第108話 驚天動地
翌日も、前日と変わらない光景が繰り広げられた。黒牛隊の亀甲密集隊形と籠城軍との攻防である。
唯一違ったのは、『余興』がなかったことだ。
天馬隊が前線に現れると、期せずして『天弓』コールが巻き起こった。アニェスがポロッと口にした言葉が全軍に流布したのである。
今や、ジュスタンの名は広く知れ渡っていた。天下一の弓取り、『天弓』の名と、シルヴィア妃を『麗し人』と呼んだ伊達男としてのエピソードとともに。これ以降、ジュスタンは、『天弓のジュスタン』と呼ばれることになる。
しかし、ジュスタンは、動こうとしなかった。歓呼に応えることもなく、じっと天馬隊の中に控え続けていた。
「―今日は、『天弓』を披露しないのか」
リオネルは、傍らのシルヴィアに尋ねた。
「あれは取って置きの技で、何度も見せるものではないのですって」
「ふ〜ん。そういうものか。叶うものなら、もう一度見てみたいがな」
そっとリオネルの横顔を盗み見た。残念そうな表情を浮かべている。
アニェスの説教が効いたのか、ジュスタンへのわだかまりは既にないらしい。快活なリオネルに戻っていた。
このまま、膠着状態が続いて一日が終わると誰もが思った。しかし、シルヴィアたちを震撼させる報せが唐突にもたらされた。
一報を聞いたリオネルは、直ちに大隊長を招集した。
「……ガブリエル軍が交戦!?」
リオネルから報せの内容を聞いた大隊長たちは、皆一様に驚きを隠せなかった。
「攻城塔を作成中、背後から突然襲われたそうだ。おそらく、夕べの夜襲軍と同一だろうな」
「敵の数は?」
エマが尋ねた。やたらと数にこだわっている。
「およそ2万。ガブリエルは夕べのこともあるから警戒はしていたみたいだけど、それでも数は互角。しかも指揮していたのは、例の犬牙族の女だ。苦戦したらしい。すぐさま父上の本軍が救援に駆けつけてなんとか追い返したが、また攻城塔が破壊された」
「敵も徹底して攻城兵器を潰しにきますね」
「そりゃ、そうだろ、ギー。城からすりゃ、攻城塔が最大の脅威だからな」
「だとしても、2万というのは驚きです。ルメールは、国中を空けてすべての軍をミュレールに投入したことになります」
「結構、厄介な数ですぜ」
トリュフォーがスキンヘッドを撫でた。
「攻城塔を作りながらじゃ、ガブリエル軍単独で対処するのは、ちと無理なんじゃねえですかい」
「だろうな。たぶん、当面は父上の軍が守りにつくんじゃないかな」
「ガブリエル軍だけを標的にするとは限らないわ」
シルヴィアが言う。
「側面援護している私たちだって、狙ってくるかも。背後の警戒が必要になると思います」
「確かに。俺たちは、城の側から離れられないけど、敵は自由に動ける。背後を気にしながらの城攻めになるな。これまでみたいにのんびり気分じゃいられないぞ」
「しかし、2万もの兵をどこに隠していたのでしょうね」
ギーが形の良い顎に指を当てながら首を捻った。
「動きがあれば、紅烏団が気づきそうなものですが」
「軍の動きは追っている。でも、敵の諜報隊も活発に動いているらしくて、妨害されているみたいだ」
(マノンは大丈夫かしら…)
シルヴィアは、マノンの身を案じた。暗闘は、かなり激しいに違いない。
「―失礼いたします!」
哨戒兵が天幕の中に顔をのぞかせた。
「紅烏団の使者がリオネルさまへの面会を申し出ておりますが、いかがいたしますか」
「……通せ」
哨戒兵に促されて、商人の格好をした男が入ってきた。
「緊急事態につき、即答をお許しください」
男は、片ひざを立ててかしこまった。
「構わない。報告しろ」
「―ロワイエ城、二日前に落城いたしました」
「なん…!?」
まさにそれは、驚天動地の報せだった。
「それは確かなのか?」
「間違いありません。ロワイエに残った紅烏団の団員が脱出して団長の元へ直に報告してまいりましたから」
「どうして落城した? 5千の駐屯兵はどうなったんだ?」
「隠し通路があったらしく、夜陰に紛れ城外から1万の敵兵が侵入、不意をつかれた駐屯兵は全滅したとのことにございます」
「1万!? あり得ない!」
ギーが驚きの声を上げた。
「ルメールにそんな数の兵がいるはずがない。何かの見間違いだろう。例えば隠れていた市民兵とか」
「いえ。間違いなく正規軍だったそうです」
「そんなバカな…」
「彗星の奴め、いったいどんなトリックを使いやがった」
「―しまったっ!」
突然、エマが叫んだ。
「なんだ? どうした、エマ?」
その場にいた全員が、エマを注視した。
「今、わかりました。彗星の策略の全貌が」
「何だと!?」
「すっかり騙されました。―ああ、どうして気が付かなかったんだろう。私はバカだっ」
エマはテーブルを強く叩いた。ティーカップが激しい音を立てた。
「どういうことだ? 説明しろ、エマ!」
「ミュレールの城内には、初めから3万の兵などいないのです」
「そんなわけ、あるかっ!」
トリュフォーがスキンヘッドから湯気を立てて怒鳴った。
「峡谷へのオトリが城へ入ったんだ。守備兵と合わせれば、少なくとも3万は城内にいなけりゃおかしいだろが」
「誰が確認したの、トリュ?」
「あ? 誰って、それはお前…」
「それは、ただの先入観だわ。峡谷は近道だから、オトリに失敗した敵軍は、真っ直ぐ城へ入ったと思い込んだ。いや、思い込まされた」
「な…!?」
「もともと、峡谷へ引き込むための軍じゃなかったのよ。籠城したと私たちに思い込ませるための罠だったんだわ。そして、2万の兵は峡谷に潜んだ。城攻めをする私たちの背後を襲うため。それを気取られないよう、諜報部隊が警戒線を敷いて情報統制したのよ」
「それじゃ、城内にいるのは…」
「おそらく、多くても1万。私の予想では5千がいいところね」
「たったの5千…!?」
「10万の兵が、5千に釘付けにされたってのか」
「そうよ、トリュ。私たちは、根本的に間違っていた。攻城塔なんかに時間をかけたり、三方に分散させて城攻めをしたりするんじゃなく、全軍をもって力押しで城門を抜くべきだったのよ」
「そんな…」
「リオネルさま。彗星の狙いは、私たちをここに孤立させることです。コルディエ川の氾濫、峡谷の罠、ロワイエの落城、全部、線で繋がりました。すべてが壮大な罠だったのです。まんまと彗星の策略に嵌められてしまいました」
「俺たちは、どうしたらいい?」
「事ここに至った以上、私たちの取るべき道は二つです」
「二つ? それは何だ」
「一つは、今からでも全軍を城門前に集め、何が何でも城を落とすのです。ただし、籠城しても前途は暗いでしょうね。彗星のことですから、城内に兵糧を残してはくれないでしょう。兵糧攻めをされるとかなり厳しいと思われます。私はお勧めできません」
「……もう一つは?」
「全軍撤退です」
「む…」
「ここまで来て、撤退するのか」
トリュフォーが唇を噛んだ。
「仕方ないわ。進むも地獄、引くも地獄。それなら、引いて再起を図るほうがまだマシよ」
「父上が承知するかな…」
「時間はあまりないと思います。もたついていると、敵軍に包囲される可能性が高い。そうなったら、城からも出撃してくるでしょうから、挟み撃ちに合って戦力差など関係なく、我々が大敗します」
「旦那さま。一つ提案があります」
シルヴィアは手を挙げた。
「何だ?」
「正直、旦那さまが陛下に言上しても聞き入れてもらえるとは思えません」
「はっきり言うな〜」
「……お兄さま」
アニェスが後ろでそっと注意した。
「わかってるって。例え耳の痛い諫言だろうと、ちゃんと受け止めるさ」
リオネルは、アニェスにうなずいてみせた。
「―シルヴィア。先を続けろ」
「旦那さまがダメなら、聞き入れてもらえそうな方にお願いしてはいかがですか?」
「聞き入れてもらえそうなやつだと? 誰のことだ?」
リオネルは嫌そうな顔をした。しかし、シルヴィアは構わなかった。金色の瞳に強い光を宿し、リオネルを見つめた。
「それは…ガブリエルさまですわ」
【裏ショートストーリー】
ガブリエル「被害の状況は?」
リュカ「およそ死傷者2千」
ガブリエル「ちっ…。2万もの軍の動きを掴めないとは、諜報隊は何をしていたのだ」
リュカ「申し訳ございません。敵軍、神出鬼没にて、どこから現れるかも未だ不明にて」
ガブリエル「二度だぞ。二度も造りかけの攻城塔を破壊された。面目丸潰れではないか」
リュカ「申し訳ございません…」
ガブリエル「謝罪はいらん。聞き飽きた」
リュカ「はっ」
ガブリエル「父上に叱られる。どうしたものか…」
リュカ「ここは率直に、陛下に援軍を要請すべきかと」
ガブリエル「そんなことできるか! こちらから頭を下げるなど死んでも嫌だ」
リュカ「しかし、攻城塔を造りながら、敵襲にも対処するのは、我が軍単独では限界があります」
ガブリエル「何が何でも両立させろ」
リュカ「……」
兵「……注進! 注進でごさいます」
リュカ「何事だ! 殿下はご多忙であられる」
兵「第三軍団大隊長エマさまが面会を申し出ておられますが…」
リュカ「エマだと?」
ガブリエル「……リオネル兄上が僕に何の用事だろう」
リュカ「殿下。これは、渡りに船かもしれません。エマといえば第三軍団の軍師。我が軍の苦境を打開する方策があるのでは?」
ガブリエル「だとすると、ようやくリオネル兄上は僕を認めてくれたのかな? ……よし、会おう。丁重にお連れしろ」
リュカ「はっ」




