第103話 切られた火蓋と繋がった縁
ルメール軍、来襲の報は、少なからずブランシャール軍を動揺させた。
無抵抗で西部の重要拠点であるロワイエを占拠させておいて、間髪入れず急襲してくるとは、予想だにしていなかったのだ。
物見によるとルメール軍はわずか1万。堅固な城市に籠城せず、城外に出て迎撃体制を敷いた。数ではこちらが圧倒している。
「―来やがった!」
トリュフォーが吠えた。先頭には、大柄な女性がいる。ルメール軍の隊長だろう。こちらは、リオネル軍7千のほか、ラファエル軍とガブリエル軍が出陣している。
「これがマクシムの軍…」
シルヴィアは、結婚披露宴で初めて会ったマクシムの人懐っこい笑顔を思い浮かべていた。
戦場に彗星の如く現れ、ジルベール軍を壊滅させてブランシャール侵攻軍を撤退させた男。
ルメール軍が布陣を終えた。動きに無駄はなく、隙もない。かなりの強敵とみた。
「兄上から、待機命令が出た」
ラファエルの帷幕から戻ってきたリオネルが言う。
「にゃっ!? そんなバカな。なんで私たちだけ待機なの?」
「あの野郎、敵が小勢だと思って、手柄を独り占めする気だ」
トリュフォーが真っ赤になって憤慨する。
「そう、文句言うな。大トリは、最後に登場と相場は決まってる」
「またそんな人の良いことを言って」
「とにかく、配置について待機しろ。これは命令だ」
大隊長たちは、渋々隊に散っていった。シルヴィアも天馬隊へ戻る。すると、サイノスがやってきた。
「セリーヌ! 敵の隊長を知っている」
「にゃっ!? それ、ほんとう?」
「奴は、エテルナ・スティレット。犬牙族だ」
「犬牙族…。サイノスの知り合いなの?」
「……まあな。長い間組んであちこちで傭兵稼業をしていた元仲間だ」
「そうなんだ…」
「強いぞ。個の力は俺と同等かそれ以上。軍の指揮も並外れてうまい」
「ありがとう、教えてくれて。配置について。しばらく待機よ」
「わかった」
「―サイノス!」
戻りかけたサイノスを呼び止めた。
「無理…しないでね」
サイノスは一瞬、驚いた表情を浮かべたが、すぐ無表情に戻り駆け去っていった。
ラファエル軍が動き出した。二倍の兵力で襲いかかる。一撃で粉砕できる…はずだった。分厚い鉄板にでもぶつかったようにラファエル軍が弾き返された。
その鉄板の真ん中では、女性隊長が大暴れしていた。サイノスがエテルナと呼んだ犬牙族だ。彼女を中心にルメール軍は、それ自体一つの鉄の塊のようになって、次々とラファエル軍を粉砕していく。
小勢と侮っていたラファエル軍は、慌ててリオネル軍とガブリエル軍に合図の旗を挙げた。突撃命令である。
「何なの!? 待機命令を出しておいて、すぐ撤回するなんて!」
ラファエルの身勝手に憤りつつ、シルヴィアは、手を振った。
「突撃!」
リオネル軍は、重装歩兵の黒牛隊、志願兵中心のギー隊が歩兵であり、そのほかは騎兵が中心である。歩兵を守るようにして、天馬隊を走らせた。シルヴィアのすぐ背後には、旗手のヴァレリーがピタリとついていく。天馬隊の隊旗がはためいた。そのまま鉄の塊へぶつかる。
凄まじい衝撃を受けた。負けじと押し込む。
「押せっ! 押せっ!」
シルヴィアは、隊を叱咤しながら長剣を縦横無尽に振るう。
さしもの鉄の塊も、五万近くを相手に持ちこたえられず、敗走し始めた。
「エテルナ!」
サイノスが突出し、敵の隊長に呼びかけた。
「よう、サイノス! 生きとったか!」
エテルナは、グローブ型メリケンサックで兵を殴り倒しながら、挨拶を返した。
「まさかルメールの傭兵になっていたとはな」
「傭兵ちゃうで。マクシムさまの直臣になったんや。あんたこそ、ブランシャールの傭兵かいな」
「いや、俺も正規の兵になったんだ」
「そうか。まあ、気張りや。―また会おうな、戦場で!」
エテルナは、ウインクして駆け去っていった。
「追え! 追え!」
ラファエル軍が敗走するルメールを追う。
「リオネルさま! いけませんっ!」
後に続こうとしたリオネルを、駆け寄ったエマが必死に止めた。
「相手は、彗星ですっ。どんな罠が仕掛けられているかわかりません。追撃してはなりません!」
「わかった。―停止! 第三軍は、追撃してはならん! 停止しろ!」
リオネル軍が全軍停止した。ガブリエル軍も倣って停止する。しかし、ラファエル軍は構わず追撃していった。
エマが危惧したとおり、途中埋伏していたルメール軍が一斉に矢を射かけ、散々にガブリエル軍を討ち取った。
多大な犠牲を払ったガブリエル軍は、蹌踉とロワイエへ戻ってきた。
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「あれは、何だったんだろうな」
その夜。ロワイエ城の会議室である。大隊長が雁首を揃えていた。
「正直、わかりかねます」
リオネルの独り言のような問いに、エマが生真面目に答えた。
「小手調べのようでもありますし、牽制のようでもあります。意味があるように見せかけて、本当は何の意味もないかもしれません」
「よくわからねえな」
「だから最初にわからないと言ったじゃない、トリュ」
「もし、ラファエルがあのままタイマン勝負していたら、きっと負けてたぜ」
「私もそう思います」
シルヴィアが、うなずく。
「ルメール軍は…というより、マクシム軍は、かなり手強いわ。数を頼った力押しだけでは勝てないと思います」
「父上が、そう思ってくれるといいんだがな」
「―アニェスさまは、どう、思われますか?」
「私は―」
シルヴィアに話を振られて、アニェスは女神のような神々しい微笑みを浮かべた。
「見識も意見もありません。どうぞ、私のことは気にせず、話を進めてください」
「……」
「―ロワイエの無抵抗開城といい、直後の襲撃といい、彗星どのに先手を取られています。初手で主導権を握られてしまいました」
エマは、まるで二人のやり取りはなかったかのように言葉を継いだ。
「これ以降、彗星どのがどんな手を繰り出してくるか、常に警戒しながらの行軍となります」
「仕方ない。彗星相手だ。すんなり行くとは初めから思っていないよ」
「それともう一つ、困ったことがあります。ガイヤールへの進軍を事実上封じられてしまいました」
「あ? なんで? 明日にでも父上に言上しようと思ってたのに」
「陛下はお許しにならないでしょう。ラファエル軍に多大な犠牲が出ました。初戦は我が軍の見事な敗北です。数での力押しがお好きな陛下ですから、一兵でも多く手元に置いておきたいはず。ですから―あっ!?」
言いかけて、エマは、ハッとしたように目を見開いた。
「どうした、エマ?」
「―彗星どのの意図が、今、わかりました」
「なんだ、それは?」
「私たちの封じ込めです。陛下やラファエルの性格、これまでの戦いぶり、私たちとガイヤールとの関係、すべて読んで、ラファエル軍に的を絞って襲撃してきたのに違いありません」
「つまりそれは、私たちをガイヤールと合流させないために、わざと敗走してラファエルを誘い、伏兵で打撃を与えた、というのか」
「そうよ、ギー。彗星どのにしてやられたわ。こんなに早く襲ってきたのも、私たちがすぐにでもガイヤールに向かう可能性があったからよ。それを潰しにきたんだわ」
「だとすると、ガイヤールの裏切りはバレてると思ったほうがいいな」
トリュフォーがスキンヘッドを撫でた。
「そうね。当面、ギュスターヴさまには、自力で身を守っていただくしかないわね」
「しかし、オッソロしい奴だな、彗星どのは。どこまで深く先を読めるんだ」
リオネルが嘆息した。
「警戒するしかありません。主導権を握られた以上、その都度対処していくしかないですね。―やはり、彗星どのは、軍事の天才です」
【裏ショートストーリー】
エーヴ「おい、サイノス! あれは、何だ?」
サイノス「あれとは、何のことだ?」
エーヴ「トボけんな。敵の隊長と親しそうに話してたじゃねえか」
サイノス「知り合いだったからな。挨拶をしたまでだ」
エーヴ「敵と知り合いとは、尋常じゃねえ。てめえ、裏切ったりしたら許さんぞ」
サイノス「……」
ミラベル「エ、エーヴ! な、何てこと言うの。サ、サイノスが裏切るわけないじゃない」
エーヴ「わかったもんじゃねえ。こいつは、ここに来る前は傭兵稼業をやってたんだ。どこでどうルメールと繋がってたって、不思議じゃねえぞ」
ミラベル「み、見損なったわ、エーヴ。わ、わたしたち、友だちでしょ。と、友だちを疑うの?」
ジュスタン「本気で疑っているわけじゃないさ。むしろ、自分が悪者になって、サイノスは敵と関係ないとみんなに示そうとしているんだと思うよ」
エーヴ「ジュスタン! 余計なこと言うな!」
ミラベル「えっ!? そ、そうだったの。ご、ごめん、エーヴ。お、慮ってあげられなくて」
エーヴ「べ、別に…わたしはそんなんじゃ…」
サイノス「みんな、すまない。俺のせいで気を遣わせてしまって。言葉を多く連ねるつもりはない。行動を見ていてくれ」
ミラベル「わ、わたしは初めから、し、信じてる」
ジュスタン「サイノスは、どんくさいから、敵と通じるなんて器用なことはできないさ」
エーヴ「わたしは…別に…」
ミラベル「エ、エーヴは、優しいね。だ、大好きだよ」
エーヴ「そんなんじゃねえ! てめえら、勝手なこと言ってんじゃねえよ!」




