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第212話 メイクアップとハプニング

「みんな、揃ったわね」


シルヴィアは、至宝天の面々を頼もしそうに眺めた。


司馬(しば)という役職を与えられたシルヴィアには、皇宮内に立派な執務室が用意された。とても広い部屋で、執務机と秘書官用の机が置かれ、ソファやテーブルなどの応接セットがある。


小さなキッチンもあり、お茶だけでなく料理もできるようになっている。更に、10人は楽に座れる会議用のテーブルまであって、寝室があれば、ちょっとした家レベルの設備である。


その会議用テーブルに、至宝天が顔を揃えていた。一応名目は、新体制の初顔合わせということになっている。


後にこの部屋は、アニェスのサロンになぞらえて、『猫耳王女のサロン』と呼ばれることになる。


「わたしたちは、『司馬隊』になるんだってな」


エーヴが不満そうに言った。


「そうよ。第三軍団は解体されて再編成されたの。天馬隊は、そのままそっくり、司馬付きの軍ということになったわ。だから、これからあたしたちは司馬隊よ」


「どうもしっくりこねえんだよな。天馬隊に慣れちまったから」


「た、隊旗も変えるの?」


ミラベルが尋ねる。ジュスタンが応えた。


「天馬をあしらってるからね。個人的には、変えなくていいと思うけど」


「さ、賛成! わ、わたしも変えたくない!」


「いいんじゃない? あたしもそのままでいいと思ってたから」


シルヴィアは苦笑いを浮かべた。


「至宝天も、至宝司に変えるんか?」


「呼び名は変えなくていいよ」


エーヴの問いに、これもシルヴィアは苦笑いで応えた。


「司馬なんて役職、便宜上付けただけだから、そんなにこだわらなくていわ。体制も旗も全部これまでどおりよ」


「秘書官はどうするんだい? 五公はつけることができるんだろう?」


「いらないわよ。席があるけど、旦那さまと違って事務仕事があるわけじゃないし」


秘書官席を見ながらジュスタンに答えた。


「リオネル陛下は、執務室に籠もることが多くなったんだってね」


「旦那さまは、てんてこまいしてるわ。今まで一人遊んでたんだから、みんなの苦労がわかって良い薬になるんじゃないかしら」


シルヴィアは、クスクス笑った。


「……な、なんか、か、可哀想」


先程から、四人しか喋っていない。シルヴィアは、口を閉ざしたままの二人を見た。ただ、閉ざしている理由は、二人ではまったく違う。


「……しんどそうね、サンドラ」


「―いえ。シルヴィアさまの主催される会合を欠席するわけにはまいりません」


大きなお腹を抱えながら、サンドラは息をついた。どうやら今日は体調が思わしくないらしい。ここへ来たときから、侍女のメロディに背中をさすってもらっていた。


「無理しなくていいわ。もうすぐ産み月なのでしょ? あなたは、赤ちゃんを優先しなさい」


「公務をおろそかにはできません。どうか、私のことは構わずお話を…続けてください」


やはり、かなり辛そうだ。メロディも心配そうに見つめている。しかし、サンドラの頑固さはハンパない。てこでも動かないだろう。


「仕方がないわね。我慢できなくなったら、そこのソファで横になってね」


「ありがとう…ございます」


シルヴィアは、ふっと小さくため息をついた。そして、もう一人。


「―みんなに一つ報告があるの」


シルヴィアは、至宝天を見回した。


「例のスパイ容疑の件なんだけど」


皆、一様にサイノスに視線を向けた。サイノスは、表情一つ動かさない。


軍内部にスパイがいる、と告発したのがサイノスだった。


そのときには、サイノス隊とほかの隊とで、意見が割れた。一触即発とはこのことで、乱闘寸前にまでなった。だから、シルヴィアが独自に調査するといって引き取ったのだ。


「ファニーに頼んで、徹底的に調べてもらったの。マティスにまで行って、当時事務部に使ってた部屋も細部にわたってね」


「何かわかったのか?」


エーヴが疑わしそうに尋ねた。サイノスの告発に最も怒っていたのはエーヴだ。サイノスとの間も微妙な距離が生まれている。


「……当時、名簿は棚に保管してあった。盗み見る者がいるなんて想像すらしていないから、扉も鍵もない棚よ。でも、極僅かに名簿を動かした形跡があったの」


「……」


「今はすべてリシャールに引き上げてしまっただろう?」


腕を組んで黙り込んだエーヴに代わって、ジュスタンが思案げに()いた。


「どうして動かしたとわかるんだい?」


「バルケッタが思い出したのよ」


「バルケッタ…あの天才児か」


「彼は毎日名簿に手を入れているわ。おかげで常に正確な名簿が備えられているんだけど。―でね、ある日、名簿の一つが少しだけ前に出ていたのですって。名簿に触れるのは、ほぼバルケッタだけ。だから、いつもと違うことに違和感を覚えたのですって」


「……なるほど」


「そのときは、変だと思ったけど、大して重要には思わず失念してしまったそうよ。ファニーにしつこく聞かれて、ようやく思い出したというわけ」


「とすると、少なくともバルケッタ以外の人物が触った可能性が高い、というんだね」


「そうよ。しかも、事務部の誰にも断らず、密かに手にしてそっと元に戻した。誰かが盗み見たのは間違いない」


「その情報をジルベールに流し、ジルベールはその情報を元にサイノス隊の隊員の家族を探し出した」


「ちょっと待てや」


エーヴが腕組みを解いた。


「盗み見た奴がいたことは認める。でもだからって、軍内部にスパイがいることにはならねえぜ。外部からの侵入者かもしれねえ。ジルベールが襲ってくるまでは、マティスは封鎖されちゃいねえんだからな」


「確かにエーヴの言う通り。正直、まだそこまでは調べはついていないの」


シルヴィアは、あっさり認めた。


「なんでえ。だったら犯人は、やっぱり外部の奴だ」


ほっとしたようにエーヴは言った。しかし、シルヴィアは首を縦に振らなかった。


「内部とは断定できないけど、外部とも言い切れない。エーヴ。あなたは、外部犯という客観的な証拠を示せるの?」


「それはお前…」


エーヴは、口ごもった。


「ねえ、エーヴ。あたしも()()()()も、好き好んで内部犯を疑っているわけじゃないの。でも、もし本当にいたら、影響は大きいわ。いないことを願って、あえて声高に言っているのよ。それは理解してほしい」


「……まあ、セリーヌの言うこともわかるけどよ」


「だったら、もうサイノスとは仲直りしなさい。サイノス自身が一番、内部に犯人がいないことを願っているんだから」


エーヴは、ちらっとサイノスを見た。サイノスは微動だにしない。唇を少し噛むと、意を決したように真っ直ぐ視線を向けた。 


「⋯⋯悪かったな、サイノス。キツイ言い方しちまって」


「⋯⋯いや、俺のほうこそ、みんなに嫌な思いをさせてしまって、すまなかった」


二人は、互いに頭を下げた。


「―はいっ! 二人とも上出来よ」


シルヴィアは、殊更大きく手を叩いた。


「これで双方、恨みっこなし! 全部水に流して、旦那さまのために力を合わせて頑張ろうね」


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


コレットは、冬の庭園を散策していた。横にはジェレミーが付き添っている。


貴族の館が立ち並ぶ地区の一角、ディオン伯家の屋敷内にある庭園である。


「……寒くありませんか?」


ジェレミーが遠慮がちに尋ねた。


「私は大丈夫です。寒さには強いので」


「そうですか」


ジェレミーは、厚い毛皮のコートを着ている。それでも息は白く鼻の頭は赤い。


ジェレミーが会いたいと言ってきた。少し迷ったが、シルヴィアがぜひ行ってこいと背中を押したので、申し出を受けた。初デートだからとシルヴィアがドレスと毛皮のローブ、それに帽子を貸してくれた。


馬車で迎えに来たジェレミーは、ドレス姿のコレットにしばらくぼうっと見惚れていた。そのままディオン伯家に連れて来られて、豪華な応接室でお茶とお茶菓子を振る舞われた。


会話は弾まず、居心地が悪くなったので、外の空気を吸いたくなった。それで庭園に出て来たのである。


「……あの、コレットさま」


「はい。何でしょう」


「僕では、やはり駄目なのでしょうか」


「えっ!?」


思わず立ち止まった。ジェレミーはうつむいている。


「僕と会話をしていても、あまり楽しそうにしていらっしゃらないから」


「……そんなことは、ありません。少し緊張してしまって…」


「無理に否定しなくてもいいですよ。慣れていますので」


「……」


「コレットさまは、まだ前の方を忘れてはおられないのでしょうね」


「いいえ! もう過去のことです」


「どうしたら、喜んでもらえるのかな…」


「はい?」


「今まで女性と付き合ったことがないので、よくわからないのです。―コレットさまは、好きなものは何ですか?」


「そんな…いきなり言われても…」


「何か欲しいものはないですか? 何でも買ってあげます。何なら、家でもどうですか?」


「ちょ、ちょっとお待ちください。いくら何でも、そんなものはいただけません」


「コレットさまが喜んでくれるなら、何でもやりたいんです」


「……」


返事に困って固まったそのとき。一陣の突風が吹いた。咄嗟にスカートの裾を押さえたが帽子が飛ばされた。


「あ…!」


帽子は、見事に高木の枝に引っかかった。


「シルヴィアさまにお借りした大事な帽子…仕方がない」


「―僕が取ってきます!」


木に登ろうとすると、ジェレミーが勇んで木に取り付いた。


「ジェレミーさま!?」


止めるまもなくジェレミーは這い上っていく。木の下でハラハラしていると、案の定、手を滑らせた。


「あっ―!」


持ちこたえるかと思いきや、足も滑らせコレットの上に落ちてきた。


「ぐっ…!」


二人は重なったまま盛大に地面に転んだ。ジェレミーは、無意識に何かを掴もうとしたのだろう。気づくとコレットの胸を掴んでいた。


「キャアアァァーッ!」


コレットは反射的に平手打ちを喰らわした。派手な音が冷えた空気を震わせた。


「……ご、ご、ごめんなさい。わざとじゃないんです」


頬を押さえながら、ジェレミーは平謝りした。


「……私、失礼いたします」


「えっ!? そんな…お待ちください!」


コレットは、逃げるように庭園を走り抜けてディオン邸を飛び出した。

【裏ショートストーリー】

ジュスタン「サンドラの様子はどう?」

メロディ「今は落ち着いているわ」

ジュスタン「心配だね。ただでさえ初産なのに支えてあげる旦那さんがいないときてる。本人もさぞ心細いだろう。メロディ、しっかり頼むよ」

メロディ「わかってるわ。全力でサポートするから。ジュスタンこそ、弱みに付け込んでサンドラさまにちょっかい出さないでよ」

ジュスタン「親友だよ? 下心はないって、何度言えばわかるのさ」

メロディ「いまいち、疑わしいのよね〜」

ジュスタン「信用ないんだなあ。こんなにメロディ一途なのに」

メロディ「ダメよ。ジュリアンがまだ起きているんだから」

ジュスタン「じゃあ、早く寝かそう。続きはその後だ」

メロディ「バカ言わないの。離乳食作るから、ジュリアンを見ていて」

ジュスタン「はいよ」

メロディ「……ん? ちょ、ちょっと待って! ジュリアン、今、立ち上がろうとしてない?」

ジュスタン「ほ、ほんとだ! 椅子の脚に手を置いて踏ん張ってるよ!」

メロディ「もうちょっと! もうちょっとよ! 頑張って!」

ジュスタン「あっ…あっ…」

メロディ「立ったーっ! きゃあ〜っ! ジュリア〜ンっ!」

ジュスタン「驚いたな。ハイハイもろくにできないのに、立っちを先に覚えるなんて」

メロディ「天才よ〜っ。この子、天才だわっ。きっと将来は世界一の戦士になるわっ」

ジュスタン「……メロディも、ただの親バカなんだね」

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