第206話 風が吹いた
「―シルヴィア!」
若い姫君たちに取り囲まれ、話に夢中になっていると、声をかけられた。
「お父さま! お母さま!」
姫君たちには断りを入れて、父王ティーノと母ジーニアに向き合う。
「わざわざカトゥスからお越しくださり、ありがとうございます」
「何の。娘の晴れ舞台だ、どこへでもかけつけるさ」
「お母さまもありがとうございます」
「良かったわね、とうとうあなたも皇妃なのね」
「皇后よ、皇后」
「お前は『司馬』とかいう役職を与えられたのだな。聞き慣れぬ名称だが?」
ティーノに問われて、シルヴィアも小首を傾げた。
「あたしもよく知らないんだけど、なんでも、極東の『セリカ』とかいう国の組織を真似たんですって。行政というらしいの。よく整えられていて国家運営に最適ってことで取り入れたそうです」
「ほう。ブランシャールには博識がいるのだな」
「そうなの〜。しかも熊爪族の少年なのですよ、それを考えたのは」
「熊爪族の、少年!?」
ティーノの丸い目が更にまん丸になった。
「ほら、役職の発表があったでしょ。その中の吏部尚書さまよ。まだ14歳なの」
「ほう…。こりゃ、驚いた。ブランシャールとは、人材の宝庫らしい」
「……シルヴィア。役職もいいけど、あなたはリオネル陛下のお役に立っているの?」
ジーニアが心配顔で尋ねた。
「子どもの頃から武芸ばかり夢中になって、ろくに花嫁修業をしなかったから、陛下から呆れられているのではないかと、ずっと気に病んでいたのよ」
「ご心配なく、お母さま。料理を覚えたんです。ダンスも踊れるようになったし」
「お前が料理!?」
ティーノが素っ頓狂な声を出した。
「失礼ね〜。そんなに驚かなくてもいいじゃない」
シルヴィアは頬を膨らませた。
「……いや、すまん。きっと努力したのだな」
「血の滲むような、ね」
「それならいいけど。いいこと、シルヴィア。妻たるもの、半歩下がって夫の言うことをよく聞き、尽くすのですよ」
「お母さま、古いです。今は妻が夫に尽くす時代じゃ、ありません。夫と二人三脚でお互い協力しながら家を盛り立てていくのよ」
ティーノとジーニアは、目を白黒させるばかりであった。
「陛下!」
「よう! ギュスターヴ」
リオネルは、ギュスターヴに呼び止められ、がっちりと握手を交わした。リオネルの背後では、ギーが油断なく目を光らせている。
「この度は、ルメール復興のお約束をお果たしくださり、感謝の言葉もありません」
「約束は約束だからな」
「されど、私が国王とは、分不相応かと」
「そんなことはないさ。お前の領国経営の手腕、高く評価しているんだ。きっと上手く治めてくれると確信している」
「もったいなきお言葉。任じられたからには、微力ながら粉骨砕身、力を尽くす所存」
「まあ、ぶっちゃけ、ラファエルの阿呆がルメールの王族を皆殺しにしちまったからな、人材がいねえんだよ。お前以外、安心して任せられる人材が」
「はあ…」
本人を前に少しぶっちゃけ過ぎであるが、真面目なギュスターヴである。いずれにしろ、間違いはないだろう。
リオネルは、「頼むぜ!」と言いながら、ワイングラスを片手にバンバンとギュスターヴの肩を叩いた。
「アニェス殿下」
見覚えのない壮年の男から声をかけられた。とりあえず、笑顔を浮かべる。初対面の人には笑顔というのは、幼いころからの習い性だ。
「初めて御意を得ます。私、クリフォード王国のヒューバート・マクスウェルと申します」
「ヒューバート…陛下!?」
アニェスは、瞠目した。ヒューバート・マクスウェルといえば、クリフォード王国の国王である。ブランシャールからは、北方の国ということになる。
「大変失礼いたしました、国王陛下」
アニェスは、優雅に膝折礼をした。
「私のほうこそ、ご尊顔を拝し光栄に存じます」
「……なかなかに貴国は、興味深いことを始められましたな」
「……」
「五公六部でしたか。アニェス殿下は、確か内府でしたな」
「組織論に詳しい者がおりまして、研究してくれたのです」
「なるほど。貴国が強国である理由の一端がわかりました。進取の気性に富んでおられる。ぜひ、我が国も見習いたいものだ」
「貴国は、北方の大国。私たちのほうこそご教授ください」
「教授などと。我が国は北方の田舎者。他国に教えることのできる知識も技術もありませんよ」
よくある外交辞令だと思っていた。うわべだけの挨拶で終わりだと思っていた。しかし…
「アニェス殿下。貴国と同盟を結びたい」
ヒューバートは、さり気なく重用な一言を発した。それこそ、天気の話をするように。
アニェスは、改めてこの北方の王者を見つめ直した。
金髪碧眼の、なかなかのイケオジである。
クリフォードは、北海に面し豊富な漁場を擁していることから、漁業が盛んな国である。冬は雪と氷に閉ざされるため、織物などの手工業も有名だ。
ヒューバートの治世は手堅く国内の治安も良い。貴族や民衆からの支持も厚いと聞く。そのクリフォードが、今、なぜ同盟を申し込んでくるのだろう?
「……それは、兄にお話しください。私は、ただの皇妹。外交の権限は与えられておりません」
「皇妹にして内府であられる。丞相どののご説明では、内府は皇帝陛下を補佐するとのこと。特に所管は定められておられぬご様子。逆にいえば幅広い権限をお持ちということだ」
「皇帝補佐は、私だけではありません。なぜ、私に…?」
「私には、20になる息子がおります。未だ身を固めておらぬ放蕩者ゆえ、自慢の、とはなかなかに言えぬのですが…」
嫌な予感がした。リオネルの天下取りにまぎれてあえて避けてきた一件。
「……我が息子とアニェス殿下との婚姻を申し込みたい」
風が吹いた。運命の風が。
「ご歓談中、失礼する」
両親と尽きぬ話をしているところへ、一組の男女が挨拶してきた。
「グリス陛下!」
シルヴィアは、慌てて膝折礼をした。
グリス・ルプス。犬牙族の王である。付き従っているのは、王妃アルナージ。ドラードとアズール兄弟の実母である。二人は、姉カリーナの義父母ということになる。
「この度は、リオネル陛下の登極、誠に目出度く存ずる」
「ありがとうございます。陛下にはブランシャールのために二度も出兵していただき、リオネルも大変感謝しておりました」
「少しでもお役に立てたのであれば、重畳」
グリスは、ドラードとよく似た蒼い瞳をじっとシルヴィアに向けた。ドラードに負けず劣らずのイケオジである。
「先日は、正式な同盟の申し込み、光栄に存ずる」
リオネルの名で、シルヴィアが同盟交渉をしていたのだ。カトゥスとルプスは、自然とシルヴィアが窓口となっている。
「ルプスは、カトゥスにとっても兄弟国ですから、三国同盟が成って良かったですわ」
「今後とも、何卒、よしなに頼む」
旧知の父ティーノがグリスを誘って離れていった。ジーニアとアルナージが楽しそうにおしゃべりしながら、夫たちから半歩下がって後をついていった。
シルヴィアは、苦笑いしながら彼らを見送った。
「―あの、すみません」
両親たちを見送るシルヴィアの背中を眺めていると、ふいに声をかけられた。コレットは、驚いて振り返った。
「えっ…私…ですか?」
「はい。シルヴィア陛下お付の侍女、コレットさま、ですよね」
「ええ…。そうですけど」
「僕は、ディオン伯の子、ジェレミーと申します」
声をかけてきながら、どこかおどおどした様子だ。どこぞの貴公子のようだが、小豆色の髪と青い瞳をしたこの青年には、まったく見覚えがない。
「あの…その…」
「……ご用件は何でしょうか」
煮えきらない青年に、少し苛つく。
「あの…以前からパーティーなどでお見受けしていました」
「はい…」
「今日は、いつものお仕着せではないのですね」
「……」
いったい、この青年は何が言いたいのだろう。マノンが興味津々で耳をそばだてているのが雰囲気でわかる。
「とても…その、綺麗で、お似合いです」
「……ありがとうございます」
「あの…きっと僕のことは覚えていないでしょうけど…」
「……」
「以前、宮廷で騒ぎがあったとき、廊下を走っておられましたよね」
アダンにフラれて、自殺騒ぎを起こしたときのことを言っているらしい。今は乗り越えたと思っているが、それでも古傷のように痛んだ。つい、口調が尖る。
「……それが何か?」
「あの時、コレットさまを取り押さえようとタックルした者がいたのを覚えていませんか」
「……ああ!」
言われてみれば、確かにそんな男がいた。邪魔くさいと殴り飛ばしたのだ。廊下にのびてしまったようだが、そのあとどうなったか、まったく知らない。
「……それ、僕です」
「え…ええっ!?」
驚きのあまり、その場に立ち尽くした。
【裏ショートストーリー】
ヴァネッサ「今頃、パーティーは盛り上がっているんでしょうね」
エミリアン「僕たちは、子どもって理由だけで、参加させてもらえなかったね。バルケッタさんは許されたのに」
ヴァネッサ「ランスさんは、特別なのよ」
エミリアン「一緒に出席したかったのじゃない?」
ヴァネッサ「そりゃ、そうよ。あの人の晴れ舞台だもの。六部筆頭の吏部尚書さまに任命されたんだから」
エミリアン「……難しいことは、わからないけど、お祝い、してあげたかったよね」
ヴァネッサ「……生意気なこと言わないの! 子どものくせに」
エミリアン「お姉さまだって、子どもじゃないか」
ヴァネッサ「うるさいわね。大人になるのなんて、すぐよ、すぐ。そうしたら…」
エミリアン「晴れて、バルケッタ夫人だね」
ヴァネッサ「もうっ! 本当に生意気ね!」
エミリアン「痛っ!? ぶたないでよ〜」
ヴァネッサ「そういうあなたは、どうなの? 私より長く離れ離れになってしまうのよ。『平気』なの?」
エミリアン「僕たちは、大丈夫。深い絆があるから」
ヴァネッサ「……そう。余計なお世話だったわね」
エミリアン「パーティーが終わったら、僕たち本当にリシャールを出ていくんだね」
ヴァネッサ「……そうね。お父さまも、そのおつもりでしょうし」
エミリアン「来て、良かった。心からそう思うよ」
ヴァネッサ「私も。……私も、そう思うわ」




