第111話 暗闘と殿軍
時は、シルヴィアたちが森へ入る前に遡る。
マノンは全力で走っていた。
マクシムの諜報団に嫌というほど邪魔をされた。追い払ってもねちっこく付きまとわれ、肝心のところでは頑強に抵抗され、容易に掴ませてくれない。
それでもなんとか網をかいくぐり、ようやく森に潜む敵軍を捕捉した。峡谷を避けてくるであろうブランシャール軍を待ち伏せするために。分散しているため全体はよくわからなかったが、1万以上は間違いない。もしかしたら1万5千はいるかもしれない。
急ぎリオネルに報せるため移動しようしたとき、森の中で動く一隊を発見した。彼らは、奇妙なことに草藪やら低木やらを移し替えていたのだ。
おそらく道を塞ぎ、新たな道を作ろうとしていると思われた。つまりそれは、ブランシャール軍をどこかへ誘導するために他ならない。
(ここを通ってはダメだ)
不用意に森の中へ入れば、必ずマクシムの術中に嵌る。
マノンは、懸命に走った。リオネルに、シルヴィアに、アニェスに報せるために。森へ入ってはダメだ!
「……!」
ふいにナイフが飛んできた。とっさに地面に転がり避けた。追い撃ちで白刃が煌めいた。小型剣で受け止める。影がバック宙でマノンから距離を取った。
「……見事な腕前です」
それは、若い女だった。ショートの黒髪の頭から猫耳がのぞいている。一見可愛らしい猫耳族だった。しかし、その黒い瞳には感情というものが一切なかった。冷たく凍りついた死の瞳がじっとマノンを見据えていた。
「紅烏団の団長とお見受けいたしました。あなたをリオネルの元へ行かせるわけにはまいりません。ここでお命頂戴つかまつります」
「ふざけるな! お前なんかと遊んでるヒマはないんだよ!」
「ああ、失礼いたしました。私としたことが名乗りもしないとは」
女は、わざとらしく頭を下げた。
「私、マクシムさま直属の諜報団、『ブラックキャッツ』の団長を務めております、ラーミナ・エスパーダと申します。以後、お見知り置きを」
「お前か、今まで散々私の邪魔をしまくったヤツは」
「容易な仕事ではありませんでした。紅烏団は、なかなかお強いですね。しかし、最後の最後で仕事をさせてしまっては、これまでの苦労がすべて泡となってしまいます。全力で阻止させていただきます」
「やれるものなら、やってみろ」
マノンは、小型剣を構えた。
「その前に、団長さま。私が名乗ったのです。名乗り返すのが礼儀なのではありませんか?」
「知るかよ。お前が勝手に名乗ったんだろが。それに本名だという保証もない」
「敬意を評して私自ら出向いたのです。偽名など使いませんよ。私は、あなたに興味があります。紅烏団は結束が堅い。容易に全貌を掴ませてくださらない。あなたの指導力の賜物なのでしょうね。是非そのコツをご教授願いたいものです」
「……」
マノンは無言で動いた。小型剣が舞う。ラーミナは、ヒラリと宙を飛んでかわした。その動きはまさにシルヴィアと同一だった。猫耳族特有の身体能力の高さと柔軟さである。
「……酷いですね、まだ人が話しているというのに。問答無用で斬りかかるなんて、紅烏団の団長は礼儀知らずらしい」
マノンは構わず剣を振るった。ラーミナは、今度は逃げずに真正面から受け止めた。マノンは怪力でそのまま剣を押し付けた。
ラーミナは、驚くべきことにその場で空中を横回転した。怪力が受け流され、たたらを踏む。死の剣がマノンの頸に振り下ろされた。マノンは、ゴロゴロと地面を転がり素早く立ち上がると、脱兎の如く走り始めた。
ラーミナは、驚異的な跳躍力でマノンの背後に迫った。またマノンは地面を転がった。しかし予測していたのか、ラーミナの剣が執拗に追い続ける。
バネ仕掛けのようにマノンが飛び上がった。これも予測の範囲だったらしい、ラーミナは遅れず剣を振り上げた。マノンの服が切り裂かれる。空中で一回転して地面に降りた。間髪入れずラーミナの剣が襲いかかる。
マノンは剣をかわし、ラーミナの腕を取った。ラーミナが抱きつく。お互いもつれ合い絡み合いながら地面を転がる。そして消えた。
そこは、崖だったらしい、二人は絡み合ったまま、奈落の底へ転がり落ちていった。
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「ギーさまが殿!?」
シルヴィアは、真っ青になった。姉グロリアの手紙では、このルメール戦役でギーが戦死する。手紙では、いつどのようにして死んだのか、詳細が記されていないからまったくわからなかった。
しかし今、ありありと見える。殿のギーがリオネルを逃がすために体を張って敵を食い止め、斃れるさまが。
「―ダメーっ!」
シルヴィアは、フランベルジュを驅り遮二無二走り始めた。隊旗を掲げたヴァレリーがピタリと従いていく。
「あっ、シルヴィアさまっ!? ―天馬隊っ、シルヴィアさまに続けっ!」
慌ててサンドラが後を追った。
「シルヴィアさまーっ…!」
呼びかけるエマがあっという間に遠ざかった。
「ダメっ! ―ダメっ!」
シルヴィアは、ただ繰り返し繰り返し同じ言葉をつぶやいていた。
最後尾は戦闘の真っ最中だった。ギーが馬上、剣を振るっている。シルヴィアはそこへ突っ込んだ。敵兵がフランベルジュの一角に貫かれて即死した。首を一振りすると、遥か彼方へ遺体が飛んでいった。
「シルヴィアさま!? どうしてここへ!?」
「ギーさまっ。殿なら私が務めます!」
「いけません! おそらく敵は各個撃破を狙っています。私がここで敵を食い止めますので、その間にリオネルさまを安全な場所へお連れください」
「それはギーさまの役割だわ」
「役割…?」
「つい最近、アニェスさまに言われたの、人にはそれぞれ役割があると。ギーさまは、常に旦那さまのお側にあってお守りするのが役割。だから、殿なんかで旦那さまと離れてはいけないの!」
「しかし…」
「迷ってるヒマはないわ。旦那さまも交戦中よ。援軍を求めているわ。早く行って!」
「だからといって、シルヴィアさまをここに残しては行けません。シルヴィアさまこそリオネルさまにとってかけがえの無いお方。万が一にでも不測の事態が起こっては―」
「ンもうっ。めんどくさい! ―はいっ!」
シルヴィアは、ギーの馬の尻を剣の平で叩いた。いななきながら馬が走り出す。
「シルヴィアさまっ…!?」
「飛竜隊っ! ギーさまに続け! リオネルさまをお救けするんだ!」
吃驚の声を残して遠ざかるギーには構わず、飛竜隊を叱咤して退がらせた。
「天馬隊っ! 正念場だぞ! 敵をここから一歩も進ませるなっ!」
シルヴィアは突撃した。縦横無尽に剣を振るった。天馬隊隊旗が翻る。その近くでサンドラの槍が煌めいた。その度に死体が次々と転がっていく。
3本矢が過たず三人の兵を貫いた。
「天弓だ!」
「天弓がいるぞ! 気を付けろ!」
期せずして敵の間から悲鳴に近い叫びが起こった。
ジュスタンは、翠の髪をかき上げた。
「おやおや。僕の二つ名は敵の中にまで浸透してしまったのかな。僕は罪作りだなあ」
「ジュスタン! バカなことを言ってるヒマがあったら、一人でも多く倒せ!」
格好をつける『天弓のジュスタン』の脇を、エーヴが風のようにすり抜けた。森の中だということを一瞬忘れてしまうほどの信じ難い速さで駆け抜けていく。彼女の通り過ぎた後には死体しか残らなかった。
「ヒュウ〜ッ。やるねえ。僕もこうしちゃいられない」
ジュスタンは、3本矢をまた放ち始めた。
エーヴの速さは神がかっているが、違う意味で鬼神の強さを発揮していたのはミラベルだった。むしろ狭い場所こそ本領発揮とばかりに、『ブラッディ・ドール』の刃が荒れ狂っていた。
急所をつく正確無比な技倆、感情に左右されず敵を屠っていく非情さ、『ブラッディ・ドール』が死神と化した。
そして、もう一人。サイノスは、因縁の相手と相対していた。
「―また会うたな、サイノス」
エテルナがニヤッと笑った。
周りの喧騒が嘘のように、彼らの周りだけが静寂に包まれていた。
【裏ショートストーリー】
ファニー「マノン団長と連絡が取れないだと!?」
諜報員A「独りで森へ入ったまでは確認しているんですが、その後の足取りがぷっつり途絶えちまって」
ファニー「……何だろう、胸騒ぎがする」
諜報員B「まさか団長に限ってめったなことにはならないとは思いますが…」
ファニー「敵の諜報団の動きはどうだ?」
諜報員A「それが、急に動きがニブくなりやして、圧力が激減しました」
ファニー「今なら、峡谷に近づけるか。だけど…」
諜報員B「どうします、お頭」
諜報員A「だから、お頭じゃねえって」
諜報員B「すまねえっ」
ファニー「うるせえ! てめえら、何回同じくだりを繰り返しゃあ気がすむんだ。あたいは今、考え事をしてんだよ! ちったあ黙ってろ!」
諜報員A・B「すんません!」
ファニー「……くそっ。シルヴィアさまにご相談するか…いや、今は撤退でクソ忙しい。なら、どうする?」
諜報員A・B「……」
ファニー「……しゃあねえ。マノン団長のほうが大事だ。おい、てめえら。紅烏団、煌豹団の全団員に伝えろ。紅烏団団長が消息不明につき、全力で行方を捜索しろ、とな」
諜報員A・B「へいっ」
ファニー「……マノンさま、いったい何があったんです? マノンさま………」




