第102話 運命への一歩
皇宮の北側には、広大な広場がある。普段は何もないただの広場なのだが、皇帝による閲兵式ともなると、ブランシャール軍の兵で埋め尽くされる。
今、まさに広場は、将兵で溢れ返っていた。ルメール侵攻軍である。
昨年、7万人の兵を擁してルメールへ侵攻したが、ただ一人のために敗北して逃げ帰ってきた。その雪辱戦でもある。
総勢約10万人。ズラリと並んだその中に無論リオネル軍もいる。皇族の一員であるシルヴィアは、中央に設けられた壇上に立つ皇帝グレゴワールの脇に控えていた。夫たるリオネルと義妹たるアニェスの間に挟まれている。
新年の朝賀の儀で倒れるという前科のあるシルヴィアである。兄妹で支えるという意味もあるのだろう。
(あのときは、不意打ちを喰らったから、倒れただけなのに)
か弱い王女さま扱いに、内心、少々不満のシルヴィアではある。しかし、リオネルたちの心配もむべなるかなで、晴れの出陣式で倒れられでもしたら、それこそ不吉だしグレゴワールの怒りを買うこと間違いなしだ。何が何でも立たせておくつもりなのだろう。
ここにいる皇族は、アニェスも含めて全員軍装だった。朝賀の儀の際には謹慎中で参加していなかったジルベールの青い軍服姿を初めて見た。
その皇族の中の一人、ガブリエルをチラッと見た。シルヴィアたちからは皇帝を挟んで反対側に並んでいる。純白の軍装が目にも鮮やかである。
(白マントの男がガブリエルさまだったなんて…)
3年後の未来、悪魔と化したリオネルに寄り添っていた男。それがガブリエルだと気づいたとたん、目が回り倒れてしまったのだ。
しかし、今日は最初から構えていたので、ガブリエルの軍装を見ても、体調には何の異変も起こらなかった。
出陣式は、極めて簡素だった。グレゴワールが、兵を鼓舞する演説をして終わりである。直ちに出発となった。
ラファエルを先頭に、続々と兵が進むさまは壮観であった。ラファエルの次がジルベール、真ん中がグレゴワール、続いてガブリエル、最後尾がリオネルだった。
「……普通、旦那さまがガブリエルさまの前じゃないの?」
リオネルの横でフランベルジュにまたがったシルヴィアがむくれる。
「順番なんて、どうでもいいだろ」
どこまでもおおらかなリオネルである。
「私たちの軍が最も数が少ないし、仕方ありませんよ、お義姉さま」
「アニェスさままで…。お二人は、気にしなさ過ぎです」
リオネル軍は、総勢七千である。結局、志願兵が二千集まったとはいえ、各軍は二万。グレゴワールにいたっては三万。明らかに見劣りする。
「シルヴィアが形にこだわるなんて、珍しいな。軍の行進の順序で価値が決まるわけじゃない。こんなこと、改めて言わなくてもわかっているはずだ」
「それは、わかります。わかりますけど、悔しいじゃないですか、旦那さまがないがしろにされているようで」
「そう言ってくれるのは、嬉しいよ」
黒い瞳が微笑んだ。その瞳に見つめられると、つい、頬を赤らめてしまう。
「俺たちは名より実さ。実戦で力を見せつけてやろうぜ」
リオネルは、朗らかに笑い声を上げた。
第二次ルメール戦役。後にこう呼ばれる戦いで、リオネルの腹心であるギーが戦死する。
それが、姉グロリアがリオネルに嫁いだもう一つの世界での運命である。ギーはリオネルにとって、兄とも友とも想う人物だ。ここで失えば、心の半分が死ぬほどの衝撃をもたらすだろう。
(―絶対にそれだけは阻止しなくては)
悪魔と化すリオネルに、故国カトゥスへの侵攻をさせないため、これまで懸命に努力してきた。だが、今は少々心境に変化が現れている。
政略結婚と思い定めて嫁いだ先に、思いがけず真実の愛を見い出した。愛する夫を悲しませたくない。いや、リオネルだけではない。これまで出会ったリオネル縁の人々を愛するようになっていたのだ。
(リオネルだけじゃない。エマさままで悲しむことになるわ。ギーさまを死なせたりはしない。私が必ず守ってみせる)
シルヴィアは、強く前を見据えた。その先に、見えぬ高い壁が立ちはだかっていることを、ひしひしと感じながら。
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『高い壁』は、王都シメオンでブランシャール軍出陣の報を聞いていた。
「やはり来ましたね、マクシムさま」
「だね〜。それじゃあ、僕たちも行こうか」
マクシムは、早くもあぐらをかいていた椅子から立ち上がった。
「お気の早い」
「だって、ワクワクするじゃない。リオネル軍との初お目見えなんだからさ」
「……また悪癖をお出しになって」
ララは、苦笑いを浮かべた。
「危機になるとむしろ楽しもうとなさる。戦争は、遊びではありませんよ」
「もちろん、わかっているさ。だけど、ワクワクする気持ちはどうしようもない。リオネル軍の戦術は、エマ・デシャンという兎脚族がほとんど一人で決めているんだ。ほら、ガイヤールからの偽装撤退、あれを発案した御仁さ。彼女のお手並みを拝見できるなんて、楽しみで楽しみで、もう夜も眠れないくらいだよ〜」
「……やっぱり、わかってはおられないな」
ララがぽつりと言う。しかし、マクシムには聞こえなかったようだ。
「エテルナの準備は、出来てるよね」
「はい。既に軍営でマクシムさまをお待ちしています。ご命令があれば、直ちに出動できるよう準備を整えています」
「よしっ。それじゃあ、行こ行こ」
今にもスキップを踏みそうなマクシムの後ろ姿を見ながら、ララは、深いため息をついた。
「―マクシムさまっ。馬はおやめください。すぐに馬車を仕立てさせますので。……聞いていらっしゃいますか、マクシムさま!」
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ブランシャール軍は、ルメール領内の城市ロワイエに無事入城していた。ブランシャール軍接近の報せに、駐屯していたルメール軍は、戦わずして撤退。城も無抵抗で開城した。
相応の交戦を覚悟していたブランシャール軍は、拍子抜けで粛々と城を占拠した。もっとも、城はほぼ空の状態で、市民も大半は逃亡しており、もぬけの殻だった。
「―どう思う? エマ」
リオネルたちは、昨年ロワイエ城に入った際に使用した大臣室を再び会議室としていた。
「明らかに何らかの意図を感じます」
エマは、考え考え意見を述べる。この際ではあるが、仕草一つ一つが艶めかしい。ついついシルヴィアは見惚れてしまう。
「彗星どのの戦略の一環なのでしょうね。どういう戦略かは、まるでわかりませんが」
「ロワイエは、交通の要衝だ。わざわざ敵にタダでくれてやるってんだから、国境地帯は放棄したも同然だ。その分、この先に相当な罠が待ち受けているんだろうぜ」
トリュフォーが吠えた。
「そんな罠なんか、粉砕してやるけどよ」
「―旦那さま。私たちは、またミュレールを目指すのですよね?」
「ああ。何と言っても西部の拠点だからな。ミュレールを落とさなきゃ、その先へは進めない」
「ガイヤールは、いつ使いますか?」
リオネルたちは、皆、押し黙った。ガイヤールこそが、ルメール攻略の要だと誰もが理解しているからだ。
「―それは、彗星どの次第かと、シルヴィアさま」
エマが妖艶な笑みを浮かべた。
「ガイヤールの裏切りをいつ気づくか。もしくは、既に気づいていて泳がせているのか。それを見極めてからでないと、ギュスターヴさまのお命に関わります」
「ですので、いっそのこと、初めから旗幟を鮮明にするというのはどうでしょう?」
「……」
「すぐにガイヤールに入城して、王都シメオンを牽制するのです。大河オランドから攻め込むぞ、って姿勢を見せるだけでマクシムは、かなり行動を制約されるはずですわ。同時にギュスターヴさまを厳重に保護すれば、手出しもできない。一石二鳥だと思いますが」
「―確かに。シルヴィアさまのご提案は一理あります」
エマは、大きくうなずいた。
「私もシルヴィアさまに賛成です」
ギーが小さく手を挙げた。
「ガイヤールを拠点にすれば南のドゥラットルも抑えることができる。物資の流れを止めればシメオンに大打撃を与えられます。様子見より、むしろ即座に行動すべきかと」
「……リオネルさま。陛下に言上をお願いできますか。リオネル軍は、ガイヤールに向けて転進したい、と」
「わかった。早速父上に言上しよう」
しかし、ルメール軍は、そうはさせてくれなかった。リオネルがグレゴワールに会う前に、ロワイエへ進軍してきたのだ。まさに電光石火の動きだった。
率いるは、エテルナ・スティレット。ルメールの彗星、マクシム・フーコーの片腕であり、犬牙族の勇者であった。
【裏ショートストーリー】
シルヴィア「アニェスさまは、軍議になるとあまり発言なさらないんですね」
アニェス「私なんかが口出ししなくても、優秀な部下が揃っていますから」
シルヴィア「マルチな才能をお持ちのアニェスさまですもの。お考えを聞きたいわ」
アニェス「いえいえ。私、軍略の才だけは無いの。隊の指揮だって、周りが盛り立ててくれるから、なんとか格好がついているだけだし。みんなにお任せします」
シルヴィア「なんだか、アニェスさまらしくないわ。きっと、みんなが気がつかないような視点で物事を捉えていらっしゃるでしょうに」
アニェス「それこそ、買い被りだわ。本当に軍事には疎いの」
シルヴィア「そんなわけないわ。以前、天才軍略家のガストン・ポワロの話をエマさまとなさっていたのを覚えていますよ」
アニェス「たまたま故事を知っていただけです。意見として述べられるほどの知識は持ち合わせていないのよ」
シルヴィア「軍議の際の意見に、知識は必要ないわ。ひらめきでもいいんです」
アニェス「……お義姉さま。妙にこだわるのね。何を考えていらっしゃるのかしら」
シルヴィア「アニェスさまこそ、妙に頑ななのね。何か理由がおありなのかしら」
リオネル「……お前らが言い争うなんて、珍しいな」
シルヴィア・アニェス「言い争いなんて、してません!」
リオネル「ごめんなさい…(なんで最後は俺が謝らなきゃいけないんだ?)」




