84. 餅は餅屋
「おはよう。来たんだな」
「昨日の今日で、休むのも気まずいですの」
まだイルク先輩もマーリィ先輩も来ていないが、俺とリーサはアルナシュ先生に頼んで研究室を開けてもらっていた。
たとえ先輩たちが来なくても、性格的にシルヴィならきっと来ると思っていた。
俺は早速、本題を切り出すことにした。
「今日は、シルヴィに聞きたいことがあって来たんだ。端的に訊くけど、これについて何か知らない?」
ポケットから黒い板――魔法唱板らしきそれを取り出して、シルヴィに見せる。
「これは…っ!?」
シルヴィの表情が、途端に真剣なものに変わる。
「あなたたち、これを、どこで…?」
「昨日スリに遭ってな。追いかけたら落としていった」
シルヴィは俺の手からそれを受け取ると、そっと表面の魔法陣――刻まれた溝ではなく、金属光沢を放つ魔法陣に触れた。
魔法陣から、パチッと弾けるような音がした。
「やはり…これは、わたくしが作らせていた新型の魔法唱板に間違いありませんの」
シルヴィはそう断定した。
魔法陣には四種類ある。
一つ目は物理溝魔法陣――その名の通り、魔素を流す物理的な溝によって構築されるものだ。
二つ目は詠唱――特定のパターンで発音することで魔法を発動させるものだ。変化させた喉や口の形状が立体的な魔法陣を形成し、発音することで魔素が流れるという仕組みになっている。
三つ目は魔法手型――両手を組み合わせて一種の『印』を組むことで魔法を発動させるものだ。組み合わせた手の隙間が魔法陣となる。
そしてこれらとは全く違う法則で動く四つ目の魔法陣こそが、魔導回路である。
ある種の金属(魔法金属と呼ばれる)は魔素を構成する素粒子である魔子を伝達するという特徴を持っている。つまり、その金属で魔法陣を形作れば、物理溝魔法陣と同様に発動できるということである。
ここまでが、俺の作った『大魔法理論』における魔法陣の設定である。
では実際この世界――クラヴィナにおいてはどうなのかといえば、魔導回路の知名度はないに等しい。
魔力を伝える金属があるということくらいは分かっているようだが、それで魔法陣を作るのはコストや手間の問題でなされてこなかったということらしい。
実際、俺は『大魔法理論』を現代の地球に上乗せできるように作ったので、金属でできた魔導回路の利点は『集積回路のように細かく複雑な魔法陣をコンパクトに製造できること』であって、中世の世界観では使いみちはほとんどない。
だが、シルヴィはこの魔導回路について、新たな利点を思いついた。
「本来の魔法唱板の材質は紙ですの。しかし、紙製では何度か魔法を発動させると魔法陣が焼き切れてしまいますの。そこで、その魔法陣を金属製にしてしまえば…と思いついたんですの」
「なるほど。作るのは面倒くさくなるけど、何度も使えたほうが確かに便利だね」
シルヴィの話にリーサは納得を示した。
俺と遅れてきたエルジュも、頷いて同意を示す。
「金属の加工技術はわたくしにはありませんので、実家を頼りに加工してもらっていたのですが…それがなぜ、スリの手に渡っていたのでしょう」
結局、待っていても先輩二人は来なかった。
仕方なく、俺たち四人はまた一緒に昼食を摂り、食堂から出たところで――ギルドの方面が騒がしいことに気づいた。
「何だありゃ?」
エルジュが呟く。
「行ってみるか?俺とリーサは元々依頼受けに行くつもりだったけど」
俺の問いかけに、シルヴィとエルジュは頷いた。
だんだん増えてきた人をかき分けて歩いていく。
「怪我人が」「馬車が壊れた」「襲われたって?」と、断片的な情報が漏れ聞こえてくる。
「…嫌な予感がしますの」
シルヴィが歩く速度を上げた。
護衛とか大丈夫なのか、とは思ったものの、これだけの人混みなら護衛もいるのだろうと納得して、俺達は必死にシルヴィを追った。
前の方へと行ってみると、聞こえてきた情報と違わずボロボロになった馬車があり、周囲を警備員が取り囲んで野次馬を押さえていた。
「やはり…あれはアルティスト家の馬車ですの」
「はぁ!?」
俺が驚いている間に、シルヴィは駆け出していた。