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第113話 竜槍の慟哭

サンドラは、不思議なものを見たように呆然と立ち尽くした。


目の前に立つ夫の背中から、『奇妙なもの』が生えている。


「ふんっ―!」


バスティアンは、何かを蹴り倒した。一人の兵が地面を転がった。サンドラの視界に入ったはずだが、何も見えていなかった。時間は流れを止め、ひたすら、そこにあるはずのないものを見つめ続けていた。―背中から突き出た槍の穂先を。


仁王立ちしていたバスティアンが崩折れた。サンドラに時間が戻ってきた。残酷な現実という時間が。


サンドラは、とっさにバスティアンの体を抱えた。


「……ウソ…ウソでしょ…」


「―ははっ。下手こいた。剣を投げなきゃ良かったよ」


「なんで…こんな…」


「俺のことは構わず、行け」


「嫌よ! なんでそんなこと言うの!?」


「……俺は、もうダメだ。肺をぶっ刺されちまった」


「かすり傷よ。私が治してみせる!」


「自分の体は自分がよくわか…ぶっ!?」


バスティアンは、口から大量の血を吐いた。


「バスティ!」


血で汚れるのも構わず、サンドラはバスティアンを抱きしめた。


「……サンドラ。お前との結婚を解消する」


「えっ!?」


「お前は自由だ」


「嫌っ、嫌っ、嫌っ! そんなこと言わないで! 私は一生、あなたの妻よっ」


「ダメだ。俺のせいで縛りたくないんだ。最後の願いだから、承知してくれ」


「絶対に嫌っ!」


「ああ、もっと生きていたかったなあ。サンドラと一緒にこの先も、ずぅ〜とずぅ〜と生きて、笑って、怒って…」


「もう、しゃべらないで。体に障るわ」


「……顔を…顔を見せてくれ」


「……私は目の前にいるよ」


「あは。そっか。もう目もみえなくなっちまった」


「バスティ…!」


サンドラは泣き崩れた。あたりを憚らず、戦場であることも構わず、悲痛の叫びを上げた。


「サンドラ…幸せにする約束…果たせなくて…ごめん―」


バスティアンの身体から力が抜けるのがわかった。まだこんなに温かいのに、もう二度とサンドラに笑いかけることはないのだとわかった。


バスティアンは、旅立った。愛する妻を残して。


「……バスティ!? バスティ! バスティィっっ!」


サンドラは、夫の名を叫び続けた。帰らぬ夫の名を。


「―!」


サンドラは、無意識に傍らに置いた槍を掴み、振るった。敵兵が槍に貫かれていた。いつの間にか、敵に囲まれていた。


「―うおおおおおおっっっっっ!!!」


獣のような雄叫びを上げて、槍に突き刺した敵兵を投げ飛ばした。


サンドラは、手当たり次第敵兵を屠り始めた。槍はまるで猛獣のように獲物を襲い、飽きることなく喰らい続けた。


「―サンドラーっ!」


紅いユニコーンを駆ってシルヴィアが駆けつけた。サンドラの暴れる姿を見て、一瞬立ち止まった。


「バスティアン!?」


地面に横たわるバスティアンの胸に槍が突き立っていた。


息を呑み、慌ててフランベルジュから飛び降りると駆け寄った。


「バスティアン!」


既に事切れているのは、すぐにわかった。サンドラが暴れている理由も。


「……スゲえ。竜が舞っているみたいだ」


イザクがつぶやく。暴れ回るサンドラをぼうっと見つめる。


「竜だ! あれは竜槍だ!」


周りの隊員たちが口々に叫んだ。


「『竜槍のサンドラ』だ!」


聖獣であるはずの竜は、今や復讐の魔物となって人々を呑み込んでいる。このままでは、サンドラの心が保たない。崩壊するか闇落ちするか、どちらかであろう。


「サンドラーっ! 止めなさいっ!」


シルヴィアは怒鳴り付けた。それでもサンドラは殺戮を止めない。そう、それはまさに殺戮だった。逆鱗に触れた愚かな人間を滅ぼすまでやまない殺戮の嵐。


「くっ…!」


シルヴィアはサンドラにしがみついた。サンドラは振り返った。悪魔のような顔でシルヴィアを睨みつけた。一瞬、ループする前の悪魔と化したリオネルを思い出した。


「ダメーッ! サンドラっ、ダメよーっ!」


見境なくシルヴィアに槍を振るおうとしたサンドラは、急に動きを止めた。生き残った敵兵たちは、わっと崩れて逃げ出した。


「……!」


オッドアイから、涙が滂沱と溢れてきた。美しい顔が悲痛で歪んだ。わなわなと身体を震わせると槍を取り落とした。


「サンドラ…ごめん…ごめんね」


シルヴィアは、泣きながら謝っていた。


「……わぁーっ!」


サンドラは、シルヴィアにしがみつきながら声を上げて泣き始めた。その声は、森すべてを震わせ悲哀の檻へと閉じ込めていくのであった。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


リオネル軍は、這々の体で森を脱出した。


予想以上の大軍で待ち伏せていたルメール軍によって、窮地に陥ったリオネル本軍は、急遽駆けつけたギーの飛竜隊によって態勢を立て直した。


縦長に伸びたリオネル軍の各個撃破を狙ったルメール軍だったが、殿(しんがり)を務めたシルヴィアの天馬隊の活躍によってエテルナ隊長以下後方部隊が壊滅。リオネル軍は、ドミノ倒し的に各隊へ援軍として加わることで、彗星ことマクシムの罠をついに撃破した。


リオネル軍は森を出ると、いったん近くの小高い丘の麓に布陣した。ルメールの追撃があるかもしれないので、念のため臨戦体制は敷いたままだ。


各隊は、被害状況の確認などに追われ、小・中・大隊長たちに休む暇などは与えられなかった。忙しく立ち働く人々の、その中で―。


独りサンドラは、臨時遺体安置所と定めた天幕に籠もって出てこようとしなかった。そこには、バスティアンの遺体もある。どうしても連れていくと聞かないサンドラのために、シルヴィアがフランベルジュに乗せて運んできたのだ。


「―サンドラの様子は、どう?」


シルヴィアは、臨時で中隊長代理を務めているイザクに尋ねた。


「変わらねえ。ずっとバスティアンに付き添ったまま、ピクリとも動かねえよ」


「そう…」


憂いに満ちた金色の瞳が悲しげに伏せられた。


「……ありがとう、イザク。小隊長の仕事もあるのに、中隊長の仕事まで押し付けちゃってごめんね」


「いや、いいんだ。正直、痛々しくてサンドラを見てらんねえし、忙しく働いていたほうが気が紛れるしな」


イザクと別れると、シルヴィアは考え込んでしまった。


実際、サンドラの扱いには苦慮していた。何度もサンドラには声をかけた。心を尽くして慰めたり励ましたりもした。しかし、その言葉は、すっかり心を閉ざしてしまったサンドラには届かない。


サンドラなら、必ず立ち直れると信じている。信じてはいるが、いったいどうすればサンドラの助けになるのかわからなかった。


こういうとき、頼れるのはアニェスしかいない。意を決してシルヴィアはアニェスの天幕を訪れた。


「……アニェスさま。お忙しいのに押しかけてしまって申し訳ありません」


「いいえ。お義姉さまなら、いつでも大歓迎です」


女神のような笑みで出迎えてくれた。なぜかその笑顔を見るだけで、心がほっとした。


「実はサンドラのことでご相談があって」


「エマの妹さんね。最近ご結婚された」


「はい。夫のバスティアンが戦死してしまって、それ以来ふさぎ込んだきり食事も摂らないの。あのままでは、身体を壊してしまうし、何より心が保たないんじゃないかと心配で」


「まあ…」


「でも、どんなに声をかけても聞く耳持たないという感じで、ほとほと困ってしまいました。ここは、アニェスさまにおすがりするしかなく、恥を承知でお伺いしました。何か良い知恵はないでしょうか」


「……なるほど。それはお困りでしょうね。新婚で旦那さまを亡くされたサンドラの気持ちもわからなくはないし」


「そうなんです。だから、余計可哀想そうで、バスティアンにじっと寄り添ったままのサンドラを見るのがとても辛いわ」


「お話を聞いただけで、私も胸が潰れる思いになります。ましてや普段親しく接しておられるお義姉さまは、いかばかりか…ご心情、お察しします。…が」


「……」


「戦で戦死はつきもの。親しい人が亡くなるたびにふさぎ込んでいては軍人は務まりません。しかも相手は彗星なのです。今回は、まさしくギリギリの戦いでした。誰が犠牲になってもおかしくなかった」


ドキッとした。アニェスの言う通りなのだ。


姉グロリアが嫁いだ世界では、ギーが戦死するはずだった。ギーを親友とも兄とも頼りにしているリオネルのため、天馬隊が殿(しんがり)を代わることで歴史を無理やりねじ曲げた。その歪みが、きっとバスティアンの死へと繋がったのだろう。今のサンドラは、リオネルの姿だったのだ。


「少々きつい言い方をしてしまってごめんなさい。だけど、サンドラには立ち直ってもらわなくてはならないわ。窮地を脱したとはいえ、この先、まだ彗星との戦いが続くのよ」


「……」


「お義姉さまは、お優しいし、直属の上司として言いづらいこともあるでしょう。ここは、私がサンドラに言い聞かせます。多少力付くでも―」


「―お待ちください!」


いつの間にいたのか、入り口でエマが仁王立ちしていた。

【裏ショートストーリー】

ミラベル「サ、サンドラ、ま、まだ籠もったきりなのかな」

ジュスタン「そうだね。何しろ結婚したばかりの旦那さまを亡くしたんだ。そりゃあ、ショックだろうさ」

ミラベル「し、心配だわ。サンドラは真面目だから、お、思い詰めなきゃいいけど」

ジュスタン「……エーヴ。君は大丈夫なのかい?」

エーヴ「……どういう意味だ?」

ジュスタン「落ち込んでやしないか、と思って」

エーヴ「ほっとけ。絶望しているサンドラを前にして、わたしがどうこう言える立ち場じゃない」

ミラベル「……な、何だか、エーヴも、げ、元気ないね」

エーヴ「……」

ジュスタン「無理しなくていいんだよ、エーヴ。泣きたいときは泣きなよ。僕の胸を貸してあげるからさ」

エーヴ「……」

ジュスタン「あれ? マジで落ち込んでるのかい? いつもなら、怒鳴りつけるところだろうに」

ミラベル「ジュ、ジュスタンって、意外といい人だよね」

ジュスタン「それ、前にエーヴにも言われた。みんな、僕のことを何だと思っているんだ。もともといい人なんだよ、僕は」

ミラベル「……そ、そういう言い方が、ご、誤解を招くのじゃないの!」

ジュスタン「……サイノスは、傷病者用の天幕にいるんだっけ?」

ミラベル「そ、そうだよ。み、右腕が複雑骨折しているんだって」

ジュスタン「『鉄拳のサイノス』の二つ名の代償は大きかった、というわけか」

ミラベル「……」

ジュスタン「……何? 何か言いたいの、ミラベル」

ミラベル「ううん。何でもない!」

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