第24話 土砂降りの雨降って、地固まる
「ちょっと待て、シルヴィア…さま。ここは新兵の寮ではないですか」
シルヴィアがマノン、サンドラの二人を従えて、ずんずん進んだ先。そこはサンドラにとっては既に見知った場所だった。
「それが何? サンドラ」
「何、って…リオネルさまに叱られたばかりではないのですか。また勝手にこんなところに来ては、シルヴィアさまのお立場が悪くなります」
「あら〜。あたしのこと、心配してくれるの?」
「……当たり前です。例え主従関係を結んではいないとはいえ、侍女として主人を心配するのは当然でしょう」
「ありがとう。とても嬉しいわ。でも、大丈夫。あたしたちが訪問することは、事前に伝えてあるの」
「そうでしたか。余計なことを申し上げました」
「いいえ。これからも、思ったことはどんどん言って。あたしが気が付かないこともあるだろうから」
勝手知ったる何とやらで、シルヴィアは、食堂へ直行した。中へ入ると、既に集まっていた新兵たちに大きなどよめきが起こった。立ち会っているトリュフォーに軽く会釈すると、中央に設けられた演台の前に立った。
新兵たちの間では『セリーヌ』や『サンドラ』といった言葉が飛び交っている。中でも、激変したサンドラには、注目が集まった。元々美貌だったが戦士のイメージのほうが強かったのだ。しかし今は、侍女のお仕着せを着て、髪を綺麗に編み上げ、慎ましやかにシルヴィアの後ろに控えている。その佇まいは、絶世の美女といっていい。男女問わず驚愕の眼差しを向けていた。
「今日は、あたしのために時間を取らせてごめんなさい」
シルヴィアは、静かに新兵に話しかけた。見知った顔ばかりだ。無論、エーヴやサイノス、ミラベルやジュスタンといった顔も揃っている。
「みんなももう知っていると思うけど、あたしはセリーヌ・ブルボンではありません。本当は、シルヴィア・カトゥスといいます。みんなを騙すつもりはなかったのだけど、結果的に騙すことになってしまった。本当にごめんなさい」
シルヴィアは、深々と頭を下げた。新兵たちはしわぶき一つしない。
「どうしてもみんなに謝りたかったの。たった二日間だったけど、とても楽しかった。実家のカトゥスでは軍に入っていました。あたし、やっぱり軍が好きです」
「リオネルさまの妃なんだろ。そんなお姫さまが、何で俺たちに混じって新兵試験なんか受けたんだよ」
新兵の一人が声を上げた。
「てめえ、言葉を慎め。この方は皇子妃だぞ!」
「いいんです、トリュフォーさま」
シルヴィアは、目を怒らせたトリュフォーを制した。
「畏まった物言いは好きではないの。自由に話したいように話していいわ」
「シルヴィアさまが、そう仰っるなら」
トリュフォーは、身を引いた。
「……なぜあたしが入隊試験を受けたか、という話でしたね」
シルヴィアは新兵に向き直った。
「どうしたって、姫さまとしてあたしに接してしまうでしょう? リオネルさまの妻としてではなく、一人の兵士として見てもらいたかった。みんなと同じ新兵として仲間になりたかったの」
「俺たちは、真剣に試験に臨んでるんだ。あんたのように受かろうが受かるまいがどっちでもいいような、お遊び気分じゃねえんだよ」
「あたしは、一瞬たりと手を抜いたつもりはないわ。みんなと同じ、真剣勝負で試験を受けたのよ」
「すぐには信じられねえな。模擬戦だって、今になって考えてみれば、エマ隊長との出来レースだったんじゃねえのか」
「それは、断じて違うわ。相手がエマさまなのは、当日知ったのよ」
「どのみちあんたは、俺たちからしたら、雲の上の人だ。入隊するったって、腰掛けに過ぎないだろ。全員合格したからいいようなものの、あんたの『枠』のせいで誰かが落ちたかもしれねえんだぞ」
「……それは否定しません。だから、謝罪に来たのです。本当にごめんなさい」
再び頭を下げた。床に届くのではないか、というくらいに。
「……それを言うなら、私こそみんなに謝らなければならない」
ふいに、サンドラが前に出た。
「私の自分勝手な行動で、全員不合格になるところだった。みんなには済まないと思っている。決してセリーヌが悪いのではない。心から詫びる。申し訳なかった」
サンドラは、シルヴィアと同じように、深々と頭を下げた。
「お前は、入隊試験に落ちたはずだろ。何ちゃっかりお姫さまの侍女に収まってんだよ」
心無い野次が飛んだ。サンドラは唇を強く噛みしめ、じっと耐えた。
「それは違うわ」
シルヴィアは、キッと眼尻を上げ野次を飛ばした新兵を睨んだ。
「サンドラが再三断るのを、無理矢理侍女にしたのは、あたしよ。サンドラを悪く言うのは許さない」
「何だ、その態度は。姫さまは謝罪に来たんじゃねえのかよ」
「所詮、お姫さまは俺たちとは違う。上から目線の雲上人だからな」
「結局、俺たちのことなんか、その程度にしか思ってねえんだ」
新兵の間から野次が次々と浴びせられた。シルヴィアは何も言い返さず、じっと前を見据えたままだった。
批判されるのは覚悟の上でこの場に臨んでいる。ただ、みんなに謝りたかった。偽名を使って潜り込んだのは事実なのだ。己の行為には己で責任を取らなければならない。
「……許してもらえるとは、思っていません。でも、同じ立ち場でみんなと交わって、同じ空気を吸って、同じ感情を味わいたかった。ただそれだけだったんです。もう、二度とあなたたちの前には顔を出さないわ。ご迷惑かけて、本当にごめんなさい」
もう一度頭を下げると、うなだれたまま、演台の前を離れようとした。そのとき。
「セ、セリーヌっ」
新兵の中から、一人の女性が飛び出した。彼女は、真っ直ぐシルヴィアの胸に飛び込んだ。
「わ、わたしは、セリーヌのこと、お、怒ってないよ」
「ミラベル…」
それは、ミラベルだった。前髪が乱れ、黒い瞳がはっきりと見えた。それは、既に涙で濡れていた。
「セ、セリーヌは、わ、わたしなんかを、と、友だちと呼んでくれた。とっても、う、嬉しかったの」
「……」
「し、試験に合格できたのは、セリーヌのおかげだよ。セリーヌが、も、模擬戦で作戦を考えてくれなきゃ、きっとわたしたち、し、試験に落ちてた。エ、エマ隊長に勝てるわけ、な、ないもの」
「ミラベル…」
「か、感謝してる。セリーヌのこと、わ、わたし、大好きっ」
シルヴィアの金色の瞳から、ブワッと涙が溢れた。
「ありがとう、ミラベル。……ありがとう」
それ以上、言葉にならなかった。代わりに、小柄な身体をきつく抱き締めた。ミラベルも、しがみつくように抱きついた。
「―なんか、お涙頂戴な雰囲気になってるけどよ」
エーヴが立ち上がっていた。シルヴィアを睨みつけている。
「わたしは怒ってるぜ。なんでお姫さまのこと黙ってた、セリーヌ? 水臭いじゃねえか。わたしたち、マブダチじゃねえのかよ」
「……ごめんなさい、エーヴ。ずっと隠してて」
「ほかのクズ新兵どもはともかく、わたしにだけは明かしてほしかったぜ」
「ふざけんな、エーヴ。誰がクズ新兵だ!」
「自分だけ特別扱いすんな、てめえだってクズ新兵だろが」
新兵たちの集中砲火を浴びる。だが、その程度で怯むエーヴではない。すぐに一喝した。
「黙れ、クズどもっ! クズどころじゃねえ。セリーヌを責めるしか能のねえてめえらは、クズ以下なんだよ」
「何だと!?」
「そもそも、てめえらにセリーヌを責める資格があんのか? セリーヌの指揮がなきゃ、何にもできねえくせに」
「……!」
「狂牛との闘い、黒牛隊との戦闘、エマ隊長との模擬戦。どれ一つ取ったって、セリーヌがいなきゃ、その時点でわたしたちは不合格になってた。感謝しこそすれ、セリーヌを責める資格なんてない。わたしも含めてな」
新兵たちは、黙り込んだ。何も言い返せないことは、各々わかり過ぎるほどに理解していたからだ。
「お姫さまの身分を黙ってたのは怒ってる。でも、それ以上に感謝してる。セリーヌは、わたしの憧れだし心の友だ」
「エーヴ…」
涙が止まらなかった。きっと、涙と鼻水で酷い顔になっているに違いない。それでも、恥ずかしくも何ともなかった。むしろ、こんなに素敵な友に出会えて、心の底から嬉しかった。
「―なあ、みんな」
おもむろにサイノスが立ち上がった。
「みんなが怒る気持ちもわかる。お姫さまが身分を偽って入隊試験を受けたんだ。どれだけ俺たちが人生を賭けて試験を受けてるのか知ってるのか、って話だ」
「そうだ、そうだ!」
「だけど、考えてもみてくれ。エーヴの言う通り、セリーヌがいなきゃ、俺たちがここにいることはなかった。セリーヌの才能は本物だ。決してお姫さまの遊びではない」
「……」
「そのことは、直接肌で知ってるみんなが一番よくわかってるはずだぞ。俺は誰が何と言おうとセリーヌを認める。身分ではなく、実力でリーダーになれる人だ」
新兵の雰囲気がガラリと変わった。実力主義。まさにそれこそが、リオネル軍の入隊試験を受けた最大の理由であることを、皆が思い出したからだ。ラファエル軍やジルベール軍のように身分で固めた上層部とは違う、実力主義の軍団。
「―僕は、初めからセリーヌを女神さまと認めているさ。セリーヌの下でなら、思う存分、僕の自慢の矢を放ってみせるよ」
「ジュスタンは黙ってろ。お前が言うと下品に聞こえる」
サイノスがまぜっ返すと、どっと笑いが起こった。
「『シモ』はやめろ、クズどもがっ」
汚いものでも見るように、エーヴが軽蔑の視線を投げた。
「サイノスやエーヴだけ、いい格好すんな! 俺だって、セリーヌの実力は認めている」
「俺だって、そうだ。だからこそ模擬戦のとき、セリーヌの指揮に従ったんだ」
新兵の間に、同意の波が広がっていく。
「……みんな、ありがとう。とても嬉しい。本当よ。言葉で言い表せないくらい」
シルヴィアは涙を拭って顔を上げた。その金色の瞳は光を取り戻してキラキラと美しく光り輝いていた。
「みんなは、あたしの誇りだわ」
【裏ショートストーリー】
シルヴィア「みんな、本当にありがとう。あたしのために応援してくれて」
エーヴ「別に感謝しなくてもいいさ。ほんとに思ってることを言っただけだから」
シルヴィア「それでも嬉しかった。あたし、みんなが思ってるより、ずっとずっと感動してるんだから」
ミラベル「セ、セリーヌのこと、好きだから。ほ、ほんとだよ」
エーヴ「こいつ、セリーヌがいなくなってから、ずうっと言ってるんだぜ」
シルヴィア「ミラベル、ありがとう。あたしも好きよ」
サンドラ「……二人とも、この方はセリーヌじゃない、シルヴィアさまだ」
エーヴ「頭ではわかってるんだよ。でも、シルヴィアだと、なんかしっくりこねえんだよな」
シルヴィア「いいわ、セリーヌで。名乗ったのはあたしだし」
エーヴ「じゃあ、わたしたちの間だけでは、セリーヌな」
サンドラ「……」
エーヴ「不満そうな顔すんなよ。そもそも、お前一人だけセリーヌの侍女になりやがって。上手いことやりやがったなあ」
サンドラ「別にそういうんじゃない。シルヴィアさまとは取引をしただけだ」
エーヴ「けっ。可愛げのねえ奴っ」
シルヴィア「いいじゃないの。理由は何であれ、サンドラが側にいてくれるだけで心強いわ」
ミラベル「ど、どこにいたって、わ、わたしたちはずっと、と、友だちだよ」
エーヴ「ミラベルの言う通りだ。それじゃあ、わたしたちのとこしえの友情に、カンパァ〜イ!」
シルヴィア「……エーヴって、飲んべえなのね」




