第16話 白月草と英雄たちの帰還
「小休止しよう」
マノンが倒れた。いったん留まり、ひとかたまりになって強風に耐える。
「リオネルさま。マノンは、動けそうにありません」
ぐったりしたまま死んだように横になったマノンを抱えて、ギーが訴える。
「……バルケッタが、マノンは山を降りたほうがいいと言ってる」
全員顔色が悪い中、一人平気な顔をしているフランベルジュが言った。
「高い山に登ると、こういう状態になる人が一人や二人出るんだって。こうなると、もう山を降りるしか方法がないそうだよ。下手すると命にも関わるって」
シルヴィアがフランベルジュの言葉を伝えた。
「私がマノンを連れて山を降ります」
即座にギーが言った。
「この様子じゃ、自力で降りるのは無理です」
「仕方がない。そうしてくれ。ギー」
「最後までお供したかったのですが…申し訳ありません、リオネルさま」
「気にするな。マノンを頼む」
「はい。―リオネルさま、シルヴィアさま。どうかご無事で」
ギーはマノンを抱えて下山していった。
四人になった登山隊は、山頂目指して歩みを再開した。それでも強風は容赦なく吹き付ける。
「……息が…続かない」
シルヴィアは、とうとう立ち止まってしまった。山頂はその影すらまだ見えない。
「大丈夫か?」
リオネルは、強風から守るようにシルヴィアを抱き締めた。
「申し訳…ありません…旦那さま。息が…続かなくて。少し休ませて…ください」
立ったまま、身体をリオネルに預けた。それだけで、心が安らいだ。強い力に守られている気がして、心が暖かくなった。
「……シルヴィア。何でこんなに頑張れるんだ?」
「え…」
「何の関係もない俺たちのために、何で命を張れる?」
「言ったでしょう。私、アニェスさまのことが好きなんです。どうしても、ご病気を治したいんです」
「たったそれだけで…嫁いでくるまでは、何の関係もない女のために、好きだから、というだけで普通は命まで張れないぞ」
「普通なんて、私は知りません。私は、力になりたいと思っただけです。アニェスさまや、アニェスさまを大事に思っていらっしゃる旦那さま、ギーさまのために、力になりたい」
「シルヴィア…」
「政略結婚だって、わかっています。私たちの間に愛なんて、ないことを。でも、縁あって嫁いできたのですもの。私にとって、みんな大事な家族だわ。家族は…守らなくちゃ…」
暖かいものに包まれて、急速に眠気が襲ってきた。
「シルヴィアっ! 眠るな! 眠ったらそのまま死んでしまうぞ!」
「旦那…さま…あたし…きっと旦那さまのことが…」
「シルヴィアーっ!」
リオネルの悲痛な声が風に吹き飛ばされた、その刹那。
風がピタリと止んだ。まるで今までの強風が嘘のように消え失せ、穏やかな陽射しが降り注いだ。天空には、雲一つなく抜けるような青空が広がっていた。
「―フランベルジュ。フランベルジュではないか」
雷鳴のような声が降ってきた。見上げると、巨大なそれが、いた。
「アルマトゥーラ。やっとお出ましか」
それは、白い竜、ホワイトドラゴンだった。長い首を伸ばし、黄色い虹彩に黒く細長い瞳を向けてきた。
「フランベルジュ。しばらく見ないうちに、ずいぶん人臭くなったな」
「そうかな。ボクはボクさ」
「お前だとわかっていれば、すぐに風を止めたのに。全然気が付かなかったぞ」
「気付いてくれて、助かったよ」
「こんなところまで、何をしにきた?」
「猫耳族の女の子の願いを叶えるために」
「何だと?」
アルマトゥーラは、リオネルに抱かれたシルヴィアを見た。ごくわずかに息を吹きかける。シルヴィアは、ハッとして目を覚ました。
「―にゃっ!? ホワイトドラゴン…!」
「猫耳族の女。お前の望みは何だ?」
「にゃにゃっ!? これは、どういうこと…?」
すぐには状況が理解できず、視線を泳がせた。フランベルジュがそっと告げた。
「アルマトゥーラが、キミの願いを聞いてくれるってさ」
「……フランベルジュが話をつけてくれたのね。ありがとう」
「ボクは、何もしていないよ。―ほら、アルマトゥーラの気が変わらないうちに、早く願いを言いなよ」
「うん。―アルマトゥーラさま。白月草が欲しいのです。ある病の女の子を治すために、どうしても必要なのです。どうか、お慈悲をもって、分けていただけないでしょうか。お願いしますっ」
「なんだ、そんなことか。容易いことだ」
アルマトゥーラが長大な首を一度振った。すると、花がドサっと大量に落ちてきた。それは、白く丸い小さな花だった。花弁がキラキラと輝いていた。
「……いただいて、いいのですか…?」
「構わん。好きなだけ持っていけ」
「……! アルマトゥーラさまっ、ありがとうごさいますっ!」
シルヴィアは、アルマトゥーラの首に抱きついた。リオネルは、ただただその場に立ちすくみ、呆然と眺めるばかりであった。
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シルヴィアたちが山を降りると、山裾でギーたちが待っていた。マノンはすっかり元気を取り戻していた。
熊爪族の集落に戻る途中、山の中で起こった出来事を二人に話して聞かせた。二人は大いに驚き、羨ましがった。バルケッタはといえば、興奮し通しだった。シルヴィアとフランベルジュを讃え続けた。
それはそうだろう。バルケッタにとってアルマトゥーラは神さまだ。実際に目の当たりにし、神さまはシルヴィアの願いを即座に聞き入れた。こんな奇跡に巡り合うことは、二度とないに違いない。
集落に戻ると、大変な騒動が巻き起こった。神の領域である山頂へ赴き、無事に白月草を持ち帰ったのだ。熊爪族は、シルヴィアたちを大いに畏れ敬った。
今度こそ、本当の饗宴が開かれた。睡眠薬を入れられることもなく、大宴会となった。お祝いの席で披露されるという熊爪族の踊りが場を盛り上げた。
返礼にギーとマノンが剣舞を披露した。華麗な上に、真剣勝負をしているような立ち合いの振り付けが熊爪族に大ウケだった。
その盛り上がりの中で、バルケッタが父である族長にある願い事を申し出た。族長は、上機嫌でそれを許した。
一夜明け、シルヴィアたちはブランシャールへの帰路へと旅立った。傍らには、バルケッタの得意げな姿もあったのである。
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白月草の効果は絶大だった。煎じて飲ませること一週間。アニェスは咳き込むことがなくなった。医者が言うには、病魔の進行が止まったという。止まっただけではなく、既に破壊され修復不可能になったはずの肺が元に戻り始めているという。
このまま服み続ければ、二週間後には自由に歩けるようになり、一カ月後には走れるようにすらなるそうだ。
「本当に感謝してもしきれないわ。お義姉さま。あなたは私の命の恩人よ」
いつもの窓際で、アニェスの輝く笑顔が弾けた。心なしか顔色も良さそうだ。その笑顔だけでこちらも幸せになる。部屋にはソフィの姿はなかった。体調が戻りつつあるので、四六時中張り付く必要がなくなったからだろう。ちなみにマノンも今はここにいない。
「いいえ。私一人だけではありません。マノンがいなければ熊爪族の集落で焼け死んでいたし、ギーさまがいなければマノンが山で死んでいたし、バルケッタがいなければ、アルマトゥーラさまのところに辿り着けなかったし…」
「……」
「旦那さまがいなければ、きっと私、山の中で死んでいたでしょう。全員の力がなければ、白月草を持ち帰ることはできませんでした。みんなが私の誇りですわ」
「白月草を取りに行こうと決断なさったのは、お義姉さまとお聞きしました。やっぱりお義姉さまがいなければ、私は死んでいたわ」
「アニェスさま…」
「私、本心を言うと死ぬ覚悟をしていました。近いうちにこの命は、燃え尽きるのだろうと」
「そんな…そんなことありませんよ」
「いいのよ、気を遣わなくて。お義姉さまもそう思ったからこそ、命をかけてでも白月草を取りに行ってくださったのでしょ?」
「それは…」
「死を覚悟したからこそ、命ある間は、何が何でも兄を守ると決意していました」
「……!」
「今こそ、お義姉さまにお話しします。ベルトラン家の内情を。その上で、改めてお義姉さまにお願いがあります。お義姉さまこそ、私たちが求めていた方だわ」
「私…?」
「私たちと共闘しませんか」
「にゃっ!? 共闘…? いったい誰を相手に?」
「この、ブランシャール帝国を相手に」
「にゃにゃーっ!?」
【裏ショートストーリー】
ギー「どう? 気分は」
マノン「だいぶ、いいわ。……ごめんね、ギー。足引っ張っちゃって」
ギー「とんでもない。熊爪族の集落では、マノンのおかげで助かったんだから」
マノン「……リオネルさまたち、山頂まで行けたかな」
ギー「どうだろう。五分五分じゃないかな」
マノン「シルヴィアさまって、変わってるよね」
ギー「そうだね。世の中、あんな人もいるんだね」
マノン「わたし、本当はどこかで逃げるんじゃないかとずっと疑ってた」
ギー「うん」
マノン「でも、あの人は逃げなかった。アニェスさまのために、本気で命をかけてくれた。それだけでも尊敬するわ」
ギー「全く同感だ。あの人は信用していいんじゃないかな」
マノン「もし…本当に白月草を持ち帰ってきて、アニェスさまのご病気が治ったら…一生あの人に仕えてもいいわ」
ギー「リオネルさまとアニェスさまに仕えるのじゃなかった?」
マノン「シルヴィアさまは、リオネルさまの奥方さまよ。結局、お二人に仕えるのと変わらないわ」
ギー「それじゃあ、僕たちは、三人の方のために命をかけよう」
マノン「ええ。必ず守るわ。この命に代えてもね…」




