第199話 破局と和解
「―失礼しまあす」
ヴァネッサは、バルケッタの私室に足を踏み入れ…ようとして、動きを止めた。足の踏み場がなかったからだ。
床には、書類だかなんだか紙切れが無数に散乱しており、ほかにもわけのわならないものや得体のしれないもので埋め尽くされていた。
「す、すみません。片付けようとは思ったのですが、どこから手を付けていいかわからず」
バルケッタは慌てて紙くずをどけて空間を作った。
「どうぞ、お入りください」
「……男の方って、だらしない方はだらしないのね」
弟のエミリアンの部屋は、いつも綺麗に整えられている。使用人の清掃が行き届いているとはいえ、本人が綺麗好きでマメであることが大きな要因であろう。
「す、すみません。勉強が優先で、どうしても部屋の掃除は後回しにしてしまうもので」
バルケッタは、頭をかいた。
「……まあ、いいわ。そのうち、私が掃除してあげます」
「とんでもない! ルメールの王女さまにそんなことさせられません」
「私は王女ではありません」
ヴァネッサは、ジロッと睨んだ。バルケッタは頭をかきながら、椅子の上に重ねてあった本をどかし、どうにかヴァネッサのために場所を空けた。
床はゴミだらけだが、椅子だけでなくテーブルや本棚、果てはベッドの上とあらゆる場所に本や資料が積み重ねられている。
「……お部屋でも勉強なさっているのですか?」
「え? ええ…まあ」
「趣味は勉強とかいうんじゃないでしょうね」
「あはは…」
バルケッタはバツが悪そうに苦笑いを浮かべた。
「……呆れた。プレゼントの選択を間違えたかしら」
「えっ!? プレゼント?」
「……」
ヴァネッサは黙って本を差し出した。
「えっ…えっ?」
バルケッタは戸惑って、本とヴァネッサを何度も見比べた。ヴァネッサは軽くため息をついた。
「ランスさんへの誕生日プレゼントです」
「えーっ!? 本当ですか?」
バルケッタは本を手に取った。
「『ガゼルの聖剣物語』…。ありがとうございます。とても嬉しい。誕生日にプレゼントを貰ったのは生まれて始めてです」
「ご実家では、お祝いをしないのですか?」
「熊爪族には、誕生日を祝う習慣がありません」
「あら、そう。寂しいのね」
「どうしよう。僕はヴィシーさんへプレゼントを用意していません」
「そんなの、いりません。私がランスさんにプレゼントしたいのですから」
「物語系は、あまり読まないのですが、この本は大切にします。僕の一生の宝物です」
「喜んでいただけて、私も嬉しいわ。……ん? ちょっと待って。物語は読まないの? 好きだって、聞いたけど」
「え…。好きだなんて、一度も言ったことはありませんが」
「……エドさんったら…。私を騙したわね」
ヴァネッサは、小さく独りごちた。バルケッタは、そんなヴァネッサを不思議そうに見ている。
「―あっ。何でもありません。それよりランスさん―」
ヴァネッサは、ごまかすように話題を変えた。
「最近、お仕事、根詰め過ぎです。夜は寝ていますか? 目の下に隈ができてますよ」
「もう少しで法律体系が完成しそうなのです。もうひと踏ん張りしなくてはいけません」
「お身体が心配だわ。せっかく法律を作っても、体調を崩したら元も子もないでしょ?」
「ヴィシーさんもいなくなってしまうし、頑張らないと」
「……私は、いなくなりませんよ?」
「ルメールの王女になるのですから、帰らないわけにはいかないです」
「だから、私は王女じゃありません。仮にお父さまがルメール国王になったからといって、私には何の関係もないわ」
「いえ、駄目です。ヴィシーさんは王女に相応しい教育を受けるべきです」
「……それ、本気で言ってるの?」
「僕は本気です。冗談なんか言いません」
「私と会えなくなるんですよ? それでもランスさんは平気なの?」
「平気です。ヴィシーさんのためなら、僕は―」
「―やめてっ!」
我知らず、ヴァネッサは声を荒らげていた。血相が変わっている。
「私と会えなくなっても平気だなんて…酷い。まさかバルケッタさんからそんな言葉を聞くとは思ってもいなかった」
「えっ!? どうして怒っているのですか? 僕は正直に気持ちを告げたのに」
「―!」
バルケッタの一言は、火に油を注ぐ結果となった。怒り心頭のヴァネッサは、身体を震わせた。
「それがあなたの本心なのね。今まで散々思わせぶりしておいて、結局あなたは私のことなんか、何とも思っていなかったのね」
「えっ…!?」
「お父さまをルメール国王にしたのも、私のことを厄介払いするためだったんだわ。なんて…なんて酷い人」
ヴァネッサは、椅子を蹴倒しながら立ち上がった。青白磁の瞳には涙が溢れていた。
「―あなたなんか、絶交よっ!」
ヴァネッサは汚部屋を飛び出した。心の片隅で追いかけてきてくれることを期待したが、バルケッタは来てはくれなかった。
ヴァネッサは涙を拭いながら夢中で走り続けた。
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「―失礼します」
マノンは、そっと扉をノックした。返事があり、リュカが顔を覗かせた。途端、驚愕に目を見開いた。
「マノンさま!?」
「……シルヴィアさまから、ガブリエル殿下への贈り物を預かってまいりました」
マノンは、無表情で包みを差し出した。中身はコーヒーとケーキのセットである。
「それはわざわざありがとうございます。主も喜ばれます」
(―ったく、シルヴィアさまったら。お使いなら別に私じゃなくてコレットでもいいじゃない)
マノンはできるだけリュカの顔を見ないようにしながら、内心毒づいていた。含み笑いしながら命じるシルヴィアの顔が浮かぶ。
彼女の魂胆はわかり過ぎるくらいにわかっている。こじれているリュカと仲直りのきっかけを作ろうというのだろう。
(そんなに簡単に許すもんですか)
「―では、これで失礼いたします」
「あっ…! マノンさま、どうぞお入りください。お茶でもいかがですか。ちょうど主が不在ですので」
(何がちょうど、よ)
「……いえ。殿下がご不在であればなおのこと、お邪魔をするわけにはまいりません」
「そんな冷たいことを言わずに、どうか私の話を聞いてください」
「触らないで!」
伸ばしたリュカの手を振り払った。しかし、リュカも負けてはいない。強引に両肩をがっしと掴んできた。
「以前、怒っているとマノンさまから言われたことを、一生懸命考えてみたのです」
「ちょっと! ここ、廊下ですよ! その話はやめてくださいっ」
マノンは慌てて周りを見回した。
「中へ入ってくださらないなら、ここで話すしかありません」
「……わかりました。ほんの少しだけですよ」
「ありがとうございます!」
リュカは、ほっとしたように愛らしい笑顔をみせた。マノンはそれには視線を向けず、仕方なさそうにガブリエルの私室へ足を踏み入れた。
足の踏み場もないほどモノが散らかっている…などということは、間違ってもなく、とても清潔な部屋だった。
それこそ塵一つ落ちていない。掃除が行き届いているのだろう。皇族らしく調度品は豪華なものが多く、淡い青色で統一された、落ち着いた雰囲気の部屋だった。
「―どうぞ」
案内された椅子に座ると、すぐにお茶が目の前に置かれた。お茶菓子も添えられている。いつ客が来てもいいように、常備しているのかもしれない。
「……マノンさまに謝らなければなりません」
「……」
リュカは、謝罪から始めた。マノンは、目を逸らしたままだ。
「あれから、懸命に考えました。それこそ昼も夜も七転八倒しながら、どうしてマノンさまを怒らせてしまったのだろう、と。そして、おそらく解答に辿り着けたと思います」
そこでリュカは一呼吸置いた。視線を背けたままのマノンには構わず、一気に続けた。
「交際の申し込みをガブリエルさまを介してしまいました。これが、お怒りの理由ですよね」
(やっと気がついたか)
マノンは、頑なにリュカを見ようとせずに言った。
「……はい。そうです」
「やっぱり!」
リュカは深くうなずいた。
「申し訳ありませんでした。言い訳ではありませんが、私としては正式な申し込みのつもりでしたので、主の公認を得て、堂々とお付き合いをしたかったのです」
「だとしても、直接私に言ってほしかった。人を介するのではなく。とても大事な話なのだから」
「本当にすみません。私が至らないばかりにマノンさまにご不快な思いをさせてしまって。なんとお詫びしてよいか」
リュカはうなだれてしまった。
「このままマノンさまに嫌われてしまうなら、生きていても仕方がない。いっそ死んでしまおうかとも思いました」
「えっ…!? それは駄目ですっ!」
慌ててリュカを覗き込んだ。
「死ぬなんて、そんなバカなことはやめてください!」
「……良かった」
「え…」
「やっと私のことを見てくれましたね」
リュカは上目遣いでマノンをうかがった。
「……」
「もう二度と私に、その美しい瞳を向けていただけないのかと絶望していたのです」
「そんな…別に…」
マノンは、憮然と顔を背けた。
「―マノンさま。改めて、結婚を前提に私とお付き合いくださいませんか?」
「―!」
マノンは、思わず目を瞠った。完全に不意打ちだった。まさか、このタイミングで告白してくるとは。
「やり直させていただけませんか。必ず幸せにします。二度と怒らせたり不快な思いをさせたりはしませんから」
「……私だけを見て」
「……!」
「ご主人さまとか関係なく、私だけを見てください。結婚するのはシルヴィアさまでもガブリエルさまでもないんですから」
「マノンさま…」
「もっともっと私たち、話し合うべきだわ。包み隠さず、本心を伝えるべきです。―夫婦になるんですから」
「マノンさま!? それじゃ…」
マノンは、お人形のような愛らしい笑顔を浮かべた。
「……ええ。お申し出、とても光栄です。私のほうこそ、不束者ですが、どうぞよろしくお願いします」
【裏ショートストーリー】
シルヴィア「マノンに頼みたいことがあるの」
マノン「なんでしょう?」
シルヴィア「これをガブリエルさまにお渡ししてきて」
マノン「えっ…!?」
シルヴィア「ガブリエルさまには、いただいてばかりだもの。たまにはお返しが必要でしょ?」
マノン「……コレットでは駄目なのですか?」
コレット「私はまだそんな大役、自信がありません。お手本を見せてください、セ・ン・パ・イ」
マノン「……」
シルヴィア「ガブリエルさまは大事な方よ、私にとっても旦那さまにとっても。粗相があってはいけないわ」
マノン「……仕方がありません。主命とあらば、行ってまいります。ただし! お届けしたら、すぐに帰ってきますからね」
シルヴィア「それでいいわ。……行ってらっしゃい」
コレット「……やっと行きましたね、シルヴィアさま」
シルヴィア「ほんとねー。世話が焼けるったら、ありゃしないわ」
コレット「……それ、前にマノンさまがシルヴィアさまに仰ってたセリフまんまです」
シルヴィア「そうなの? 知らないわ〜」
コレット「(よく似た主従だということかな…)これで、よりが戻るといいんですけど」
シルヴィア「マノンが一方的に怒ってるだけだもの。ちょっとしたきっかけで仲直りするわよ」
コレット「……マノンさまは、ぶりっ子してる割に、根暗なところがあるから、心配です」
シルヴィア(紅烏団の団長してるくらいだし、仕事には厳しいからなあ。調子のいいところのあるコレットとは、いいコンビなのかもね)
コレット「……何か仰いましたか?」
シルヴィア「別にぃ〜」
コレット「……」




