第22話 幻の侍女と影の軍団
「……ジルベールあたりにバレてみろ、どんな無理難題を吹っかけてくるかわかりゃしない」
リオネルに言われて、アニェスの言葉が脳裏に浮かんだ。
『もう察しているとは思いますが、ベルトラン家の兄妹仲はすこぶる険悪なものです。これというのも、お父さまが後継者を決めていらっしゃらないからですわ』
皇太子を巡る争いが絶えないという。
長男ラファエルは、何かを企むタイプではないが、生母の実家は有力な貴族であるカルダン公爵である。孫を帝位につけて、自身が権力を握ろうと虎視眈々と狙っている。
次男ジルベールは、自身が策略家だ。まさに何を企むかわかったものではない。そして四男ガブリエルは、人当たりこそ柔らかいが、何を考えているかわからない。容易に本心を明かそうとはしないのだ。ある意味、最も警戒すべき人物である。
そして、アニェスは、この中に己の毒殺未遂犯がいると確信していた。アニェスは、母を同じくするリオネルを帝位につけたかった。兄を支えるために、幼いころからあらゆる努力をしてきた。素質もあったのだろう、勉学でも剣術でも皇女としてのたしなみも、全てにおいて輝く才能を開花させた。
天才の名をほしいままにしたアニェスは、兄弟たちからは目の敵にされた。それは、兄弟たちの背後にいる勢力から邪魔者として認識された、ということでもある。
彼らは、隙あらばお互いの足を引っ張ろうとしている。蹴倒してでもライバルを減らし、自らが皇太子となり、ゆくゆくは皇帝となって帝国を支配する。そんな熾烈な争いを繰り広げているのだ。
「私は旦那さまのために協力することをアニェスさまと約束しました。だからこそ、軍の実情を知りたかったのです」
「俺はお前が軍に親しむことに反対しているわけではない。やり方に配慮しろと言ってるんだ」
「……」
「ましてや、俺の軍はガラの悪い奴が多い。何かあったらどうするんだ」
「何か…? 何かとはなんですの?」
「それはだな…例えば危害を加えられるとか」
「腕に覚えがあります。たいていの者には遅れを取らない自信があります」
「言い寄るバカモノが出てくるとか…」
「……!」
「なんだ、その顔は? まさか、言い寄られたのか?」
(言えない…。ジュスタンのことは。絶対に)
「言え、シルヴィア。どいつだ、そんなバカモノは。首をねじ切ってやる」
(やっぱり、そうなるよね)
リオネルなら、本当にやりかねない。
「そんなこと聞かされて、はい、実は、なんて言えると思いますか?」
「ということは、いたんだな?」
「そんな人、いません。私なんか、誰も興味を持ちませんよ」
「ウソつけ。シルヴィアみたいに可愛い女が見向きもされないわけがない」
「にゃっ!?」
女たちの視線が集中する。リオネルは、ハッとしたような表情を浮かべた。
「……ち、違う。別に本心からそう思ってるわけじゃ―」
「何ですって? 私が可愛くないとでも?」
「あ、いや…そういう意味じゃなく…」
「ふふふっ! 何だかんだ言って、結局リオネルさまはシルヴィアさまにベタ惚れじゃないですかぁ」
マノンが笑い転げる。
「笑うなっ! そんなんじゃない!」
(ほんとに、そうなのかな?)
所詮、リオネルとは政略結婚だ。お互いの間に愛があるわけではない。しかし、真っ赤になって照れているリオネルを見ていると、あらぬ希望を抱いてしまう。
(……にゃっ!? 希望…? あたし、リオネルに好かれたいと思ってるのかな?)
アニェスに頼まれて、リオネルの力になりたいと思ったのは本当だ。しかし、目指すところは皇帝位である。
(リオネルがブランシャールの皇帝になる…)
それは、悪夢と直結している。姉グロリアを殺し、悪魔になってカトゥスに攻め込む皇帝リオネル。シルヴィアの頭に振り下ろす刃を、今でもはっきり覚えている。
リオネルを皇帝に押し上げることは、己の首を締めることにほかならないのではないか。そんな疑念からどうしても逃れられない。
(力が欲しい)
もし万が一、最悪の事態に陥っても阻止できる力が必要だ。軍への入隊は、その第一歩でもあったのに、たった二日で連れ戻されてしまった。
「旦那さまは、隠れて勝手な行動をしたと私を責めますが、旦那さまだって私に隠し事をなさっています」
「隠し事だと? そんなものは、ないぞ」
「エマさまのことを話してくださらなかったではありませんか。まさか、第三軍団の隊長だったなんて、心臓が止まるかと思うほど、驚きました」
「それについては、私から説明させてください」
それまで静かに見守っているだけだったアニェスが、口を開いた。
「私がお兄さまを止めていたのです。お義姉さまがどんな方か、わからなかったから」
「……」
「皇帝家の実情をお話した今なら、ご理解いただけると思いますが、お義姉さまがどこで兄弟たちとつながっているか不明である以上、私たちとしては警戒せざるを得ない。最悪、刺客ということもあり得たのです」
なるほど。当初、マノンを暗殺者と警戒したのと同じように、リオネル側もシルヴィアを疑っていたのだ。
「ましてや、グロリアさまから急遽お嫁さまが代わられた。誰かが裏で糸を引いている可能性が捨てきれなかったのです。そんな状態で、こちらの手の内を晒すわけにはいかなかったの。ごめんなさい、お義姉さま」
「謝る必要はありません、アニェスさま。逆の立ち場だったら、私も同じことをしたと思うから」
「ありがとう。もちろん、お義姉さまがそんなお人ではないことは、初めてお会いしたときに直感でわかりました。私の勘は、結構当たるのよ」
「信頼していただけて、とても嬉しいわ。でも、もう一つ、大きな隠し事がおありよね」
「……まだあったかしら。お義姉さまには、全てを打ち明けたつもりなのだけど」
「マノンのことです!」
急に振られて、マノンは藍色の瞳を白黒させた。
「未だにマノンが誰なのか、教えてくださらないわ。マノンというのが本名なのかすら、わからない」
「ご尤もです。どうかしら、マノン。もうこの辺りで全てを明かしては。お義姉さまは何をしでかすかわからないお人だということが、今度の一件でよくわかったし、この先、あなた方の力が必要になることが多くなると思うの」
「―わかりました。ほんとはずっと内緒にしておきたかったのですけど」
マノンは、お人形のような愛らしい笑顔を浮かべた。
「……シルヴィアさま。私はマノン・ルブランと申します」
「マノン…ルブラン。やっぱりね。そうじゃないかな、と思っていたわ。あなた、ギーさまの妹だったのね」
「いえ。ギーは、私の弟です」
「そうよね。妙に仲がいいから、もしやと…ん? ちょっと待って。今、何て言ったの? 弟と聞こえた気がしたけど」
「ですから、ギーは私の弟と申し上げました」
「にゃーっ!? あなた、15歳よね? おかしいじゃないの。ギーさまは旦那さまと3つ違いだから…」
シルヴィアは、指折り数えた。
「21でしょ? 何で弟なのよ」
「私…本当は―ですので」
「にゃっ? 聞こえないわ。もっとはっきり言って」
「私、本当は25、ですっ」
マノンは、真っ赤になりながら叫ぶように言った。
「にゃにゃーっ!? 25って…あなた、10コもサバ読んでたの!?」
あまりの衝撃に、シルヴィアは全ての生体反応が止まったかのように固まってしまった。
「ごめんなさーい。シルヴィアさまに年齢を聞かれて、ついちょっとだけ若く申告してしまいましたぁ」
「……ちょっとじゃ、ないでしょ!?」
「ごめんなさぁい」
舌を出して小首をかしげてみせる。悪びれない態度は、大したものだが、それにしても、である。
「……確かに、見た目幼いから、すっかり信じてしまったわ。というか、私よりぜんぜんお姉さんなんじゃないの。いやいや、待って。それどころか、この中で誰よりも年長者はマノン、ということになるのね」
お人形のように微笑むマノンは、とても25には見えなかった。
「―まったく、呆れて何も言えないわ。それでマノン姉さま。隠してるのは、それだけじゃないでしょ?」
「……わかります?」
「そりゃ、そうよ。あなたの体術、ただ者じゃない。ギーさまのお姉さまというだけでは、ないはずよ」
「申し遅れました。私、リオネル軍の諜報部隊、『紅烏団』の団長を務めております。以後、お見知りおきを」
マノンは、優雅にお辞儀をしてみせた。
「諜報部隊…。なるほどねえ、あなたも旦那さまの片腕の一人だったのね」
シルヴィアは、深くため息をついた。
「ようやくこれで、全てが腑に落ちたわ」
やはり、シルヴィアに不穏の動きがあれば、暗殺者の役割を与えられていたのに違いない。そうならなくて幸いであった。マノンと殺し合うなど、ゾッとする。
「……お義姉さま。マノンのことは、第三軍団の中でも秘密にしているの。知っているのは今ここにいる私たちだけ。くれぐれもそのおつもりで」
諜報という仕事がら仕方ないのだろうが、弟にすら明かさないとは、徹底ぶりに驚かされる。
「わかりました、アニェスさま。このことは、胸に収めておきます」
「……シルヴィアさま。短い間でしたが、これでお別れでございます」
マノンが俯きながら言った。
「にゃっ!? 突然何を言い出すの?」
「諜報員が身分を明かしたのです。侍女としてお側でお仕えするわけには参りません」
「絶対にダメよ。私から離れることは許しません。あなたは私の侍女なんだから」
「……私は闇に生きる者。侍女のマノンは所詮、幻なのです」
「幻なんかじゃない。ちゃんと現実の人として私の目の前にいるわ」
「しかし…」
「マノンのことが好きなの。何と言おうと離さないから」
「シルヴィアさま…」
「旦那さま。マノンを私にください。大事にしますから。一生のお願いです」
マノンの意志が固いとみて、標的を変えた。ここは、主人であるリオネルを落とすしかない。
「そう言われてもなあ。マノンを侍女にしたのは、一時的な措置なんだよ。情勢を見極めたら、紅烏団に戻すつもりだったんだ」
「……お願い。旦那さま」
金色の瞳を潤ませ、リオネルをじぃ〜っと見つめた。
「し、しょうがねえな」
リオネルは、また顔を赤らめて視線をそらした。
「言い出したら聞かないからな。―シルヴィアが、こう言ってるし、どうだ、マノン? しばらく侍女を続けてみては」
「そんな、リオネルさままで…」
「ありがとう、旦那さま! これで決まりね」
シルヴィアは、すかさずマノンに抱きついた。
「これからも、よろしくね」
「困ったお人ですね。―仕方がありません。しばらくの間だけですよ」
「わかってるって」
シルヴィアは声を弾ませた。そして、満面の笑みでリオネルを振り返った。
「―旦那さま。ことのついでと言っては何なのですけど、もう一人、是非とも欲しい方がいるのです。その方もいただいてよろしいでしょうか」
「あ? 誰だ、それは?」
「有能なレディなの。将来、必ず私たちにとって役に立つ方だわ」
【裏ショートストーリー】
エーヴ「驚いたなあ。セリーヌがリオネルさまのお妃だったとは」
サイノス「そんな雲の上の方が、なんで俺たちに混じって入隊試験なんか受けたんだろうな」
エーヴ「知るかよ、お姫さまの考えることなんか」
ジュスタン「道理で、その辺に転がってる女とは気品が違うと思ったよ」
エーヴ「……悪かったな、その辺に転がってて。ミラベル。お前も何か言ってやれ、このクソッタレ男に」
ミラベル「い、今ごろ、わ、わたしたちのこと、リ、リオネルさまのお耳にも、届いているよね」
エーヴ「おおっ、そうだよ。よく気がついた。……ジュスタン、てめえ、事もあろうにセリーヌを口説いてたろ。確実にリオネルさまに殺されるぞ」
ジュスタン「そうは思わないね。もし僕たちのボスがそんな短絡的な人物なら、こっちから願い下げだ。すぐ除隊させてもらう」
サイノス「そんなことは関係なく、とっとと除隊しろ」
ジュスタン「どうしても君は、僕に殺されたいらしいな」
サイノス「そのままそっくり返してやる。除隊などまどろっこしいことをせずとも、今すぐ俺があの世行きにしてやるよ」
エーヴ「やめなよ、二人とも。そんなことしたら、セリーヌが悲しむと思うぜ。妙に友だち思いな奴だったからな」
ジュスタン「僕は友だち認定してもらえたのか、光栄だなあ」
エーヴ「んなワケねえだろ。今のは言葉のあやだ」
ミラベル「に、二度と会えないのかな。さ、淋しいな」
エーヴ「……そうだな。皇子の妃といえば、わたしたちのような下々の者が言葉を交わすことさえ、憚られるお人だぜ」
ジュスタン「僕は、また会えると思うなあ。運命を感じるんだ。きっと僕たちは、赤い糸で結ばれているような気がする」
エーヴ「勝手に赤い糸を結ぶんじゃねえ!」




