第2話 酔狂な男と悪魔の男
「ねえ、フランベルジュ。相談に乗ってくれる?」
ブランシャール帝国の都、リシャールへの道中である。その深紅の体の背に揺られながら、シルヴィアは深刻な顔で親友に話しかけた。
「なにさ?」
「勢いでグロリアお姉さまの代わりに嫁ぐなんて言っちゃったけど、考えてみればあたし、花嫁修行なんて一度もしたことなかった」
「そりゃそうだ。幼年学校出てすぐ軍に入ったんだもの。そんな暇あるわけない。もっとも―」
フランベルジュは皮肉そうに口角を上げた。
「仮に花嫁修行したとしても、二日と保たない方に賭けるね」
「……殴るよ」
「事実だからしょうがない」
猫耳族の女性は、15歳で幼年学校を卒業すると、良家の子女は女学校で、庶民の子は家で花嫁修行を始める。良き妻、賢き母になることが、女性の夢であり目標なのだ。
しかし、シルヴィアは、結婚に全く興味がなかった。家庭人になるのではなく、職業人として王室や国を支えたかった。だから、女学校に進学するクラスメイトを横目に、軍に入ったのだ。
「どうしよう。嫁ぐってことは、妻になるってことでしょ。何をしたらいいか、さぁっぱりわからん」
「とりあえず、新しい旦那さまに正直に話したら? 何もできない嫁で申し訳ありません、って」
「にゃあ〜っ? なんかイヤだなあ。呆れられて、一日で除隊になったらどうすんの?」
「除隊じゃない、離縁だっちゅうの。それに―」
フランベルジュは、大きく鼻を膨らませた。
「相手は例の第三皇子のリオネルだろ?」
「うん…」
「悪魔のような男なら、離縁されたほうがいいんじゃないの?」
4年後、シルヴィアを殺しカトゥスを滅ぼす仇。悪魔のような紅く暗い瞳をした男。姉に成り代わり何としてもやめさせなければならない。このことは、親友のフランベルジュにだけは告げていた。
「ダメよ。悪魔の侵攻を止められなくなっちゃう」
「手っ取り早く、リオネルを殺し―」
言いかけて、急に立ち止まった。
「……どうしたの?」
「複数の騎馬が来るよ」
「騎馬…?」
シルヴィア一行は、既にブランシャール帝国領内に入っていた。周りには畑が広がり、民家も少ないのどかな農村地帯だ。春の陽射しが暖かく絶好のピクニック日和である。リシャールまではあと半日の距離といったところだろう。
(こんなところに騎馬隊? まさか、野盗団…?)
シルヴィアの金色の猫目がすぅーっと細くなった。頭上の両耳が真正面を向く。
右腕を横に伸ばし、背後の行列を止めた。彼らはシルヴィアの嫁入り道具を運んでいる、使用人だ。兵は一人もいない。しかし、恐怖心は全くなかった。例え相手が100人だろうと遅れを取る気はしなかった。
複数の蹄の音が伝わってくる。5、6騎だろうか。一団となって迫ってくるのが見えてきた。と、思ったらあっという間に距離を詰めてシルヴィアの前で止まった。
(早い…!)
「ユニコーンとは珍しい。―お嬢ちゃん、つかぬことを聞くが」
先頭の男が、のんびりとした調子で話しかけてきた。
農民が着るような麻の丸首シャツを着、腰には紐を巻いて竹の水筒をぶら下げている。ほかにも火打ち石だの細い鉄製の棒だのをジャラジャラとくくりつけていた。ボサボサの黒髪は逆立っており、手入れをしているようには見えなかった。ほかの連中も似たりよったりの格好をしている。
(やっぱり、野盗か)
「カトゥス王国からの一行だよな、猫耳族の」
男は、猫耳族特有の頭の耳を見た。
「……だとしたら、どうする?」
殺気を放った。右眼に黒い眼帯をした男が口を開きかけたが、先頭の男が遮った。眼帯男だけは、高級そうな服を着ている。
「グロリア姫がいるはずなんだが、輿が見当たらないのはなぜだ?」
「……野盗風情に説明する義理はない」
「野盗…?」
「ぶれ―」
「―あっはっはっ!」
また眼帯男が口を開きかけたが、先頭の男の笑い声にかき消された。
「野盗かあ、こりゃ、傑作だ」
「何が可笑しい?」
「まあ、この格好を見たらそう思うのも無理はないか。―俺たちは皇都リシャールからあんたらを迎えに来たんだよ」
「迎えだと…?」
「お姫さまがはるばる見知らぬ国に独りで来るんだ。心細い思いをしてるだろうと思ってな」
「ということは、お前ら、リオネル殿下の部下か?」
「……まあ、そんなもんだ」
またまた口を出そうとした眼帯男を制して、先頭の男がニヤリと笑った。
「それは失礼しました」
シルヴィアは殺気を収め、口調を改めた。
「姉グロリアはいません」
「ほう。どうしてかな?」
さして驚いたふうでもなく、黒い瞳をじっと向けてくる。どこかで見たことがあるような気がした。なぜか胸がドキドキしてきて、思わず視線を外した。
「……急な病にて嫁することができなくなりました故、妹たる私シルヴィアが代わって輿入れすることになりました」
「……」
騎兵の間にどよめきが起こった。まさか軍服姿でユニコーンにまたがっているのが、王族の姫君とは思わなかったのだろう。
「……なるほど。それじゃあ、お前が嫁になるのか」
(お前…?)
カチンときた。部下の分際でお前呼ばわりとは、リオネルの部下教育はどうなっているのか。そもそも、こんな野盗と見まがうような格好をさせている時点で、指導力の程が知れる。
「その様子なら、迎えは必要なさそうだな。一足先にリシャールへ行ってるよ」
男はそういうと、風のように去っていった。
「なんだ、あいつ…」
現れるのも突然なら、いなくなるのも一瞬だ。まるで疾風のような男である。
「変な男だったな」
「シルヴィアに変と言われるようじゃ、余程の変人だね」
「……どうしても殴られたいらしいな、フランベルジュ」
シルヴィア一行は、進軍…もとい、歩みを再開した。
しばらくのどかな風景が続き、右手の小高い山に近づいたときだった。その小高い山から喚声が上がった。騎馬隊が現れたのだ。
「あいつらの仲間か? 一足先に行くと言っていたのに―」
「違う、シルヴィアっ。今度こそ野盗団だよ!」
フランベルジュの叫び声に重なるようにして矢が飛んできた。軽く剣で叩き落とす。騎馬隊は抜刀して突撃してきた。敵、およそ30騎。
「面白いっ。―みんな! 荷物の陰に隠れていろっ」
背後に指示を出したシルヴィアは、一騎駆け出した。すれ違いざま敵二騎を斬り倒す。続けて塊に踊り込み縦横に剣を振るい撫で斬りにする。
「相手は一人だ! 取り囲んで討ち取れ!」
頭立った者が叫んだ。長い橙色の髪を後ろで束ね、黒い鉢巻を巻いた女だった。
「フランベルジュ!」
「あいよ!」
フランベルジュが宙へ駆け上がった。野盗の間に動揺が走る。フランベルジュの鋭く伸びた紅い一角が光った。炎が噴き出し野盗に襲いかかった。野盗たちは馬ごと火だるまになってバタバタと倒れる。
「―ちっ。引き上げろ!」
形勢不利とみて、女は一目散に逃げ出した。
「追おうか?」
「いや、いい。あたしたちは野盗退治に来たわけじゃない」
フランベルジュは地上へ舞い降りた。そこへ、馬蹄が響いてきた。野盗が性懲りもなくまた襲ってきたのかと、身構える。しかし。
「―おーい!」
それは、先ほどの変な男だった。あっという間にシルヴィアの前に立つ。
「炎が見えたから、すっ飛んで来たんだが……」
あちこちに転がる野盗団の遺体を眺め回す。
「必要なかったか。あんた、強いな」
「ブランシャールは大国だと思っていたが、意外と治安が悪いんだな」
相手がタメ口なので、シルヴィアもタメ口で返す。
「あっはっは。面目ない」
男は豪快に笑った。
(……ほんとに面目ないと思っているのかな?)
シルヴィアは冷たい視線を送る。男は気にした様子もなく、背後の騎兵に短く指示を出した。一騎がリシャール方向へ駆け出す。残りは下馬し遺体を片付け始める。
「それじゃあ、俺たちはリシャールへ行こう。念のため今度は付き添うよ」
男は微笑んだ。またしてもドギマギして視線を外してしまった。
(なんで、こいつに見つめられると心臓がバクバクするんだ?)
思わず胸を押さえた。男は、既に馬を歩ませ始めていた。従いてくるのは眼帯男だけだった。
それ以降、リシャールまでの道中は何事も起こらなかった。会話もほとんどなかった。本当はリオネルについてあれこれと聞きたかったのだが、男はのんびりした表情を浮かべているのに他人を寄せ付けない雰囲気を漂わせていた。
やがて、高い城壁に囲まれた街が見えてきた。ブランシャールの皇都、リシャールである。ここからでも、丘の上にそびえ立つ皇宮らしき豪華な宮殿が見える。
一行は城門前に達した。門の両側に立つ衛兵が男に向かって最敬礼した。
「お帰りなさいませ、リオネル殿下」
「にゃっ!?」
驚いたのはシルヴィアである。
「今、なんて言ったの? 聞き間違いじゃないよね? リオネル殿下って言ったよね?」
「シルヴィア姫さまっ、この方はリオネルさまにあられます」
眼帯男がようやくといった様子で告げた。
「姫さまのご結婚相手である、第三皇子のリオネル殿下でございます」
「にゃにゃあーっ!?」
シルヴィアの叫び声が皇都に鳴り響いた。
【裏ショートストーリー】
眼帯男「リオネルさま。なぜ猫耳族の姫に名乗らなかったのです?」
リオネル「なんでだろうなあ。軍服で嫁入りする姫君をからかうと面白いと思ったのかも」
眼帯男「そんな理由で…。お相手は、れっきとした王族の姫君ですよ。いくら何でも、礼を失しておられます」
リオネル「小言を言うなよ」
眼帯男「言わずにはおられません。リオネルさまは、普段から悪ふざけが過ぎます。ただでさえ、ご兄弟はリオネルさまの失脚を虎視眈々と狙っておられる。ほんの少しでも隙を見せたら…」
リオネル「心配性だなあ。兄上たちなんか、放っとけよ。どうせ何もできやしない…ん? 今、空に炎が見えたぞ」
眼帯男「あれは、猫耳族の姫のいる方向です! ……あっ、リオネルさま!? まずいっ、リオネルさまに続けっ」