馬に蹴られるその前に
「待ってくれ!せめて理由を聞かせてもらえないだろうか?」
久しぶりに顔を出した夜会。
別に大声を出しているわけではないようだが、よく通る男性の声はこちらにまで聞こえてきた。
公爵家のご令息が呼び止めているのは、つい先日決まったばかりの僕の婚約者である侯爵令嬢。
まだ公式には発表していないのだが、彼女が婚約の事実を告げたのだろう。
いきなり僕が割り込むのもなんなので、しばらく様子を見ることにするか。
「我が家は公爵家で、私が後を継ぐことはすでに決まっているから地位や財産には何の不安もない。それに自分で言うのもなんだが、見た目はそれなりに整っている方だと思うのだが」
どうやら彼は当代の三大貴公子の1人と呼ばれている自覚はあるらしい。
「そうですわね。決して身分にあぐらをかくこともないところも大変申し分ない方だとは思いますわ・・・世間一般的には、ですけれど」
扇で口元を隠しながら話す彼女の凛とした声も耳に入ってくる。
「貴女にとっては違う、と?」
「ええ。我が侯爵家には過去の不幸な出来事から政略結婚はしない/させないという暗黙の約束事がありますの。ですから私は貴方の地位や財産には特に惹かれませんわね。それに高い身分であればあるほど自由は失われそうですし」
彼女の父である侯爵家当主はやり手と評判で、領地の産業はこの国の根幹を成すといっても過言ではなく、いまや王家ですら邪険には出来ない立場だ。兄達も国政や軍務などそれぞれの分野で活躍して注目を集めている。
他の兄弟達より少し年の離れた末娘の彼女は家族みんなに可愛がられ、貴族令嬢にしてはめずらしくわりと自由に過ごしているらしい。もちろん淑女としての教育やマナーをしっかり身に着けた上でのことだが。
「貴女が動物好きと聞いて動物園を貸し切ったり、郊外の広い草原で風を感じるのが好きだと知ってピクニックにも出かけた。それらは貴女の心には響かなかったのだろうか?」
「素敵な時間を下さったことには感謝いたしますけれど、私の求めるものとは違っておりましたの」
ああ、それは確かに彼女の好みとは異なるな。
「貴女はあの伯爵家の令息のことを本当に好いているのか?」
「そうですわね。確かに世間から見れば貴方と比べれば劣って見えるかもしれませんわね。でも、あの方はありのままの私を認めてくださったの」
「ありのままの・・・?」
「ええ、あの方となら貴族令嬢という仮面を取り払って、本当に心からくつろぐことができるのですわ」
そんな風に僕を思ってくれていたことに胸が熱くなる。
ふいに彼女の視線が入口付近に向かう。
「あの、お話し中に大変申し訳ありませんが、ご挨拶したい方が来られたようなので少しはずしますわね」
公爵家のご令息はまぶしいくらいの笑顔で話す彼女をじっと見つめている。
僕は彼女が離れた隙にさりげなくとどめを刺しに行くことにした。
「あの、失礼ですが、彼女のことがお好きだったのですか?」
「・・・ああ、君か。まさか妖精のような可憐さで社交界の注目の的だった彼女の心を射止めるとはなぁ」
学院で一緒だったのでお互いに面識はある。華やかさとは無縁の僕とは接点もなかったので別に親しくもなかったが。
「はぁ、まぁ、そういうことになりまして」
僕は頭をぽりぽりと掻いた。
「1つ聞きたいのだが、彼女とどうやって知り合ったのだろうか?領地も離れているし、彼女は女学院の出身だから接点はないように思えるのだが」
そう思うのもごもっともな話だ。
「今、あちらで彼女と話しているのは私の父なのですが、もともと父と彼女が知り合いだったのです」
「君の父上と?」
怪訝そうな顔をする公爵家ご令息。
「はい。2人とも身分を隠して庶民のふりをして草競馬の会場でたびたび遭遇していたそうで、互いの身分も知らぬまま馬談義ですっかり意気投合したとのことです」
「・・・草競馬?」
そう、彼女の動物好きも郊外の草原好きも、ただの淑女としての比喩。
「ええ、紳士淑女の社交場でもある王立の競馬場にも足を運びますが、『おもしろさなら間違いなく草競馬!』と彼女も父も口を揃えて申しております」
「まさか彼女にそんな趣味があったとは・・・」
公爵家ご令息は呆然としている。
「まぁ、普通のご令嬢ではありえないでしょうね。うちの領地は多くの名馬を産出している地でもあるのですが、父は彼女の馬に関する知識の深さにぞっこんで、身分も知らぬまま息子の嫁にと草競馬の会場で僕に引き合わせたのです。だから今みたいな着飾った彼女よりも、庶民らしい服装の方がしっくりくるんですよね」
「・・・そうか」
「身分を知ってからは貴族的なお付き合いとして花や宝石などを贈ったりもしたのですが、一番喜ばれたのはうちで産まれた仔馬の命名権ですね。たぶん今は僕より仔馬の方が彼女に愛されていると思いますよ」
僕は苦笑しながら思い出す。彼女は我が家を訪れたら仔馬に会うため真っ先に馬小屋へ行ってしまうのだ。
公爵家ご令息はしばらく黙っていたが、やがて僕に手を差し出してきた。
「私はずっと彼女に恋焦がれていたが、どうやら付け入る隙はどこにもなさそうだ。潔く身を引こう。どうか彼女と末永く幸せに」
固い握手を交わす。
「ありがとうございます。きっと彼女を幸せにします。僕が言うのもなんですが、貴方にも素敵な出会いがあることを心から祈っております」
「ありがとう」
公爵家ご令息は寂しげな笑顔を浮かべて颯爽と去っていった。
男から見てもいい奴だと思うのに、そんな男をあっさり袖にしてしまう彼女は本当に変わっているのかもしれない。
無事に公爵家ご令息を追い払ったところで、楽しげに語らう彼女と父のそばへ行く。今は血統談義のようだ。
「あら、そういえばあの方は?」
彼女はさっきまで話していた公爵家ご令息のことをようやく思い出したらしい。
「潔く身を引くってさ。末永くお幸せにって言ってたよ」
「そう・・・とても良い方なのはわかってはいたのだけれど、お心に添えなくて本当に申し訳なかったわ。貴方にもご迷惑をかけてしまったわね。ごめんなさい」
すまなそうな表情になる彼女。
「謝る必要なんてないよ。貴女はもう僕の婚約者なんだから、降りかかる火の粉は払うのが当然さ」
「まぁ素敵」
微笑む彼女に対して僕は照れ笑い。
「・・・ちょっとだけ、かっこつけてみたかったんだ」
翌日は雲ひとつない青空が広がっていた。
庶民の服装に身を包んだ僕と婚約者殿は、いつものように草競馬の会場に来ている。
昨日の夜会でおとなしくしていた反動なのか、いつも以上に贔屓の馬への声援の声が大きい気がする。
昨夜みたいに着飾った彼女も綺麗だったけれど、僕はやっぱり庶民の格好で全力で叫ぶ彼女の方が好きだ。
「こらー!金返せーーーっ!!」
野次はもう少しお上品になってほしいけど。