第29話 是非もなし
「商人ならほかにもいるでしょう。どうして、わざわざあんな奴と取引しないといけないのですか」
シルヴィアは憤然として言った。
アニェスに一喝されて場は収まったが、シルヴィアとアダン双方、険悪な雰囲気は解消されなかった。このままでは話が進まないので、一旦シュバリエ商会を辞したのである。アニェスの提案で近くの喫茶店に入り、シルヴィアを説得中であった。
「シルヴィアの気持ちもわかるが、アダンは貿易商だ。この手の取引に長けている。熊爪族とも実際に取引があるから話が早い」
「お言葉ですが、旦那さま。熊爪族ならバルケッタがいます。パストゥール語もかなり上達したとギーさまが仰っていたし」
「バルケッタには、勉学に集中させたいのです」
ギーが申し訳なさそうに言った。
「それに、通訳としてなら役に立つでしょうが、商売となるとまだ荷が重過ぎるのではないでしょうか」
「でしたら、バルケッタは諦めますけど、私は納得できません。貿易商はほかにもいらっしゃるはずです。あいつとは二度と口もききたくないわ」
「ずいぶんと、嫌われたもんだな」
「ああいう不真面目な人は、大キライ!」
未だ怒りが収まらないようで、柳眉倒豎とは、このことをいうのであろう。
「……アダンが女性にだらしないのは否定しません」
アニェスは、優しく語りかけた。それはまるで、駄々を捏ねる子どもに対する母親のようであった。実際はアニェスの方が年下なのだが。
「でもそれは、アダンの一面でしかないわ。仕事はできる男です。私たちを決して裏切ったりしないと信じることができる、頼もしい仲間なのです」
「……アニェスさまともあろうお方が、なぜそこまであいつを信頼なさるのですか」
「友、だからです」
「……!」
きっぱりと言い切るアニェスの涼やかな姿に、シルヴィアは瞠目した。
「アダンは、幼年学校の同級生なんだ」
「にゃっ!? 旦那さまと同級生、ってことは、あいつ、18歳なの!?」
(大人の男とか偉そうに言ってたけど、あたしと大して変わらないじゃない!)
ますます怒りが湧いてくる。
「先代の親父さんが昨年病気で急死してな、アダンが跡を継いだんだ」
わずか17歳で当主になったことになる。それだけでも商才の程がうかがえる。
「知っての通り、俺たちの母は身分が低い。だから、庶民の子弟が通う私立の幼年学校に行かされた。そこでアダンと知り合ったんだ。2年遅れて入ってきたアニェスと3人でつるんでよく遊んだもんだよ」
「道理で旦那さまたちと馴れ馴れしい口をきくはずね」
「もちろん、時と場合によっては俺たちを立ててくれるが、普段は、タメさ。俺たちが望んだことでもある。シルヴィアだって、友だちとは身分や立ち場に関係なく気安く話したいだろ」
「それは、そうですけど…」
「俺たちは、皇家では立ち場が弱い。兄たちのように強力な後ろ盾がないからな。だから命を狙われることは再三だ。アニェスの毒殺未遂しかり、この前の喫茶店での襲撃しかり」
「それでもアダンは、ずっと私たちの味方でいてくれたの。兄上さまたちの息のかかった商人から、ずいぶんと嫌がらせを受けてきたにもかかわらず」
アニェスは、微笑んだ。輝くばかりの美しさだった。
「……信頼、し切っていらっしゃるのね」
「彼に裏切られるのなら、諦めがつくくらいに」
「是非もなし、ということですね」
「お、良いこと言うな、シルヴィア。まさにアダンは、それさ」
閃くものがあった。
(もしかして…アダンはアニェスさまのことが好きなのかしら)
(いやいや、そんなわけない)
しかし、すぐに自分の考えを否定した。
(あんな色情魔が一人の女を愛するわけない)
(どうせ、あんな奴、欲情にまかせて取っ替え引っ替えに決まってる。カラダだけが目当てのケダモノなんだから。愛なんて無いに決まってるんだから)
でももし、アニェスを愛していたら…。身分差を気にして告白することもせず、想いを胸の奥底に秘めているとしたら…。
「―わかりました。旦那さま、アニェスさま」
シルヴィアは、決然と前を見据えた。
「もう一度、アダンと会ってみます。私も少し大人気なかったようです。旦那さまたちのようには接することはできないかもしれないけど、努力はしてみますわ」
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「……」
だがしかし、そうはいっても、一度壊れた関係を構築するのは容易ではない。
再びシュバリエ商会に戻ってきたはいいが、シルヴィア、アダン共にそっぽを向いたまま、目を合わせようともしない。
「……まあ、なんだ。これは商売の話だ」
リオネルは、間を取り持つように猫撫声で言う。
「別に友だちになれと言ってるわけじゃない。ここは、ビジネスライクでいこうじゃねえか」
「―最初に言っておきます」
まず口を開いたのはシルヴィアだった。
「私はあなたが大キライです」
「……」
「でも、私は大人ですから、仕事に好き嫌いは持ち込みません。あなたと契約します」
「ちっ…。クソガキが」
「なんだと!?」
血相を変えたサンドラを、シルヴィアは身振りで制した。
「いちいちあなたの暴言に目くじらを立てないわ。私は大人だから」
「さっきから大人大人、って、厭味ったらしく言うなよ、ガキのくせに」
「私は子どもじゃないわ。あなたと一つしか違わないじゃないの」
「けっ。中身が違うんだよ、中身が」
「何よ。いつまでも殴られたことを根に持って、バっカみたい。よっぽどあなたのほうが子どもじゃないの」
「勘違いすんな。そんなこと根に持つかよ。お前の人間性が気に食わねえつってんだ」
「あなたなんかに私の人間性をとやかく言われたくないわ」
「待て待て待て待て!!」
慌ててリオネルが止めに入った。
「ビジネスライクで、と言ったろうが。お互い気に入らねえと思うが、ひとまず感情は置いておいて、ビジネスに集中しろや」
「―アダン! アダンは、いる!?」
そのとき。一人の少女が飛び込んできた。
「何だ? どうした、オレリア?」
アダンが立ち上がった。
「コレットが…コレットが大変なの!」
少女は泣き崩れた。アダンは少女を抱き止めた。
「どういうことだ? 落ち着いて説明しろ」
「……桑の木から落ちて、意識がないの。助けて、アダン!」
「なんだと!?」
少女が泣きながら言うには、ボール遊びをしていたら、高い桑の木に引っかかってしまったらしい。そのボールを取ろうと木に登った友だちがバランスを崩して、頭から落ちたという。
アダンは聞くなり外へ飛び出した。慌てて少女が後を追う。
残されたシルヴィアは、茫然と彼らを見送った。
「……お義姉さま」
アニェスがそっと声をかけた。
「あの子は、オレリアといって、孤児院の子ですわ」
「孤児院…」
「桑の木というのは、きっと孤児院の庭に生えている高木のことでしょう。どうしますか? 様子を見たいならご案内しますが」
「連れていってください!」
即答のシルヴィアに、アニェスは莞爾として手をつないだ。
「では、急ぎましょう!」
シルヴィア一行は、孤児院に急行した。
孤児院は、三階建てのこじんまりとした建物で、庭だけは広かった。アニェスの言う通り、高い桑の木の側には人だかりができていた。
「コレット! しっかりしろっ」
人垣の隙間から覗くと、アダンが横たわる一人の少女を抱えていた。
「……アダン。ごめんね…ごめんね…」
少女が弱々しい声で謝罪を繰り返している。意識はあるようだ。しかし、おでこから血が流れている。
「―木から落ちたときに切ったのね」
アニェスがいつの間にか少女に寄り添い、おでこの傷の様子を覗き込んでいた。
「コレット。私の指を追ってみて」
アニェスは、指を左右に動かしてみせた。少女の目がそれを追う。
「……大丈夫そうね。意識はしっかりしている。おでこの傷はそれほど深くはない。―ほかに痛いところは無い?」
「……腕が、動かない」
「……」
アニェスが右腕を取った。
「……痛っ!」
「骨が折れてる」
「なんだと!?」
アダンが血相を変えた。
「きっと落ちたとき、無意識に頭をかばって手をついたんだわ。それで折れたのね」
「医者に連れて行く!」
アダンが少女をおぶった。今にも走り出しそうだ。
「アダン、待って! コレットは頭を打ってる。腕よりむしろ頭の検査をしたほうがいい」
「そんなこと言ったって、どの医者に連れてきゃいいんだ?」
アダンは怒鳴った。目が血走ってる。
「しっかりしなさい、アダン! あなたが動揺してどうするのっ」
アニェスが叱りつけた。アダンは、ハッとしたように身動きしなくなった。
「……すまない、アニェス。ありがとう」
素直に頭を下げるアダンに、アニェスは輝くばかりの笑顔で応えた。
「いいのよ。―皇宮に行きましょう。宮廷医は優秀よ。必ずコレットを治してみせるわ」
【裏ショートストーリー】
アニェス「アダンは、ずっと孤児院に金銭的な援助をしているの」
シルヴィア「そうなのですか…」
アニェス「成人して孤児院を出た後も、何かと面倒をみているわ」
シルヴィア(あんな色情魔に、そんな一面があったなんて…)
アニェス「女性にもモテるのよ。孤児院の子の何人も彼を慕っているわ」
シルヴィア「だからって、女の人を取っ替え引っ替えするのは許せない」
アニェス「それはお義姉さまの誤解よ。女性の求めに応じて彼のほうが抱かれてるのよ」
シルヴィア「……!」
アニェス「さすがに私もまだ16だから、女の人の心の機微は完全には理解できないけど、なんとなくわかるわ。心の寂寥を男の人に埋めてほしい気持ちは」
シルヴィア「……アニェスさまも、そんな気持ちになることがあるのですか?」
アニェス「どうかしら。ないと言えばウソになるけど、男性に求めるものが肉体関係だけとは限らないでしょう?」
シルヴィア「……生々しくて、なんかイヤだわ」
アニェス「私も、アダンの言葉を借りれば『オトコを知らないしょんべん臭いクソガキ』だから、その手の話は苦手なの」
シルヴィア「アニェスさまには、いつまでも清らかでいてほしいです!」
アニェス「ふふふっ。私だって、いつかは結婚するのだし、子どももほしい」
シルヴィア「アニェスさまなら、処女受胎なさるわ」
アニェス「ふふふっ! お義姉さまは本当に面白い方だわ」
シルヴィア(……アニェスさまなら、あり得るかも。なにしろ、地上に降臨した女神さまだから)