第115話 盟友と秘策
「サイノス、元気そうじゃないの」
サイノスは、入ってきた人物を認めたとたん、嫌そうな顔をした。傷病者用の天幕である。右腕は、添え木やら包帯やらでぐるぐる巻きにされ固く固定されている。
ジュスタンは、ベッドの脇に立った。何やらニヤついている。
「……嗤いにきたのか?」
「相変わらずひねくれてるなー。慰めにきてあげたのに」
「顔に嘘と書いてあるぞ」
「失敬だなあ。同僚を嗤ったりしないよ。ましてや、今じゃきみは『鉄拳のサイノス』だ。リオネル軍内で既に有名人だよ。―僕の次に」
「ちっ…」
この男は、嗤いに来たのでなければ、からかいに来たのに違いない。皆、態勢の立て直しで忙しくしているだろうに、何を油を売っているのか。
「敵の隊長を左腕一本で倒したそうだね。さすが『鉄拳』、腕自慢なだけはある」
「―俺を暇つぶしの相手にするな」
「……サンドラのことは、聞いた?」
「あ? ……遺体安置所に籠もったきり、バスティアンから離れない、とは聞いたが」
「エマさまが説得してくれて、ようやく出てきたよ」
「そうか…」
「すっかりやつれてしまってね。見ていて胸が痛む」
「……」
ジュスタンは、あらぬ方を向いている。髪と同じ翠色の瞳は、いったい何を見つめているのだろう。
「バスティアンを連れて行くな、とエマさまに喰ってかかったらしいけど、何とか埋葬することを肯んじたんだって。姉の力は偉大だね」
サンドラには、シルヴィアでさえ手を焼いていたとミラベルから聞いていた。もしかしたら、シルヴィアがエマに説得を頼んだのかもしれない。
「……人は死ぬ。誰も免れない運命だ。誰でもわかってることだけど、やっぱり哀しいよね」
ジュスタンは、いつになく真剣な顔をしていた。普段のチャラチャラした様子は影を潜めている。
「人が哀しむのを見るのは、嫌だ。そんなもの、見たくない。僕は、みんなと一緒に笑ったりけんかしたり、大騒ぎしながら楽しく生きていきたいんだ。哀しいのは、嫌だ…」
「……!」
翠の瞳に光るものがあった。
正直、驚いた。友人の悲哀を我が事のように想い涙するとは。ジュスタンにもこんな一面があったのだ。
思えば、この男のことを何も知らない。ミラベルもそうだが、自分のことは話そうとしないのだ。どこで生まれ、どんな環境で暮らし、どんな想いで生きてきたのか、まるで知らない。
初めて、ジュスタンという男を知りたいと思った。理解したいと思った。
(―なぜ、って、仲間だから。友だちだから)
「……じゃあね、サイノス」
一度後ろを向いた。そして、振り返ったときには、いつものチャラチャラとしたジュスタンに戻っていた。
「早く元気になってよ、サイノス。また、仲良くけんかしよう。けんか相手がいないと、つまんないよ〜」
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「集まってもらったのは、ほかでもない、今後の戦略のことだ」
招集を受けて、大隊長はリオネルの天幕に顔を揃えていた。
「エマ。頼む」
「はい」
エマは、全員をゆっくりと見回した。両目が赤く腫れている。妹サンドラと、小一時間泣き通したらしい。サンドラを説得してくれたエマに、シルヴィアは深い謝意を示した。
「例の作戦を発動します」
「あれは、最後の切り札だろ? もう使っちまうのか」
トリュフォーがスキンヘッドを撫でた。
「天馬隊のおかげで森を脱出できたといえ―」
エマは、シルヴィアに目礼した。シルヴィアは、輝く笑顔で応えた。
「全軍の約二割近くを失いました。―ルメール軍にはそれ以上の打撃を与えましたが」
エマは、凄みのある笑顔を浮かべた。
「それでも、2万以上の敵が残っています。後ろにはロワイエの1万。本軍の様子もわからない。切り札を切るのは、今です」
「でも、エマは、発案した当人のくせに使うのを嫌がっていただろう? どういう心境の変化があった?」
ギーが尋ねた。左目には、エマを慮る色が濃く現れている。
「心配してくれてありがとう、ギー。でも、いいの。戦術で彗星に勝ちたい、という単なる私のわがままだから。今回のことで、私では到底太刀打ちできないことがよくよくわかったわ」
エマは、紺碧の瞳を伏せた。きっとそれには悔恨が溢れているのに違いない。それを見られないように伏せたのだろう。
「私のわがままのせいで、大勢の大切な仲間を失ったわ。これ以上、犠牲を出したくないの」
「エマが納得しているなら、構わないが」
やはり、ギーの心配そうな眼差しは消えない。ギーは何かを感じているのだろう。
「……とにかく、切り札は進めるとして、効果が出るには時間がかかる」
リオネルが話を引き取った。
「当面は、本軍に合流して行動を共にする。俺たちだけでいるのは危険だ。どれだけ本軍に兵が残っているかわからんが、固まって規模を維持したほうがいい」
本軍の行方の探索など、細かいことを決めると、会議は解散となった。
「……エマさま。途中まで一緒に戻りましょ」
シルヴィアは、下を向いて歩くエマに並んだ。
「エマさま、サンドラのこと、本当にありがとうございました」
改めて礼を述べた。エマは、力無く首を振った。
「いいえ、私など、大した力添えもできませんでした」
「そんなことないわ。安置所から出てこられたし、埋葬も同意してくれた。エマさまが説得してくださったからだわ」
「……バスティアンには悪いことをしたと思っています。サンドラにも辛い思いをさせてしまった。戦術家だなんて大きな顔はもうできないわ」
「そんなにご自分を責めてはいけません。切り札だって、誰にも思いつけないようなとてつもない戦術の一つだと思いますよ」
「あんなもの、戦術でもなんでもない。卑怯で姑息なただの悪知恵です」
「……」
すっかりエマは自信喪失してしまったらしい。相手が悪過ぎたのだ。ここまで生き延びられたのは、エマの手腕だと思っている。エマでなければ、とっくに彗星に呑み込まれていただろう。
しかし、今のエマに美辞麗句を連ねても、耳を傾けてはもらえまい。こうと思い込んでしまうと人の話を聞かなくなるのは、サンドラにそっくりである。
(……何か、エマさまの助けになることは、ないかな…? 何か自信が取り戻せるような、何か…)
「あっ…!」
突如、閃いた。天啓とは、このことを言うのだろう。
「エマさ―」
うつむき加減のエマに声をかけようとして、ハッと口をつぐんだ。
(私が今、これを伝えたら、かえって逆効果だわ。ここは一つ、芝居を打って―)
「―ねえ、エマさまぁ〜。ガイヤールのギュスターヴさまは、私たちが劣勢なのをいいことに、ルメールに乗り換えるのじゃないかしら〜?」
……芝居が下手過ぎである。
「えっ…!? ギュスターヴさまは律儀者です。そんなことはしませんよ」
「そうかなあ。言っても彼はルメール人だし、ルメールを裏切って旦那さまの配下になった方よ。また裏切るかもしれないじゃな〜い」
「何をバカなことを。シルヴィアさまのお言葉とも思えません。裏切るなら、さっさとしています。それをまだしていないのですから、裏切るはずがありません」
「でも、誰も見ていないし〜。ほんとに裏切っていないかなんて、確証がないわぁ」
「……」
「私、とおっても心配。確かめる良い方法はないものかしらねぇ。使者を送っても時間がかかるしぃ。すぐに確かめて安心したいなぁ〜。私、頭が悪いから思いつかなぁ〜い」
「それなら、直接会って確かめるのが一番手っ取り早いです。もともと、ルメールに入ったらすぐにガイヤールへ向かうつもりだっ―」
言いかけて、エマは突然立ち止まった。紺碧の瞳がギラギラと光っている。
「―そうだわ! そうよ、何で気が付かなかったんだろう。切り札にだって、その方が効果的じゃない! ―シルヴィアさまっ」
エマは、シルヴィアの両手を握った。
「急いで戻りますよ!」
「戻るって、私たち、隊に戻る途中ですよ?」
「そっちじゃ、ありませんっ。リオネルさまの天幕です! もう一度、会議を招集していただきましょう。―さあ、急いでっ。彗星に勘付かれたら、どんな手を回してくるかわからないんですから!」
エマはシルヴィアを手を引いて走り出した。
(……あはっ。良かった。少しは元気が出たかな?)
エマの背中を見ながら、シルヴィアは独りそっと微笑むのであった。
【裏ショートストーリー】
ジュスタン「サンドラがお籠りから出てきたのは、聞いた?」
エーヴ「とっくに聞いたよ」
ジュスタン「良かったね」
エーヴ「何が?」
ミラベル「な、何が…って、サ、サンドラが戻ってきたのよ。よ、良かったに決まってるじゃない」
ジュスタン「あ、いや、ミラベル。エーヴが言いたいのはそういうことじゃなく…」
エーヴ「それ以上舌を動かしたら、マジで殺す!」
ジュスタン「……はいはい、友だち想いのエーヴさん。わかっていますとも」
ミラベル「?」
エーヴ「クソがっ」
ミラベル「……ねえ、エーヴ。た、隊を再編する、っていう、う、噂が流れているけど、ほ、ほんとかな?」
エーヴ「サンドラが使い物にならなかったら、再編するつもりだったらしいぜ、セリーヌは」
ミラベル「えっ!? そ、そうなの?」
ジュスタン「でも、サンドラは戻ってきた。それに、イザクがセリーヌに直談判したしね」
ミラベル「直談判…?」
ジュスタン「例えサンドラがいなくても、自分が中隊を指揮するから解隊するな、ってね。野心家イザクの本領発揮だね」
エーヴ「……本当は、そんなこと思ってもいないくせに」
ジュスタン「えっ!?」
エーヴ「もう一年も一緒にいるんだ。ジュスタンの思考パターンくらい、わかるよ」
ジュスタン「べ、別に…僕は…あっ! 急に用事を思い出した。じゃあ、綺麗なお姉さま方、またね〜」
ミラベル「……に、逃げた…」




