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第12話 病魔と薬草

「武闘集団に襲われたそうですね。ごめんなさい、お義姉(ねえ)さま。兄の巻き添えになってしまって」


アニェスは、じっとシルヴィアを見つめた。


「私は平気ですわ。荒事は大好きなので」


「まあ…頼もしいこと」


「私だけじゃありませんわ。旦那さまの周りには、頼もしい方が大勢いらっしゃるようだし」


シルヴィアは、マノンを振り返った。お人形のような愛らしい笑顔が返ってきた。


「猫耳族の方は、戦闘能力に長けているとか。お義姉さまは、ご実家では軍人をなさっていたのですよね」


「ええ、まあ…」


「羨ましいわ。私もこんな身体でなければ、兄の力になれたと思うと、忸怩たる思いにかられます」


「アニェスさまのような女神さまが、荒事をですか?」


「ふふっ。私は女神じゃありません。お義姉さまがネコじゃないと仰るのと同じように」


「アニェスさま…」


「これでも私、小さいころは運動が得意でしたのよ。かけっこも速かったし、木登りも得意で、亡き母によく叱られたものですわ」


「にゃっ!? 木登り、私も大好きなんです!」


思わず声がはずんだ。


「高いところから景色を眺めるのが好きでした。気持ちよくて」


「わかります! 私もそうでした!」


「わあ、アニェスさまと好きなことが被って嬉しいわ」


「ネコだから、高いところが好きなだけだろ」


「……旦那さま。酷いわ。私だけならともかく、アニェスさままでバカにするなんて」


「バカにしてない。ネコ同士、二人は気が合うんだと思っただけだ」


「ネコじゃ、ありません!」


(……ん? ちょっと待てよ。アニェスさまのこと、リオネルはネコと呼んでるのか? それって、まさか―)


「なんで顔を赤くしてるんだ?」


「べ、別に、何でもありません。―そうだ! 旦那さま。軍を視察したいのです。許可をいただけませんか」


「軍の視察だと…」


「私は、元軍人です。嫁ぎ先の軍がどういうものか、とても興味があります」


(敵の軍の内情を知るのは大事だものね)


「ネコどのは、思いも寄らないことを考えつくんだな」


リオネルは、少し考える様子を見せたが、すぐに首を横に振った。


「いや、ダメだな。そんなことをしたら、麗しの兄上たちが騒ぐ。気持ちはわかるが、やめておけ」


「どうしてですか。皇子さまたちはそれぞれ軍をお持ちだとガブリエル殿下からお聞きしました。旦那さまの軍なら、問題ないと思いますが」


「またガブリエルか。ダメなものはダメだ。諦めろ」


「……」


シルヴィアは、思い切り頬を膨らませた。


「ガブリエルさまが何を仰ったか知りませんが」


静かな笑みをたたえてアニェスが言う。


「お兄さまの妻とはいえ、まだここへ来たばかり。軍に迎えられるには、早過ぎますわ」


「迎える…? いや、私は軍の様子を見たいだけで―」


「軍は虎狼の集まりです。お義姉さまと言えど、認められた者でなければ視察どころか、近づくことすらできませんよ」


「……!」


「今は堪えて、時をお待ち…ゴホっ!?」


突然、アニェスが咳き込み始めた。


「アニェス!? 大丈夫か?」


リオネルが背中をさする。


「ゴホっ、ゴホっ…だ、大丈…ゴホゴホっ」


「姫さまっ」


ソフィが駆けつけた。タオルを口に当てる。


「姫さま、お薬を」


「ゴホゴホっ…ありが…ゴボっ!?」


「……」


一際大きく咳き込んだ。それを見て、リオネルはアニェスを抱き上げた。そっとベッドへ運ぶ。口に当てていたタオルはソフィが片付けた。そのとき、チラッと見えた。タオルが真っ赤な鮮血に染まっているのを。


「……申し訳ございません、妃殿下」


ソフィが頭を下げた。


「本日は、お引き取りください」


穏やかだが断固とした口調で告げた。これには、シルヴィアも従わざるを得なかった。


「……わかりました。あの…ご養生くださるようお伝えください」


「お心遣い、ありがとうございます」


マノンを促して退出した。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「アニェスさま、大丈夫かな。心配だな」


「血を吐いたんだっけ?」


「うん。いつも明るく笑って元気そうにしていたけど、ほんとはムリをしていたのかも」


「それだけ、シルヴィアのことが気に入ったんだね」


「なんか、罪悪感。あたしのせいで具合が悪くなったみたいで」


「治せないのかな」


「そうね。当然、お医者さまには診ていただいているんだろうけど」


「……医者なんか、当てにならん」


「旦那さま!?」


リオネルがいつものようにベランダの窓から入ってきた。


「アニェスさまに付き添っていなくてよいのですか?」


「発作が起きれば、薬をのんで朝までぐっすりさ。付き添ってもしなくても、変わらん」


「だとしても、そばにいるだけで女は安心するものですよ」


「熟睡してるから、そばにいてもどうせわからん」


「……本当に心配なさっているの? どこか、投げやりな物言いだわ」


「そう、見えるか?」


リオネルの黒い瞳が真っ直ぐ見つめてきた。


「……ごめんなさい。言い過ぎました」


「いや、俺こそすまない。少しイライラしていたんで、ついシルヴィアにあたってしまった」


リオネルは、憔悴したように俯いてしまった。


「旦那さま…」


シルヴィアは、と胸をつかれた。リオネルは、いつかベランダで町を眺めていたときと同じ顔をしていたからだ。好きな景色だと言いながら、とても辛そうな顔だった。


「……私、この国に来たばかりで何も知らない。でも、旦那さまの妻になったのですもの。家族のことはちゃんと知りたいのです。教えてください。アニェスさまは、何というご病気なのですか」


リオネルは、黒い瞳を向けてきた。強い光は失われ、代わりに悲しみに縁取られている。


「……毒の後遺症だ」


「毒…!?」


「肺をやられている。徐々に破壊する毒だそうだ。やがて呼吸できなくなり死に至る」


「そんな…」


「知らないうちに、食事に混ぜられていた。気付いたときには、手遅れになっていた。気付いたきっかけは、アニェスが飼っていたネコだった」


「ネコちゃん…」


「アニェスの食事に供されていた肉を盗み食いしたのさ。人間には即効性がなくても、ネコには猛毒だったらしく、即死だった。それで調べたら、毒が検出されたんだ」


「……誰かが混入したのね」


「無論、厨房の人間、侍女、関係しそうな奴は片っ端から調べた。でも、結局犯人も混入方法もわからずじまいだ。それ以来、食事に携わる者は全て信頼できる者に代えたし、薬もさまざま試した。でも、完全には毒の影響を除去できず、今も病は進行している」


それで、3ヶ月後に亡くなるのか。毒殺未遂の犯人は、おそらく皇帝家内の誰かであることは確実と思われるが、証拠が見つからなかったのだろう。リオネルの心情を思うと胸が痛む。


実際、姉グロリアの手紙を読んだだけでは、たいした感情も湧かなかった。しかし、今は違う。アニェスと親しく接してしまった。悪魔ではないリオネルを知ってしまった。


(―そうか! そうなのね)


閃くものがあった。


悪魔リオネルの誕生は、アニェスの死がきっかけなのに違いない。


これだけ仲の良い兄妹だ、最愛の妹の死に、心には大きな空洞が生じただろう。その空洞に付け入った者がいるのだ。悪魔に変貌させる毒を吹き込んだ何者かが。


阻止しなくては。女神のようなアニェスをこのまま死なせてはならない。リオネルを悪魔にしてはならない。


「……旦那さま。アニェスさまのご病気を治す方法は、全くないのですか」


「あるにはあるが…」


「にゃっ!? あるんだったら、なぜ、それをやらないのです?」


「実現不可能だからだ」


「実現不可能…」


「医者からは、毒の後遺症の進行を止め、更に改善させ得る唯一の薬草がある、と聞いた」


「薬草ですか…薬草には詳しくないからなあ。何と言う薬草なのですか?」


「白月草、だそうだ」


「……聞いたことないな」


「そりゃ、そうだ。聖獣ホワイトドラゴンが棲まうペレーズ山の山頂にしか生えない、幻の草だからな」


「ホワイトドラゴン…!」


ペレーズ山は、夏でも猛吹雪が吹き荒ぶ魔の山だ。軍を差し向けても生きて帰れる保証はない。ましてや聖獣ホワイトドラゴンが棲む聖なる山でもある。おいそれと人が立ち入っていい場所ではない。更に、裾野一帯に住む熊爪族が聖なる山を守っている。二重三重の意味で、確かに実現性は低い。


「……それでも、やらない選択肢はないでしょ!」


シルヴィアは、力こぶしを作った。


「なんだと…!? 本気で言ってるのか?」


「本気も本気。逆に、アニェスさまを助ける方法がわかってて、なんでやる前から諦めるんですか」


「なんで…って、ペレーズ山だぞ、過酷な環境やホワイトドラゴン、それを守る獣人族がいて…」


「それがなんだって言うんですか。人一人の命がかかっているんですよ」


「……」


「別に、旦那さまに一緒に来ていただこうとは思っていません。私とフランベルジュとで、その白月草とやらを採ってきます」


「はあ!? なんでボクが行かなきゃいけないのさ」


驚いたのはフランベルジュである。全く他人事と聞いていたので、急に己の名前が出て、飛び起きた。


「ホワイトドラゴンさまとは顔なじみなんでしょ、前に聞いたことあるもん」


「それは、そうだけど…」


「だったら、いいじゃない、協力してよ」


「ホワイトドラゴンは気位が高いから、ボクが行ったって、話を聞いてくれないかもよ」


「そこは、ほら、蛇の道は蛇、というでしょ」


「……言ってる意味、わかんないんだけど」


「シルヴィア、ありがとう!」


いきなりリオネルが両手を握った。シルヴィアは、真っ赤に頬を染めた。


「お前の言葉で、目が覚めたよ。確かに、やる前から諦めるなんてバカな話はない。俺も一緒に行くぞ」


「にゃっ…で、でも、旦那さまは、皇帝家の大事な皇子さまだし、危険な目に合わせるわけには―」


リオネルの黒い瞳の中で、強い光が渦を巻いて光り輝いていた。


「それこそ、バカ言え、だ。何の義理もないお前が妹のために命を張ってくれるというのに、黙って見ていられるか。―そうさ、誰が何と言おうと、絶対に俺も一緒に行く!」

【裏ショートストーリー】

アニェス「よりによって、お義姉さまのいる目の前で発作が起こるなんて…びっくりさせてしまったかしら」

ソフィ「そうですね。驚いてはいらっしゃいましたが、取り乱されるようなことはありませんでした」

アニェス「見られた…わよね?」

ソフィ「とっさにタオルを丸めたのですが、おそらくは」

アニェス「あ〜、どうしよう。こんな病身の義妹、重荷だと思われないかしら」

ソフィ「姫さまは、お気にし過ぎです。妃殿下は懐の深いお方と拝察いたしました」

アニェス「せっかく楽しみにしていたのに、中途半端に終ってしまって…自分の身体が恨めしい」

ソフィ「姫さまのせいではございません。私が至らないばかりに…毒物を見抜けなかった私の全責任でございます」

アニェス「それは言わない約束よ、ソフィ」

ソフィ「……はい」

アニェス「次こそは、体調を万全に整えて、お義姉さまとゆっくり話してみたい」

ソフィ「しばらくはリオネルさまがお許しにならないかと」

アニェス「……で、しょうね。今度は、私からお義姉さまの部屋にお邪魔しようかしら」

ソフィ「姫さま! なりません。どうか、お身体をお慈しみくださいますよう」

アニェス「わかっているわ。しばらくは大人しくしているわ。……しばらくは、ね」

ソフィ「……」

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