後編 ~ からの心
一体どれくらい走ったであろうか。長い下り坂の満開の桜並木を私達はただ走り続けた。4月の夜道には颯爽と桜吹雪が舞っていた。
おかしい。どこまで走ってもブルーハワイなど見当たらない。月夜が照らすのは民家すらない峠道だ。
朝のマラソン以上の距離を走り続けたので、そこでやや肥満気味のコアラがダウンした。
「ハァー、ハァー、俺はもうだめだ。帰ろうよ。」
「馬鹿野郎。こんな中途半端なところで帰れるかよ。」
私も多少なりとも疲れていたので自然と口調が荒くなっていた。
「でもあの筋肉馬鹿(鬼教官)に知られたら…」
「もう少し、もう少しだけ行ってみよう。実は俺、風俗って行ったことないんだ。」
当時の私は風俗童貞であった。2週間の山篭りが私の開拓者魂を旺盛にさせたのであろう。
そこで今まで無言だった主任が口を開いた。
「口でされてイキにくい時は足をピーンと伸ばしておくといいよ。」
その言葉でコアラまで想像力をかき立てられたのか、不死鳥の如く身を起こし、私達は再び夜道を駆け始めた。走れエロス。性の悦びの力は時に人の限界を超えさせる。
そしてブルーハワイは見つからないまま、港町の小さな盛り場に辿り着いた。
「ちょっとタクシーの運ちゃんに聞いてみないか。」
コアラの提案を受け、待機していた運転手に私が聞きに行く。
「おっちゃん、ブルーハワイって店はどのへんにあるの。」
「知らないねえ、そんな店は。」
「風俗店なんだけど。」
「聞いたことないし、このあたりにそんな店なんかないよ。」
やられた。
筋肉馬鹿にはめられたのだ。はめに行こうとしたらはめられていた。なんとも滑稽な話だ。その旨を二人に伝えると、コアラなど泣きそうな顔をしているではないか。
しばしの沈黙の後に誰ともなしに言い出した。
「飲みに行こうか。」
「ああ。」
私達は場末の小さなスナックに入り、禁酒の掟を破り、当時の母親よりも年上であろう妙齢のホステスを相手に安いブランデーの水割りを飲み続けた。
そして夜も更け、私達はタクシーで研修所に戻り、何事もなかったかのようにタコ部屋で眠りについたが、翌朝筋肉馬鹿の怒鳴り声で叩き起こされた。
「昨日飲みに行ったのは誰だ。」
なぜ飲みに行ったことを知っているのかという疑問があったが、夜の点呼の際に私達はいなかったので密告者がいたのであろう。他人を蹴落とす出世レースは始まっていたのだ。そもそもの原因は筋肉馬鹿の一言であったはずだが、反論するのも面倒なので私は素直に名乗り出た。
こっぴどく怒鳴られたような気がするが内容は覚えていない。
そして研修期間終了後、私達三馬鹿トリオは東京本社ではなく九州の支店に配属された。
縁日のかき氷店でブルーハワイの文字を見るたびに思い出す。
ブルーハワイ。
今ではからっぽの心だが、あの頃はここに何かがしっかりとあった。