第112話 鉄拳の栄光
「―また会うたな、サイノス」
エテルナがニヤッと笑った。犬牙族特有の牙が二本、口元から覗いた。サイノスは、かつての恋人を見据えた。
「なぜお前がここにいる? 城からの追撃軍と聞いたのだが」
「マクシムさまの指揮は、変幻自在。ララは、既にリオネルの首を獲りにいっとる」
「指揮官が二人ともここに来ているのか。峡谷の方はどうした?」
「あんたに話す義理はないなあ。一つだけ言えるんは、マクシムさまは全力でリオネルの首を獲るおつもりということだけや」
「そうはさせない。全力で阻止する」
「お互い、全力をかけた戦い、ちゅうことやな」
「手加減はしないぞ」
「当たり前や。手加減なんかしたら、あんた死ぬで」
エテルナは、グローブ型メリケンサックを握り直した。サイノスも、突起のついたカイザーナックルを両手に嵌めた。
二人は同時に動いた。唸りを上げた拳同士が激しく激突した。間髪入れずもう一方の拳も真正面からぶつかった。パワー、スピード、共に互角だった。
両者、激しい殴り合いとなった。メリケンサックとナックルが凄まじい衝突を繰り返す。空気が激しく振動し、彼らの周りに渦を発生させた。小さな竜巻のような渦は四方へ飛び、周囲の兵たちをなぎ倒した。
とばっちりを受けないよう、慌てて両軍とも二人から距離を取った。
双方、人間技とは思えない拳力の応酬を繰り広げた。それは、果てしなく続くようにも思えた。しかし、徐々に拳がずれていき、ついにメリケンサックがナックルを滑るようにかわし、右の二の腕に炸裂した。
勢いに負け、サイノスの巨体がもんどり打って地面に転がった。
一方。サンドラは、混戦の中でシルヴィアから離れてしまった。紅いユニコーンの姿は遠目で確認できるが、敵が群がり寄り、時々視界から消えてしまうほどだった。
「―くそっ。いったいどれだけ敵はいるんだ!」
周囲の敵をなぎ倒し、槍を一振りして息を整える。そこへ、イザクが馬を寄せてきた。
「サンドラ! セリーヌが孤立してる。ここは俺たちが食い止めるから、早くセリーヌの元へ行けっ」
「すまない。頼んだぞ、イザク」
サンドラは、馬腹を蹴った。紅いユニコーンを目印に疾駆する。しかし、狭い森の中だ、すぐに木々に阻まれ勢いが殺される。そこへ、木々の影から槍が突き出された。
とっさに払いのけるが、敵も次々と繰り出してくる。ついに立ち止まってしまった。とたん、敵に囲まれる。防戦一方となった。
「ぎゃっ…!?」
そのとき。紅いユニコーンから短い悲鳴が上がった。包囲されて背後から槍で尻を刺されたのだ。ユニコーンは竿立ちになった。シルヴィアはたてがみに必死にしがみついた。
一瞬、気を取られた。隙をついた槍が横から伸びた。真っ直ぐ身体を貫く!
次の瞬間、敵の槍が天高く弾け飛んでいた。
「―バスティ!?」
間一髪、バスティアンが駆けつけて間に合った。
「ぼうっとするな、サンドラ! 目の前の敵に集中しろ!」
バスティアンは、逆向きにサンドラと並んだ。
「なんで、あなたがここに―」
「俺はサンドラの騎士だから」
空色の瞳がくしゃっと崩れた。敵がまた包囲してきた。そうそう簡単に休ませてはもらえないらしい。
「いくら俺に会えて嬉しいからって、気を抜くなよ、サンドラ」
「バカ言うな。それは私のセリフだ」
オッドアイがキラキラと輝いた。
「……サイノス。腕が鈍ったんとちゃうか? 数回殴り合うただけでノビてまうなんて」
サイノスは、無言で立ち上がった。殴られた右腕は、ダランと下がったままだ。
「右腕、もう使い物にならへんなあ。片腕だけであたいと張り合えるか?」
「お前程度、片腕があれば充分だ」
「強がり言うなや。降伏せえ、サイノス。マクシムさまに口添えしたる。マクシムさまは戦の天才やで、一緒に天下を目指そう」
「笑わせるな。俺はセリーヌと共に天下を目指すと決めている」
「……セリーヌ? 誰のことや?」
「心の友だ」
エテルナの眉が跳ね上がった。
「ふ〜ん…。知らん間に好きな女ができたんか」
「命をかけてもいいと思えるほどの」
「あんたにそこまで言わせるなんてな。一度紹介せえ。ぶっ殺したるわ!」
エテルナのメリケンサックが唸りを上げてサイノスに襲いかかった。
「―うおおおおーっ!」
使い物にならなくなったはずの右腕の筋肉が盛り上がった。太い血管を浮き上がらせたそれを、肩から大きく振ってメリケンサックに叩きつけた。
「なっ…!?」
エテルナは、瞠目した。
ボキッと骨の折れる嫌な音が響いた。今度こそ、サイノスの右腕は完全に使えなくなった。だが、エテルナの拳も同じだった。メリケンサックごと潰されていた。
「……これで、片腕同士になったな、エテルナ」
凄みを効かせて、サイノスはニヤリと笑った。
「根性見せたな、サイノス。どうやら、ホンマにそのセリーヌとやらに惚れてるようやな」
「人として、な。何やらお前は勘違いしているようだが、その方は人妻だ。恋愛というような話ではない」
「不倫いうことやないか。自分の心を偽るな」
「お前もな、エテルナ。お互い、納得づくで別れたはずだ。ヤキモチを妬くということは、まだ俺に未練でもあるのか」
「自惚れるな! 誰がお前なんか!」
顔色を変えたエテルナは、剛腕を振るった。空気を切り裂いてサイノスに襲いかかった。サイノスの残る左腕が真正面から受け止めた。ほんの僅か、サイノスの勢いが上回りエテルナが押し返された。
二人の勇者の勝負の行方は、その小さな差があれば充分だった。
サイノスの左腕が伸びてエテルナの顔面にヒットした。エテルナは、文字通り吹き飛ばされて地面に叩きつけられた。鼻と口から血を噴き出したまま、ピクリとも動かない。つかの間、静寂が訪れた。
「―やった! サイノスが勝ったぞ!」
「サイノス中隊長の鉄拳が勝ったぞ!」
天馬隊から、大歓声が沸き起こった。
「鉄拳だ! 『鉄拳のサイノス』が敵の隊長を倒したぞ!」
大歓声が森の中を駆け巡った。それは、天馬隊を勢い付け、ルメール軍を怯ませた。
「……」
サイノスは、大歓声を浴びながら、無言で左拳を高く天に突き上げた。更に歓声がヒートアップした。
大歓声は、無論、サンドラたちにも届いた。
「……なんだ、この歓声は!?」
バスティアンが驚いたように周りを見回した。
「わからない。けど、私たちにとって良い兆しだ。目に見えて敵の勢いが弱まった」
明らかに敵には動揺が見えた。槍でなぎ倒しながら駆ける。
「―サンドラーっ!」
シルヴィアも、包囲を突破してきた。
「シルヴィアさまっ、ご無事ですか!」
「あたしは大丈夫。急に敵の圧力が弱まったわ。みんな鉄拳と騒いでるけど、何があったの?」
「詳細はわかりませんが、『鉄拳のサイノス』という声を聞きました。おそらくサイノスが何かやってくれたのでしょう」
「好機よ。今のうちにここを離れましょう」
「はっ」
「ヴァレリー、隊旗を高く掲げて!」
天馬隊の旗が高くはためいた。
「天馬隊! 撤収する! あたしに続けっ!」
シルヴィアは、疾駆し始めた。サンドラたちも後に続いた。圧力は弱まったが、敵の戦意はまだ衰えていない。行く先々で立ちはだかってきた。
シルヴィアたちは、ことごとくなぎ払い打ち倒し前進する。
ふいに後方の樹間から矢が飛んできた。それは、真っ直ぐシルヴィアを狙っていた。
「ちっ…!」
とっさにバスティアンが体を投げ出した。
「バスティ!?」
サンドラは馬から飛び降りた。シルヴィアは騒ぎに気づかず走り去った。
「大丈夫!?」
「……大丈夫。かすっただけだ」
矢は腕に突き刺さっていた。力任せに引き抜く。
「危ない!」
また矢が飛んできた。バスティアンは剣で叩き落とした。すぐさま握り直し、樹間に投げつける。見事射手に命中し樹陰に消えた。
「ダメよ! 動かないで!」
サンドラは夢中で血が吹き出す腕に布を巻いた。
「……」
「―これで当面は大丈夫」
ふうっ、とサンドラはため息をついた。
「……何?」
バスティアンの視線に気づいて上目使いで見た。
「いや…。こんなに優しくしてもらえるなら、たまには怪我をしてもいいかな、と思っただけだ」
「バカなこと言わないで!」
サンドラは思い切り肩を叩いた。
「痛っ! 怪我人だぞ、もう少し優しくしてくれよ」
「甘えるんじゃない」
むくれたサンドラは立ち上がった。
「シルヴィアさまとはぐれてしまった。―バスティ、私の馬に乗れ。その腕じゃ馬に乗れない―」
振り向くと、バスティアンが立ち上がっていた。背中を向けている。その背中から、槍の穂先が生えていた。
「……え?」
サンドラは、理解できずその場に立ち尽くした。
【裏ショートストーリー】
イザク「サンドラは上手くセリーヌに合流できたかな?」
隊員A「『鉄拳』コールが沸き起こってから、目に見えて敵の勢いが落ちたぜ」
イザク「『鉄拳のサイノス』か。俺も聞いた。サイノスのヤツ、何かやらかしたな」
隊員B「……イザクーっ! セリーヌからの指示だ! 全軍撤収! 全軍撤収だとよ!」
イザク「敵の圧力が落ちた間にトンズラするつもりだな」
隊員A「でもよ、サンドラが戻ってこねえ。どうするよ?」
イザク「バカか、てめえ。待つに決まってんだろ。俺たちはサンドラ隊だぞ」
隊員A「違えねえ」
隊員B「……あっ!? イザク! 紅いユニコーンがこっちに来るぜ」
イザク「あれは、セリーヌのフランベルジュだ! ……おーいっ! セリーヌ!」
シルヴィア「あっ! イザク!? こんなところで何してるの、撤収命令を聞かなかったの?」
イザク「聞いたよ」
シルヴィア「だったら、早く撤収して。敵の勢いが落ちた今がチャンスよ!」
イザク「でもよ、サンドラがいねえ。あんたと合流したはずなんだが、ヤツはどうした?」
シルヴィア「あれ!? いない!? ウソでしょ、一緒に戻ってきたのに!」
イザク「あっ、待て、セリーヌ! ……ちっ。独りで行っちまいやがった。おい、みんな! セリーヌの後を追うぞ!」




