第217話 身二つ
その日は、前夜から降り始めた雪が思いのほか積もり、朝になると一面の銀世界となっていた。
サンドラは、メロディの世話で厳重に防寒すると、司馬の執務室へ向かった。通称『猫耳王女のサロン』といい、天馬隊の会合があるのだ。
既に産み月に入った。予定日まであと2週間ほどである。休んでも誰も何も言わないだろうに、真面目なサンドラは、出席するといって聞かない。メロディは仕方なく、体調が悪くなったらすぐに退席する約束で承知した。
外は凍えるような寒さだが、サロン室内は暖房が効いていて、とても暖かった。
誰かが気を利かせたのか、サンドラの席には毛皮が敷いてあった。上着を一枚脱がせると、メロディは膝の上に掛けた。
「全員、揃ったな」
エーヴが口火を切った。今日は至宝天だけの集まりでシルヴィアは参加していない。これからも、こういう会合は増えていくだろう。
「今日の議題は二つだ」
会合の司会進行役は、エーヴが務めている。元から、話し合いの場ではエーヴが仕切ってきた。自然の流れというものである。
「一つは、セリーヌの護衛体制をどうするかだが…」
「それは決まっているさ」
ジュスタンが翠色の髪をかき上げた。
「順番制にしよう」
「そ、そうすると、ジュ、ジュスタンもセリーヌに近侍することになるけど?」
「何が問題なんだ?」
ジュスタンは、ジロッとミラベルを見た。
「大ありだ」
サイノスが逆にジュスタンを睨んだ。
「お前のような脳内下半身をセリーヌの側に貼り付けるなど言語道断」
「酷いなあ。妻がいる前でなんてこと言うんだ。僕は貞淑な夫だよ」
「貞淑が聞いて呆れる。今まで散々遊んできたくせに」
「サイノスは、知らないのかい? 独身のときに遊んでいた男ほど、結婚すると真面目になるんだよ」
「それは本当ですわ」
メロディが口を挟んだ。彼女は一介の侍女に過ぎない。しかし、会合で発言しても誰も気に留めないし、むしろ当然のこととして皆受け止めている。
「ジュスタンは、まったく遊びに行かなくなりました。仕事が終わると、真っ直ぐ家に帰ってきてくれます」
「騙されるな、メロディ」
エーヴが言う。疑わしそうにジュスタンをジロジロ眺めている。
「浮気グセのある男は、一見大人しくなったように見えても、必ず浮気するとも言うぜ」
「それは誹謗中傷だな。僕は一度たりとも浮気をしたことがない」
「―順番制はやめて、固定制にしたらどうだ?」
サンドラが言った。途端、エーヴが目を剥いた。
「固定って、誰にするんだ? 結局、それを決めるのに揉めるぞ」
「私が立つ」
「お前な…」
当然のように言うサンドラに、エーヴは呆れてみせた。
「これからガキを生もうって奴が、どうして護衛に立てるんだよ?」
「生んだあとさ。メロディがいてくれる。子どもを任せてシルヴィアさまの側についていられる」
「そうは言ってもな…」
「俺はサンドラに同意する」
真っ先にサイノスが手を挙げた。
「かつて侍女もしていたサンドラなら、セリーヌも受け入れやすい。適任だ」
「とは言っても、現実問題として今は無理だよ」
ジュスタンが指摘する。サンドラは、うなずいた。
「わかってる。子どもが生まれるまでは、エーヴに頼みたい」
「えっ!? わたし?」
思いもよらなかったのか、反射的に背筋を伸ばした。
「エーヴはシルヴィアさま一の親友だ。絆も深い。安心して任せられる」
「ええ〜? そんなに持ち上げるなよ〜」
エーヴは、まんざらでもなさそうに青い瞳がほころんだ。
「セリーヌ一の親友だなんて、言い過ぎたぜ。―そうかぁ? やっぱりわたししかいねえかなあ。サンドラにそこまで言われちゃ、断り切れねえなあ。しょうがねえ、気が進まねえが、わたしが護衛役になるぜ」
サンドラ以外の三人は、三者三様の反応をみせた。即ち、ジュスタンは肩をすくめた。サイノスはため息をついた。ミラベルは拍手した。
「頼んだぞ、エーヴ」
にっこり微笑んだ、次の瞬間。サンドラの様子が一変した。
「……痛っ」
「サンドラさま!?」
最初に異変に気づいたのは、メロディだった。
「どうされました?」
「……痛い」
「お腹ですか?」
「……!?」
サンドラの顔が歪んだ。
「い、痛い…っ…うっ、う〜っ!?」
「サンドラさま!?」
「……う、生まれる―」
「えっ!?」
皆、一斉に腰を浮かせた。
「た、大変だっ。ガキが生まれる! どうするどうする!?」
「エーヴさま、お静かに!」
狼狽えるエーヴをメロディは叱りつけた。
「陣痛が始まっただけです。落ち着いてください。―サンドラさま。歩けますか?」
「痛いっ…ううっ」
「破水はしていませんね。少し様子をみましょうか」
「メロディ!? そんな悠長なこと言ってていいのか? ここで生まれたらどうする!?」
エーヴが血相を変えて迫った。しかしメロディは落ち着き払っている。
「陣痛が始まったからといって、すぐに生まれるわけではありません。痛みは間隔を空けて繰り返しますから、様子を見てお医者さまのところへ行きましょう」
「はあ…」
何を言うにも、出産経験があるのはメロディだけだ。エーヴは毒気を抜かれたような顔をして立ち尽くした。
「―何か俺たちにできることはないか?」
サイノスが尋ねた。
「皆さまには、関係者の方々にお知らせをお願いします。サンドラさまが産気づいたと。今夜か明日には生まれると思われます」
「わかった」
至宝天は、慌ただしく散っていった。
「―サンドラさま。大丈夫ですよ。私がついています。大丈夫ですからね」
痛みに悶えるサンドラの背中を、メロディはさすり続けた。
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「お初にお目にかかります、殿下。アデラール・バルドーと申します」
アデラールは、ギーに対して臣下の礼をした。アデラールにとって、主君の夫君となる。
「ギー・ルブランです。妻が世話になります」
途端、エマは照れたように顔を隠すと思い切りギーの背中を叩いた。
「いや〜ん! 妻だなんて、恥ずかしいわっ」
「痛っ!?」
「あら。ごめんなさい」
目を剥いたギーの腕を豊かな胸に抱えた。ギーは苦笑いを浮かべた。アデラールの後ろでひざまずいているジャドールとトリストが顔を見合わせ、クスクスと笑い合った。
「年内に一度、クニークルスに下見に行こうと思ってるの。彼らも一緒についてきてもらうから、今日は顔合わせよ」
「アデラールどの。よろしく頼みます。どうか妻を支えてやってください」
「もったいなきお言葉。このアデラール、全身全霊をもってエマ陛下に尽くす所存。殿下にも何卒ご指導賜りたくお願い申し上げます」
「あ、いや、その殿下というのはやめてくださいませんか。私はただの軍人です」
「リオネル陛下のご身辺をお守りする禁軍の指揮官、太尉でいらっしゃる。ただの軍人ではありませんな」
アデラールは、観察するようにじっとギーを見つめた。
「肩書など便宜上つけただけのもの。リオネルさまの従者に過ぎませんよ」
「……と、同時に、エマ陛下の配偶者であられる。つまり我々クニークルス国民にとっては、王配殿下でございます」
「ふふっ…」
エマは、満足そうに笑みを浮かべた。王配よりクニークルス国民という言葉に心を揺さぶられたようだ。
「アデラールにはね、政務全般をみてもらおうと思ってるの」
エマはギーにくっついたまま離れない。婚約を発表して以来、関係を大っぴらにできるようになって、行動が大胆になってきた。今まで気持ちを抑制してきたので、その反動が出たのだろう。
「それから、後ろにいるアデラールのお友だち。ジャドールとトリストと言うのだけど、二人には国軍の面倒をみてもらうつもり」
「そうか。―お二人とも、面倒をおかけしますが、どうか妻のことをよろしく頼みます」
「ははっ」
ジャドールとトリストは、殊勝に頭を下げた。
「―エマさま〜っ」
そこへ、息せき切って駆けつけた者がいた。
「あら!? あなたは『天弓』じゃないの」
ジュスタンは、自慢の前髪を乱しながら、エマの前に辿り着いた。
「探しましたよ〜、エマさま」
「どうしたの? そんなに慌てて。もしかして、浮気がバレてメロディから逃げてきたとか?」
「どうしてみんな、僕のことをそういう目で見るかな〜」
ジュスタンは憤慨して頬を膨らませた。どんな表情をしても絵になる男である。イケメンは得だ。
「違いますよ。サンドラが産気づいたんです!」
「えっ!? 本当?」
「メロディによると、今夜か明日には生まれるそうです!」
「きゃあ〜っ、大変っ。こうしちゃいられない!」
ギーの手を引っ張ってエマは走り出した。
「アデラールたちは解散していて!」
後ろに向かって叫びながら、エマは前だけを見ていた。
「サンドラーっ! 私がいくまで生まないでーっ」
「すぐには生まれないですって! ―聞いていますか、エマさまっ!」
慌てて後を追うジュスタンの叫び声は、エマには届いていないようだった。
【裏ショートストーリー】
アレクシア「シルヴィアか。急に訪ねてくるとは、いかがいたした?」
シルヴィア「本日お伺いしたのは他でもない、旦那さまの側妃のことです」
アレクシア「うむ。決心はついたか」
シルヴィア「はい。お断りする決心がつきました」
アレクシア「……なんと。それは如何なるわけか」
シルヴィア「旦那さまのお子は私が何としても生みます!」
アレクシア「それが叶わぬ故、側妃をとるよう申しているのではないか」
シルヴィア「例え私が生めなくても、側妃は嫌でございます」
アレクシア「……シルヴィア。私はそなたが嫁いできた日、尋ねたはずだ。皇帝家の嫁となる覚悟はできているか、とな。そなたには覚悟が足りなかったようじゃ」
シルヴィア「覚悟はできております。私にお子ができなければ、皇統はアニェスさまにお譲りいたします」
アレクシア「なんと!?」
シルヴィア「アニェスさまには女帝となっていただき、皇配殿下との間の子が跡を継げばよろしいかと」
アレクシア「本気か?」
シルヴィア「はい。恐れながらアニェスさまも皇太后陛下の義娘にございます。そのお子は義孫にお変わりありません」
アレクシア「……」
エーヴ「……セリーヌっ! 大変だっ」
シルヴィア「エーヴ!? 皇太后陛下の御前ですよ、控えなさい」
エーヴ「そんなこと言ってる場合じゃねえ! サンドラが産気づいたんだ!」
シルヴィア「にゃにゃっ!? それ、ほんと!?」
エーヴ「こんなことでウソ言うかよ! メロディが言うには、今夜か明日には生まれるってよ」
シルヴィア「きゃあ〜っ! それは大変! ……皇太后陛下、急用ができましたので、これで失礼いたしますっ…」
アレクシア「……あの子は、本当に人のことばかり心配して…。困った義娘だこと」




