第14話 虜囚と剛力
国境を越えて三日が経った。
ペレーズ山の威容が既に目の前に現れていた。独立峰ペレーズは、見事な円錐形をしており、フォルムに無駄がない。まさに山姿雄大である。
ただし、山頂付近には常に雲がかかり、天候が崩れている。猛吹雪が吹き荒れ、遠く望むここからも輪のように山頂を包んでいるのがよくわかる。山には樹木は一切生えておらず、山裾に広大な樹海を従えている。
その樹海に住むのが、熊爪族である。狩猟民族でほとんど外界に出てこようとはしない。
「いよいよね。熊爪族の領域に入るから、みんな気を引き締めて」
森が深まり鬱蒼と茂った中をフランベルジュは恐れげもなく突き進む。
「どのような種族なのでしょうね」
ギーが、油断なく左目を周囲に向けながら尋ねた。
「さあ、よく知りません。私たち猫耳族もほとんど交流したことがないので。ただ、狩猟民族だから罠を仕掛けている可能性が高いと思う―」
バサッと音がしたかと思うと、いきなり身体が宙へ持ち上げられた。気付いたときにはフランベルジュごと大きな網の中に閉じ込められていた。
「―ので、みんな気をつけてね」
「あ〜あ。言ってるそばから、引っ掛かっちゃいましたねえ」
マノンがのんびりとした調子で見上げた。
「シルヴィアさまっ、今お助けいたします!」
「大丈夫。フランベルジュがいるから」
慌てて剣を抜いたギーを押し止めた。その刹那。
樹海の中から大勢の人影が踊りこんできた。あっという間に取り囲まれる。
「―! 熊爪族!?」
毛皮をまとい手に鎌のような得物を持った男たちが、敵意むき出しで迫ってくる。リオネルとマノンも静かに剣を抜いた。
「待って!」
シルヴィアの叫びと同時に炎のレーザービームが吹き荒れた。網が綺麗に焼き切られシルヴィアはドサっと地面に投げ出された。
「……痛たたたっ」
腰をしたたか打ちつけて、さすりさすり立ち上がる。
「ネコどのも、着地にミスることがあるんだな」
リオネルが軽口をたたいた。
「ひっどーい。心配してくださらないの?」
抗議の声を上げるが、熊爪族が騒ぎ出したので口をつぐむ。どうやら、フランベルジュを見て動揺しているらしい。
「……エティ、イキ。イアナ、ウェディキト」
フランベルジュが熊爪族に話しかけた。熊爪族たちは、お互い顔を見合わせると、一斉に平伏した。
「イアクト、イマク。ユニコーン。イマク、アルマトゥーラ」
「フランベルジュ。何が起きたの?」
シルヴィアが尋ねる。
「どうやら、ボクのことをホワイトドラゴンの使いだと思ってるみたい」
「使い?」
「ホワイトドラゴンは彼らにとって神さまだからね。その使いとなれば、神さまに準じるんだろう」
「おい、シルヴィア。説明しろ」
フランベルジュの声が聞こえないリオネルが説明を求める。シルヴィアは簡単に伝えた。
「エハリトク、オズオド。ユニコーン」
熊爪族の一人が、恭しくフランベルジュをいざなった。
「……フランベルジュ?」
「ボクたちを招待してくれるんだって」
「旦那さま、熊爪族が私たちを招待してくれるらしいんですけど、どうしますか」
「どうするも何も、この状況じゃ受けるしかねえだろ」
「……ですね」
こうしてシルヴィアたちは、熊爪族の集落へと入った。
森林を切り拓いた以外と広い場所に、壁も屋根も木造の小さな家が建ち並んでいた。事前に連絡がいっていたのか、広場には大勢の人たちが集まっていた。女性や小さな子どももいる。
人々は、フランベルジュを見てざわついた。大人たちは次々と平伏する。子どもたちは、物珍しそうにフランベルジュに駆け寄ろうとするが、母親に止められて無理やり頭を下げさせられていた。
シルヴィアたちは、集落の中でも一際大きな家に通された。床一面に毛皮が敷きつめられ、食事が所狭しと並べられていた。その周りに男たちがズラリと並び、最も奥に熊の頭を被った大柄な男が座っていた。
「イアサド、ウキラウソ、エアリトク」
大柄な男に身ぶり手ぶりで座るよう促される。この男が族長らしい。空いている場所に並んだ。フランベルジュは別の場所に設けられた囲いの中に収まっていた。リオネルたちの馬は、家の外で繋がれている。
宴会が始まった。食事は、木の実やキノコなど森で採れるものや、鳥肉などの肉料理が中心だった。どれも素朴な味がして美味しかった。
お酒は、白濁したもので、樹液を発酵させたものらしい。言葉が通じないので、身ぶり手ぶりでなんとか意思疎通を図っていく。通訳のフランベルジュは、囲いの中で接待攻めに遭っている。
「きゃあ、この白いお酒、美味しーっ」
マノンが、白濁酒をがぶ飲みしている。
「ちょっと、マノン! あなた15歳でしょ、そんなにお酒飲んじゃダメよ」
シルヴィアは、勧められる酒は全て断り、族長から何とかペレーズ山頂の様子を聞こうと躍起になっていた。
「どうしてですかぁ〜、15歳がお酒飲んじゃいけない、なんて法律ありませんよぉ〜」
既にベロンベロンである。
「マノン、さすがに飲み過ぎだぞ」
ギーがたしなめた。
「いいじゃないのぉ〜。だいたいね、ギーはクソ真面目過ぎなのぉ…ヒック!」
「……本当に大丈夫か?」
「だーじょーぶ、ダージョーブ…」
「悪酔いしたな」
いきなりマノンがひっくり返った。
「あ〜、だから言わんこっちゃない」
ギーが介抱しようと屈んだ瞬間、同じようにバタンと倒れた。
「どうしたの!?」
異変に気付いて二人に目を向けた瞬間。隣のリオネルがのしかかってきた。
「だ、旦那さまっ!? い、いきなり何するのっ!?」
真っ赤になってリオネルを押し退けた。リオネルはそのまま意識を失って倒れる。
「えっ!? 何で…?」
手を伸ばそうとして、激しい目眩に襲われた。ぐるぐる天井が回る。
「う…そ…あたし、お酒…飲んで…ない」
そこで意識が途切れた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
薄ら寒さで目が覚めた。
「……あたし、どうしたんだっけ」
ぼうっとする頭で一生懸命思い出そうとする。
(熊爪族に招待されて…宴会中にぐるぐるしだして…)
「―倒れたんだ! ―痛っ!」
身動きしようとして、縛られていることに気づく。何気なく下を向いて、完全に意識がハッキリした。なんと、下着一枚の姿だったのだ。
「にゃあぁぁぁーっ!? 何で、こんな格好してるのーっ!?」
「……気が付いたか」
隣から声がした。しかし、姿は見えなかった。どうやら立て板の上に縛られているらしい。横の様子は全くわからない。
「旦那さま!? 私たち、どうしてこんなことになっているの?」
「食事に睡眠薬が入っていたらしい。俺たちは、四面の板にそれぞれ縛りつけられているみたいだ」
「にゃっ!?」
「シルヴィアさま。私も隣にいます」
「私もーっ。たぶん、シルヴィアさまの反対側ーっ」
ギーとマノンの声が聞こえた。
「フランベルジュ! フランベルジュは、どこ?」
「フランベルジュなら、俺の正面にいる」
「にゃっ!?」
「そっちからは見えないだろうが、高い建物の中に安置されている。眠らされているみたいだな」
「……大根だわ」
「あ?」
「食事の中に大根が混ぜてあったんです」
「大根がどうした?」
「フランベルジュの弱点なんです。大根に弱くて、体内に取り込むと、いわゆる人でいうところの酔った状態になるみたいで、眠り込んじゃうんです」
「なぁ〜る。それでフランベルジュさま、大根を嫌がってたんですねぇ」
マノンが合点がいったように大きくうなずいた。シルヴィアからは見えないが。
「とても嫌な予感がします」
ギーが切羽詰まったように言う。
「この状況、どう考えても不利です。得物を全て取り上げられました。服を全て剥がされてしまって、隠しナイフまで無い」
「……ちょっと待って。まさか、みんなも下着一枚とかなの?」
「そのまさかだ。クマのクセに、意外と虜囚の扱いを心得てやがる」
「旦那さまっ、感心してる場合じゃないでしょ! て、ことは、みんな、あられもない格好、ということじゃないの!」
猫耳まで真っ赤に染め上がった。
「そっちの心配かよ? シルヴィア、結構お前、うぶなんだな」
「笑わないでください!」
そのとき。わらわらと熊爪族が現れた。
「ウレミジャ、イキシグ!」
シルヴィアたちの足元には、薪が何本も重ねられていた。そこへ、火が付けられる。油でも撒いてあったのか、あっという間に炎が燃え立った。
「ヤバいっ。あたしたちを燃やすつもりよ!」
「マノン、まだか?」
「申し訳ありません、リオネルさま。この紐、凄く頑丈で切れません」
「にゃっ!?」
「シルヴィアさま。マノンは怪力なのです」
事情のわからないシルヴィアに、ギーが説明する。
「マノンに縛めを解いてもらおうと試みさせていたのですが、ダメなようです」
「いっそのこと、板ごと引っこ抜けないの?」
「いくらマノンでも、さすがにそれは無理です」
「……ありがとうございますっ、シルヴィアさま! それ、いただきますっ」
マノンが叫んだ。
「まさか、本気か!?」
「……ムグググググッッッッ! ヌオォォォォォ〜ッ!」
気合いとともに、板がバキバキ割れる音が響いた。
「オリャァァァァァァーッ!」
板の崩壊音と、続けて何かがドサっと地面に落ちる音。
熊爪族のうろたえ騒ぐ様子が伝わってくる。シルヴィアからは真反対側なので、何が行われているのかさっぱりわからない。わからないが、人の殴られる音や叫び声、悶絶する声、物が投げ付けられる音などからして、マノンが大暴れしているらしい。
やがて全てが静かになる。足元の炎が消され、鎌を持った下着姿のマノンがにゅっと脇から現れた。お人形のような愛らしい笑顔がパァッと花開いた。
「お待たせしましたぁ、シルヴィア・さ・まっ」
【裏ショートストーリー】
シルヴィア「リポーターのリオネルさん、お伝えください」
リオネル「はい、こちら、現場のリオネルです。ここをご覧ください。人の大きさほどもある板が、粉々に砕けています」
シルヴィア「すごいですね。本当に人が行ったことなのでしょうか」
リオネル「目撃者の証言によりますと、見た目15歳ほどの可憐な少女が縛り付けられていましたが、なんと膂力だけで板をへし折り、くびきから逃れると板の残骸を振り回して盗賊団二十数人を一人で制圧したもようです」
シルヴィア「驚きましたね。お人形のように可愛い少女とお聞きしましたが?」
リオネル「はい。マノンさんと仰る人間族の方です。こちらに来ていただいていますので、インタビューをしたいと思います。……マノンさん、よろしくお願いします」
マノン「よろしくお願いしまぁす」
リオネル「当時はどんな状況だったのでしょうか」
マノン「下着一枚にひん剥かれてぇ、硬い紐で縛り付けられてましたぁ」
リオネル「15歳の少女を下着一枚にするとは。ヘンタイ集団だったのでしょうか」
マノン「得物もなかったしぃ、紐が切れなかったので板ごとぶっ壊しましたぁ」
シルヴィア「人間ワザとは思えませんね。マノンさんは、いったい誰なのですか」
マノン「……」
シルヴィア「マノンさん、どうしました?」
マノン「あっ、失礼しました。音声が途切れたみたいで、よく聞こえませんでしたぁ」
シルヴィア「私、目の前にいますよ。そういう小ネタはぶち込まないでください」
ギー「みなさんっ、悪ふざけも大概にしてください! いい加減、私も怒りますよっ」
シルヴィア「ごめんちゃっ」