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第202話 兎の夢と侍女の希(のぞみ)

「シルヴィアとアニェスの役職は、これでいいか?」


リオネルは、一枚の書類とにらめっこをしていた。


執務室ではなく、サロンである。新人事の最終確認をシルヴィア、アニェスの三頭で話し合っているのである。無論、リオネルの後ろではギーが左目を光らせていた。


「役職なんて、ほんとはいりませんわ。皇妃の称号だけで充分」


「皇后だ、皇后」


リオネルはシルヴィアの発言を訂正した。


これまでブランシャールでは、皇帝のきさきを『皇妃』と称していた。新王朝の発足に伴い、宮廷内の公称を刷新することになった。その一つが、『皇妃』を『皇后』とすることだった。


公称や役職の名称は、セルジュが案を出したものだ。その背後にバルケッタがいるのは周知の事実だが、公式にはセルジュ案と記録されることになる。


「私も大仰な役職なんて必要ありませんわ。皇妹でよろしかったのに」


「そう言うなって」


リオネルは妹をなだめるように言う。


「宮廷内で役職があれば、政治的なことも軍事的なことも正々堂々と意見が言える。皇后、皇妹だけじゃ、しょせん身内がしゃしゃり出てきて政を私している、と云われるのがオチだからな」


「……お兄さま。しゃしゃり出てくる身内がもう一人いますが」


アニェスは、人事案の一つを指差した。そこには、ガブリエルの名があった。


「俺だって嫌だけど、しょうがねえ。こいつだけ無役ってわけにはいかねえだろ。争いの火種になるし、バランスってものが政には必要なんだよ」


「ガブリエルさまなら、大いに手助けしてくださいますわ。むしろ、積極的に政権に参画していただいたほうが益になります」


「……また出たよ、シルヴィアのガブリエル贔屓」


嫌そうにリオネルはそっぽを向いた。


「どうしてそう嫌うのです? 旦那さま」


シルヴィアは憤慨した。


「ガブリエルさまは、終始一貫して旦那さまに協力的ですわ。実際、ラファエル戦では協力してくださいましたし、今ここに呼んでもいいくらい」


「……本気で言っているのか?」


リオネルの黒い瞳がシルヴィアを刺す。反論しようと口を開きかけたとき、すかさずアニェスが二人の間に入った。


「もちろん、冗談ですわ。今までも三人で力を合わせてきたのですもの。()()()()()()()()()()()()。ここは、本音を話せる場所。三人だからこそ、意義があるのです」


「……そうですね。すみません、言い過ぎました」


シルヴィアは素直に頭を下げた。アニェスはリオネルを見た。


「お兄さまは、どうなのです?」


「……わかったよ」


「それは良かった」


アニェスは微笑んだ。神々しいばかりの美しさだった。


「本音も喧嘩もこの場限り。表に出たときは、一致団結が肝要ですよ、お二方」


「承知しておりますわ、アニェスさま」


「―失礼いたします」


シルヴィアが応えた、そのとき。訪いを告げる者がいた。


「どうぞ、お入りになって」


入ってきたのは、エマだった。


「お呼びと伺いました」


アニェスに目で促されて、エマは一礼すると席に着いた。


「今、三人で人事の相談をしているところなの」


「……」


アニェスが切り出すと、エマは真っ直ぐ見返した。


「そのことで、私も皆さま方にご相談があります」


「わかったわ。だけど、先に言わせて」


アニェスに見つめられ、エマは小さくうなずいた。アニェスは一気に言った。


「クニークルスを復興します」


「……まさにそのことでご相談しようと思っていたのです」


エマは、長年の夢であるはずの祖国復興を告げられても喜びを現さなかった。


「皆さま方のお心遣い、とても感謝しております。しかしながら、リオネルさまの天下は今始まったばかり。政権が盤石とは言い難いこの時期に、お手伝いできないのは不本意この上ありません」


「……」


「……クニークルス復興は、延期していただけませんか」


「―やっぱりそういう結論に達したか」


リオネルが身を起こした。


「エマ。お前は、俺を嘘つきにしたいのか?」


「当事者である私が延期でいいと申し上げているのです。リオネルさまが後ろ指をさされることではないかと」


「それでも、だ。俺はお前と約束した。皇帝になった暁には、クニークルスを復興すると。約束を違えると、俺が自分を許せなくなる」


「リオネルさま…」


「―正直、エマさまがいなくなるのは寂しいし、とても不安です」


シルヴィアが言った。


「エマさま以上の軍師はいないのだもの。だけど、クニークルス復興はエマさまの夢。エマさまにはこれまで沢山助けていただきました。今度は私たちが応援したいの。お願いよ、エマさま。この話、受けてくださらない?」


エマはうつむいてしまった。肩が少し震えていたが、やがて上げた顔には強い決意が現れていた。


「ありがとうございます。私は、本当に幸せ者です。―わかりました。私エマ・デシャンは、クニークルス復興に尽力させていただきます」


「良かった〜、承知してくれて」


シルヴィアは手を合わせた。そして、様子を窺うように上目遣いをした。


「……でね、もう一つ、エマさまに伝えたいことがあるの」


「もう一つ…ですか」


「そう。―ギーさまとのラブロマンスよ!」


「えっ…!?」


エマよりもギーの方が驚いて思わず声を上げていた。


「―し、失礼しました」


ギーは慌てて居住まいを正した。


「いいわ。ギーさまにも関わることですもの。そんなにかしこまらないで」


「……シルヴィアさま。いったい何のお話ですか?」


エマが恐る恐る尋ねた。警戒心丸出しである。シルヴィアなら、何を企むかわかったものではない。


「そんなに怖がらないで。悪い話じゃないんだから。お二人、そろそろお付き合いを公表してもいいのじゃないかしら」


「……」


エマは、黙り込んだ。沈思する様子のエマに代わり、ギーが口を開いた。


「……いやしかし、今はリオネルさまご登極前の大事な時期。臣下がそのような私事にかまけるわけには―」


「ギーさま。エマさまがクニークルスに行ってしまうと、しばらく会えなくなってしまうんですよ」


「それは…そうですが」


「ちょうど、と言っては語弊があるけど、エマさまが軍を離れるわけだし、秘密にする理由はなくなるでしょ? だったら、婚約を発表して立場をはっきりさせたほうがいいわ」


「……」


ギーとエマは、瞬時見つめ合った。


「クニークルス復興にも、リオネル家との繋がりが公になった方が、プラスになると思うし。―ただ、遠距離恋愛になってしまうのが申し訳ないのだけど」


「私たちのことまでご心配いただき、誠にありがたき幸せ」


エマが(かたち)を改めた。


「その件に関しましては、ギーと相談の上で決めたいと存じます」


シルヴィアは、輝く笑顔で応じた。


「……わかりました。ぜひ、前向きに検討してくださいね」


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「―なるほど。エマさまは、クニークルスの女王となられるのですね」


「ええ。長年の夢がかなって良かったわ」


マノンは、いつもの空き部屋でリュカとの束の間の逢瀬を楽しんでいた。


「すると、御三方には、それぞれ役職が与えられると…?」


「身内の肩書だけでは、今後の政権運営に支障をきたす恐れがあるからだそうです」


「ガブリエルさまはお受けになるかな」


「無理にでも、受けていただかなくては。政権の安定のためには、ガブリエルさまのお力が必要です」


「表に出るのを殊の外嫌うお方ですので」


「奥ゆかしいのですね、ガブリエルさまは。―あの、リュカさま」


「なんでしょう?」


「私たちのことは、ガブリエルさまには…?」


「もうご報告していますが?」


「そうですよね。私も、ご挨拶していいでしょうか」


「……機会を見計らって、お尋ねしておきます」


「ありがとうございます。あの―」


「まだ、何かお願いごとですか?」


「……わかります?」


「それはそうですよ。マノンさまの考えていることは、何となくわかります」


「ふふっ。これからは気をつけないと」


「なぜ気をつける必要があるのです? まさか、私に隠し事でもあるのでは?」


「きゃっ! リュカさま、くすぐらないで」


「白状しないと、やめませんよ」


「ちょっと! もう、やめて」


「はいはい、奥さま。―それで、お願い事とは、なんですか?」


「ガブリエルさまのお母上のクレールさまにご挨拶したいのです」


「……」


聞いた途端、リュカの顔が曇った。


「あっ…ご病気とは伺っています。ご体調の良いときでいいので…一度、お会いしたいの」


「クレールさまは、あまりお客さまとお会いするのは好みません」


「お願い、リュカさま。夫のご主人さまのお母さまですもの。直接お会いしてご挨拶したいわ」


「……しかし、ガブリエルさまのお許しがないと無理です」


「では、ガブリエルさまに言上していただけませんか」


「……」


「すぐでなくていいの。―ね? リュカさま。お願い」


甘えるようにマノンはリュカにすがりついた。


「……わかりました。ガブリエルさまにお伺いしてみます」


「ありがとう! リュカさま」


マノンは、お人形のような愛らしい笑みを向けた。そして、自ら唇を求めた。リュカが覆い被さってきた。マノンは瞳を閉じた。


どんな思いを秘めているのか、彼女の表情からは、容易にうかがうことはできなかった。

【裏ショートストーリー】

バルケッタ「セルジュさま。役職案をお持ちしました。ご確認ください」

セルジュ「……むう」

バルケッタ「あれ!? 何か間違っていましたか?」

セルジュ「あ、いや、そうではありません。これをお一人で考えられるとは、やはりあなたは尋常な方ではないな」

バルケッタ「尋常…私はごくまっとうに普通です」

セルジュ「あなたのような方を、普通とは言いませんな」

バルケッタ「……私は異常なのでしょうか。熊爪族だから…?」

セルジュ「えっ…ああ、申し訳ない。私の言い方が悪かったようだ。あなたは異常なのではなく、衆より優れているのです。まさに天才だと言いたかったのです」

バルケッタ「……天才ではありませんが、ほっとしました。どうもこのごろ、私には重大な欠陥があるのではないかと危惧しているものですから」

セルジュ「あなたに欠陥などあろうはずもない。極めて有為な人材と心得ます」

バルケッタ「……あの、セルジュさま。折り入ってご相談があるのですが」

セルジュ「何でしょう。私にできることであれば、お力になりますぞ」

バルケッタ「ありがとうございます。……実は、ある女性に贈り物をしたいのですが、何が喜ばれるのでしょう?」

セルジュ「贈り物、ですか」

バルケッタ「とても大事な方なのです。遠く離れてしまうことになったので、感謝を表したいのですが、女性には何が喜ばれるのか、まったくわからなくて」

セルジュ「なるほど。⋯…では、このようなものを贈られてはいかがですか?」

バルケッタ「……ふむふむ。……なるほど。それがいい! ……ありがとうございます! とても助かりました」

セルジュ「何なら、専門店を紹介できますが」

バルケッタ「ぜひお願いしますっ!」

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