第118話 お見舞いとお見舞い
「シルヴィアさま!?」
マノンはベッドから飛び起きた。
「そのまま、そのまま」
苦笑いしながら、シルヴィアは手で押さえる仕草をした。
大怪我をしたマノンの療養のため、ギュスターヴに紹介してもらった医院の病室である。城館のお抱え医師の知り合いだという。
お抱え医師に預けなかったのは、サイノスを始めリオネル軍の傷病者の治療を任せていたからだ。マノンが紅烏団の団長だと知っているのは、シルヴィアのほかリオネルとアニェスしかいない。万が一にも、シルヴィアの侍女マノンが戦場にいることを知られてはならない。
「わざわざお見舞いに来てくださったのですかぁ?」
「マノンが怪我をしたと聞いたら、そりゃ居ても立ってもいられないわよ」
「申し訳ありませぇん」
「具合はどう?」
「おかげさまで、だいぶ良くなりましたぁ」
マノンは、お人形のような愛らしい笑顔を浮かべた。右脚には添え木がしてあり、包帯でぐるぐる巻きにされていた。
「……良くなったとは、言えないようだけど」
「へへへっ。私としたことが、ヘマをしましたぁ」
「相手は誰なの?」
「敵の諜報団『ブラックキャッツ』団長です」
すぅっ、と、マノンは藍色の瞳を細めた。
「ラーミナ・エスパーダと名乗る、猫耳族の女でした」
「にゃっ!? 猫耳族!?」
シルヴィアは金色の瞳を瞠った。
「とんでもない手練で、少なくとも剣術は互角でした。油断したつもりはなかったのですが、組み合っているうちに崖下に落ちてしまって―」
マノンは唇を噛んだ。
「落ちたときに頭を打ったようで、しばらく気絶していました。気がついたときにはラーミナはいなくて、とにかく身を守るため藪の中に潜んでいたのです」
「―ごめんなさい。同族が不始末をしてしまって」
「えっ…!? シルヴィアさまが謝られることではないでょう? それとも、ご親戚とか?」
「いいえ。聞いたこともないわ」
「だったら―」
「でも、同じ猫耳族として、申し訳ないの。本当にごめんなさい」
「……ふふっ。ふふふっ!」
頭を下げるシルヴィアをしばらくジロジロ見回していたマノンは、やがてお腹を抱えて笑い出した。
「何よ。そんなに笑うことないでしょ」
「申し訳ありません。―でもシルヴィアさまは、ホントに変わっていらっしゃる。いちいち同族の犯した罪を謝罪していたら、きりがありませんよ」
「だって、ホントに申し訳ないと思ったから…」
シルヴィアは、片頬を膨らませて不満を表明した。
「ふふっ。―ありがとうございます。私のようなものにまでお気遣いくださって。そのお気持ちだけで充分でございます」
「何を言ってるの。マノンは私の大事な大事なお友だちわ」
「……」
(私なんか、相応しくない。太陽のようなシルヴィアさまの友などと…)
これまでの生き方を悔やんだことは一度もない。しかし、今だけは、汚れ切った自分を恨めしく思った。
もし、ただの侍女であったなら、何の懸念もなくシルヴィアに仕えることができただろう。友と呼ばれて、心から嬉しく思っただろう。
(……でも、仕方ない。これが私なのだから)
「―シルヴィアさま。私がこんな状態なので、一時的に紅烏団の指揮をファニーに預けました」
「そう…」
「煌豹団の仕事もあるでしょうが、しばらくファニーをお借りします」
「そんなこと、いいわ。もともと、あなたに諜報員として教育してもらったのだもの。いくらでも使って」
「ファニーは、優秀な諜報員ですよ。安心して、仕事をまかせられます」
「私もそう思うわ。ファニーを育ててくれて、ありがとう」
太陽のような輝く笑顔が弾けた。マノンは、それをまぶしそうに見つめるのであった。
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「サ、サイノス〜。き、来たよっ」
ミラベルは、サイノスの寝ているベッドへ飛びついた。
「うわっ、ミラベル、気を付けてくれ」
サイノスは大げさに体を避けた。右腕は相変わらずがっちり固定したままだ。
ここは、ギュスターヴのお抱え医師の病院である。ギュスターヴのお声がかりの患者なので、個室をあてがわれているが、他の傷病者は大部屋に入院していた。
「ミラベルが怪我した腕に飛びつくわけねえだろ」
苦笑いしながらエーヴが箱をベッド脇のテーブルに置いた。
「これ、差し入れ。果物セット。サイノスは、花より食いもんのほうがいいと思ってな」
「すまない、エーヴ。本当は入院なんかしたくなかったんだが、セリーヌの命令では仕方ない」
「複雑骨折しているんだから、入院は当然だろう」
サンドラがもう一箱をテーブルに置いた。サイノスへのお見舞いは、普通の二倍ということらしい。
「……サンドラ。そのう…お前が大変なときに側にいられなくてすまない」
サイノスが、申し訳なさそうに言った。
「いや、いいんだ。私は既に吹っ切れた。むしろサイノスの方が大変だったろう。その腕で、相手の隊長を倒したんだからな。今回の武勲第一だ」
「……ジュスタンは、いないのか」
サイノスは辺りを見回す素振りをした。
「こ、声はかけたんだよ。で、でも、用事があるからって、フ、フラれちゃった」
ミラベルは、包帯でぐるぐる巻きの右腕を興味深そうに見つめながら言った。
「そうか…」
「なんだァ、サイノス。ジュスタンがいなくて寂しそうじゃんか」
「別に、そういうんじゃない」
エーヴに言われて、サイノスは顔を背けた。
「ふんっ。ムリすんな。ジュスタンが抜け駆けして一人でお前を見舞ったそうじゃねえか。そのとき、仲良しになったんだろ?」
「……!」
「エ、エーヴ。そ、それ、ほんとう?」
ミラベルがエーヴに抱きついた。
「ホントさ。わたしの情報網に間違いはない」
「へえー。やっぱりかぁ。ジュ、ジュスタンって、思ってたより、な、仲間想いの、と、とっても良い人だよ。こ、この頃、そう思うんだ」
「あんなしゃらくせえヤツはいねえぜ。もっと素直になりゃ、人から誤解されねえのによ」
「それがジュスタンなのだろう。あいつの言葉は額面通りに受け取らないほうがいい。―それで、サイノス。その腕、手術するのだろう?」
サンドラの問いに、サイノスは顔をしかめた。
「ああ、そうだ。骨が4カ所も折れてるらしい。結構、大手術になると医者に言われた」
「この際だ、ちゃんと治してもらえ。『鉄拳のサイノス』の名が泣くぞ」
「それを言うなよ、サンドラ。変な二つ名がついて困ってるんだ」
「困ることはねえだろう。勲章みてえなもんだ」
「エ、エーヴの言う通りだよ。カ、カッコいいと思うよ。ジュ、ジュスタンは『天弓のジュスタン』だし、サ、サンドラは『竜槍のサンドラ』だしね」
「わ、私こそ、そんな二つ名はいらない」
「照れるなって、サンドラ。みんな、いいよなー。ミラベルはもともと『ブラッディ・ドール』っていう二つ名があるし、なんでわたしだけ、ねえんだ?」
「し、知らないよー」
「なあ、わたしの二つ名も考えてくれよぉ」
「……二つ名って、催促してつけてもらうものじゃ、ないだろう」
「そんな寂しいこと言うなよ、サンドラ〜」
「それじゃ、私の竜槍をやるよ」
「……あのな。わたしは槍は遣えねえんだけど」
「これから学べばいい―む!?」
「ん? どうした?」
急に口元を押さえて黙り込んだサンドラに、エーヴは眉をひそめた。
「ご、ごめん。ちょっとトイレ―」
逃げるように病室を飛び出していった。
「……何だ、あいつ?」
エーヴは、小首を傾げながら後ろ姿を見送った。
「―こらっ、ミラベル! 何をするんだ!?」
突然、サイノスの野太い悲鳴が上がった。振り返ると、ミラベルがガチガチに固めた右腕に落書きをしているところだった。
「面白えことしてるな! わたしも混ぜろ! 一発お見舞いしてやる!」
爆笑しながら、エーヴは参戦した。
賑やかな声が病室から溢れ出した。
一方。
「―ゲーッ!」
洗面台に顔を突っ込んだサンドラは、ゆっくりと顔を上げた。青ざめた美女が鏡から見返してくる。ハッとして、お腹を押さえた。
「―ま、まさか…」
やがて困惑の色が美女を染め上げていった。
【裏ショートストーリー】
看護婦「先生っ。110病室の患者さん、どうにかなりませんか!?」
お抱え医師「どうにか、って、どういうことだね?」
看護婦「毎日毎日見舞い客が来て、大騒ぎしていくのですもの。他の患者さんのいい迷惑なんです!」
お抱え医師「そうは言ってもだね、ギュスターヴさまのご命令でお預かりしている方だから、私の一存では…」
看護婦「そんな気弱なことを仰らないでください。お医者さまなんですから、医学的見地から言うべきときはビシッと言ってくださらないと、示しがつきません」
お抱え医師「ブランシャール軍の隊長だそうだから、見舞い客が多いということは、それだけ人気のある隊長さんなんだろう。大目に見てあげてよ」
看護婦「何とお甘い! ブランシャール人は、残忍で酷薄だと伺っています。どうせ、あの患者だって、ロクでもないただの人殺しです」
お抱え医師「……彼は犬牙族だけど」
看護婦「ブランシャール軍に所属しているのだから、同罪ですわ」
お抱え医師「しかし、リオネルさまは、市民への略奪や暴行を厳に禁止しているというよ。実際、昨年の占領のときも、そういったことは一切なかったし、戦で亡くなった兵の遺族には補償金まで支給した。巷で言われているほど残忍でも酷薄でもないと思うけど」
看護婦「そんなの、たまたまですわ。腹黒いブランシャール人のやることですもの、きっとガイヤールの交易の利でも狙っているのでしょう。今は私たちを手なずけるようとしているだけで、そのうち牙を剥くに決まっています」
お抱え医師「……」
看護婦「お願いしましたよ、先生。ちゃんとご城主さまに申し上げてくださいね」
お抱え医師(本当に残忍で酷薄な連中なら、初めから城主さまご家族を追放して、ガイヤールを乗っ取っていると思うけど)




