第215話 深まる苦悩
「エマ女王とギー太尉の前途を祝して、カンパァーイッ!」
禁軍中隊長の音頭で、一斉にグラスが傾けられた。
エマとギーの婚約祝いに、リオネル軍の中隊長以上が集まった。才色兼備のエマは、絶大な人気がある。軍のほぼ全員が参加を希望したのだが、さすがに1万人となると屋外しか場所がない。
従って、参加者を中隊長以上に絞ったのだ。それでも100人を優に超える。ちなみに、あくまでリオネル軍主催の会なので、軍関係者以外の例えば太師ガブリエルや丞相セルジュは参加していない。
「エマ、ギー。おめでとう」
「ありがとうございます、陛下」
グラスを差し出したリオネルに、エマはグラスをあてて挨拶した。
「陛下はやめろよ。せっかくのお祝い気分が一気に仕事モードになっちまう」
「お兄さまは、常時仕事気分でちょうどいいくらいですわ。何かと理由をつけて仕事をサボるのだから」
「勘弁してくれよ〜」
アニェスに言われて、情けなさそうにへこむリオネルに、場がどっと湧いた。
「本当に良かったわね、エマさま」
シルヴィアが微笑む。手にはグラスを持っているが、形ばかりで口をつけていない。
「ギーさまとの仲をようやく公にできて。エマさまには幸せになってほしいわ」
「ありがとうございます。シルヴィアさまがいてくださるから、安心です」
「にゃ…」
「クニークルス復興をお受けしたのは、シルヴィアさまの存在も一因なのです。一流の軍略家ですから、後事を安心して託せます」
「……私なんて、大してお役に立てないわ」
「ご謙遜。入隊試験で私を負かしたのですよ。もっと自慢なさればいいのに」
シルヴィアは、曖昧な笑顔を浮かべた。
「その話、何度聞いても未だに信じられねえよ」
リオネルが言った。
「シルヴィアが天才エマを負かした、なんて、太陽が西から上ったってあり得ねえだろ」
「……」
シルヴィアは、ちらっとリオネルに視線を送ったが、すぐに綺麗なまつ毛を伏せてしまった。
リオネルは、おや、というように戸惑いの表情を浮かべた。いつものなら、元気に反論してくるのに。
リオネルだけではない。その場にいた全員が、不思議そうにシルヴィアを見た。それでもシルヴィアは何の反応も示さない。微妙な空気が流れた。
「―そ、それで、エマは、いつクニークルスへ出立するの?」
場を取り繕うようにアニェスが言った。
「あ、はい。トリュへの引き継ぎもあるし、身の回りの整理もありますから、年明けにしようかと。可愛い妹の出産も見届けたいし」
少し離れたところで至宝天たちと談笑しているサンドラに視線を送った。
いつものように、経費削減の立食パーティーである。ではあるが、お腹の大きなサンドラだけは、椅子に座っていた。
「もう産み月でしょ。フレイモスあたりが予定日だったかしら」
アニェスが微笑んだ。エマが大きくうなずいた。
「メロディによると、いつ生まれてもおかしくないそうですよ」
「楽しみね。サンドラの子なら、元気な赤ちゃんに決まってるわ。エマも、後継ぎが欲しくなったのじゃない?」
パリーンッ、と、グラスの割れる派手な音が響いた。
「―す、すみません、粗相をしてしまって」
シルヴィアが慌てて床に砕けたグラスを拾い集めようとした。
「お義姉さま、危ないわ、指を切ったら大変」
アニェスは急いでシルヴィアを止めると、手を挙げた。メイドがすぐに飛んできた。
一瞬、リオネルが慌てたように身を隠す素振りをしたが、メイドを見てなぜかホッとした様子をみせた。
「ご、ごめんなさい…」
シルヴィアが平謝りする横で、メイドがテキパキと破片を片付けていった。
「お怪我がなくて良かったわ、お義姉さま」
「本当にごめんなさい。ぼうっとしちゃって」
アニェスは、少し覗き込んできたが、深くは尋いてこなかった。
「―ギー! しばらくはエマと一緒にクニークルスへ行ってもいいのよ」
「まさか! リオネルさまを放ってはおけません。私が監視していなくては、政務が滞ってしまいますから」
「うるせえ! 仕事くらい、お前がいなくてもこなしてみせるよ」
盛り上がる横で、シルヴィアは、思い詰めたようにじっとうつむいたまま身動き一つしようとしなかった。
「あっ…!?」
シルヴィアがグラスを落とすのを、壁際に控えていたマノンとコレットは目撃していた。
反射的にマノンは一歩出かかった。しかし、アニェスの動きのほうが早く、メイドがかけつけるのが見えた。
「……シルヴィアさま、やっぱりまだ思い悩んでいるんだわ」
コレットが心配そうに言う。
「皇太后陛下に言われたことを、ずっと気に病んで…ねえ、そうですよね、マノンさま」
「そうね…」
マノンも、ぼうっと立ち尽くすシルヴィアを食い入るように見つめていた。
嫁いで2年近く、世継ぎが生まれないことを心配したアレクシアが、リオネルに側妃をとるよう、シルヴィアに勧めたのだ。
口には出さないが、側妃を認めるのは絶対に嫌だと思っているのに違いない。さりとて、皇帝の妻として、子ができないことの重大さは痛いほど理解しているシルヴィアである。その板挟みで苦悩しているのだろう。
ましてや、侍女を側妃に差し出したらどうか、とまで言われてしまった。つまり、マノンかコレットがリオネルの愛妾となるのだ。シルヴィアの胸中はいかばかりか。
ジルベールとの決戦を控えたマティスの地で、初めてリオネルと結ばれたことは知っている。当のシルヴィアが話してくれたからだ。恥ずかしそうな、それていてとても嬉しそうな表情を今でもはっきり覚えている。
その後も、何度か愛を交わしてはいるようだ。だが、これまで妊娠の気配さえ一向に訪れることはなかった。
正直、どうしたらいいか、マノンにもわからなかった。どうしたら皆が納得する解決となるのかわからず、途方にくれているというのが実情だった。
しかも、アニェスの密命を受けて、近いうちに旅に出なければならない。でも、今のシルヴィアを放って遠く離れることなど到底できない。
やはりここは、アニェスに相談すべきか。
そう思い始めた、そのときだった。
「―失礼」
一人の軍人がコレットの前に立った。
「オーバン・ロベスピエールという。皇后陛下付き侍女、コレットどの、だな?」
「……はい、そうです」
コレットは、少し戸惑いながらオーバンと名乗った男を見上げた。
がっちりした体格で、背が高い。少しコワモテだ。露草色の瞳が強い光を放っている。鮮やかな人参色の髪が印象的だった。
「一目惚れした。俺と付き合ってくれ」
「げっ…!?」
どストレートな告白に、思わず変な声が出てしまった。
「―し、失礼しました。あ、あの、オーバンさま。実は既に別の方から交際を申し込まれていまして…」
「知っている」
「えっ!?」
「陛下の戴冠式のあと、祝賀パーティーがあったろ。そのとき、俺はひょろっとした男がコレットどのに交際を申し込んでいるのを見ていたのだ」
「そう…でしたか」
「初めてコレットどのを見かけて、俺の妻はあなたしかいないと確信した。だから、結婚を前提に付き合ってくれ」
「……」
強引な男だ。コレットは、ジェレミーのときと同じ対応をすることにした。
「失礼ながら、オーバンさまのことを何一つ存じ上げておりません。結婚を前提にと仰られても、返事のしようがありません。まずは、お互いを知ることから―」
「ひょろひょろ男にもそう言っていたな。無論、望むところだ。まずはデートを重ねよう」
「……」
「そうだな…来週の休み、空けておいてくれ。迎えに上がる」
「……」
「では、失礼する」
オーバンは、言いたいことだけ言うと、さっと立ち去ってしまった。
「―コレット〜」
マノンは、また肩をぶつけてきた。満面の笑みを浮かべている。
「二人目だね」
「……オーバンさまは、少々独りよがりのところがあるみたい。印象はあまり良くないです」
「そんなこと言って〜。まんざらでもなさそうだったじゃない」
「……」
コレットの表情はあまり芳しくない。マノンはそれ以上何も言おうとはしなかった。
それぞれ悩みを抱えたシルヴィア主従の苦悩は、深まるばかりのようであった。
【裏ショートストーリー】
エマ「シルヴィアさま、様子が変だったわね」
ギー「心ここにあらず、という感じだったな」
エマ「きっと何かあったんだわ」
ギー「リオネルさまは何も仰っていなかった。ご存知ないのだろうな」
エマ「心配だわ。リオネルさまは女心に疎いから」
ギー「女心は複雑だ。大抵の男には奇々怪々だよ」
エマ「失礼ねぇ〜、人を化け物か何かみたいに言うなんて」
ギー「男にとって、女性は永遠にミステリアスさ」
エマ「……私のこともミステリアスだと思っているの?」
ギー「もちろん。いつまでも不思議で魅力的な存在だ」
エマ「……」
ギー「ミステリアスな君に、当分、会えなくなるな」
エマ「まだよ。クニークルスへ行くのは年明けだもの。その前に一度、様子を見てこようとは思っているけど」
ギー「そのときは、私も一緒に行こうか?」
エマ「えっ!? 本当?」
ギー「2、3日なら、リオネルさまも許してくださるだろう」
エマ「嬉しいっ。新婚旅行だね」
ギー「バカ言うな。そんなんじゃない」
エマ「ふふっ。……それに、こぶつきだしね」
ギー「例の連中か。信用できそうか?」
エマ「ええ。いったん忠誠を誓えば、決して裏切らない人たちよ」
ギー「そうか。それじゃ、僕からも彼らに頼んでおこう」
エマ「あら、ありがとう」
ギー「エマには決して鉢巻だけは取らせないように、とね」
エマ「ちょっと!? 意地悪ねっ」
ギー「はは。冗談だよ。……」
エマ「……キスじゃ、誤魔化されないわよ」
ギー「私の…女神さま…」
エマ「ギー……」




