第116話 闇のゆくえ
それから間もなく、全軍に通達が出された。それは、
『これより全軍、ガイヤール城へ向かうべし』
というものであった。先には本軍を探して合流する、というものだったはずだが、突然の方針変更にも、リオネル軍は混乱することなく淡々と準備を進めた。
出発に先立って、戦死者を丘に埋葬し、ごく簡単な弔いを行った。戦地ということのほか、できるだけ急いでガイヤールに着きたい事情があったからだ。それは、マクシムに悟られないためであることは、言うまでもない。
弔いの際サンドラは、バスティアンの白銀の髪を一房切り取り、大事そうに胸元にしまった。ひとしきり、参列者の涙を誘い、それぞれの想いを胸に丘から降りてくると、ある人物がシルヴィアを待っていた。
「あら、ファニーじゃないの。どうしたの?」
「お弔いが終わるのをお待ちしておりました、シルヴィアさま。緊急事態につき、失礼いたします」
ファニーは、そっと猫耳に耳打ちした。
「……えっ!?」
顔色を変えたシルヴィアは、とっさにリオネルを探した。
「ファニー、一緒についてきて」
「はっ」
シルヴィアは、アニェスと何やら話し込みながら丘から降りてくるリオネルに急いで近づいた。
「―ん? どうした、シルヴィア?」
「お耳を」
リオネルにそっと耳打ちする。聞いたとたん、リオネルも顔色を変えた。すぐに大声で呼ばわる。
「―伝令!」
「はっ」
「全軍、その場で待機。指示を待て」
「ははっ」
「シルヴィア、アニェス。こっちへ。―ああ、ええと、お前は確か、マティスでシルヴィアがとっ捕まえた元盗賊の…」
「ファニーと言います」
畏まっているファニーに代わって、シルヴィアが答えた。
「おお、そうだった。ファニーも一緒に来い」
リオネルは三人を連れて誰もいない大きな桑の木の根元で立ち止まった。
「―マノンが行方不明とは、どういうことだ?」
リオネルがシルヴィアに尋ねた。
「あ、いえ、正確には行方不明だったマノンを発見したんです」
「でも、行方不明とは、初めて聞いたぞ」
「申し訳ありません。私も初耳で」
「おい、ファニー。状況を説明しろ」
「……」
問われても、ファニーは、畏まったままである。
「……」
リオネルは、問いたげにシルヴィアを見た。
「ファニー。旦那さまがご下問なさっているわ。説明して」
「でも、シルヴィアさま。あたいのような下々の者が高貴な皇族の方と直接言葉をかわすなんて、そんな罰当たりなことできません」
「あのね…」
シルヴィアは、呆れて頭を抱えた。
「あたしとは、バンバン話してるじゃない。四の五の言ってないで、直答しなさい。これは命令よ」
「ははっ。―二日前からマノン団長と連絡が取れなくなったため、諜報団総出で捜索。昨日、森の崖下にて意識朦朧とした団長を発見、保護いたしました」
「森の崖下…? なんでそんなところにいたんだ?」
「保護した際、『ブラックキャッツ』と口にしておられました。おそらくルメールの諜報員と遭遇し戦闘に及んだ結果、転落したものと思われます」
「マノンがやられるなんて…相手は相当の手練ということよね」
「マノンは無事なの?」
アニェスが心配そうに尋ねた。
「右脚大腿骨を骨折、頭も打ったように思われます。発見当初は記憶の混乱も見られましたが、今は意識はしっかり戻っておられます」
「そう…。今はどこにいるの?」
「安全な場所で紅烏団が厳重に守っています」
「まさか、マノンがそんなことになっているとはな」
リオネルは、深刻そうに腕を組んだ。表情が暗い。二人にとってマノンは身内も同然である。それは心配であろう。無論、シルヴィアにとっても、今や姉とも想う大事な大事な娘だ。
「治療を受けさせるべきだわ。ファニー、早急にリシャールの診療所へ運ぶ手はずを―」
「待って、お義姉さま」
アニェスがシルヴィアを遮った。
「ここからなら、リシャールよりガイヤールのほうが近い。ガイヤールへ連れていってギュスターヴさまにお医者を紹介してもらいましょう」
「それがいい。ファニー。何とかしてマノンをガイヤールへ連れてこい」
「……」
ファニーは、シルヴィアを見た。シルヴィアは、大きくうなずいた。
「ははっ」
そこでようやくファニーは、頭を下げた。
「ちっ…。ファニーはシルヴィアの言うことしか聞かねえんだな」
「申し訳ありません、旦那さま」
「しかし、マノンがそんな状態じゃ、例の作戦を頼めねえぞ。ちょうどさっき、アニェスとそのことでマノンに連絡を取ろうとしていたところだったんだよ」
リオネルは、殊勝に頭を下げるシルヴィアをジロジロ見やりながら言った。
「それなら、ファニーが適任です」
シルヴィアが即答した。何やら確信めいた笑顔を浮かべている。どうやら、マノン負傷と聞いた瞬間から、思い描いていたようだ。
「ファニーが…?」
「彼女も諜報員としてかなり経験を積んできました。必ずやり遂げてくれますわ」
「しかしな…俺たちの命運がかかった大仕事だぞ」
「私が保証します。ファニーなら、大丈夫です」
「お兄さま。お義姉さまが太鼓判を押しているのですから、ここは任せましょう」
アニェスがシルヴィアに加勢した。
「……二人がそこまで言うなら…。よし! ファニーに任せよう。どうせシルヴィアの言うことしか聞かないんだろ、作戦はシルヴィアが説明しろ」
「はいっ。ありがとうございます」
輝く笑顔で礼を述べたシルヴィアは、ファニーにゆっくりと説明し始めた。
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「リオネルの動きが掴めない」
執務室の椅子の上であぐらをかいたまま、マクシムは焦燥を深めていた。
「諜報団からの報告は途絶えたままですか」
ララが形の良い眉をひそめた。マクシムは、視線を宙に彷徨わせながら言った。
「子猫ちゃんから連絡がないんだよ。こんなこと初めてだ。何かあったのかな」
「考えたくはありませんが、敵の諜報団にやられたのではないでしょうか」
「う〜ん。子猫ちゃんに限ってそんなことはない…と、言いたいところだけど、願望で物事を考えるのは厳に慎まなきゃね。判断を誤る元になる」
「と、仰りながら、やっぱりブラックキャッツを信じておられる」
「そりゃあね。でも、彼女に万が一があると困るんだよ。非常に困る」
「マクシムさまの情報元ですからね」
「まずは何事も情報なんだよ。最も大事なことさ。―どうしよう。身動きが取れない」
「私が捜してきましょうか」
「いや、だめだ。ララはここにいてよ。次の一手はララに指揮してもらうんだから」
「ですが、情報がなければ、その一手だって打てません」
「う〜ん。困った、困った」
「―マクシムさま!」
マクシムが唸って執務机に突っ伏したとき、商人が飛び込んできた。
「ご報告が遅れて申し訳ございません!」
「―ラーミナか!?」
弾かれたようにマクシムが立ち上がった。
「はっ。団長からの伝言にございます!」
「待ってたよ〜。ずいぶん長いこと音信不通で、心配してたんだ。―それで?」
み空色の瞳に喜色を浮かべながら言った。
「我、敵諜報団の団長と直接接触し、戦闘に及ぶも共に崖から転落―」
「ええっ!?」
滅多に驚かないマクシムが悲鳴に近い声を上げた。
「頭部強打、左腕左脚骨折のため暫く身動きが取れず、ご報告が遅れしこと、深くお詫び申し上げます」
「なんてことだ!」
マクシムは、頭を抱えた。
「道理で連絡がないわけだ。―それで、ラーミナは今どこに?」
「安全な場所でブラックキャッツが厳重に保護しております」
「そう…。とにかく命に別状がなくて良かった。―ラーミナに伝えて。しばらく養生していて、と」
「―団長は、こう申しておりました。マクシムさまは、きっと休養をお命じになる。それではブラックキャッツの名が廃るゆえ、今まで通りご指示を賜りたい。己の身が動かずとも、分身が必ずやマクシムさまのお役に立ってご覧に入れる。―以上でございます」
【裏ショートストーリー】
ファニー「団長はまだ見つからねえのか!?」
諜報員A「へえ。一応、森を重点的に捜索していますが、未だに所在不明です」
諜報員B「どこ行っちまったんでしょうね」
ファニー「それを捜しているんだろうが、ボケがっ」
諜報員C「……お頭ぁーっ! 見つかりましたぜ!」
ファニー「えっ!? ホントか? でかした!」
諜報員C「崖下でノビているのを、ようやく発見しましたっ」
ファニー「崖下だと? 何でそんなところに…」
諜報員C「どうやら敵と闘ったみてえで。敵に見つからないように藪に潜んでたようです。余計見つけるのに手間取りやした」
ファニー「敵と遭遇だと。あのマノンさまが負けたのか」
諜報員B「いや、団長はまだ死んでねえ。死んでなきゃ、負けとは言わねえですぜ、お頭」
ファニー「盗賊の流儀、ってやつか。……とにかく、団長のところへ案内しろ」
諜報員C「へい!」
ファニー「敵がまだ近くにいるかもしれねえ。周囲を厳重に見張るんだ」
諜報員B「わかりやした、お頭!」
ファニー「行くぞ、てめえら。これ以上、団長に指一本触れさせるんじゃねえぞ!」
諜報員B・C「へい!」
諜報員A「……すっかり盗賊のお頭に戻っちまったなあ。まあ、それでもいいか。お頭はやっぱりお頭が一番似合ってる」




