第203話 分かたれた道
「サンドラ! 聞いてよっ!」
エマが息せき切って飛び込んできた。そのままロッキングチェアでくつろぐサンドラに抱きついた。が、大きなお腹に視線を落とし、すぐに離れた。
「……ずいぶん大きくなったわね。何週目だっけ?」
「34周目です、エマさま」
サンドラの代わりにメロディが答える。
「ふ〜ん。もうすぐ産み月なのね」
サンドラは、お腹をちょっと叩いた。
「何をするにも腹が邪魔でかなわないよ。早く出てきてほしい」
「……なんか、違う。お母さんって、そういうんじゃないと思う」
エマは、まじまじと妹を眺めた。
「それより、私に用事があったんじゃないのか」
「そうそう! そうなの」
我に返ったように、エマはサンドラの手を握った。紺碧の瞳がキラキラと輝いた。
「私ね、クニークルス復興の話、受けたのよ!」
「そうか…」
サンドラは、一瞬、遠い目をした。視線の先には、故郷の景色が広がっていたのに違いない。
「ついに決断したんだな」
リオネル軍の軍務責任者としての責務と、故国復興の夢の間で悩んでいることは、知っていた。ようやく夢を取ることに決めたらしい。
「おめでとうございます! エマさま」
メロディが祝福を述べた。今にも踊り出しそうだ。
「ありがとう、メロディ。―でね、サンドラにお願いがあって来たのよ」
「……金ならないぞ」
「違うわよっ! 失礼な娘ね。なんであなたにお金の無心をしなくちゃならないの」
エマは頬を膨らませた。
「国を立ち上げるんだ、相当物入りだろう」
「そりゃ、そうなんだけどね。一応、リオネルさまが援助してくださるから、なんとかやり繰りすれば―って、だから違うって。お金の相談じゃなくて、欲しいのはあなたなの!」
「……」
「一緒に国づくりをしよう! なんなら、赤ちゃん産んでから来てもいいわ。もちろん、メロディも一緒にね」
「あ、あの、エマさま…」
メロディは、両手をねじり合わせた。何かを訴えようとしたが、エマは聞く耳を持たない。
「あなたを受け入れる準備をしておくわ。といっても、王宮はジルベールに破壊され尽くされちゃったから、再建しなくちゃね。世界中に散っちゃった兎脚族を呼び戻さないといけないし、いろいろやることが沢山あるわ」
「ちょ、ちょっとエマ…」
サンドラが口を挟もうとするが、エマは止まらない。メロディは心配そうに姉妹を交互に見た。
「農業も復興させないと。メロディは知らないでしょうけど、クニークルスは農業国家なのよ。特にニンジンが特産なの。クニークニンジンっていってね、とても甘いのよ」
「エマ、ごめん、ちょっと待って―」
「ほかにも美味しい野菜がいっぱい採れるの。羊毛業も盛んなのよ。編み物とかフェルトとか有名だし、サンドラはそういうの覚えなかったけど。手芸品は貴重な輸出品で―」
「エマっ! すまないが私の話を聞いてくれっ!」
サンドラが大きな声で制した。エマは、ピタッと口を閉じた。
「……ごめん、エマ。私は手伝えない」
「―どうして? クニークルスが復活するのよ。私たちの国が」
「手伝いたいのは、やまやまだけど、私はもう出会ってしまったから」
オッドアイに強い光が宿っていた。エマは、その瞳をじっと覗き込んだ。
「……シルヴィアさま?」
「ああ。人生を捧げられるお方だ。離れるなんて、考えられない」
「世の中、気が変わることだってある―」
「……」
「―いえ、ないわね、あなたに限っていえば」
「本当にすまない」
エマは、また無言でじっとサンドラを見つめた。サンドラは静かに見つめ返す。暫時、ピンと緊張感が張り詰めた。
「―そっかぁ」
フッと肩の力を抜いて、エマは嘆息した。
「ダメかぁ。二人で力を合わせてクニークルスを盛り上げたかったんだけどなあ」
エマはがっくりと肩を落とした。サンドラは、何ともいえない表情を浮かべた。
「とうとうサンドラを取られちゃったな。シルヴィアさまのことは、私も大好きだけど、今だけは恨むわ」
「それは逆恨みだ。シルヴィアさまは何も悪くない」
「わかってるわよ。愚痴っただけ」
「―あのう、すみません…」
そのとき。ドアからひょっこり顔を覗かせた者がいた。
「ヴァネッサ!?」
それは、ヴァネッサだった。
「お取り込み中、申し訳ありません。何度もドアをノックしたのですが」
「構わない。入っていいぞ」
ヴァネッサは遠慮がちに身体を滑り込ませてきた。
「―さてと。そろそろ行かなくちゃ」
エマは、身体を起こした。
「邪魔してごめんね、サンドラ。気が変わったら、すぐに言ってね。―あり得ないだろうけど」
力無く笑顔を妹に向けると、悄然として部屋を出ていった。
「―あのう、やっぱり私、お邪魔でしたか?」
「そんなことない。こっちへおいで」
サンドラの手招きで、ヴァネッサはロッキングチェアの前に立った。
「……どうした? いつものように『指定席』に座らないのか?」
ヴァネッサは、ロッキングチェアの横にあるテーブルの真向かい席がお気に入りで、訪れたときは、必ずそこに座を占めていたのだ。
「あの、今日はご挨拶に伺ったので、このままで失礼します」
「……」
「この度、ルメール本国へ帰ることにしました」
「そうか…ヴァネッサも行ってしまうのか」
「はい…?」
「あ、いや、こちらのことだ、気にするな」
「……ヴィシー。ほんとにいいの?」
メロディが心配そうに尋ねた。言わんとすることはよくわかる。
「ええ。お互い納得ずくです。―私、帰国したら、花嫁修業するつもりなんです」
青白磁の瞳がキラキラと輝いた。
「あらっ。それって、彼氏も承知なの?」
「はい、メロディさん。幼年学校を卒業したら、リシャールに戻ってきます。そのとき、お嫁さんにしてくれるって、約束してくれましたっ!」
はにかみながら、それでも全身に喜びが溢れ返っている。
「まあっ! 良かったわね、ヴィシー」
メロディは、思わず抱き着いていた。
「ついに想いが届いたのねっ。おめでとう!」
「ありがとう、メロディさん」
ヴァネッサも、幸せそうに豊かな胸に顔を埋めた。
ヴァネッサは、ひとしきりバルケッタの話をして帰っていった。
「……事実上の婚約というわけか」
「そのようです、サンドラさま。寂しくなりますね、親しい方々がいなくなってしまうのは」
「みんな、己の信じた道を行くまでだ」
「サンドラさまもいよいよ王女さまにお戻りになるのですね」
「私はクニークルスには戻らない」
「そういうことではありませんよ。姉君が女王になるのですから、王妹のご身分は拒否できません」
「……私は、シルヴィアさまのくつわを取るのが仕事と、思い定めている」
「ご決意は承知しています。でも、サンドラさまはまだお若いのですから」
「……何が言いたい?」
「私にも夢がある、ということですよ」
メロディは澄まし顔でサンドラのひざ掛けを直した。季節は冬本番を迎えつつある。
サンドラは苦笑しながら、編みかけの靴下を手にした。バカのなんとかではないが、ひたすら編み続けて既に10足を超えた。一足編み終える時間もどんどん早くなっている。
赤子が生まれるころには、おそらく20足は超えているに違いない。
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「―リオネルさま!」
マリー=アンジュは、ベランダを跳んでくるリオネルに手を振った。
「よう! マリー」
目の前に見事着地したリオネルを、マリー=アンジュは仰ぎ見た。
「なんでいつもベランダを跳んでくるのですか?」
「この方が早く移動できるだろ?」
「……だろ? と言われても…」
マリー=アンジュは、困ったように小首を傾げた。照れたのか、リオネルはわざとそっぽを向いた。
「―今日も泣いていたのか?」
「泣いてませんよぉ。ここにいればリオネルさまに会えるから…」
今度は、マリー=アンジュの方が照れたように横を向いた。
「いつも失敗ばかりしているわけじゃないんだな」
「あ、リオネルさま、ヒドい。人のことバカにして」
マリー=アンジュは、軽くリオネルの腕を叩いた。
「すまん、バカにするつもりはなかった」
頭をかくリオネルを、ちらっと横目で見ながらマリー=アンジュは言った。
「―でも、仕事が忙しくなりそうなんです」
「へえ。何かあるのか?」
「ご存知ありません? 近々新しい皇帝陛下の、たい…なんとか式というのが行われるんですよ。その準備やら掃除やら、いろいろやらなくちゃならないことが増えてしまって」
「ふ〜ん…」
まさにその当事者が、リオネルその人なのである。が、まだ身分を明かしていない。マリー=アンジュは、同名の別人だと思い込んでいる。
「ほんとに迷惑だわ。雲の上の人たちは、下界のことなんか気にも留めないでしょうけど、いつも振り回されるのは、私たち下々なんですから」
「―いっそのこと、やめちまうか」
「えっ!?」
「戴冠式なんか、やりたくてやるわけじゃねえ。マリーの負担になるなら、やめちまおうか」
「ふふふっ。ほんとにリオネルさまって、変わってる」
マリー=アンジュは、楽しそうにコロコロと笑い転げた。
「まるでご自分に決定権があるような口ぶりだわ。それは、皇子さまのリオネル殿下のほうなのに」
「ははは…」
「でも、文句言っちゃ、いけませんよね。皇宮で働かせていただいて、お給料だってちゃんといただけるんですから」
「……」
「町では、戦争続きで追加の税があったりして、食べていくのがやっとだそうです。親御さんが戦死して、戦争孤児も大勢出たとか」
「……もう少し待てば、世の中は必ず良くなる」
「えっ…」
「もう少し、待ってくれ。必ず、みんなが幸せに暮らせる世の中になるから」
「……」
マリー=アンジュは、しばらくまじまじとリオネルの整った顔を眺めていたが、やがて花が開いたような笑顔を浮かべた。
「―はい、リオネルさま。信じます。リオネルさまの仰ることなら信じられます。私の前に舞い降りた、大空を飛ぶ鷹のような不思議な不思議なお方ですから」
【裏ショートストーリー】
エマ「サンドラにフラれちゃった」
ギー「仕方ない。シルヴィアさまとサンドラどのの間には、主従を越えた絆があるから」
エマ「あてにしてたのになー。有能でぇ、相談相手になってくれてぇ、信頼できる人ぉ」
ギー「……いくら甘えてきても、私は駄目だぞ」
エマ「けちっ!」
ギー「前に話し合っただろう? 私はリオネルさまを支えなければならない。クニークルスが復活しても、そのときは、別の道を歩もう、と決めたじゃないか」
エマ「わかってるわよ。それでも、私一人じゃ、さすがに心細いわ」
ギー「……例の連中を使うときだろうな」
エマ「それしかないかぁ。ギーやサンドラに比べたら、どうしても頼りないのよね」
ギー「そう言うな。至宝天を相手にして生き残った連中だ。それなりの実力はある」
エマ「……でね、もう一つの件なんだけど」
ギー「……」
エマ「シルヴィアさまの言う通り、これから国を立ち上げていくことを考えると、ブランシャールとの絆は大事になってくると思うのよ」
ギー「しかし、身分が変わってしまった。一国の女王ともなると、極めて政治的な意味を持つことになる。私では釣り合わない」
エマ「そんなことないわ。皇帝の信頼篤い股肱の臣だもの。誰も気にしないよ」
ギー「しかし…」
エマ「それとも、なに? 私のこと、愛してないとでも言うの?」
ギー「それは、ずるい、否定できないことを持ち出すのは」
エマ「ねえ、ギー。はっきり言って。私と結婚するつもりはあるの? それともないの?」
ギー「それは…あるさ。しかし…」
エマ「だったら、いいじゃない。すぐに結婚して一緒に暮らそうと言ってるわけじゃないの。婚約だけ発表しようよ」
ギー「……本当に私でいいのか?」
エマ「あなたじゃなきゃ、嫌なの」
ギー「エマ…」




