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第106話 天弓のキセキ

リオネル軍は、ミュレール城の東城壁前に陣を敷いた。


トリュフォーの黒牛隊が、得意の亀甲密集隊形で城壁に迫ろうとするが、城壁上の籠城兵が弓や投石を雨あられと降らせ、容易に近づけないでいる。


それでも、リオネル軍に焦燥感や緊迫感はなかった。あくまでもメインは、城門である。今もラファエル軍が、破城槌で城門を打ち破ろうとしているのに違いない。城門方面から遠く喚声が流れてくる。


「このまま、膠着してしまうのでしょうか」


シルヴィアは、整ったリオネルの横顔を見ながら言った。戦場とは思えないのんびりとした表情をしている。


「だな。というか、膠着でいいんだよ。敵兵をこっちに釘付けしておくのが、俺たちの役目なんだから」


「なんだか、気に入らないわ。もっと私たちの力を見せつけたいのに。これじゃ、力を振るいようがないです」


「物騒な奴だな。戦闘が激しくなるということは、犠牲者も増えるということなんだぞ」


「それはそうなんですけど…」


「お義姉さまは、天馬隊の武力を天下に示したいのですわ」


アニェスが言う。その微笑みは、戦場でも神々しい。


「天馬隊こそ、天下一だぞ、とね」


「やめてください、アニェスさま。私は、リオネル軍の力を示したいのです。天馬隊は、そのついでですよ」


「同じことです」


アニェスは、コロコロと楽しそうに笑った。


「―天下一なら、僕が示してあげようか」


「にゃっ!?」


ふいに声をかけられて振り向くと、翠色の髪をかき上げて微笑む美青年が、いた。


「ジュスタン!? 天下一を示す、って、どういうこと?」


「ちょっとした余興をしようと思ってね。用意してきたんだ」


とんでもなく大きな弓が運ばれてきた。大の大人二人がかりである。通常の弓の二倍はありそうだ。


「……それが、何?」


「まあ、そこで見てなよ」


ジュスタンは、前線に出ていった。まるで散歩でもするように、のんびりと。入れ替わるように黒牛隊が引いた。


突然現れた美青年に向けて、籠城軍から散発的に矢が放たれた。しかし、美青年は城壁から離れた位置にいるので矢は届かず、虚しく地面に転がった。


美青年は、微動だにせず、城壁の辺りを眺めている。両軍は皆、固唾を呑んで見守った。


やおら、美青年は巨大な弓を手に取り持ち上げた。ここまで大人二人が抱えて運んできた弓だ。細い身体のどこにそんな力があるのだろう?


無言で巨大な弓に見合う太い矢をつがえた。弓弦を引く膂力もハンパではない。


美青年は無造作に矢を放った。唸りを上げて一直線に飛んだ矢は、城壁上の一人の兵の胸に吸い込まれた。兵はもんどり打って城壁から消えた。


束の間、静寂が訪れた。誰もが石と化したかのように、呼吸すら忘れて立ち尽くした。


「―キャァァァーッ、ジュスタァァン! カッコいいッ!」


真っ赤なユニコーンにまたがった猫耳族の娘が、黄色い声を上げた。それをきっかけに、リオネル軍から地鳴りのような大歓声が起こった。


籠城軍は、意気阻喪したように、静まり返ったままである。


美青年は、スッと振り返った。大歓声に応えて、大弓を頭上に掲げて見せた。リオネル軍は、更に盛り上がる。


「ジュスタン!」


自軍に戻り始めたジュスタンを、シルヴィアはフランベルジュから降りて出迎えた。


「すっごーいっ! あんな大っきい弓、引けるだけでも凄いのに、ものの見事にあたったじゃない! あれ、指揮官でしょ、狙ったんだよね?」


「そう興奮するなよ、セリーヌ。ほんの余興さ」


「余興なんてものじゃないよ。ジュスタンは弓の天才だね!」


「よく言われる。僕を表現するとしたら、どうしたって、そうなるんだろうね」


「……そういうセリフを言わなけりゃ、手放しで褒めてやるんだがな」


エーヴが呆れてみせた。エーヴだけではない、いつの間にか天馬隊の中隊長たちが集まってきていた。


「こ、これがジュスタンなんだから、い、いいじゃない。み、見直したわ」


「今さら見直したのかい、ミラベル。僕は、あまり評価されていないんだなあ」


「誰がお前など評価するか。弓だけは認めてやるが、それ以外は一切認めない」


「またヤキモチかい? サイノスは見苦しいね」


「何だと!? 接近戦なら俺のほうが上だということを思い知らせてやる!」


「ちょっと! 喧嘩しないで! 今はジュスタンを褒めるところよ」


慌ててシルヴィアは仲裁に入った。


「こ、この二人、い、いつも喧嘩ばっかりしてるのよ。エ、エーヴの苦労がわかったでしょ? セリーヌ」


「仲がいいんだか悪いんだか、ヘンな人たちねえ」


「―見事な技倆だな」


シルヴィアが嘆息したところへ、リオネルが声をかけてきた。平伏こそしないが、中隊長たちはその場に控えた。


(……あれ!? リオネルったら、不機嫌そうね。なんで…?)


リオネルの表情をそっと盗み見る。ジュスタンのとんでもない弓の腕前を見て喜びこそすれ、怒る理由がわからない。


「あ、畏まらなくていい。そういうのは好きじゃないんだ」


「……さすが、セリーヌの旦那さまです。話せるじゃないですか」


エーヴがニヤリと笑った。


「こいつは、人格はともかく、弓だけは規格外の凄腕なんですよ」


「まさに神技だな。そのう…なんだ。名前は…確か…」


「ジュスタン・ファーブルと申します」


ジュスタンは優雅に拝礼してみせた。


「そうそう! ジュスタンといったな。天馬隊は長いのか?」


「セリーヌ・ブルボンの同期です」


「そうか。シルヴィアの同期か」


(……??)


ますますリオネルの表情(かお)が険しくなった気がする。


「素晴らしいものを拝見したわ、ジュスタン」


アニェスがにっこりと微笑んだ。


「天下一を示すと言っていたけど、本当に天下一の弓ね。天弓と言うべきかしら」


「畏れ入ります、アニェスさま。ただの余興でございます。アニェスさまこそ、神々しいばかりのお美しさ。天下三大美人のお一人と、心得ます」


「あら。それはありがとう。その三大美人というのは何なの?」


「この広い世界の中で、最も美しい女性のことです。すなわち、アニェスさま、月蝶隊長のエマさま、そして、我が麗しの猫耳王女、シルヴィアさまのことにございますよ」


「ジュ、ジュスタン!? 何を言い出すの!」


顔色を変えたシルヴィアが慌てて袖を引っ張るが、いったん口から出た言葉はもう戻らない。


「……!」


ハッとしてリオネルを見た。黒いオーラが立ち昇っている。今にもジュスタンに斬りかかりそうだ。


「―だ、旦那さまっ! ちょっとこちらへ! いいから、こっちへおいでくださいっ」


シルヴィアは、無理やりリオネルをその場から連れ出した。


「ジュスタンっ! てめえ、リオネルさまの目の前でなんてこと言うんだ!」


後ろからエーヴの責め立てる声が聞こえた。しかしシルヴィアはそれに構う余裕もなく、リオネルをずんずん引っ張っていく。アニェスたちから、かなり距離を取って、ようやく立ち止まる。


「なんだ、あいつはっ!? ふざけた野郎だ。たたっ斬ってやる!」


リオネルが、火を吹いた。


「お願いです、興奮しないで、旦那さま」


「シルヴィアのことを俺の目の前で麗しと言ったぞ。どういう関係だ? まさか、気があるんじゃねえだろうな!?」


「何をバカなことを! そんなわけありません!」


「どうだかな。大弓の腕を見て、カッコいいとか言うくらいだからな。お前も案外気に入っているんじゃないのか」


「違いますっ。ジュスタンは、同期の仲のいい友だちです。エーヴやサイノスたちと同じですよ。友だちを讃えただけです。それの何が悪いの」


「あんなチャラそうな男が友だちだと? 許さん。すぐに絶交してこい!」


「それこそ、バカだわ。ただのヤキモチじゃない!」


「何だと!? 俺のことをバカと言ったのか?」


「ええ、そうよ! バカもバカ、大バカよ!」


「許さんぞ。この尻軽―」


「黙りなさいっっ!!」


アニェスの一括が轟いた。


「お兄さま、それ以上言葉にしてはなりません! 取り返しがつかなくなりますよ!」


ものすごい剣幕である。こんなに怒っているアニェスを初めて見た。


「ちっ…」


リオネルはそっぽを向いた。


「……まったく、お兄さまという人は―」


アニェスは、仁王立ちしたまま目を嗔らす。かつて、ミレーユから嫌がらせを受けたときに駆けつけてくれたときを思い出した。


「―お義姉さまのこととなると、どうしてそう見境がなくなるの」


「……」


「私だって夫婦喧嘩に口出しはしたくないのよ。でも、夫婦といえど越えてはならない一線があるのだから。もう少し冷静になってください」


「……わかったよ。俺が悪かった」


そっぽを向いたまま、リオネルは謝罪した。しかしアニェスは、まだ容赦しなかった。


「私に謝ってどうするの。ちゃんとお義姉さまの目を見て謝罪してください」


「……アニェスさま。これ以上は旦那さまを叱らないでください。私は怒っていませんから」


しゅんとなってしまったリオネルが可哀想になり、シルヴィアは思わず救いの手を差し伸べた。だがアニェスは、


「お義姉さま、お兄さまを甘やかしてはいけません。ここは、きちんとケジメをつけさせるべきです」


「でも…」


「シルヴィア。ごめん。俺が悪かった」


リオネルの黒い瞳が、真っ直ぐシルヴィアを見つめてきた。


「わ、私のほうこそ、声を荒げてしまって、ごめんなさい」


ドギマギしながら、つい頭を下げた。頭を下げながら、内心思う。


(リオネルの黒い瞳は反則だなー。あれに見つめられると、何でも許しちゃう)


チラッと目を上げてリオネルを伺う。黒い瞳は、変わらずシルヴィアを見つめ続けていた。どちらからともなく笑みがこぼれ、次第に爆笑に変わった。


いっとき、ここが戦場であることを忘れ、ほのぼのとした時間が流れた。運命の刻が近づいているとも知らずに。

【裏ショートストーリー】

エーヴ「てめえは、どうしてあんなこと言うんだ」

ジュスタン「あんなこと、って?」

エーヴ「とぼけんな。よりによってリオネルさまがいる目の前で、セリーヌに告白するバカがいるか!」

ジュスタン「告白? そんなことしていないけど」

エーヴ「面と向かって『愛しい人』と言ったろうが!」

ジュスタン「嫌だなあ。曲解だよ。僕は、『麗しい人』と言ったんだ。ごく一般的に美しい女性に対して使う言葉じゃないか」

エーヴ「少なくともリオネルさまは、そうは取らなかったみたいだぞ」

ジュスタン「意外と狭量だなあ、リオネルさまは。僕に言われて動揺するなんて、自分に自信がないのかな」

エーヴ「おい! 言って良いことと悪いことがあるぞ! 仮にも主君に対してなんてこと言うんだ!」

ジュスタン「僕の忠誠は、彼にはないもの。エーヴだって、前に忠誠心はないみたいなこと言ってたじゃない」

エーヴ「わたしは、セリーヌに忠誠を誓っている。その夫君であるリオネルさまも同様だ」

ジュスタン「僕だってセリーヌに忠誠を誓っている。エーヴやサンドラに誓うのと同様に」

エーヴ「……ダメだ、こりゃ。筋金入りのナンパ野郎だ。言っておくが、てめえの言動のせいで、てめえの言う麗しの人は迷惑を被っていることを忘れるんじゃねえぞ」

ジュスタン「そうかな? むしろ、夫婦仲を深めることに貢献していると思うけど」

ミラベル「ジュ、ジュスタン。も、もし、セリーヌを泣かせるようなことになったら、殺すからな」

ジュスタン「……はい。ごめんなさい。今後は気をつけます」

エーヴ「……なんでミラベルにだけは素直なんだ」

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