第18話 入隊試験
先頭切って走っていた女性は、集団に追いつくと、今度は慎重に真ん中に留まった。それでも、集団のペースにイライラしているのがよくわかる。すぐにでも前に出たいのを必死に堪えているようだ。
それは、そうだろう。この練兵場には何が仕込まれているかわからない。不用意に飛び出せば真っ先に己が犠牲になる。しかし、時間制限もあるし、いつまでものんびり走っているわけにもいかない。
すると。突然轟音ともに地面が崩落した。先頭集団が巻き込まれ穴に落ちた。後続はてんでに避けて散らばった。シルヴィアも大きく迂回して難を避けた。
「―落とし穴!? ふざけやがって!」
例の女性が怒鳴る。
目に見えて集団のペースが落ちた。みんなが牽制し合って前に出なくなったからだ。この先どんな罠があるかわからない中、前に出るのはあまりにリスクが大きい。
「こんなものがこの先も隠されてたら、時間内に走りきれないぞ」
他の新兵の間からも、焦燥の声が漏れた。全員に動揺が走る。
「みんな! よく聞いてっ」
シルヴィアは声を張り上げた。
「罠があったって、一周回ればネタは尽きる。最初だけ慎重にいこう。二周目からペースを上げて遅れを取り戻せばいい」
「だったらお前が先頭を走れよ」
ヤジが飛んだ。
「言われなくても初めからそのつもりだったわ」
シルヴィアは言い返した。
「みんな、あたしのあとについてきて。何があっても全員で対処すれば何とかなる。みんなで試験を突破するぞ!」
シルヴィアは先頭に立った。穴に落ちた連中も追いついた。思ったより深くはなく、誰も大きな怪我はしなかったらしい。
「……あんた、冷静だな」
女性がすっと近付いてきて並走する。
「わたしはエーヴ・デカルトだ。あんたの名前は?」
エーヴは、明るい金髪に青い目をした美人だった。ベリーショートが良く似合う。
「……セリーヌ・ブルボン」
「セリーヌ・ブルボン? 古代王朝の聖賢女王の名前と同じじゃねえか」
偽名としてパクった。
(ごめんなさい、セリーヌさま。お名前をお借りします)
「……親がつけたんだから、しょうがない」
「まあな。確かにあんたのせいじゃねえ」
エーヴは、ニヤッと笑った。
「セリーヌ。あんたの考えに賛同する。わたしと協力しないか?」
「もちろん。というか、みんなで協力しようよ」
「結構、お人好しだな。こいつらはただのライバルだ」
「違うわ。仲間よ。この先、同じ軍の中で一緒に戦うのだもの」
「……まあ、いい。とにかく今は試験突破が最優先だ。―ん? 何だ、この音は」
エーヴの言う通り、地鳴りのような音が響いてきた。
「みんな、警戒しろっ!」
シルヴィアの叫びと同時に、前方から砂煙が現れた。
「あれは!?」
砂煙をかき分け、牛が2頭突進してくるのが見えた。よだれを垂れながし、目は血走っている。正気を失っているようだ。
「逃げても追いつかれる。ここで迎撃する!」
シルヴィアは立ち止まった。
「一頭は、あたしが倒す! もう一頭はエーヴがやれ!」
「―俺にまかせろ!」
集団の中から、大柄な男が飛び出してきた。口元から牙が覗いている。犬牙族の若者だった。犬牙族が構えを取った。それをチラッと見て、シルヴィアは前を見据えた。
突進してくる牛に向かって跳躍した。空中を見事に一回転して牛の背中に飛びつく。
「オリャァァァーっ!」
力任せに牛の首をひねった。ボキッと骨の折れる音がした。どおっと倒れる。ヒラリと地面に舞い降りた。そのときには、もう一頭も犬牙族の正拳突きを受けて額を割られていた。
「よくやってくれた」
シルヴィアは、犬牙族を労った。
「いや、あんたの勇気に敬意を表したまでだ」
「……あたしはセリーヌ・ブルボンという」
「サイノス・カジャールだ」
サイノスは、微笑んだ。薄墨色の髪と瞳をした好青年だった。身体はゴツいが、笑うと愛嬌がある。
「よろしく、サイノス」
シルヴィアはサイノスと握手を交わした。
「セリーヌ。時間がないぞ」
エーヴが声をかける。
「話は後だ。今は試験に集中しよう」
シルヴィアたちは、再び走り出した。
「もうすぐ一周だ。みんな、頑張れ!」
シルヴィアが檄を飛ばす。それ以降、何事もなく無事に一周を回り終えた。
「よし! ここからは飛ばすぞ!」
シルヴィアはスピードを上げた。エーヴが飛び出す。走るのが得意らしい。ぐんぐんシルヴィアたちを引き離す。
「あまり離れるなっ。嫌な予感がする!」
シルヴィアが怒鳴るも、エーヴは聞く耳持たず加速する。
「罠は出尽くしたはずだろ? 何を警戒する必要がある」
サイノスが隣に並んだ。
「わからない。でも、あのスキンヘッド、人が悪そうだし、最後に何か企んでるかも」
シルヴィアの懸念にもかかわらず、何も起こらず順調に周回を重ねた。集団は縦長になったが、このままいけば、全員時間内に完走できそうだ。無論、先頭はエーヴである。既に遥か先を行っている。彼女は最後の周回に入った。
すると、武装集団が突如現れて、ゴール付近に陣取った。彼らは、その少し前方にさまざまな武器を地面に置いた。
「何だ、あれは?」
サイノスが言う。
「まさか、あいつらと戦えというんじゃないだろうな」
「……てめえらに最後のプレゼントをやろう」
スキンヘッドの声が雷鳴のように轟いた。
「リオネル軍の黒牛隊だ。好きな得物を取って、時間内に突破しろ。できなければ、失格だ」
「黒牛隊だと? トリュフォー隊の精鋭じゃないか」
「トリュフォー隊…?」
「なんだ。セリーヌは知らんのか。さっきから指示を出している人がトリュフォー隊長だ。リオネル殿下の片腕の一人さ」
「あのスキンヘッドが…」
猛将トリュフォー。姉グロリアの手紙にも何度か登場する人物である。
「強敵だぞ。新兵相手にこんなのが出張ってくるのか。採用する気がないんじゃないか」
「泣き言を言っていても仕方がない。軍に入りたきゃ、やるしかない!」
先頭のエーヴは、細剣を手に既に兵の一人と対峙している。模擬戦用の刃のない剣である。細剣が光った。と思ったら兵が倒れていた。電光石火の早業だった。
「おおっ! あいつ、かなり腕が立つ」
サイノスが感心した。とたん、三人に囲まれた。
「エーヴ! 一人で戦うな!」
シルヴィアは跳躍した。着地と同時に長剣を手に取り、更に跳躍してエーヴを囲む三人に踊り込んだ。一人の剣を跳ね上げ、もう一人の胴にしこたま打ちつける。兵はもんどり打って倒れた。そのときには、もう一人がエーヴに、剣を跳ね上げられた兵はサイノスの正拳突きでそれぞれのびていた。
「みんな! 一人で戦うな! 敵一人に対して複数人で立ち向かえ!」
シルヴィアが後続に指示を飛ばした。
矢が3本、同時に視界をかすめた。振り返ると黒牛兵が3本の矢を受けてぶっ倒れるところだった。
「すごい!」
見ると、若い男が弓を手にウインクしてきた。
「む…?」
眉をひそめた瞬間、男が叫んだ。
「後ろっ!」
シルヴィアは、確認もせず横に飛んだ。ついさっきまでシルヴィアがいた空間を斬撃が走った。すぐに反転し長剣を振り上げた刹那、3本の矢が黒牛兵を倒していた。
若い男がまたウインクしてきた。翠色の髪と瞳をしたイケメンである。
「……あなた、どういうつもり―」
言いかけたシルヴィアの横を風がすり抜けた。
「にゃっ!?」
風が黒牛兵を吹き抜けた。黒牛兵は声も上げず昏倒していた。風が立ち止まった。槍の柄を地面に突いて佇む。
とんでもない美女だった。長い耳にバネの利いた筋肉質の脚。明らかに兎脚族だ。腰まで伸びた白藍の髪の先を黒いリボンで結んでいる。何より特徴的なのはオッドアイだった。右目は紺碧、左目は淡褐色。
美女は、ジロリとシルヴィアを睨むとまた風になった。黒牛兵が次々と槍の餌食になっていく。
「ほえ〜。なんか、新兵ってバケモノばっかなんですけど」
呆れて見守る中、黒牛兵の全ては地面とキスする羽目になっていた。
「―よしっ! みんな、ゴールするよ!」
新兵を促し、全員でゴールを駆け抜けた。
「……どうだ、スキンヘッド! 時間内に完走したぞ」
「ス、スキンヘッド?」
黒牛兵全滅という予想外の事態に、呆然としていたトリュフォーは、シルヴィアの暴言に目を白黒させた。
「どうした? あたしたち、合格だろ?」
「……あ、ああ。合格だ」
新兵たちの間に歓声が湧き起こった。ある者は肩を叩き合い、またある者は飛び上がって喜びを爆発させた。
エーヴがシルヴィアに抱きついてきた。背中を撫でながらエーヴを称えた。サイノスが手を差し出した。固く握り返し、お互い微笑みあった。
これが後に、『シルヴィア妃至宝天』と謳われることになる彼らとの、初めての出会いであった。
【裏ショートストーリー】
黒牛兵A「今期の新兵、とんでもねえな」
黒牛兵B「まったくだ。凄腕がゴロゴロいやがる。めったにねえ当たり回だぜ」
黒牛兵A「隊長も、そう思うでしょ。即戦力が揃ってますぜ」
トリュフォー「……そうだな。特に頭にタオルを巻いた女、リーダーシップがハンパねえ」
黒牛兵B「あいつが指揮を執り始めたとたん、新兵どもが一つにまとまりましたからね」
黒牛兵A「何が起こっても冷静に対処するし、指示も的確だ」
黒牛兵B「ほかにも、戦闘力の高いやつが何人かいました。逸材揃いです」
トリュフォー「あんな奴らが世間に埋もれてるんだから、世の中面白えよな。これだから、新兵の入隊試験担当はやめられねえよ。……ところで、てめえら」
黒牛兵A・B「はい?」
トリュフォー「逸材とはいえ、ドシロウト連中にあっさり倒されやがって、黒牛隊のメンツ丸潰れだ」
黒牛兵A・B「……」
トリュフォー「後で徹底的にシゴいてやるから、覚悟しとけよ」
黒牛兵A・B「ひーっ!」