第104話 My exとマイハズ
結論らしい結論が出ないまま、雁首は解散となった。
返す返すもタイミングとは恐ろしいものだ。昨年、ガイヤールを落とし、ギュスターヴを配下に加えた際、彼が推薦してきたのがマクシムだった。冷遇されているというマクシムをそのとき味方に引き入れることができていれば、こんにちの苦労はなかったのだ。
「―今さら繰り言を言っても仕方ないけどね」
シルヴィアは思いを巡らしながら、自室に戻ろうとぷらぷら廊下を歩いているときだった。大きな人影がテラスのほうへ向かうのが見えた。
急いで後を追いかけた。
「―サイノス!」
テラスの手すりに寄りかかっていた大きな人影が振り向いた。
「セリーヌか」
シルヴィアは、サイノスに並んで手すりを掴む。
テラスからは、中庭がよく見えた。今夜は満月である。開き始めた花々が月明かりに照らされて、幻想的な景色が広がっていた。
「軍議は、終わったのか?」
「ええ。結論は出なかったけどね」
「そうか」
「夜出歩くなんて、珍しいじゃない」
「そうでもない。犬牙族にとって月光は特別だ。リシャールでも、よく月見をしていた」
「そうだったわね。アズールも月見をよくしていたわ」
「……」
「―ねえ、サイノス。聞いてもいい?」
「お前のことだ。嫌だと言っても尋ねるのだろう? どうせ、俺を追いかけてきたのも、それが理由だろうし」
「あは。バレた?」
「―エテルナは、元恋人だ」
「―!」
「自分で言うのも何だが、俺たちは、ルプスでは双頭・オルトロスと呼ばれるほど、国内で一、二を争う勇者だった」
「……小さいころに、オルトロスの噂を聞いたことがあるような気がするけど」
「セリーヌがカトゥスで軍に入ったころには、とっくに国を出ていたからな。名前までは覚えちゃいないだろう」
「何でルプスを出たの?」
「世界を見てみたかったんだ。俺は、子どものころから外の世界に憧れていた。ルプスは狭い。しょせん、ど田舎だ。ルプスで一番になったところでたかが知れてる。だから、エテルナを誘った」
「……好き、だったから?」
「当時は、気の合う友だとしか思っていなかったがな。二人で組めば、世界で最強だと少々うぬぼれてもいた」
「サイノスは、最強の勇者よ」
「はは。気を遣わなくてもいい。お前といい、中隊長連中といい、世の中には強者がゴロゴロいる」
「あたしなんて…ただの半端者よ」
「謙遜は、お前の良いところだ。俺たちは、そうじゃなかった。国を出て、傭兵稼業をしながら世界を回った。すぐにでも世界最強の称号を得られると思っていた。でも違った。俺たちは最強じゃないことを思い知らされた」
「……」
「お互い、相手に頼り過ぎていたんだな。もっとアイツが頑張れば強くなれるのに、もっとアイツがうまく立ち回れば…というように、相手のせいにするようになっていった。自分が弱いのを棚に上げてな。だから、別れた」
「サイノス…」
「悲しそうな顔をするな。同情はいらないぞ。お互い、納得ずくだ」
「だとしても、敵味方に分かれちゃって、平常心でいられるの? 愛した人なんでしょ?」
「正直に言うと、あいつに声をかけるまでは少し心配していた。取り乱したらどうしよう、とな」
「……」
「でも、意外と普通だった。旧友に会った感じかな。懐かしかったが、それ以上でもそれ以下でもなかった」
「……本当に? 無理しているんじゃなく?」
「本当だ。俺の中では整理はついている。敵味方に分かれることは、お互い承知済みだし。―ただ、お前の立ち場上、少しでも不安があるというのなら、外してもらっても構わない」
「中隊長から? そんなこと、するわけないじゃない。最初から、あなたのことは信頼しているわ。友だちなんだから」
「……すまない。俺の個人的なことでお前の手を煩わせてしまって」
「何を言ってるの。みんな個人的なことを抱えているわ。あたしはね、一緒に抱えたいのよ。それが嫌だとか、苦労だとか思うようなら、友だちになんてならないわ」
「ありがとう。嬉しいよ、セリーヌ」
薄墨色の瞳は、月を見上げた。真っ直ぐ見つめる先には、きっと月ではない何かが見えているのに違いないと、シルヴィアは思った。
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翌日、ブランシャール軍は、5千の守備兵を残して全軍ロワイエを出発した。目指すは無論、西部の要衝ミュレールである。
エマの指摘通り、リオネル軍の別行動は許されなかった。ミュレールへの途は、リオネル軍にとっては未知である。
「紅烏団の調査によると、ミュレールに向かうには、今いる平原から3つのルートがあるそうです」
エマが地図を広げた。
進軍は、開けた平原で休憩となった。思い思いにくつろぐ兵を傍らに、大隊長はリオネルの天幕で作戦会議である。
「一つは、丘陵を迂回するルート。少し遠回りですが、行軍は楽です。昨年、ラファエル軍らが通ったルートでもあります」
エマは、地図を指し示しながら説明する。
「もう一つは、平原の先にある隘路を進むルートです。ちょっとした峡谷になっていて、ミュレールにはこれが最短ですが、大軍を通すのに時間がかかります」
「それで、兄上は昨年通らなかったんだな」
「はい。最後のルートは、この山岳地帯を通るのですが、論外でしょうね」
「大軍を動かすには、最も不適だしな」
トリュフォーが地図を睨みながら言う。
「丘陵を迂回するルートで決まりだろう」
「……だと思うわ、ギー」
「何か、気になることでもあるのか」
難しい顔を崩さないエマを見て、リオネルが尋ねる。
「兵力で劣るルメール軍が待ち伏せするとしたら、どこが最適かと考えたのです」
「……峡谷、ですよね」
「その通りですわ、シルヴィアさま」
エマは、地図の隘路を指差した。
「ここ。崖の上。弓兵を配置するには絶好の場所です」
「それはわかるが、たった今、迂回ルートを進軍すると言ったじゃないか。軍が通らなきゃ、意味がない」
「リオネルさまの仰る通りです」
「それなら、何も心配はいらないだろう」
「相手は彗星ですよ。何を仕掛けてくるかわかりません」
「つまりエマさまは、峡谷におびき寄せる何らかの手立てを講じてくる可能性があると仰りたいのね」
そういうシルヴィアに、エマはうなづいた。
「どんな誘いにも乗ってはならない、と陛下に言上いただきたいのですが、聞き入れてくださるかどうか」
「言うだけ言うさ。これも皇子としての務めだ」
リオネルは立ち上がった。ギーを連れて天幕を出ていく後ろ姿を、シルヴィアは心配そうに見送った。
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「サンドラ!」
木陰で休んでいたサンドラの元に、バスティアンがやってきた。周りにいた隊員たちがニヤニヤ笑いながら、ほかの木陰へと場所を移していった。
「ダメだろう、バスティ。隊を抜け出してきては」
「堅いこと言うなって」
バスティアンは、隣にドカッと座った。
「隊員たちが遠慮して行ってしまったじゃないか」
「気が利いて助かる」
「バスティったら…」
くしゃっと崩れる空色の瞳を見て、サンドラは、苦笑いを浮かべた。
「昨日のルメール軍、凄かったな。まるで鉄の城門にぶつかったのかと思ったよ」
「敵の隊長、手強いぞ」
「兵が木か紙のように吹っ飛んでたな」
「ルメールの彗星の片腕だそうだ」
「戦場で出会わないように、鈴をつけておこうかな」
「熊じゃないんだから―」
ついにサンドラは吹き出してしまった。内心では会えて嬉しい気持ちを一生懸命押さえつけていたのだ。
「おっ! いいねえ〜。サンドラは笑顔が一番」
また、空色の瞳が崩れた。サンドラは、笑みを引っ込めた。
「ここは、戦場だぞ。中隊長がヘラヘラ笑っていては、隊員に示しがつかない」
「真面目だなあ、サンドラは。もう少し肩の力を抜いてもいいと思うがなあ」
「性分だ。仕方がない」
「サンドラの中隊、最近明るくなった、って評判だぜ」
「……」
「中隊長がよく笑うようになったから、だそうだ」
「……そんなに笑ってたかな」
「自分では気づかないもんさ」
「……」
「……バスティ! 集合がかかったぞ、出発だってさ」
隊員が呼びに来た。
「よっしゃ! ひと踏ん張りといきますか。―じゃあな、サンドラ。頑張れ」
「バスティもな」
サンドラは、白銀の髪をなびかせ走り去る後ろ姿に小さく手を振った。そのオッドアイは、彼の残影すらも見逃すまいと、いつまでも追い続けた。
【裏ショートストーリー】
リオネル「父上。具申いたしたき儀がございます」
グレゴワール「……言ってみろ」
リオネル「この先の進軍ルートについてにございます。是非とも丘陵を迂回いただきたく」
ジルベール「何を手柄顔で言うかと思えば、わかり切ったことを。昨年もそのルートを使ったのだ。余計な差し出口は控えろ、うつけが」
リオネル「相手はルメールの彗星。もう一つのルートである峡谷へと誘い込む罠があるとも限らない。……父上。何卒、どのような誘いがあろうとも深追いせず、迂回ルートをお進みいただきますよう」
ラファエル「それは、俺への当てつけか?」
リオネル「そうは言っていない。曲解するな」
グレゴワール「……リオネル」
リオネル「はっ」
グレゴワール「お前が考えそうなことは、既に余も考慮しておる。意見として聞き置くが、今後は軍略について口出し無用」
リオネル「……はっ」
ジルベール「貴様は、ただの駒だ。父上に意見を述べることができるなどと思い上がるな。以前も言ったはずだが、貴様はうつけだから忘れていよう。特別にもう一度教えてやる。貴様は、黙って父上の言う通りに動いていればいいのだ」
リオネル「……」
ジルベール「わかったら、さっさと下がれ」
リオネル(みんな、ごめんな。俺の意見なんか耳を貸してももらえないよ。……まあ、言うべきことは言った。皇子としての仕事は全うしたんだから、良しとするか)




