第114話 生きた証
エマがつかつかと天幕へ入ってきた。
「お待ちください、アニェスさま。その役目、私が承ります」
「にゃっ!? ダメよ、エマさま。下手をしたらサンドラに憎まれるわ」
「構いません、シルヴィアさま。どうせ初めは殺したいと思うほど憎まれていたのですから」
「エマさま…」
「妹の不始末は、姉である私が償います」
「そんな…不始末だなんて、そんな言い方をしたらサンドラが可哀想」
「いいえ、不始末です。現にこうして上司であるシルヴィアさまやアニェスさまを困らせている。それに、リオネル軍の軍務を預かる身として、このままサンドラのわがままを見過ごすわけには参りませんので」
シルヴィアは、アニェスと顔を見合わせた。
「遺体を目の前にして側を離れないなど、言語道断。そのまま放っておけば、遺体は腐敗が進みます。そこから感染症が軍内に蔓延したなどよくある話です。衛生面から言ってもこのまま放置できない」
「理屈はわかるけど…」
「ここは、力付くでもサンドラを引き離します。いや、ご心配なく。姉だからこそできることだと心得ておりますので」
「……進んで悪者になろうというのね?」
「ええ…。私は、今回のことで嫌というほど自分の愚かさが身に沁みました。バスティアンのことも、遠因は私にあります。彗星の策略を見抜けなかった、私の責任です」
「それは違うわ!」
シルヴィアは、強い口調で否定した。
「天馬隊に殿を命じた私の責任です。誰も悪くない。誰も悪くないのです」
「あらあら。これでは水掛け論ね」
アニェスがわざと明るい声で言った。
「お二人とも、永遠に責任論を論じるおつもり? 究極的には、軍の全責任は団長たるお兄さまにあるのよ。お二人は、お兄さまを罰するというの?」
「それは…」
「ふふっ。わかっているわ、お義姉さま。みなまで言わないで」
ふっ、とアニェスは真面目な顔に戻った。
「―では、この件に関してはエマに一任します。頼みましたよ」
「はっ」
エマは、一礼して出ていった。
「……これで良かったのかしら」
シルヴィアは、心配そうに出入り口を見つめた。エマの背中がまだそこにあるかのように。
「エマさまも辛いはずだわ。妹想いのお姉さまですもの」
アニェスは、大きくうなずいた。
「そうですね。―信じて待ちましょう。エマなら必ず結果を出してくれるわ」
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「申し訳ありません、リオネルを討ち漏らしました」
ララは、深々と頭を下げた。
「いいよ、いいよ、そんな謝らなくたって」
マクシムは、人懐っこい笑顔を浮かべた。
「いえ、マクシムさまの策略を具現化するのが我等の役目。それをしくじったのです。万死に値します」
「大げさだよ。人は失敗する生き物だ。失敗のたびに罰していたら、人がいなくなってしまうよ」
「マクシムさま…」
「現に僕の策略が完璧なら討ち漏らしはしない。シルヴィア妃殿下の天馬隊の実力を見誤ったのは僕の責任だ。万死に値するのは、僕の方さ」
「―本当に申し訳ございません」
ララは唇を噛んでうつむいてしまった。それを横目で見ながら、マクシムは努めて明るく言った。
「それにしても、天馬隊の活躍は凄かったねえ。子猫ちゃんから聞いたけど、無双の戦士がゴロゴロいるんだって? シルヴィア妃殿下はどうやって集めたんだろ。中でも犬牙族の若者、何て言ったっけ?」
「……サイノスです」
「そうそう! そのサイノス。まさか、エテルナが力勝負で負けるとは、思いもしなかった」
「……無念です」
「……エテルナの具合は、どう? 顔面を殴られたんだって?」
「右顎の骨折、右眼窩底の骨折だそうです」
「あちゃ〜。聞いただけでも僕の顔まで痛くなるよ」
「それでも、命が助かっただけ、ましです。普通なら顔の骨すべてが砕けて死ぬそうですから」
「エテルナが人一倍頑丈な女で良かった」
「……マクシムさま、言い方。それでは乙女心が傷つきます」
「乙女ねえ…」
「何が言いたいのです?」
「別に何も」
「……とにかく、罰は後で受けるとして―」
澄まし顔のマクシムに、ララは、大きなため息をついた。
「結果的にリオネルを逃がしてしまいました。今後は、いかがいたしましょうか」
「そうだねえ。まだロワイエは落とされていないし、挟み撃ちもできる。やりようはいくらでもあるさ」
「マクシムさまなら、そうでしょうね」
「実際、森のルートを選んでくれて良かったよ」
「は…?」
「だってさ、エマにはコルディエ川を渡る選択肢もあったんだよ」
「……よくわかりませんが」
「何もグレゴワール本軍と行動を共にすることはないじゃない。川を氾濫させたのは丘陵側だけなんだし、少し遠回りだけど、ミュレールから真っ直ぐ川を目指して渡河してしまえば、そこからガイヤールを目指せるよ」
「あっ…! なるほど」
「その手を使われてしまうと、どうにもならなかったんだ。しかもだよ、ガイヤールから大河オランドを使ってシメオンを直接狙い撃ちされたら、終わってた。こっちは全兵力をミュレールに集めちゃってたからね」
「……恐ろしい方です、マクシムさまは。味方で良かったと、心から思います」
「エマもそこまでは思いつかなかったみたいだね。残念だよ〜」
「……そこは、『良かったよ〜』、でしょう?」
「……それ、まさか僕のモノマネ? 似てないんだけど」
「おちゃらけている場合ではありません、マクシムさま。次の作戦のご指示を。エテルナは当分復帰できないのですから」
「……自分からふざけといて、僕を責めるなんてヒドい」
「文句言わない!」
「ちぇっ…」
舌打ちしながら、しかしマクシムは、み空色の瞳をきらきらさせながら遠くを見つめた。ルメールが誇る頭脳がフル回転し始めたのは、明らかだった。
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「―サンドラ。入るわよ」
背中を向けたままのサンドラは、エマの呼びかけに応えない。
エマは構わずサンドラの隣に立った。
「バスティアンの遺体をこの丘に埋めるわ。いいわね」
「……」
それでもサンドラは、ピクリとも動かない。エマは、バスティアンの遺体に手をかけた。
「……嫌ぁぁーっ!」
突然叫んだサンドラは、バスティアンに覆い被さった。
「連れていかないでーっ!」
「ダメよ、サンドラ。遺体はすぐに腐敗するわ。バスティアンの尊厳にも関わる。丁重に葬って供養することが―」
「バスティは、死んでないっ! 今は眠っているだけよっ。そのうち起きるから、このまま寝かせてあげてよ」
「……バスティアンは、死んだの。わかっているでしょ。わがままは許さない」
「嘘つきっ!」
サンドラは、白藍の髪を振り乱しエマを睨みつけた。
「みんなみんな嘘つきばっかり。バスティは死んでない。なんでみんな私に嘘つくの? バスティは、私を幸せにするって約束してくれたわ。私はまだ幸せになってない。だったら、起きて私を幸せにしてくれるはずよっ! だから、連れていかないで!」
「サンドラ! あなた、これまでバスティアンと過ごした時間は幸せじゃなかったと言うの?」
「―!」
「ヒドい娘ね。バスティアンが可哀想だわ、こんな薄情な娘を好きになったなんて」
「……だって、たった3ヶ月よ。バスティと付き合い始めてまだ3ヶ月しか経ってないのよ。それなのに幸せだったと思えなんて、それこそ酷いわ」
「だからこそじゃないの。バスティアンは、幸せだったと思うわ。あなたのことが好き好きで、やっと想いを遂げて結ばれたのじゃないの。あなたに幸せじゃなかったなんて言われたら、悲しむわ。そんなこともわからないの?」
「だって…だって…」
サンドラはバスティアンの冷たい胸の上で泣き崩れた。エマは、そっと背中に手を置いた。
「バスティアンをゆっくり寝かせてあげましょ。彼には休息が必要だわ。これまで全力で駆け抜けてきたのだもの」
「……」
「わかるわね、サンドラ。ほかにも大勢死んだわ。みんなを弔ってあげないと、ゆっくり眠ることができない―」
「―エマにはわからないんだわ」
「えっ!?」
「どうせ私の気持ちなんて理解できないのよ。愛する人を目の前で失った気持ちなんて」
「なんですって…」
「私だけじゃない。愛する人もいないエマに、バスティの気持ちだってわかりっこない。バスティが幸せだった? ふざけないでよ。私の腕の中でもっと生きたい、私と一緒に笑ったり怒ったりしたいって、そう言って死んでいったのよ! それのどこが幸せなのよっ!」
「……」
「―もう放っておいて、お願いだから。このまま、バスティの元へ逝きたいの。バスティのいない世なんか、何の未練もない」
「……そんなの、絶対許さない」
「えっ…!?」
断固とした口調に、思わずサンドラは涙に濡れたオッドアイを瞠いた。
「そんなの、バスティアンが許すはずがない。自分が死んだ後だって、愛する人にはずっと生きていてほしい。少なくとも私は、ギーには生きていてほしいと願っているわ」
「えっ!? ギーさま!?」
サンドラは、呆然と姉の美しい顔を見つめた。
「そんなに意外? 私にだって、好きな人くらいいるわよ。こんな私だけど、ギーも私のこと好きだと言ってくれる。だから、私が先に死んだって、ギーには生きて幸せになってほしいわ。あなただって、そうじゃないの? あなたが先に死んだら、バスティアンも一緒に死んでほしいの? そうじゃないでしょ?」
「……バスティには、生きていてほしい…」
「でしょ? だったら、死ぬなんて言わないで。あなたには、バスティと過ごした時間があるわ。思い出もあるはずよ。それを胸に抱えて生きていく義務がある。それこそ、バスティアンが生きた証なんじゃないの」
「うっ…うわ〜ぁぁんっ!」
子どものように声を上げて泣き始めたサンドラを、エマは、固く抱きしめた。
「……泣きなさい、サンドラ。思いっきり泣くといいわ。私が全部、受け止めてあげる」
エマの紺碧の瞳も、涙で溢れていた。美しい顔が歪んだ。哀しみをすべて背負って、姉妹の慟哭は、いつまでもいつまでも天地を震わせ続けた。
【裏ショートストーリー】
イザク「サンドラのやつ、まだ籠もったままか?」
隊員A「ああ。バスティアンの横でぼうっと座り込んでるよ」
イザク「気持ちは、わからんでもないがな」
隊員B「新婚で旦那に死なれちゃ、そりゃショックだろうよ」
イザク「それでもやつには、元に戻ってほしい。今や、天下の『竜槍のサンドラ』さまだ。このまま潰したくねえ」
隊員A「……変われば変わるもんだな」
イザク「何がだ?」
隊員A「だってよ、サンドラがセリーヌから小隊長に指名されたとき、お前が真っ先に反対したんだぞ。実力がねえから、認められねえ、とか言って」
イザク「あんときは、そう思ったんだよ。そんな昔話、ほじくり返すんじゃねえ」
隊員A「……おっと、暴力反対!」
隊員B「今じゃ、サンドラの片腕だ。なあ、中隊長代理?」
イザク「……揃いも揃って人のことおちょくりやがって」
隊員A「なあ、イザク。実際どうする? このままサンドラが戻ってこなかったら。上の連中、隊の再編を考えてるって噂だぜ」
隊員B「俺も聞いた。天馬隊で言やあ、サイノスが当分戻れねえから、現実問題として中隊が一つ余ってる。その上サンドラまであの様子じゃ、あり得るハナシだぜ」
イザク「……」
隊員A「イザク。セリーヌに聞いてこいよ。俺たちはサンドラ中隊だ。他の隊になんか入れられたくねえ」
隊員B「そうだよ。俺たちはいつまでもサンドラを待つからよ。その間は中隊長代理が指揮すればいい」
イザク「わかった、わかった。お前らの気持ちは、ちゃんとセリーヌに伝えておく。(……サンドラ。ほんと、おめえは、サイコーの隊を作り上げたぜ! 早く戻ってこいよ!)」




