第31話 ダンス・ダンス
「―まさか、王女さまがダンスを踊れないとはなあ」
「しょうがないでしょう? 出来ないものは出来ないんだから」
シルヴィアは、ふくれっ面になる。
「まったくやったことないのか?」
「子どものとき、やらされました。でも、上達しなくて…練習サボって逃げ回ってたから」
「なんだ。一応基本は知ってるんじゃねえか。なら、大丈夫だよ。俺がリードしてやるから」
「で、でも、ほんとに私、下手くそなんです」
「四の五の言う暇があったら、練習したほうがいいんじゃないですかぁ?」
「マノン! 他人事だと思って。ヒドイわ」
「リオネルさま。結婚披露パーティーは、いつなんですかぁ?」
「1カ月後だ。周辺国に招待状を出す都合もあるしな」
「1カ月もあるなら、どうにかなると思いますよぉ」
「だな。それじゃ、早速シルヴィアの腕前がどんなものか、見せてもらおうか。まずはそれからだ」
「……ほんとに下手くそなんです。笑わないでくださいよ」
「笑うもんか。―マノン、テーブルとソファを片付けろ」
マノンは怪力を発揮して、あっという間に脇にどけた。
「……まずは一曲」
リオネルは、腕を伸ばしてシルヴィアを促す。渋々リオネルと組む。
「……一、二、三」
リオネルが一歩、動き出した、その一瞬でシルヴィアの姿が消えた。
「なっ…!?」
全員、凍りついた。シルヴィアは、ベチャッと床に伸びていた。たった一歩で足をもつらせ、無様にぶっ倒れたのだ。
「……痛〜い!」
「ぷっ―」
リオネルの肩が震えていた。
「リオネルさ…ま…?」
「ぶわっはっはっ!」
「ふふふっ―ひぃ〜ひぃっひぃっ!」
次の瞬間。リオネルとマノンが爆笑していた。大きな声に驚いたシャウラがマノンの懐から飛び出した。二人は背中を丸め、お腹を抱えている。シャウラはというと、一直線にフランベルジュに駆け込んでいた。それまで眠っていたフランベルジュは、フニャっと顔を上げ、再び眠ってしまった。
「二人とも、ヒっド〜イっ! 笑わないでって、言ったでしょう!」
「だ、だって、お前…いくらなんでも、たった一歩で―あっはっはっ!」
「下手を通り越してますぅ〜! ある意味、天才ですわぁ〜」
「……ンもうっ、泣いて笑うことないでしょ!」
「いや〜、まさかここまでとは…お前、ほんとに面白いなっ」
「勘弁してください、シルヴィアさま。苦しい〜、笑い死にしそう!」
「―おい、お前ら。いい加減にしろよ」
サンドラが、黒い瘴気を吹き出しながら仕込みナイフを取り出した。
「シルヴィアさまをバカにする奴は、例え皇子だろうと許さんぞ」
「ま、待って、サンドラ!」
慌ててシルヴィアはサンドラに飛びついた。
「殺す!」
「早まらないでっ、落ち着いて! お願いよっ!」
シルヴィアは、暴れるサンドラを必死に組み止めるのであった。
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「……笑って…悪かった、シルヴィ…くっくっ」
どうにかサンドラをなだめて、一旦、全員椅子に落ち着いた後。第一声でリオネルは謝罪した。笑いを噛み殺しながら…。
「知りませんっ。旦那さまを見損なったわ。人のこと、バカにして」
シルヴィアは、ぶんむくれであった。
「いや、ほんとに悪かった。―もう、笑わない。約束する。だから、その物騒なものは引っ込めてくれ、サンドラ」
サンドラの黒い瘴気はまだ収まってはいない。
「……サンドラ。隠しナイフは引っ込めなさい」
シルヴィアに言われて、渋々ながらようやく収めた。
「コホンっ。―それじゃあ、真面目に話し合おう。正直言って、今のままじゃ、到底ダンスは披露できない。大勢の招待客がいることだしな」
「わかってます。だから、断ってとお願いしているんです」
「それはできない。何がなんでも、ダンスをするハメになる。そこでだ」
一旦、息を吸い込んで、皆を見回した。
「ここは、専属の先生を頼もうと思う」
「にゃっ!? まさか―」
「さすがシルヴィア。察しがいいな。まさに今、お前が顔を浮かべた人物に頼むことにする」
シルヴィアは、とっさにサンドラを見た。シルヴィアだけではない。リオネルもマノンも見つめた。視線を集めた当のサンドラは、不思議そうに皆の顔を眺めた。
「―サンドラ。落ち着いて聞いて」
シルヴィアは、真剣な眼差しでサンドラの肩に手を置いた。
「私は落ち着いていますが…」
「あたしの先生といえば、一人しかいないの」
「はい…」
「その人の名は、エマよ」
「……!」
名を聞いた途端、殺気がほとばしった。
「エマだとっ…!」
「お願いっ、サンドラ。ここは我慢して。あたしのダンスがかかってるの。あなたに殺されると困るのよっ」
「……侍女の契約をするとき、確認しましたよね。結果的にあなたを裏切るかもしれないと」
「ええ…。覚えてるわ」
「それでも、あなたはいいと仰った。ならば、早くも巡ってきたこのチャンス、逃す手はありません」
「そこを曲げてお願いしてるのじゃないの」
「……」
サンドラは、歯を噛み鳴らした。
「サンドラ! お願いよ」
「わかり…ました。ダンスの練習中は、手を出しません」
「―! ありがとうっ、サンドラ!」
「ただし!」
「……」
「最初の一度だけ、シルヴィアさまに同行しても構いませんか」
「それは、構わないけど…」
「エマに会わせてほしいのです。手は出しません。お約束します」
「……わかったわ。一度だけよ」
「ありがとうございます」
サンドラは、思い詰めたような表情でうつむいてしまった。それを、シルヴィアは気遣わしげに見つめた。
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「お久しぶりですね〜、シルヴィアさま」
稽古場に入ってきたエマは、相変わらずの絶世の美女ぶりであった。
「ん〜。そうでもないか。この前、演習場でお会いしましたね、セリーヌさん?」
「はは…。その節は、大変失礼しました」
「ショックだったわ。この私が戦術で負けるなんて」
「紙一重です。実際、想定外のことが起こって、結果としては私のほうが負けたのですから」
シルヴィアは、後ろに控えるサンドラを示した。
「そうですね、シルヴィアさま。実際の戦争では、想定外なんてしょっちゅう起こるものだし。『運』というのは、確かに存在すると実感します」
「―よろしいでしょうか」
サンドラが、前に出てきた。
「……ええ。いいわ」
今度はシルヴィアが後ろに下がった。
「……サンドラ。元気そうね」
「……」
エマに返事もせず、じっと視線を注ぐ。
白藍のつやつやな髪。紺碧の瞳。サンドラの淡褐色の左目を除けば、瓜二つである。
「……この場で殺してやるところだが、シルヴィアさまとの約束だ。今日は見逃してやる」
サンドラは、小さな紙片をエマに渡した。それにチラッと目を通すと、エマは大きく空いた豊満な胸の谷間にしまい込んだ。
「賢明な判断だわ。サンドラにしては」
「なんだと…!」
淡褐色の左目がギラっと光った。一歩エマに近づく。
「サンドラ! 会うだけの約束よ!」
異変を察して、すかさずシルヴィアは機先を制した。
「くっ…!」
唇を噛みながら、サンドラは退いた。無言のまま、これ見よがしにシルヴィアにだけバカ丁寧に頭を下げると、退出していった。
「……ふ。まだまだあの子は青いわね」
見えなくなったサンドラの背中を追うように、視線を動かしながらエマは言った。
「シルヴィアさまには、お礼をしなくては」
「にゃっ?」
「あの子を拾ってくださり、誠に感謝申し上げます」
「そんな…お礼だなんて。私がお願いして侍女になってもらったのです。感謝するのは私のほうだわ」
「……どうしてそんなに、あの子を気にかけてくださるのですか?」
「どうしてかな…」
少し考えてから、シルヴィアは言った。
「たぶん…危ういからかな」
「……」
「彼女はとても鋭い槍なのだけど、振るうべき時と場所を得られず、自分で自分を傷つけてしまいそうで、目が離せないから、だと思いますわ」
エマは唇を強く噛んだ。湧き上がる感情を必死に堪えているようだ。
「―本当に、あなたさまの侍女になれて、あの子は幸せ者だわ。改めて、お礼を申し上げます。ありがとうございます、シルヴィアさま」
「やめてください、エマさま。私は、教えを請う立ち場なんですから」
「ダンスを一から学びたい、と伺っています」
「ええ…。あの…エマさま。もしよろしかったら、サンドラとの間に何があったのか、話してくださいませんか」
「……」
「お力になりたいんです! ご姉妹だということは、一目でわかります。姉妹同士で殺し合うなんて、尋常じゃない。深いご事情がおありなのは―」
「シルヴィアさま」
エマは、言い募るシルヴィアを手で制した。その手に握られていたものは…。
「げっ!? 鉢巻!」
エマは素早く頭に巻いた。
「ふざけんじゃねえぞ、クソがっ!」
……エマが豹変した。
「人のことに、首つっこんでる場合か!? パーティーまで一か月もねえんだぞ、ボケどシロウトがっ。ダンスなめんなよ」
「ご、ごめんちゃ〜」
「足腰立たねえくらい、ビシビシ鍛えてやるからな、覚悟しとけよっ」
「ひいぃ〜〜〜っ! やっぱり、そうなるよね〜〜!」
シルヴィアの悲鳴が、あたりを震わせながら悲しく広がっていった。
【裏ショートストーリー】
フランベルジュ「シルヴィアたちは、いったい何を騒いでるのだろうね」
シャウラ「……」
フランベルジュ「うるさくて、寝ていられないよ」
シャウラ「……」
フランベルジュ「あ〜あ。寝てるのも飽きてきたなぁ。シルヴィアなんかおいて、遊びに行っちゃおうかな」
シャウラ「……」
フランベルジュ「……キミは、大人しいねえ。一度も鳴き声を聞いたことがないよ」
シャウラ「フランベルジュもニブくなったね」
フランベルジュ「えっ…!?」
マノン「フランベ〜ルジュ! シャウラと見つめ合っちゃって、何をお話ししているの?」
フランベルジュ「……」
マノン「シャウラ〜。かっわいい!」
シャウラ「……」
フランベルジュ「……気のせいかな。シャウラがしゃべったように聞こえたけど」
シャウラ「……」
マノン「シャウラは大人しいよねぇ。女の子だからかな。きみの声を一度も聞いたことがないよ」
フランベルジュ「……それ、ボクのセリフ」
マノン「聞いてみたいなぁ。シルヴィアさまは、しょっちゅうにゃあにゃあ言ってるのに」
フランベルジュ「……シルヴィアに聞かれたら、殺されるよ」




