第209話 勧誘と糸口
薄暗い。
窓はなく、灯りといえばところどころに置かれた細い蝋燭のみだ。
空気は淀み、少しカビ臭い。掃除など何年もしていないのに違いない。床は冷たい石が敷き詰められ、歩く度に寒々しい音が響く。
進む左手には鉄格子がいくつも連なる。時折、人の気配がする。中には、目だけ爛々と光らせてこちらを追いかける者もいる。
エマは、そんな視線などものともせず、ある鉄格子の前で足を止めた。
「……どう? オンブル。覚悟は決まった?」
呼び掛けられた『影』は、もそもそと横たえていた身体を起こした。
「……なぜ、私を生かした?」
「言ったでしょ。兎脚族は、私の家族も同然。救ける義務があるわ」
「ほざけ。今まで国民を放っておいて、何が救ける義務がある、だ。それなら、初めからジルベールになど騙されるな」
「それについては、幾重にも詫びる。私たち王家が不甲斐ないばかりに、みんなには迷惑をかけたわ。でも、とうとう国の再興を勝ち取った。クニークルスは復活するのよ」
「だから手伝えと? 一度は敵対したのだぞ。その私を登用するというのか?」
「するわ。今は猫の手も借りたいくらい人材がいないの。例え敵だったとしても、使える者は誰でも歓迎する」
「また裏切るかもしれないぞ」
「そうなったら、諦めるわ。自分の不明を嘆くだけよ」
「お前には、亡国の責任がある。王女として国王を止められなかった責任が。それを棚上げして、しれっと女王に収まろうというのか」
「言い訳をしようとは思わない。今後の働きぶりで判断してもらうしかない」
「お前は、私の人生をめちゃくちゃにした。国が滅んで、世界中を流浪する羽目になった。それなのに、お前は厚顔無恥にも敵国の家臣となって独り栄華を貪っている。そんな奴に女王の資格などない。クニークルスの復活だと? 笑わせるな。ただの能無しのくせに」
「ええ、そうよ。あなたの言う通り、私は能無しだわ。祖国を守れなかった。国民に塗炭の苦しみを味あわせてしまった。ルメールの彗星、マクシムにも戦略で負けた。危うくラファエルの軍師だったあなたにも負けるところだった」
「……」
「でも、大勢の人に助けられたわ。独りでは何もできない。大勢の人に支えられて今の私がある。そのことがよくよくわかっているからこそ、あなたの力が必要なの。どうか私を助けてほしい。クニークルスの復興に力を貸してほしい。どうか…どうかお願いします」
エマは、深々と頭を下げた。長い耳が垂れる。オンブルは、じっとその様子を見つめた。やがて、垂れたままの長い耳に向けて口を開いた。
「―条件が一つだけある」
「……それは何?」
「二度と他国に滅ぼされない国を作ることを約束しろ」
「……」
「誰にも尊厳を脅かされず、皆が安心して暮らせる国を作れ。万が一にも約束を違えることがあれば、今度こそ、刺し違えてでも、お前を殺す。それでも良ければ、力を尽くそう」
「―約束します」
頭を上げたエマは、紺碧の瞳をキラキラと輝かせた。
「それこそ、私が目指す国よ。それが実現できなければ、女王の資格などない。潔くこの首を差し出すわ」
束の間、オンブルは目を閉じた。だがすぐに目を開けると、居住まいを正してひざまずいた。
「―わかりました、陛下。このアデラール・バルドー、生涯をかけて力を尽くすことをお誓い申し上げます」
「……それが、あなたの本名なのね」
エマは、艶然と微笑んだ。まさに、美の女神マイヤの如き美しさだった。
「よろしく頼みます、アデラール」
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「アニェスさまの結婚話、実は私、反対なんです」
アニェスの私室である。シルヴィアは、侍女の二人を伴わず、二人きりで顔を突き合わせていた。
サロンでは、来客がいつ顔を出すかわからない。それでシルヴィアは、リオネルには内緒で訪れたのである。
「もちろん、アニェスさまには幸せを掴んでほしいわ。だけど、旦那さまの治世は始まったばかり。国内ならともかく、遠い北国にお輿入れとなると、躊躇せざるを得ないわ」
「お義姉さまのお気持ち、痛いほどよくわかります。私も、まだ他国へ嫁入りする気はありません」
「……確か旦那さまには、場合によってはお話を受けてもいいと仰っていたと思うけど」
「北のクリフォードと同盟を結べば、友好国に囲まれて四方が固まります。当分、内政に専念できますわ。私が嫁入りすることで平和が訪れるなら、躊躇する理由にはなりません」
「……」
一見、矛盾しているように思える。義妹の真意はどこにあるのだろう。
「―アニェスさま。ここには二人しかいないわ。真意をお聞かせくださいませんか」
「私は、クリフォードがなぜこのタイミングで同盟を申し込んできたのかを知りたいのです」
「……」
「クリフォードは北の大国ですわ。漁業や手工業が盛んで国力は高い。兵も身体が大きく強兵揃いと聞きます。今、敵対する国もない。単独で充分やっていけます。それなのに、我が国と同盟を結んで、いったい誰に備えようとしているのかしら」
「国同士なんて、いつ和平が壊れるかわからないわ。潜在的な敵に備えようというのではありませんか?」
姉グロリアが輿入れした世界では、ブランシャールにあっさり同盟を無視され侵攻された。国際政治など魑魅魍魎の世界である。
「それはお義姉さまの仰るとおりですわ。ですけど、それならこれまでも機会はいくらでもあったはず。なのに、なぜ、お兄さまが登極したこのタイミングなのかしら」
「……何か隠された意図がある…と?」
「おそらく。それを私は知りたいのです。もし私の考え過ぎであれば、そのときは、輿入れしても構わないと思っています」
「……煌豹団を使いましょうか?」
「いえ。紅烏団を使います。しばらくマノンをお借りしてもよろしいでしょうか」
「遠慮なさらないで。侍女は仮の姿。本業は紅烏団団長だとわきまえています」
「ごめんなさい。新婚さまをこき使うようで申し訳ないけど」
「気が早い、アニェスさま」
シルヴィアは、太陽のような笑顔を浮かべた。
「今はまだ、交際中です。もっとも、結婚までは秒読みでしょうけど」
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「……くしゅんっ」
マノンは、小さくくしゃみをした。リュカが覗き込む。
「風邪ですか?」
「いえ…。きっと、悪い主が噂話でもしているのでしょう」
「ははっ。悪い主ですか」
「……今日は、無理を言って申し訳ありません」
マノンは、殊勝に頭を下げた。
「いえいえ。以前からのお約束ですから」
マノンは、ガブリエルへの挨拶のため、私室を訪れるところだった。以前から、リュカとの交際の報告をしたいとお願いしていたのだ。リュカがわざわざ迎えに来てくれて、二人並んで部屋の前に立った。
「……失礼します」
マノンは、緊張気味に部屋へと入った。
「いらっしゃい」
ガブリエルが天使の笑顔で迎えてくれた。
「殿下。今日は私のためにお時間を取らせてしまい申し訳ございません」
「いやいや。他ならぬリュカの妻になる方だ。粗略には扱えないよ」
「リュカさまとは、結婚を前提に―」
「おっと、待った」
ガブリエルはマノンを遮った。
「まずはお茶でも飲もう。話はそれからでも遅くはないよ」
「も、申し訳ございません」
ガブリエルに促されてテーブルについた。リュカがお茶とお茶菓子をテーブルに並べた。普段は、自分が給仕の役なのに、人にやってもらうのはとても不思議な気分だった。
「―義姉上と違って、コーヒーなる飲み物は用意できなかったよ。ごめんね」
「とんでもございません。紅茶も大好きです」
「そう。それは良かった。コーヒーは、どうやら義姉上が独占契約を結んでいるようで、僕でも手に入れることができなかった。やはり義姉上は、やることが違う」
「シェルンバッハ大陸にあるフェルザー王国の商人で、ランドルフさまという方と知己を得られまして、以来、取引をなさっておいでです」
「なるほど。カフェは大変な人気らしいね。2号店を出店する計画もあるとか。義姉上は、商人の才もあるようで、羨ましい限りだよ」
「恐れ多いことにございます。―あの、殿下」
マノンは、居住まいを正した。
「この度は、リュカさまと結婚を前提にお付き合いさせていただくことになりました。よろしくお引き回しのほどお願いいたします」
「そんなに畏まらないで。取って食べたりしないからさ」
「……」
笑ったほうがいいのだろうか。無理に笑っても愛想笑いのようになって、かえって失礼になるかもしれないし、塩梅が難しい。すると、リュカが咳払いした。
「―ああ。ごめんごめん。リュカに叱られちゃった」
ガブリエルは天使のような微笑みで謝罪した。
「マノンどのが緊張しているようだから、場を和ませようとしたんだけど。思ったよりウケなかったね」
「……」
マノンは、曖昧な笑顔を浮かべた。
「マノンどの。こちらこそ、リュカのこと、よろしくね。リュカはくそ真面目だから、面白みに欠けるだろうけど、その分、あなたを困らせることはほとんどないと思うよ」
「はいっ! その点は信頼しています」
マノンは、リュカと目を見交わした。自然と笑みがこぼれる。
彼氏の親への挨拶とは、きっとこのような感じなのだろう。
「―あの、殿下。あと、お母上のクレールさまにもご挨拶したいのですが」
聞いた途端、ガブリエルの瞳が光った。それは、ほんの僅かの間だけで、すぐに天使の微笑みに消されてしまった。しかしマノンは見逃さなかった。
「ごめんね。聞いているとは思うけど、母上はずっとご病気で、人に会える状態じゃないんだ。リュカの奥さまになる方といえど、面会はちょっと難しいな」
「そう…ですか。あの…どんなご病気なんですか? もし何でしたら、白月草をお譲りできますが」
「―マノンどの」
ガブリエルは、語気を強めた。マノンは、急いで口を閉じた。
「お心遣いはありがたいのだけど、母上のことは僕が一番よくわかっている。余計な心配はしなくていい」
「……はい。余計な差出口をいたしました。申し訳ございません」
マノンは、しゅんとなってしまった。慌てたようにガブリエルが手を振った。
「ごめんごめん。ちょっと口調がきつかったかな。体調が良くなったら引き合わせるから、それまで待っていて」
「……はい。大変失礼いたしました」
「―そうそう。食事の用意もしてあるんだ。食べていってよ。今日はゆっくりできるんだよね?」
「はい。シルヴィアさまから、許可をいただいてきました」
「それは良かった。じゃあ、たくさんおしゃべりもできるね」
少し大げさにはしゃぐガブリエルに、お人形のような笑顔で応えた。
長い一日になりそうだ。
密かにマノンは、気合を入れ直していた。
【裏ショートストーリー】
アデラール「二人とも、生きていたか。悪運が強いな」
ジャドール「ヒドいわねー。君のほうこそ、悪運が強いじゃないの。女王に見込まれるなんてさ。そんな君が大好きよ!」
アデラール「私たちは、傭兵だ。どのみち誰かに仕えて生きていく。今回は、たまたま女王だったというだけだ」
トリスト「生まれたばかりの名ばかり女王だがな、悲しいけど」
ジャドール「でも、皮肉ねえ。一度は戦った相手の家臣になるなんてさあ」
トリスト「それこそ、傭兵稼業にはありがちなことだ。悲しいほどにな」
ジャドール「私たちはいいのよ。もともとリオネル軍に恨みがあるわけじゃなし、オンブルのために戦ったのだもの。でも、エマに強いこだわりがあったはずよ。その女の家臣で平気なの?」
アデラール「エマ女王陛下だ」
ジャドール「……エマ陛下の家臣になることに、わだかまりはないの?」
アデラール「それは、既に氷解した。今は心から陛下に仕えている」
ジャドール「ふ〜ん。……まあ、いいわ。どのみち私たちは、オンブルについていくだけだもの」
アデラール「その呼び名だがな、捨てることにした」
ジャドール「えっ!? そうなの?」
アデラール「私の本名はアデラール・バルドーという。これからは本名で生きていくことにした」
ジャドール「そうなんだ〜」
トリスト「お雇い軍師のオンブルは、ウスターシュの野で死んだ。そういうことだろう?」
ジャドール「きゃあっ、トリスト〜、気の利いたこと言ってるじゃないの〜。そんな君が大好きよ!」
アデラール(相変わらず、騒々しい連中だ。……それもまた、良し、か)




