第25話 友情と逮捕
「シルヴィアさまは、つくづく不思議な方ですね」
サンドラは、実感のこもった感慨とともに、深いため息をついた。
「どこが? あたしは、普通の猫耳族の可愛い女の子よ」
「……そういうところですよ、可愛いお姫さま」
「にゃっ?」
「冗談はともかく、新兵のことです」
「……ああ、あれね」
「初めは地獄のような雰囲気だったのに、最後はみんな顔を輝かせていました。あんな大逆転があるなんて、まるで魔法を見ているようでした」
「それは違うよ、サンドラ」
お気に入りの丸型クッションで丸くなりながら、目だけを上げた。
「みんなのおかげだよ。あたしを信頼してくれたミラベルやエーヴ、サイノスの力であって、あたしの力でもなんでもない」
「エーヴたちの心を掴んだのは、シルヴィアさまの力です。やはりシルヴィアさまは凄い」
「これでサンドラもわかったでしょぉ?」
マノンは、お人形のような愛らしい笑みを浮かべた。
「シルヴィアさまは、傑出したお方なの。一生仕える価値があるわぁ」
「マノンまで、やめてよね。褒めても何も出ないわよ」
「いいんですよ、何も出さなくて。本当に思ってることですからぁ」
「……んもう、そんな恥ずかしいこと、よく言えるわね」
照れ隠しなのかシルヴィアは、クッションの中でゴロゴロ転がった。
「―ところで、エーヴたちの配属は決まったのかしら」
「サイノスは、黒牛隊だそうですよぉ」
マノンが言う。さすがは諜報団団長、情報が早い。
「あら、サイノスにはぴったりじゃない」
「あと、本隊に抜擢されたのは、ジュスタンですねぇ。華鷹隊に配属されました」
「華鷹隊…?」
「アニェスさまの部隊のことですよぉ」
「にゃっ!? アニェスさまって、隊長だったの?」
「長らく病に臥せっておられたので、リオネルさまが代行なさっていましたけど、本格的に再活動するそうですぅ」
「驚いた…。アニェスさまって、ほんとに多才なのね」
「それから、エーヴですが、ミラベルととともに月蝶隊だそうですよぉ」
「ミラベルも!? へえ」
エーヴの実力からすれば妥当だが、ミラベルは意外だった。考えてみれば、ミラベルが闘っているところを見たことがない。
「私も情報だけで、実際に見た訳じゃないですけどぉ、ミラベルは普段は人の陰に隠れていますが、戦闘に入ると別人になるんですって」
「……エマさまタイプ、ってこと?」
「新兵の間じゃ、『ブラッディ・ドール』という二つ名が付けられたとか」
「血まみれ人形? ずいぶんミラベルの印象とかけ離れた物騒なあだ名ね」
「粒揃いと評判の今期の新兵で、本隊に抜擢されるんですから、相当な実力者なんじゃないですかぁ」
「そうなんだ…」
あの万事控えめなミラベルからは、どうしても想像できない。人というのは、本当に不思議なものだ。
「ほかのみんなは、新兵隊?」
「そうなりますねぇ」
新兵は、実力を認められた一部を除いて、基本的に一つの隊にまとめられる。
軍隊というものは、最も劣る兵に力をあわせがち、という特徴がある。無論、傑出した個人が局面を打開することはよくあることだ。しかしそれは、しょせん局地戦でしかない。軍同士の戦いが組織戦である以上、最後にものをいうのは、組織としての力である。
その軍隊としての組織力は、兵の均質性にかかっている。能力の高い指揮官が、能力の劣る新兵隊を率いてしばしば戦果を挙げるのは、そういう理由があるのだ。
「新兵隊は、どなたが指揮するの?」
「ギーですよぉ」
「ギーさま…」
「新兵隊を引き受けるのは、ギーの飛竜隊と決まっているのです。これから天へと昇っていく竜の子どもたち、ということですねぇ」
生真面目なギーであれば、新兵を無駄に死なせることはないだろう。まさに適任だと、シルヴィアは思った。
「……みんな、頑張ってほしいな」
「彼らなら、大丈夫です」
サンドラが力強く言った。
「そうよね…。大丈夫よね」
同期たちの身に想いを馳せた、そのとき。激しくドアを叩く音がした。
「―騒々しいわね。誰かしら」
「私が出ます」
サンドラがドアを、開けた。すると、鎧に身を固めた兵士が集団でドカドカと無遠慮に侵入してきた。
「―これは何事だ!?」
サンドラが声を張り上げた。
「リオネル殿下のお妃、シルヴィアさまの居室と知っての狼藉か? 許さんぞ!」
「我々は、皇宮警備隊である」
「こ、皇宮警備隊…」
マノンが真っ青になる。
「皇宮警備隊、って何なの?」
シルヴィアはそっとマノンに耳打ちした。
「皇宮内の治安を司る軍のことです。隊長はジルベール殿下」
「ジルベール…!」
息を呑んだシルヴィアに対して、指揮官らしき兵が一歩前に出てきた。
「シルヴィア妃殿下。あなたには、スパイ容疑で逮捕状が出ています」
「スパイ!?」
マノンが驚いたように胸を反らせた。同時に両腕を背中に隠す。しきりと窓を指差している。シルヴィアは、それをチラッと横目で確認した。マノンは窓から脱出しろ、と言っている。
「何かの間違いですわ。シルヴィアさまが、いったい何のスパイ行為をしたと仰っるの?」
「第三軍団への無断侵入と伺っております」
「それは誤解です。確かに軍団長であるリオネルさまには届け出をしませんでしたが、正当に入隊試験を受けただけです」
動かないシルヴィアに、マノンの指が苛立ったように動きを早めた。自分が時間稼ぎをしている。早くここから脱出して!
「小官は、シルヴィア妃殿下を拘束するよう命令を受けただけです。弁明は直接、皇宮警備隊長になさるように」
サンドラが殺気を放った。淡褐色の左目がギラっと光る。指揮官は、サンドラに鋭い視線を向けた。お互いに実力行使も辞さない、とばかりに睨み合った。
「―サンドラ、控えなさい!」
「シルヴィアさま…」
シルヴィアの一喝に、サンドラは不満と抗議の視線を送った。
「ここで押し問答していても仕方ないわ。話せばきっとジルベールさまもわかってくださる」
「シルヴィアさま、本気ですか!?」
マノンは、瞠目した。
「私は大丈夫よ、マノン。この人たちの言う事を聞きましょう」
「……!」
マノンは肩の力を抜いた。唇を噛んで俯く。
指揮官は、背後に指示を出した。兵がわらわらとシルヴィアを取り囲む。大人しく彼らに従い、部屋から連れ出された。
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シルヴィアは、高い塔にある小部屋に軟禁された。皇族専用の牢だそうだ。小さなベッドが一つあるだけで何もない。すえた臭いがする。埃も溜まり放題。ちょっとベッドの上をはたいただけでもうもうと埃が舞い上がった。
シルヴィアは、汚れるのも構わずベッドに腰掛けた。軍事行動中は、もっと劣悪な環境で寝たこともある。埃だけなら、なんということもない。
「……このまま取り調べもされず、放ったらかし、なんてことはないよね」
どういうわけか、手枷足枷はされていない。どうせ逃げられないと高をくくっているのか、警備に絶対の自信があるのか。
それにしても、ジルベールは、どうやってシルヴィアの入隊騒ぎを知ったのだろうか。アニェスの話では、兄弟の軍団内はほぼ治外法権で、外部からは手出しできない暗黙のルールがあるという。
『―僕にも目や耳はありますからね。それを言ったら、リオネル兄上だって独自の目や耳をお持ちですが』
ガブリエルの言葉が思い出される。リオネル軍には、『紅烏団』という諜報部隊がある。であれば、兄弟たちの軍にも当然あるといことだ。
「どこにどんな目が光ってるのか、わかったもんじゃないわね」
あれこれ疑ったところでキリがない。やましいことは今のところ何一つしていないのだ。堂々としていればいい。
「シルヴィア妃殿下。隊長が尋問なさいます。こちらへお出でください」
そこへ、兵がやってきて牢の扉を開けた。
「良かった。少なくとも放りっぱなしにはされなくて」
「は?」
「いえ、こちらのことです」
兵に案内されて、連れてこられたときとは違う階段を降りた。このまま目の前の兵を倒して逃げることもできる。だが、そんな気は毛頭なかった。それをするなら、始めからマノンの指示通り、部屋の窓から脱出している。
ジルベールと直接話す良い機会だと思ったのだ。仮想敵である親玉の一人は、実際どういう人物なのか。
しばらく降ると、ある階で通路に入った。どういう構造なのか、くねくねと何度も角を曲がり、ようやく一つの部屋の前で止まった。
兵の先導で中へと入る。少し広めの会議室のような部屋だった。奥の椅子に男が座っている。壁には武装した兵がずらりと並んでいた。隅に一人の男がうずくまっている。
兵に促されて、椅子に座る男、ジルベールの前に立った。椅子もテーブルも何もない。立たされたまま尋問を受けるらしい。
「―獣人が。今すぐ殺してやる」
それが、リオネルの異母兄、ジルベールの第一声だった。
【裏ショートストーリー】
マノン「シルヴィアさまったら、あれほど窓から逃げてと伝えたのに」
サンドラ「あんなザコ兵、私一人でなぎ倒せた。どうしてシルヴィアさまは止めたのだろう」
マノン「知るかよ! 少し黙ってろ!」
サンドラ「……」
マノン「あ…ご、ごめん。ついイライラして、サンドラに当たってしまった。サンドラは悪くないよ。ほんとにごめんなさい」
サンドラ「……いや、気持ちはよくわかる。新参の私ですら、居ても立ってもいられないんだから」
マノン「ジルベールは、狡猾で冷酷な男よ。何をされるか、わかったもんじゃない」
サンドラ「今からでも、奪還に行くか? まだ間に合うぞ」
マノン「そうね…。私たち二人なら、充分可能だけど…それは、シルヴィアさまの意向に背くことになるわ」
サンドラ「だったら、どうする」
マノン「私は、リオネルさまに知らせてくる。サンドラは武装準備しておいて」
サンドラ「マノン!」
マノン「……なに?」
サンドラ「必ずシルヴィアさまを助けるぞ」
マノン「当然よ。ジルベールの好きにさせてたまるもんか」