第110話 泰然自若と窮途末路
「おかえり、ララ」
「参りました。リオネル軍があれほどとは思いませんでした。とてつもない強さですね」
「だろうね。数からしたら、ブランシャール軍で最も弱小だけど、実力はNo.1、最強だもの」
執務室の椅子の上であぐらをかきながら、マクシムは楽しそうに笑い声を上げた。
「彼らの強さの秘密は何なのでしょうか」
「第一に、指揮官の強さ。隊長クラスは、他の国に行けば軍団長になれる人材がゴロゴロしてる。第二に兵の練度。よく鍛えられているし、それを可能にしているのは、常備軍の多さだろうね」
「常備軍ですか。確かに軍隊運動は素人のそれではありませんでした」
「子猫ちゃんたちの情報によると、この冬の間に常備軍の数を大幅に増やしたんだって。全軍の七割らしいよ」
「それは―! 道理で強いわけだ。リオネルの考えることは常識外もいいところですね。お金もかかるだろうし、そもそもそれだけの数を軍に取られて、国民の生業が成り立つのでしょうか」
「成り立たせているから、凄いんじゃないか。お金の工面までは知らないけど」
「ある意味、革命ですね」
「そう! 良いこと言う!」
マクシムは手を叩いてララを賛美した。
「まさに革命だ。リオネルは、誰もやろうとしなかったことを見事に成功させた。この柔軟な発想は称賛に値する。殺すには惜しいほどだ」
「……マクシムさま。また変な気を起こさないでくださいよ。今さら生け捕りなんて無理ですからね」
ララは、軽く睨んだ。マクシムなら、本当に命じかねないと思ったのだろう。
「わかってるよー。ただ、殺したくない人材が多いなあと思っただけさ」
「……」
ララは、まだ疑わしそうにマクシムを見やっている。
「―さあてと。仕上げといこうか」
ララの視線を避けるように、マクシムは大きく伸びをした。
「あとは、閉じ込めて綺麗にお掃除するだけだね。可哀想だけど」
「これが戦争です。しかもブランシャールは、自ら求めて他国に侵略してきたのですから、同情など必要ありません。自業自得です」
「うわっ。怖っ。さすが『氷の女王』ララ・ボーヴォワール。微塵の情もないねえ〜」
「……その二つ名はやめてくださいと申し上げましたよね。怒りますよ」
「ごめん、ごめん。―それじゃあ、ご足労だけど、全軍を率いて彼のトドメを刺してきてくれる?」
「承知しました」
マクシムは、身を翻して執務室を出ていくララを見送った。薄鈍色の髪を一度くしゃっとかいた。椅子から立ち上がり、うろうろと部屋を歩き回り、立ち止まって首を傾げた。
「……何だろう? 引っかかるんだよなー」
しばらく佇んでいると、また椅子の上に戻ってあぐらをかいた。器用に執務机の上で頬杖をつきながら、小さく呟いた。
「―まあ、いいや。すぐにわかることだし」
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「本軍がいない?」
シルヴィアたちは、グレゴワール本軍を追いかけて、落ち合う約束の地点に来ていた。深い森へ続く入り口である。しかし、8万もの大軍は、影も形もない。
「まさか、置いていかれた?」
「ありえます」
ギーが奮然として言う。
「もしかしたら、初めから私たちを待つ気はなかったのかもしれません」
「―おかしいわ」
周辺を見て回っていたエマが戻ってきて小首を傾げた。
「どうした? エマ」
「峡谷方面に向かう道が見当たりません」
リオネルに答える。
「峡谷方面?」
「この辺りが峡谷と森への分岐点のはずなのです。それなのに、峡谷への道がなく森への一本道しかありません」
「よくわらかんが、森への道があるならいいじゃねえか。峡谷ルートは取らず森を抜けてロワイエ方面に逃れる手筈だろ」
「そうなのですが…」
「それより、早く本軍を追いかけよう。まだ2万もの敵軍がどこかにいるはずだ。襲われると厄介だぞ」
リオネルの一言で、皆動き出す。
「……エマさま。何を懸念されているのですか?」
シルヴィアは、そっとエマに寄り添った。
「ここの地形は、特殊な作りをしています。峡谷方面へは、いったん森の中へ入らなければなりません。ただでさえ迷い安いのです」
「本軍が迷ったかもしれないと…?」
「というより、峡谷へ誘い込まれたかもしれません」
「……」
「考えたくはありませんが、全滅の可能性すらあります」
「……旦那さまにもう一度訴えて、周辺を探ったほうがいいのではありません?」
「―いえ。このまま私たちは当初の予定通り森を抜けましょう。できるだけ早く。もしかしたら、ここに私たちを留まらせるのが目的かもしれませんし」
リオネル軍は、深い森の中へと分け入って行った。大木が林立し、枝葉が生い茂って昼なお薄暗い。自然と縦長の行軍となった。しばらく何事もなく進む。本軍の後ろ姿はまったく見えない。
「―やっぱり、おかしいです」
エマがシルヴィアに馬を寄せてきた。
「8万の大軍が通った形跡がない。最悪を覚悟したほうがいいかもしれません」
「だとしたら、どうして私たちは峡谷へ誘い込まれなかったのでしょうか」
「それです、ずっと頭を悩ませているのは。森を抜けているつもりが、目の前に峡谷が現れても私は驚きませんね」
「にゃっ!? それじゃあ、既に彗星の術中に嵌っているかもしれないの…?」
「わかりません。―彗星には当初から振り回されっ放しです。これほど先が読めない戦いは初めてで…自信を失くしました」
エマはほろ苦い笑みを浮かべた。シルヴィアはそれを見て瞠目した。
「エマさまがそんなこと仰るなんて…」
「戦術については、少々自負がありました。でも、新兵の入隊模擬戦でシルヴィアさまにへし折られ、今は彗星に粉々に打ち砕かれてしまいました」
「あれはたまたま上手くいっただけで、私なんて大した才能もありませんよ。彗星の策略だって、全然わからなかったし」
「つくづく、世界は広いと思います。私は、まだまだ精進が足りないと痛感しました」
「エマさまにここまで言わせるなんて、マクシムは、いったいどんな人物なんでしょうね」
「―私が調べた限りでは、ルメールの地方の貧しい農家出身だそうです。長男なのに農業を継がず、15歳で軍に入ったとか…天馬隊のどなたかのような経歴ですね」
「はははっ…」
エーヴのことを言っているのだろう。エマは、天馬隊の中隊長クラスの経歴を調べたらしい。
「それからは、非常に浮き沈みの激しい経歴の持ち主ですよ、マクシムという人は」
17歳で一軍を任されたというから、やはり才能があるのだろう。指揮した軍は大勝を収めた。それからは指揮すれば必ず勝利した。
欠点は上官にも物怖じせず直言をするところで、最初の上官は笑って許してくれたが、上官が変わったとたん、事務職に左遷された。
その後は、呼び戻されては軍功を挙げ、上官と衝突しては左遷されの繰り返しだった。その中で、大きな軍功を収めた褒美に国王から祝賀パーティーを開いてもらったことがあった。
しかしそこでも、並み居る王族貴族を罵倒したため、国王からきついお叱りを受けて謹慎させられたという。
「……まあ。よっぽどルメールの方々は度量がないか、マクシムが相当な毒舌か、どちらかでしょうね」
金色の瞳をまん丸に見開いて、シルヴィアが嘆息した。
「軍事の才能があるのは間違いありません。天才と言ってもいい。ただ、これまではせっかくの能力を発揮する場を与えられなかった。だから世界に知られることなくくすぶっていたのですね」
「ついに場を得て、私たちを苦しめている―」
「―敵襲ーっ!」
シルヴィアの言葉を断ち切るように、悲鳴のような声が響いた。
「うろたえるなっ! 待ち伏せは想定内だ! 落ち着いて対処しろ!」
いつの間にかエマは鉢巻を巻いている。
「―天馬隊!」
一瞬、エマに目で笑いかけると、シルヴィアも声を張り上げた。
「森の中での調練は何度もやってきた。調練通りにやれば必ず勝てる。みんな! 天馬隊の力を見せつけるぞ!」
「おおーっ!」
隊員から雄叫びが上がった。しかし。
「伝令ーっ、伝令ーっ」
リオネルの伝令隊の騎馬が駆け込んできた。
「本軍、交戦中! また、先頭の黒牛隊、待ち伏せに遭い苦戦中とのこと、月蝶隊、天馬隊は疾く援軍をとのリオネルさまからのご命令です!」
「にゃっ!? 旦那さまも敵襲を受けた!?」
「まずいぞ、シルヴィアさま!」
エマの顔が険しくなった。
「各隊同時に襲われたようだ。全軍、包囲された可能性がある」
「そんな、包囲だなんて、いったい敵はどれくらいの軍を伏せていたというの?」
「考えたくはないが、2万全軍を投入してきたかもしれない。我が軍は、隊列が細長い。下手をすると各個撃破されるぞ!」
「まさか、そんな―」
「伝令ーっ!」
そこへ、また伝令の騎馬が駆けてきた。しかし、今度は後方からだ。
「飛竜隊からの伝令にございます!」
「ギーさまから!?」
ギーの飛竜隊は、最後尾にいる。
「―我、城からの追撃軍と交戦中! 殿を務める故、全軍直ちに森からの脱出を願いたし。以上であります!」
「殿!?」
聞くなり、シルヴィアは、真っ青になった。
【裏ショートストーリー】
トリュフォー「この戦、どうもいつもと様相が違い過ぎる」
ギー「あのエマが、振り回されている。彗星に先手を取られっ放しだ」
トリュフォー「エマを振り回すなんざ、とんでもない野郎だな、彗星は」
ギー「天才、というのだろうな」
トリュフォー「この先の森だって、胡散臭いぜ」
ギー「待ち伏せなりなんなり、当然仕掛けてあるだろうな」
トリュフォー「まあ、森の中だ、大軍は身動き取れねえ。むしろ俺たちのほうが有利だと思うぜ」
ギー「……だといいがな」
トリュフォー「そういう意味じゃ、本軍のほうがヤバいんじゃねえか」
ギー「大軍は身動きが取りづらい。だからこそ、往きでは行軍ルートから外したんだからな。それでも、峡谷を通るよりはマシだろう」
トリュフォー「この親征が失敗となると、影響はデカいぜ」
ギー「ルメール征服どころか、弱体化したと見做されて、他国からの侵略を招きかねない。当面は、国防に注力せざるを得ないな」
トリュフォー「俺たちの政略も再考が必要になるぜ」
ギー「国が内向きになれば、政争が激しくなる可能性がある」
トリュフォー「政略はアニェスさま頼りだからなあ。それを考えると、病気からご快復されたのは大きかったな」
ギー「まさに。シルヴィアさまのおかげだ。それに…」
トリュフォー「あ…?」
ギー「政略なら、シルヴィアさまも頼りになるかもしれない。意外と策略家の面もお持ちの方だから」
トリュフォー「……おっ!? エマが戻ってきたぜ。景気の悪ィ顔してやがるなあ。あんまり、良いハナシじゃなさそうだぞ」
ギー「……」




