第1話 ループ
「やぁーっ!」
シルヴィアは目の前の敵兵を一撃で両断した。更に次の敵兵が剣を振り下ろしてくる。剣を跳ね上げ袈裟がけに斬り倒す。凄まじい剣勢に一瞬敵兵が怯む。
「奴は将軍だ。将軍首は褒賞も思いのままだぞ、奮えや、兵ども!」
指揮官らしき男の督戦に、槍兵がシルヴィアを取り囲み、槍先を揃えて突撃してくる。
「おりゃあぁーっ」
シルヴィアは垂直に飛び上がって槍先をかわす。人間技とは思えない跳躍力である。突き出された槍を踏みつけると同時に数人なぎ倒す。俊敏な身のこなしで残った槍兵を次々と斬り伏せた。
「ば、化け物か…!」
指揮官の声が震えた。シルヴィアは跳躍して指揮官の首を飛ばした。
「……将軍!」
味方の兵が敵兵を斬り倒しながら近づいてきた。
「敵兵の数が、多過ぎます。防ぎきれませんっ」
「諦めるなっ。卑怯な人間族に負けるわけにはいかない!」
シルヴィアは怒鳴り返した。
「ブランシャール帝国は、何で突然侵攻してきたんですか!? グロリア王女さまが嫁いで同盟を結んだんでしょ?」
「知るかよ! もしかしたら、お姉さまは何かでしくじったのかもな」
シルヴィアの姉グロリアは4年前、政略結婚により人間族のブランシャール帝国に嫁いでいた。相手は当時第三皇子で現在は皇帝であるリオネルだ。それなのに、前触れもなく突然、猫耳族のカトゥス王国に侵攻してきた。
完全に油断していたカトゥス王国は王宮にまで侵攻を許した。シルヴィアたち国軍は必死に防戦しているが、先ほど王宮に火の手が上がるのを見た。陥落も間近だろう。
「ぐわぁ…っ」
飛んできた矢が兵の首に突き立った。咄嗟にしゃがむ。矢が雨のように降ってくる。剣を回転させ矢を防ぐ。次の瞬間、頭上に網が飛んできて身体ごと包まれた。
「しまった…!」
網に絡め取られ身動きできない。
「そこまでだ。ネコ」
ゆらりと長身の男が現れた。黒い巨大なマントを翻して佇む。紅い瞳が暗い狂気に燃え上がっている。悪魔のようだとシルヴィアは思った。
「余に逆らうものは、皆殺しだ」
「誰が逆らった!? 我ら猫耳族は、ブランシャールに何一つ手出ししていない!」
「黙れ、ネコの分際で。神器を隠し持っているだろう」
「神器!? 何の話だ?」
「……陛下。此奴は国王の第七王女でシルヴィア将軍です」
全身を白マントで覆った男が、そっと耳打ちした。それはシルヴィアにも充分届いた。
「陛下だと!? キサマがリオネルか! グロリアお姉さまをどうしたっ?」
「……グロリアは、殺した」
「にゃっ…!?」
頭が真っ白になった。
「神器のありかを最後まで吐かなかったからな。余が直々に手討ちにしてやった」
「―キ、サ、マっ、許さんぞーっ」
網を被ったまま、思い切り跳躍した。剣を網の間からリオネルに突き出す。リオネルは左手を差し出した。中指にはめた指輪がどす黒く光った。その光にシルヴィアは吹き飛ばされた。
「……お前もしょせん、余を拒むか」
黒いオーラで包まれた剣を両手に握った。
「誰も余を受け入れる者はいないのか。ならば、余も世界を拒もう。例え世界が滅ぶとも」
リオネルは、黒い剣を振りかぶった。そして、無造作にシルヴィアの頭に振り下ろした。
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ふと、喧騒に目が覚めた。まだ戦場なのかと思った。でも、あのときリオネルに殺されたはずだ。そっと辺りを見回す。見慣れた部屋の景色だった。
「にゃっ…!?」
飛び起きる。確かに自室のベッドの上だ。猫耳族特有の丸型ベッドである。王宮は敵兵になだれ込まれたはずなのに、なぜ無事なのだろう。不思議に思いながら、廊下へ出た。
忙しそうに、侍女や使用人が走り回っている。
「……ちょっと、あなた」
侍女を掴まえて尋ねる。
「これは何の騒ぎ? ブランシャールの兵はどこに行ったの?」
「……はい? シルヴィア姫さま、寝ぼけていらっしゃるのですか? 今日はグロリア姫さまの嫁入りの日じゃありませんか」
「にゃあっ…!?」
思わず息を呑んだ。頭が混乱してきた。
「グロリアお姉さまの嫁入りの日…? いったいいつの話よ」
「……シルヴィア姫さま。悪ふざけならご勘弁くださいまし。私、忙しいので失礼します」
「あっ、ちょっと待って―」
無情にも侍女は走り去ってしまった。独り取り残され呆然と佇む。
「シルヴィア!? まだパジャマ姿じゃないの。早く着替えなさい、見送りに遅れるわよ」
声をかけてきた女性を振り返る。すぐ上の姉、ティアナだった。第六王女になる。グロリアは第五王女で、その上の四人は、既に結婚して王宮から離れている。
「ティアナお姉さま! 今日がグロリアお姉さまの嫁入りの日って、本当?」
「にゃあっ…!?」
ティアナは丸い目を更に丸くして、無遠慮にジロジロと見回した。
「……それ、何の冗談? それとも、どこかに頭をぶつけたとか?」
「冗談言ってる場合じゃない! 本当なの? ―本当なのね?」
ティアナの両肩を揺さぶる。
「……もう、みんな謁見室に集まってるわ。間もなく出発すると―」
シルヴィアは、最後まで聞かずに走り出した。何だかまだよくわからないが、とにかく、4年前に時が遡ったらしい。ならば、グロリアを止めるのだ。このままでは姉はリオネルに殺される。カトゥス王国も滅ぼされてしまう。
転がるようにして謁見室に飛び込んだ。実際、勢い余って一、二回前転してしまった。一斉に視線を浴びる。
「これ! シルヴィア。何という格好だ。姉の晴れの日だというのに」
父王ティーノの叱声が飛んだ。しかし、そんなことに構ってはいられない。
「お父さまっ。ブランシャールへの嫁入り、あたしが参りますっ!」
「にゃっ…!?」
あまりの突然の娘の申し出に、ティーノは口をあんぐりと開けたまま固まってしまった。
「……シルヴィア。いったい何を言い出すのです」
母のジーニアが冷静にたしなめる。
「もう全て準備は整っているのですよ。今更変更なんてできるわけないでしょう。贈答品の中身を変えるわけじゃあるまいし」
「お母さまの仰ることは、わかります。でも、どうしてもあたしが嫁入りしたいのです」
「呆れた。そもそも貴方は、結婚なんてしたくないと言っていたじゃないの。なぜ急にそんなことを言うの? 理由を仰い」
「それは…」
4年後、リオネルに全員殺される、とは、さすがに言えない。
「ええと…ええと…それは…気が変わったのです。結婚に憧れて…そう! お姉さまを見ていたら、羨ましくなって、急に結婚したくなりました」
「見ていたらって、これまで何人も見送ってきたじゃないの。何を今更…」
「だって、猫耳族の女にとって結婚は生涯の夢じゃありませんか。あたしだって一度は結婚したいわ」
「まあ…」
心底呆れたようで、ジーニアまでが口を押さえて黙り込んでしまった。
「……わがままを言うんじゃない」
我に返ったティーノが丸い目を怒らせる。
「急に嫁入り娘を変えるなどと、ブランシャールにどう説明するのだ」
「何とでも言えます。お父さま、一生のお願いです」
「ならん。―衛兵、シルヴィアをつまみ出せ」
「近づくな!」
隠し持っていたナイフで衛兵を威嚇した。そして、自分の首に当てた。
「どうしてもお聞き届けくださらないなら、ここで死にますっ」
「バ、バカなことをするんじゃない」
ティーノは真っ青になった。シルヴィアなら、本当にやりかねない。
「待って!」
グロリアが割って入ってきた。
「ねえ、シルヴィア。お嫁入りしたいだなんて、本気なの?」
グロリアが問いかける。優しく大人しい性分の姉である。グロリアにはよく可愛がってもらった。わがままを言っても何でも許してくれた。づけづけと無遠慮にモノを言うティアナより好きな姉である。
だから尚更、死地へなど送りたくない。
「―お姉さま、お願い。あたしに代わりに行かせて」
ここが正念場だ。真剣な眼差しで姉を見つめた。姉も見つめ返す。
(お願いっ。承知して、お姉さま。お願いよ)
内心、両手を組む。
「……わかったわ」
グロリアは、ふわりと笑った。姉のこの笑顔が大好きだ。
「―ほんと!? お姉さま?」
「ええ。他ならぬシルヴィアのお願いだもの」
「ありがとうっ、お姉さま!」
シルヴィアは、ナイフを投げ捨てグロリアの胸に飛び込んだ。金色の瞳に思わず涙がにじむ。
グロリアは、妹の胡桃色の髪を愛おしそうに撫でた。これまで、何度繰り返してきただろう。それも当分はできなくなる。グロリアの煉瓦色の瞳にも涙が光った。
「―お父さま、お母さま。シルヴィアがこんなにも真剣にお願い事をするなんて、初めてですわ。きっと何か事情があると思うの。ですから、私の代わりに嫁入りさせてやってください」
グロリアは両親に頭を下げた。慌ててシルヴィアも姉に倣った。
ティーノとジーニアは顔を見合わせた。
「……仕方がない。二人揃って頭を下げられては、承知せざるを得んだろう」
ティーノの言葉で、急遽、嫁の変更が決まった。こんなことは、カトゥス王国始まって以来、前代未聞の事態だろう。王宮は、てんやわんやの大騒ぎとなった。
「……あれ? グロリアお姉さま。まだ出発なさらないの?」
そのとき、ティアナがのんびりと謁見室に入ってきた。グロリアとシルヴィアが泣きながら抱き合っている。ジーニアの指示で、侍女たちが大慌てで走り出していた。
「……?」
独り取り残されたティアナは、小首を傾げるばかりだった。
シルヴィアに嫁入り道具へのこだわりはなかったので、グロリアの物がそのままシルヴィア用となった。違うのは、道中の乗り物が輿からユニコーンに変わったことだ。ユニコーンのフランベルジュは、シルヴィアの無二の親友である。国に置いていく気にはなれなかった。
「―では、行って参ります」
「シルヴィア、体には気をつけてね。ガゼルのご加護がありますように」
「嫁ぎ先が気に入らないからって、すぐに戻ってこないでよ」
姉たちの言葉を背に、シルヴィアは真っ赤な体のフランベルジュにまたがった。軍服姿である。17歳だが軍人なので本人としては正装のつもりであった。しかし、世の嫁入り衣装としてはかけ離れたものであることに気がついていない。家族も、この娘には何を言ってもしょうがないと諦めているようだ。
「フランベルジュ、出るよ」
「あいよっ」
フランベルジュは、蹄の音も高らかに歩み出した。シルヴィアは、この先に何が待ち受けているかも知らずに、意気揚々と前だけを見据えていた。
【裏ショートストーリー】
侍女A「大変、大変! お嫁さまが代わってしまった!」
侍女B「何でこんなことになったのかしら」
侍女A「知らないわよっ。シルヴィア姫さまは、変わってらっしゃるから」
侍女B「グロリア姫さまのお嫁入り当日に、突然自分がお嫁になりたい、だなんて、ほんとあの方はよくわからないわ」
侍女A「王族は年齢順にお嫁入りする習わしなのに、お二人の姉君を飛び越えるだなんて、常識はずれもいいところだわ」
侍女B「幼年学校を出てすぐ軍に入るくらいだもの、私たちとは頭の中身が違うんでしょうよ」
侍女A「子どもの頃から変わってらしたし。王宮より町中にいる方を好んで、よく町娘の服装で遊びに出てたわよね」
侍女B「陛下ももしかしたら、ちょうどいい厄介払いとでもお思いになられたのかも」
侍女長「……こら、そこの二人! 無駄話してないで、手を動かしなさい、手を!」
侍女A・B「はぁーい!」
侍女長「まったく、危機感のない子たちだこと。……シルヴィア姫さま、どうか、ガゼルのご加護がありますように…」