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第105話 知恵くらべ

ブランシャール軍は、進軍を再開した。目指すはルメール西部の要衝ミュレール。


しばらくは、何事もなく順調に進んだ。しかし、物見から急報が入った。丘陵の迂回路へ向かう分岐点で、ルメール軍が待ち構えているという。


「やっぱりか。エマの言う通り、迂回路へは行かせてはくれないみたいだな」


「旦那さま。ルメール軍は、どのくらいの数なのですか」


シルヴィアが尋ねた。


「およそ2万だそうだ」


「……ふ〜ん。昨日もそうですけど、マクシムは、軍を小出しにするのですね」


「ルメールは、全軍かき集めても5万がいいとこだ。半分弱は小出しとは言わないだろ」


「そうなんですけど、全力で阻止しようという意思が感じられないなあと思ったのです」


「峡谷に誘い込むためのオトリだと?」


「……ねえ、アニェスさま。どう思います?」


「……」


アニェスは、にっこりと微笑んだだけだった。


「おい、シルヴィア。最近、妙にアニェスに話を振るじゃねえか。どういうつもりだ?」


リオネルが、ジロッと睨んだ。


「軍事にも見識がお有りのアニェスさまのご意見を伺いたいだけです。ここにはエマさまは、いらっしゃらないわ」


リオネル軍の通常の行軍は、中央にリオネル隊(9百)、アニェス隊(9百)、シルヴィア隊(5百)と決まっている。ちなみに前衛は、トリュフォー隊(1千1百)、エマ隊(9百)、後衛はギー隊(2千7百)である。


「お義姉さま。私は別にエマに遠慮して意見を言わないわけではありません。エマを全面的に信頼していますから、下手に口出しして議論をかき回したくないだけですわ」


「議論は、いろいろな意見を闘わせるから、議論なのですよ」


「伝令ーっ!」


そこへ、グレゴワールからの伝令兵が駆け込んできた。()()の中断を余儀なくされる。


「第三軍団は、右翼に展開せよ!」


「承知した!」


リオネルの命令一下、リオネル軍が本隊の右に展開した。本隊は方陣を敷いている。リオネル軍だけが、はみ出した形だ。対するルメール軍は、鶴翼に陣を敷いていた。中央には、例の犬牙族・エテルナがいる。


「……またあたしたちだけ、除け者だわ」


「俺たちは、数が少ない。遊軍扱いなんだよ。文句言わずに配置につけ」


リオネルに言われ、膨れっ面のまま天馬隊へ合流した。


「―ん? 何をむくれてるんだ、セリーヌ?」


「別にぃ〜」


「?」


はてな顔のエーヴには答えず、先頭に立った。


「全軍、突撃!」


間髪入れず本陣のグレゴワールから合図の旗が上がった。


「天馬隊、突撃ぃーっ!」


シルヴィアは、手を振った。ブランシャール全軍は、ルメール軍へ向かって一斉に走り出す。すると、鶴翼だったルメール軍が素早く中央に固まった。その動きの速さは、尋常ではない。方陣を敷く…いや、円陣だ! しかも回りながら徐々に移動し始めた。


先頭切って飛び込んだラファエル軍が、円陣にはね返された。2万しかいない少数とは思えない破壊力である。ブランシャール軍は方陣のため、実際に敵にぶつかる数が少ない。


そうと見て取ったブランシャール軍は、横へと広がった。円陣を包み込もうとする。リオネル軍は、味方に押し出される形になり、敵に届かない。


すると、円陣が崩れた。雪崩を打って敗走する。その先は…


「第三軍、停止! 停止しろ!」


リオネルの指示の元、シルヴィアたちは、その場に留まった。


「やっぱり峡谷へ誘うためのオトリだった」


シルヴィアは、峡谷方面へと敗走していくルメール軍を静かに見送った。ブランシャール全軍も深追いせず、そのまま留まった。


平原は、何事もなかったかのように、元の平穏な姿へと戻っていた。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


ブランシャール軍は、丘陵を迂回するルートを進み、ミュレールの手前、小高い丘の麓に布陣した。丘を登ればミュレールの城を望める位置である。


「今夜はここで駐屯だ。明日の早朝、ミュレールを包囲する」


リオネルの天幕に大隊長が集められた。明日の方針がリオネルから伝えられる。


「マクシムは、エマの言う通り、峡谷へ誘おうとしましたね」


ギーが言う。


「だな。さすがはエマだ。もう、彗星どのの手の内はお見通しなんじゃないか」


「本陣も深追いしなかったし、リオネルさまの具申が効いたんじゃねえですかい?」


「いや、トリュフォー。俺の具申なんか、けんもほろろに却下されたんだよ。そんなこと、とっくに考えていたんだってさ」


「本当ですかい? 指摘されて癪に障ったから、そう言っただけなんじゃ?」


「さあな。いずれにしろ、誰も罠には嵌まらなかった。それでいいさ。なあ、エマ?」


「……」


「エマさま…?」


そっとシルヴィアは声をかけた。エマは、さっきからずっと地図とにらめっこをしたままなのだ。


「―あっ!? すみません。何のお話でしたか」


「……どうした、エマ? 気がかりなことでもあるのか?」


「いえ。大したことではないのですが、本当に峡谷に誘う罠だったのかな、とふと思っただけなのです」


「お前が言い出したんだぞ。何をいまさら」


「そうなのですが…」


「罠でなければ、何だと言うんだ? ルメール軍は、確かに峡谷方面に敗走していったんだぞ」


「ごめんなさい、ギー。言葉で説明することが難しくて…違和感としか言いようがないの…」


「……まあ、いい。明日の攻城戦だが―」


再び黙り込んでしまったエマには構わず、リオネルは、皆を見回した。


「俺たちの持ち場は、東側の城壁だ」


ミュレールは、交通の要衝だが、ガイヤールのような要害ではない。周囲は平地で、離れたところを大河オランドの支流の川が流れているが、攻城の障壁とはならない。高い城壁で囲まれている、普通の城市である。


「昨年のように、内部通報者は期待できない。通常の攻城戦となるだろうな」


「敵は、多くて3万というところでしょうか。峡谷へのオトリが既に城に入っているでしょうし。こちらは10万。ギリギリですね」


ギーが言う。通常、攻城戦には、防御側の3倍の兵数が必要だといわれる。


「ルメールの総数は、未だわからん。昨年は、いつの間にか4万も集めていた。あまり楽観視しないほうがいいだろうな」


「攻城兵器は、何を使うんで?」


トリュフォーが尋ねる。


「城門は、攻城槌だ。城側から集中攻撃されないよう、俺たちが側面から攻撃して城側を分散させる」


「わかりました」


「時間を稼いでいる間に、攻城塔も作るそうだ」


「へえ。そりゃ、大掛かりですね」


攻城塔は、巨大な櫓である。城壁と同じ高さの櫓を組み、城壁上部に橋を渡して多数の兵を突入させることができる。攻城戦には極めて有効だが、作るのに時間がかかるのが欠点である。


「ミュレールは、平城だ。攻城塔が完成すれば城は落ちるだろう」


「主役はあくまで、城門担当のラファエルさまですか」


「そういうことだ」


楽観視するな、というリオネルの言葉とは裏腹に、穏やかな空気が流れた。リオネル軍の役割は、文字通り側面支援である。緊張感が薄れたのは、やむを得ないだろう。


しかし、独り難しい顔を崩さないエマを、シルヴィアは、気遣わしげに見つめるのであった。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「マクシムさま。ブランシャール軍は、明日には城を包囲すると思われます」


農民の格好をした男が一礼して出ていくのを見送りながら、ララが言った。


「こちらの思惑通りだね」


マクシムは、人懐っこい笑顔を浮かべた。相変わらず、椅子の上で器用にあぐらをかいている。


ミュレール城内に設けた司令室である。マクシム軍司令部の最大の特徴は、とにかく頻繁に人が出入りすることだ。伝令や諜報部隊がもたらす情報を集めているのである。


伝令兵は、最優先でマクシムに会えるようになっている。質は求めず、とにかく得た情報は報告するよう徹底させていた。内容の取捨選択は、マクシム自身が判断するのだ。


「エテルナは、うまくやってくれた。リオネル軍は、今のところ気づいていないようだし」


「今のところ…? いつかは気がつくと仰いますか」


「エマが僕の想像した通りの人物なら。タイミングによっては、リオネルを討ち漏らしてしまうだろうね」


「それほどの人物ですか、エマ・デシャンは」


「彼女がいなければ、おそらくルメールは負けずに済むほどの人物だよ」


「背筋が寒くなりました。マクシムさまにそこまで言わせるなんて、とんでもない人材です」


「殺すのがもったいないくらいだよ。今からこちらにスカウトできないかな」


「……」


「冗談! 冗談だって。真に受けないでよ〜」


「マクシムさまが仰ると、冗談に聞こえませんよ」


「失礼します!」


また諜報員らしき男が司令室に入ってきた。今度は商人の装いであった。


「ガイヤール城主、ギュスターヴさまからの手紙を預かってまいりました」


「ギュスターヴから?」


「またギュスターヴさまからのお手紙ですか。かなりの数、来ていますよね?」


「十数通かな」


「これほど筆まめとは存じませんでした」


「真面目が服着ているような男だから」


一読すると、マクシムは、執務机の上に放り投げた。書類が山積みになっている。


「……今回は、何と?」


「ガイヤールは出撃する準備があるってさ。ブランシャール軍の背後をつけるって」


「一見、協力的ですが」


「……まあ、放っておこう」


「よろしいので?」


「算段はもう済んでる。今からギュスターヴの力を借りなくてもいいよ」


「背後をつくと見せかけて、ブランシャールに味方するとも限りませんしね」


「そうだね。見た目、僕らが追い込まれているように見えるだろうから。このタイミングで旗幟を鮮明にしてもおかしくはない。でも、彼はそんな風見鶏じゃないよ。クソ真面目は、このまま何もさせず放っておくに限る」


み空色の瞳がくるめいた。既にそれはガイヤールの男に関心を失い、まだ見ぬ好敵手を見据えているようだった。

【裏ショートストーリー】

ヴァネッサ「お父さま。またお手紙を書いていらっしゃるの? 近頃多くありません? そんなに筆まめでしたかしら」

ギュスターヴ「エマどのとの約束だからな」

ヴァネッサ「えっ!? エマさまっ!? では、策を授けられたのですね! どんな? ねえ、お父さま、どんな策を授けられたのですかっ?」

ギュスターヴ「な、なんだなんだ? 突然興奮して、どうしたんだ?」

ヴァネッサ「だって、エマさまといったら、リオネルさまの軍師として有名な方ですわ。戦術は、ほとんどエマさまが考案しているのですって。私の憧れの一人です」

ギュスターヴ「……お前が憧れるのは、軍絡みの方ばかりなのだな」

ヴァネッサ「それはそうですよ。大人になったら、軍に入るのが夢なのですもの」

ギュスターヴ「エミリアンから、そういう言葉を聞いてみたいものだ」

エミリアン「……」

ヴァネッサ「エミリアンなんか放っておいて、エマさまの策をお聞かせください」

ギュスターヴ「策もなにも、マクシムに定期的に手紙を書くようにと言い残していかれたのだ」

ヴァネッサ「……それだけ?」

ギュスターヴ「それだけだ。内容は問わないから、とにかく書き続けることが重要なのだそうだ」

ヴァネッサ「よく…わからないわ」

ギュスターヴ「軍師どのの考えることなど、お前ごときがわかるわけなかろう」

ヴァネッサ「……なんだか悔しい。もっともっと軍略を勉強して、いつかエマさまのお役に立てるような軍人になるわ」

ギュスターヴ「その前に、お前は花嫁修業をしろ、花嫁修業を」

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