエルが居並ぶ。さらに一段低い位置に、派手なドレスを着た夫人が二人控えていた。
シルヴィアは、さっと辺りを見回したが、なぜかジルベールの姿はなかった。
「この婚姻は、我が帝国においても、そちたちにとっても、またとない慶き縁となろう」
グレゴワールは、全く感情のこもっていない祝詞を、極々簡単に述べた。リオネルへ送る視線は、ゾッとするほど冷たい。
(―これが、自分の息子を見る目かしら…)
シルヴィアの想いをかき消すように、グレゴワールの重々しい声が響いた。
「今日は、無礼講である。皆、大いに楽しんでくれ」
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初めはリオネルと二人で、挨拶をしようと殺到する人々への応対に忙殺された。誰もが若きロイヤルスターの知己を得ようと躍起になり、己の存在を声高に主張した。シルヴィアは、一人一人丁寧に笑顔で応えた。
(―正直、誰が誰やら、いちいち覚えちゃいられないけど)
内心、舌を出すが、おくびにも出さずニコニコと微笑みを振りまく。そうしているうちに、リオネルとは知らない間に離れてしまい、いつの間にかそれぞれの輪が出来上がっていた。
パーティーは立食なので、参列者は自由に動き回っている。しかし、たいていは友人や顔見知りと輪を形成する。だから、余計人波が絶えない。一つの輪が去って落ち着いたかと思うと、また別の輪がどこからともなく現れて囲まれてしまう。
その輪が、一瞬途切れた。すかさずマノンが小さな平皿を差し出した。
「シルヴィアさま、今のうちです! 水分を取らないと倒れてしまいますよ」
輪の相手をしている間中、マノンは背後にピタリとついて周囲に目を光らせていたのだ。初めはリオネルから監視役として送り込まれてきていたが、今や忠実で頼もしいシルヴィアの護衛役となっている。
人目を忍んで水を一気に喉へ流し込んだ。
「―ありがとう。生き返った気分よ」
「それは、ようございましたぁ」
「……あれ? サンドラはどうしたの?」
ふとサンドラがいないことに気がつく。
「控室に忘れ物をしたとか言って、いなくなりましたけどぉ? そういえば遅いですねぇ」
マノンはのんびりと言うが、シルヴィアは血相を変えた。
「ヤバっ。ダンスにかまけて、すっかりサンドラのこと忘れてたわ」
「はい?」
「……あたし、行かなくちゃ」
「えっ!? 行くって…どこへ?」
「説明は、あとあと!」
驚くマノンを尻目に黄色いドレスを持ち上げ走り出そうとした、そのとき。
「―失礼いたします、妃殿下」
一人の若い紳士に声をかけられた。
「……申し訳ありません。私、急いでおりまして」
「お手間は取らせませんよ、マドモワゼル・シルヴィア」
「……!」
つい、キツい視線を向けてしまった。しかし、相手は怯みもせず白い歯を見せながら微笑んだ。
「私、ルメール王国の外務大臣を務めております、マクシム・フーコーと申します」
「ルメールの…!」
驚いて、紳士を見返した。薄鈍色の髪に、み空色の瞳をした、印象的な顔立ちの青年だった。
「妃殿下におかれましては、ご結婚、誠におめでとうございます」
「……ありがとうございます」
マクシムは、まっとうな挨拶をした。
「―やはり、ルメール人がお祝いに駆けつけるのは意外でございますか?」
顔に出ていたらしい。慌てて作り笑いを浮かべた。
「いえ、とんでもございません。ルメールの方であれば、尚の事歓迎いたしますわ」
「我が国の置かれた立ち場は、よくわきまえているつもりです。ですので、使者を送ることに反対の石頭ども―おっとっと、失礼。本国を説き伏せて、まかり越した次第で」
人懐っこい笑顔を浮かべた。この若さで外務大臣とは、相当のやり手に違いない。もしくは、よっぽどルメールは人材が乏しいのか。
「我が国は今、貴国と事を構える気など微塵もありませんから、戦端を開く口実をこちらから作る訳にはまいりません」
リオネルの言葉が思い出される。ルメールが招待に応じなければ、ブランシャールに敵対するとみなし、侵略戦争を仕掛けるつもりだ―。
「フーコーさまは、率直な物言いをなさる方なのね」
「妃殿下を見込んでいるからですよ」
「……」
「おっとっと、失礼な物言いでしたら、お詫びいたします」
また人懐っこい笑顔を浮かべた。この笑顔は危険だ。本能的にシルヴィアは、そう思った。
「いやあ、どうも外交辞令というのが苦手でして、外務大臣など最もやってはいけない仕事だと自負しております」
「……楽しい方ですわね、フーコーさまは」
「興味をお持ちいただけたなら、もっけの幸い。ぜひ、皇帝陛下にご挨拶をさせていただけるよう、仲介をお願いしたい」
「私は、輿入れしたばかりの嫁ですわ。そんな力はありません」
「しかし、リオネル殿下への影響力は絶大でございましょう」
にわかに警戒心が沸き起こった。邪気などとは無縁そうにニコニコと微笑むこの青年は、ただ者ではない。
【裏ショートストーリー】
マクシム「やれやれ。連中のバカさ加減と言ったら、煮ても焼いても食えないな」
?「危機意識が足りないのでしょう。ブランシャールが侵攻してくるとは本気で思っていないのですよ」
マクシム「すべての情勢が物語っているというのに」
?「猫耳族との同盟もしかり、でしょう?」
マクシム「そうさ。背後を固めたんだよ。うちに集中するためにね」
?「その猫耳族の王女との結婚披露パーティーに出席しないことが、どういう意味を持つのかもわからないのですから、我が国の首脳部は絶望的です」
マクシム「それでも認めてくれたんだから、良かったよ」
?「しぶしぶですけどね。しかも、使者はマクシムさまなんですから。いきなり外務大臣なんて肩書まで与えて。何を考えているのでしょう」
マクシム「ブランシャールで僕が余計なことを言って、怒りを買ってお手討ちにでもなれば、もっけの幸いとでも思ったんだろう」
?「……マクシムさまなら、あり得るから、冗談に聞こえない」
マクシム「冗談じゃないさ。二重の意味で」
?「……おちゃらけていますね。もしかして、ブランシャール行きを喜んでおられるのでは…」
マクシム「バレた? だって、噂のシルヴィア王女に会えるんだよ。楽しみじゃないか」
?「楽しんでる場合じゃ、ないでしょうに。国家存亡の危機なんですよ」
マクシム「う〜ん。うちのお偉方に、君の爪の垢を煎じて飲ませたい」
?「……呆れた。マクシムさまの悪癖ですね。苦境になるほどおちゃらけるのは」
マクシム「人生、ピンチのときこそ楽しまなくちゃ!」
?「はいはい。せいぜい盛大なオチを考えておいてくださいよ」




