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少年兵×悪魔×超兵器×ヤクザ  作者: ハナブサハジメ
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第四章 賞金稼ぎ

 

         1


 賞金稼ぎは荒事にのみ長ければいいというものではない。

 むしろ重要なのは、姿を隠した首を見つけ出す捜査力だ。連中の尻尾を掴むには、外からもたらされる情報だけでは足りない。結局確かな手掛かりは、自らの脚で得るしかないのだ。

 他人との接触は避けられないし、賞金稼ぎとしての素性を明かさねばならない場面もある。しばしば脅迫めいた手段を取ることも。到底神父の顔のままではやれない行為だ。

 別人に成りすますなら、表向きの顔からかけ離れた印象を与えるのが理想だ。話し方、表情、仕草など、内面に関わる部分は勿論、見た目も含め、文字通り〝変身〟するのだ。

 次に重要なのは〝場所〟。上手い具合に別人に化けても、本来の自分と結び付けられるような情報を他者に与えてしまっては、本末転倒だ。例えば教会で変装を済ませ、そこから出ていくのを誰かに見られれば、身バレのリスクは否応なく高まる。

 故に情次は本業用に幾つかの〝別宅〟を用意しており、五十嵐から〝五人目〟の存在を聞かされた翌朝、カルルを連れてその一つに訪れていた。

 うちっぱなしのコンクリートの階段を上がる。後ろからは足音も立てず、無口な元少年兵がついてくる。三階に上がると、一番奥の部屋の鍵を開けた。

 ひび割れたタイル張りの壁に囲まれた、殺風景な空間だ。家電製品はおろか、本棚やイス、机といった家具さえも置かれていない。単なる廃墟にしか見えないこの部屋に、もう一つの部屋が隠されているとは、殆ど誰も考えないだろう。

 情次は壁に向かって、携帯端末をかざした。すると、亀裂の奥に埋め込まれたセンサーが認証コードを受信。タイル同士の継ぎ目に沿って壁が割れ、隠し部屋が現れる。

 窓はなく、左の壁には銃火器やナイフなどを収めたガンラック。右の壁には鏡台の横に収納棚が設けられ、変装用のマスクや衣類が並んでいる。

 適当にマスクを見繕い、服と一緒にカルルに手渡すと、懐に戻した携帯端末が鳴動した。画面に表示された名前は、案の定の相手だった。

「オイ、聞こえているか! マズいことになったぞ……」

 開口一番、前置きもなく五十嵐が言う。昨日とは違って余裕のない、焦りの滲んだ声だ。

「朝っぱらからうっせぇな、オイ。この時間はかけてくんなって言ったろうが。日付跨いだだけで、昨日言ったことが頭から抜けんのか、テメェは」

「な……っ、この……クソッ! いいか、今は毎度恒例の下らねぇ軽口に付き合ってる場合じゃねぇんだよ。よく聞け、あの豚野郎が殺された。組が所有する拷問部屋の中でだ」

「ほう……それで?」

「〝それで?〟も何もあるか! 言った意味が分かんねぇのか! いいか、もう一遍言うぞ。あの豚野郎、ピギー・ザ・ハードラバーが――」

「殺されたんだろ? テメェのシマの中で。そりゃつまり口封じ――奴の後ろに控える、〝黒幕〟の指示だろうよ」

 スピーカーの向こうで、五十嵐が絶句する。驚く様が目に浮かぶようだった。

「……何故お前がそれを?」

「多少頭を働かせりゃ分かるこった。そもそも美術品は現ナマ以上に足がつきやすい。ヤクザからかっぱらった品を買いたがる物好きなんざ、そうは居ねぇ。仮に買い手が現れても、そいつに裏切られる可能性だってある。盗んだとこで、売る相手がまともに見つからねぇようじゃ意味がねぇ。なら、最初から買い手が決まっていたと考えるべきだ。つまり、奴がやろうとしたのは単なる強盗(タタキ)じゃねぇ。何者かの依頼を前提とした〝仕事〟だ。

 お前も同じように考えたんだろ? 例の〝五人目〟に固執するのも、そいつから芋づる式に黒幕を引きずり出そうって魂胆だ。違うか?」

「フン……ハイエナなだけに、鼻が利くじゃねぇか」悪態をつきながらも、感心の滲んだ声で五十嵐は応じた。「だが黒幕の件はともかく、豚が殺されたのはお前も知らなかったはずだ。初耳にしちゃ、随分リアクションが薄いな?」

「いや、十分驚いてるぜ」

 テメェんとこの警備のザルぶりにな、と口に出さず付け加える。

 実のところ、ピギー殺害の件については五十嵐から聞かされる前から把握していた。

 昨日頼んだ調査の件で三善から報告があったのは、今から一時間前の七時半頃に遡る。


         *


「あの豚野郎、死んだらしいぜ」

 電話に出るなり、三善はそう告げた。時刻は午前七時半過ぎ。朝ミサの後、司祭館で朝食を終えたばかりで、台所からはカルルが食器を洗う音が聞こえていた。

「正確には〝姿を消した〟と言うべきだろうけどな」と声は続ける。

 死と同時に堕術使いは肉体を失う、というのは有名な話だ。

 堕群人(ダムド)との契約満了前に死んだ場合、その肉体は〈鍵〉に変じ、それを拾った別の人間が新たな契約者となる。そして満了後に死んだ場合、どういう訳かその死体は灰と化すのだ。日光を浴びた吸血鬼の如く。

 いずれにせよ、死体は残らない。故に堕術使いに関する医学的な研究は、あまり進んでいないのが実情だ。

 昨日カルルから聞いた話によれば、あの豚野郎は契約を満了していたらしい。戦いの最中、ピギーと契約していたエレクトラとかいう堕群人(ダムド)がそう語ったという。

「つまり、拷問部屋の中に人型の灰が残ってたってことか?」

「いや、今回の場合少々状況が特殊でな。灰も残さず、完全に死体は消失していた。

 奴が殺されたのは、つい二時間前のことだ。夜通し豚野郎を苛め抜いたサディスト共が休憩で部屋を出た直後、ビル全体で停電が起きた。それから数分ほどで電力は復旧したが、明かりがついた時にはもう、奴の姿は消えていた。〝人型のシミ〟を残してな。

 詳細な解析は済んでいないが、〝溶解液〟で溶かされた可能性が高いらしい。強酸がタンパク質を溶かす時に発する強烈な臭気が、現場に立ち込めていたそうだ」

 ほう? と声を漏らしつつ、情次は笑みを深めた。

 豚野郎は堕術が使えぬよう拘束された上で、丸一日拷問を受けていた。消耗しきった状態でなら、殺害もそう難しくない。とはいえ、警備の厳重なヤクザのビルに侵入し、ものの数分で暗殺を済ますなど人間業じゃない。十中八九、堕術使いと見て間違いない。恐らくは青冠級(アズール)以上の。ピギーに何らかのバックがついていることは想定していたが、青冠級(アズール)以上の戦力を二体も有しているとなれば、想像以上の大物かもしれない。

「それで、心当たりはあんのか? 溶解液とやらを使う堕術使いによ」

「ネームドクラスでそういう奴には覚えがねぇな。ただ……その一件と直接関係はないんだが、一つ面白そうな情報(ネタ)がある。ついさっきのことだが、三丁目の肉屋から警察にこんな通報があった。〝朝起きて店を開けようとすると、冷凍庫から根こそぎ肉が消えてた〟ってな。他所でも同じような事件が起きてるらしい。合計すりゃあ、十トン近くにもなるとよ。ンなもんを盗んでどうする気なのか、肉泥棒の動機も気になるが、同じぐらい気になるのはそんだけの量を盗み出した方法だ」

「要点を言えや」

「まあ最後まで聞けって。この話が面白れぇのはこっからでな」

「こっちも暇じゃねぇんだ。うかうかしてる内に、連中がまた動き出さねぇとは限らねぇ。そうなる前に先手を打ちてぇんだよ。使える情報(ネタ)があるってんなら、とっとと寄越せや」

「そりゃごもっともで。なら先に言うが、今からする話はマジだからな。〝冗談だろ?〟とかツッコミなしで聞いてくれよ」

 嫌にもったいぶりやがる。下らねぇ話だったら、その分報酬を引いてやろうか。などと内心考えていたが、そこに続く話は情次にも予想外の珍談だった。

「結論から言えば、肉泥棒なんぞ最初から居なかった。総重量十トンの肉共が自力で脱走したんだよ、肉屋の冷蔵庫から」

「……ハァ?」

 広大な冷蔵庫に吊るされた肉達から手足が生え、集団脱走する様が頭に浮かぶ。ガキ向けのカートゥーンばりにメルヘンチックな想像に、情次は顔をしかめた。

「オイオイ、幾ら何でもそりゃ冗談だろ?」

「ツッコミは無しだって言ったろ? 信じられねぇだろうが、マジな話だ。冷凍庫には南京錠が掛かっていたが、そいつが内から外に弾け飛んでいて、金属製のドアにも何かを打ち付けたような痕跡が残っていたそうだ。当然、庫内に窓の類はついておらず、完全な密室。ふざげた話だが、そう結論付けるしかない。それに、そんな馬鹿げたことを現実に起こせる連中を、お前も知ってるだろ?」

「成程な……堕術か。それも時間帯からして、豚殺しの一件とも繋がりがありそうだ」

「そういうこった。〝偶然を信じるな〟ってことだ」

 三善が発した一言に、一瞬、おや? と思う。

「うん、どうした?」

「いや……それと似たフレーズを、どっかで聞いたような気がしてよ」

「そうか? まあ、よく言われることだろ。〝偶然は存在しない〟だの、〝全ては必然〟だの。ああ、そうそう。話が逸れかけたが、もう一つ話があってな。昨日お前から頼まれた件だが、一通り調べがついたぜ」


         *


「実は前にお前から貰った豚野郎の素顔――あれと似た男を見たとかいう情報が入ってな。今からそいつを確かめに行くところだ。上手く行きゃあ〝豚殺し〟や〝五人目〟の手掛かりも掴めるかもしんねぇな」

 五十嵐の応対をしつつ、クローゼットから服を取る。選んだのは黒のスリーピーススーツ。平服(カソック)を脱ぎ、ワイシャツに袖を通す。

「仕事が速ぇのは感心だな。とにかく、何か分かったら真っ先に俺に報せろ。〝五人目〟は勿論、〝豚殺し〟の野郎はウチのシマで殺しをやりやがった。この俺をナメやがったらどんな目に遭うか、連中に身を以て教えてやる」

「そいつぁ止めた方がいい。今回の連中は並みの奴らとは違う」

「あァ? 寝惚けたこと言ってんじゃねぇぞ、クソ神父が。この俺にナメられっぱなしでいろってのか?」

「イキんなよ、お坊ちゃん」

 声にドスを利かせ、情次は続けた。この坊やはまだ事態の深刻さが分かってないらしい。

「恐らく〝豚殺し〟の役目は豚野郎がトチったり、裏切ったりした場合の口封じだ。役割上、豚以上の実力と思った方がいい。そこらの雑魚じゃ返り討ちに遭うのがオチだろうよ。しかも今回の一件を見るに、奴の能力は暗殺向きなようだ。下手に手を出しゃ、そっちもタダじゃすまないかもしれねぇぜ。ま、何もしなくても危険があるのは同じだろうがな」

 生唾を飲み込み、「どういう意味だ?」と上擦った声で五十嵐が訊き返す。

「黒幕の奴がピギーに強盗をやらせた動機はまだ分からん。美術品全てを盗む気だったのか、或いはその中の一部が目的で、他はついでのようなものだったのか――いずれにせよお前のコレクションが、その目的に絡んでいるのは確かだ。また奴らはお前の屋敷を襲うだろう。そこに目的の品がある限り」

 情次がそこまで言うと、五十嵐は押し黙った。コイツは見たんだろう。壁のシミになった豚の死に様を。自分もそうなるかもしれないと思うだけで、背筋が凍る感覚に違いない。

「……恐らく奴らの狙いは〝絵〟だ」

 ややあって相手は、こちらに隠していた事実を語り出した。

「さるロシア人画家の絵だ。他の美術品は荷台に詰め込まれていたが、あの絵だけがアタッシュケースに収められ、後部座席に置かれていた。豚野郎に雇われた連中が言うには、車から降りた後も持ち逃げされないよう、ケースを磁力で固定させていたらしい」

 成程。その念の入りよう――それこそが目的の品と考えるべきだろう。ここまでほぼ予想通りの流れだ。ニヤリと笑みを深めると、情次は本題を切り出した。

「そいつを持ってる限り、お前には確実に危険が及ぶだろうな。それが嫌なら、他人に預けるこった。尤も、〝豚殺し〟みてぇな化け物を相手にしたがる命知らずの凄腕なんざ、この島でも数えるほどだろうが。ま、どうしてもって言うなら、俺とお前の仲だ。優秀な業者を紹介してやるのもやぶさかじゃないがな」

 こちらの意図が読めたのだろう。五十嵐は舌打ちを漏らした。

「……幾らだ?」

「その絵の半額分の値段で手を打ってやるよ」

「な……っ! テメェ、足元見やがって!」

「ただ絵を預かって〝ハイ、終わり〟の仕事じゃねぇんだ。厄ダネを手元に置くってことは、必然それを狙う奴らの相手をする羽目になる。〝五人目〟や〝豚殺し〟だけじゃなく、それ以外の奴らを含めてだ。リスクの高い仕事にゃ違いねぇが、上手く行けば黒幕の首もついでに狩れる。コイツはその働きの分も含めた値だ。その絵がどんな値打ちもんか知らねぇが、こちとら命張ろうってんだぜ? 妥当な線じゃねぇか? 五十嵐さんよ」

 クソッたれが、と小さく悪態をつくのが聞えた。それはこちらに向けられた、というより己自身に向けた台詞かもしれない。

 この島の支配者を自称する男が、どこの馬の骨とも知れぬ相手に自らの城を荒らされ、所有物を奪われた上、その始末を他人に任せようというのだから。金のこともあるが、それ以上にメンツに関わる問題だ。

 とはいえ、自他の能力を正確に測る判断力は有している。〝豚殺し〟共を相手にするリスクも、こちらの提案が妥当なものであることも、奴は十分承知しているはずだ。

「いいぜ……テメェの口車に乗ってやる。だが、あまり調子に乗るなよ。お前は所詮雇われ者――テメェのボスはこの俺だ。仕事の分働くなら、その分の金はくれてやる。だがもし失敗したら……その時は分かってんだろうな?」

「どっちが上だの下だの、ンなもんはどうだっていい。俺は俺の仕事をやるだけだ。それに見合った額が貰えるんなら文句はねぇよ。これから豚野郎絡みで行く場所がある。アンタから絵を受け取りに行くのはその後――まあ二時間後ってとこだ」

 一通り話しがまとまると、舌打ちとともに通話が切れる。

 鏡台の前でネクタイを締め、黒い革手袋を嵌め、マスクを被る。特殊シリコン材から成るSPFXマスクは、隙間なく皮膚にフィットし、表情筋に連動して動く。試しに鏡の前で口端を持ち上げてみれば、そこに映る別人の顔も笑みを形作った。

 振り返ると、カルルも変装を終えていた。丸首のシャツに、黒のジャケット。包帯に覆われた首の上にスカーフを巻いている。マスクにはドレッドヘアが植毛され、瞳の色も黒いカラーコンタクトで隠していた。

 最後にサングラスを掛け、テンガロンハットを被ると、情次は助手に声を掛けた。声帯を絞り、中高年特有のしゃがれた声を意識して。

「では、行くとするか」

 カルルは頷き返すと、先を歩き玄関に向かう。情次は杖をつき、その後に続いた。


         2


 かつてアメリカと世界を二分した東の大国ソ連。

 その思想に根差す排他性は悪名高き独裁者達を誕生させ、やがて国内外に深い爪痕を残したまま、当然の帰結として崩壊に至った。

 ソ連崩壊後の九〇年代は、ロシアにとってまさに暗黒の時代だった。元KGBや民警、軍人らは新興財閥(オリガルヒ)とマフィアに身を寄せ、力を無くした政府に代わって人々を弾圧し、各地で抗争に明け暮れた。かつて国家に仕えた暴力装置との混血――世界に数ある犯罪組織の中で、ロシアンマフィアの最も特異な点はそこにある。

 この島でガンショップを営むオレグ・ブレジネフもまた、ソ連崩壊とともに野に下った元KGB所属のマフィアである。

 建前上の法規制を隠れ蓑に、マフィアと政府の繋がりは今尚続き、海外では六〇もの国々で二〇〇を超える組織が活動している。ここ衛邦島の北西に居を構える〝チェルノボグ〟もその一つであり、オレグの店では組織が本国から卸した銃器を扱っていた。

 カラシニコフやドラグノフ、トカレフなどが何十丁もラックに並び、店の隅には両腕を機械化した大男のボリスが控えている。鉄の腕を誇示するように袖を捲り上げ、はだけたシャツの胸元からは下手くそな漢字のタトゥーが覗く。

 用心棒として雇われていたが、マフィアのシマで荒事を起こすような命知らずは少ない。暇そうに欠伸を噛み殺し、太い指でポルノ雑誌のページをめくるのが、この部下の日課となっていた。

 祖国を離れての平穏な暮らし。ここ十年は修羅場からも遠ざかり、腹回りも肉づきが良くなった。それなりのポストには付けたが、これ以上の出世も望めまい。しかしオレグは、現状に満足していた。同じくKGBの出身者でありながら、上に登り詰めた者もいたが、彼にはそれほどの野心は持てなかった。

 元々オレグは、競争にも出世にも興味のない人間だった。KGBに入ったのも自身の意思ではなく、大学卒業後に将校からスカウトされたのだった。

 生まれる国や時代が違えば、暴力とは無縁の生活を送っていただろう。それでも闇に身を置いた以上、それに染まらなければならなかった。

 治安維持を名目に行われる数々の悪行を見過ごし、しばしば自分がそれを行う羽目になっても、仕方のないことだと自らに言い聞かせてきた。マフィアになった後は、KGB時代にも増して汚れ仕事を請け負い、殺しに手を染めたこともある。

 荒事に向かない性格を自覚していた。それでもこの世界で今日まで生きてこれたのは、いざとなれば他人を切り捨てられる冷徹さと、ある才能のおかげだった。それは他人の顔を見ただけで、その本質を見抜ける――異能めいた直感力だった。

 カウンター奥で文庫本のページに視線を落としながら、オレグは数日前に店を訪れた奇妙な二人組を思い出す。

 一人は顔が傷だらけの男、もう一人は背の高い女だ。名前は教えられなかったが、オレグの上役が一緒にいた。組織(チェルノボグ)の仲介で来た客らしい。一目見て分かった。人の姿をしてはいたが、奴らは〝怪物〟――恐らくは堕術使いだ。

 男の方はボディビルダーを彷彿とさせる、異常発達した筋肉に鎧われた巨漢だった。ボリスでさえ見劣りするほどの体つき――しかし、肉体以上に異様だったのはそいつの顔だ。瞼、鼻、唇、耳と、顔面のあらゆる部位が傷跡に覆いつくされていたのだ。

 戦闘で負ったものにしてはあまりにおびただしく、妄念じみたものさえ感じる。薄いものや、赤みが差しているものもあり、全てが同時期につけられた傷ではないようだ。

 拷問などではなく、自分で付けたものだろう。ある種の自慰行為として。暇潰しのような感覚で。こいつは恐怖や苦痛を快楽に置き換える人種――真性の被虐性愛者(マゾヒスト)だ。他者から与えられる窮地(かいらく)のためなら、この島を牛耳るヤクザにさえケンカを売るに違いない。……だが、オレグが真に恐怖したのは女の方だった。

 恐ろしく美しい女だった。青灰色の瞳と、白金に近いブロンドの髪。一八〇センチ近い長身に、抜群のプロポーション。ボリスは一目見て気に入ったらしく、女を口説こうとした。すると女は薄い唇を歪め、目尻に弧を描き、微笑むのだ。

 作り笑いではなく、本当に笑っていた。一見すれば、好色な美女が行きずりの男を受け入れたかのような、淫靡な笑み。ボリスの方はそう受け取ったようだったが、オレグの目には全く別種のものに映っていた。

 KGBに居た頃、あれと同じ表情を一度目にしている。

 オレグがまだ二〇代の若造だった頃、KGBは地元警察の捜査に介入し、ある事件を追っていた。それは五二人もの女子供が惨殺された連続殺人――犯人は被害者の両目を抉り、全身を切り刻みながら犯し、死肉を食らう悪魔だった。

 オレグは数日にわたり、捜査線上に上がった元教師の男を尾行した。

 七三分けの髪に、黒縁の眼鏡を掛けた、温和そうな老紳士。遠目にはそう見えたが、若い女が傍を通り過ぎた一瞬、オレグはその目の奥に怖気がするような闇を見ていた。

 獲物を見る目付き――だがそれは、獣が狩りを行う際に見せるものとは性質を異にするもの。純粋に命を刈り取るためではない。獲物を眺めながら、どのように命を弄ぼうか想像し、喜悦に浸る、殺人に快楽を見出す異常者(あくま)の目。

 その男――アンドレイ・チカチーロは、九〇年の十一月に逮捕され、九十四年の二月に銃殺された。そしてあの女がボリスに向けていた目は、その時の男と同じものだったのだ。違っているのは、当人と対象の性別、そして力の有無だ。

 チカチーロは悪魔的な精神の持ち主だったが、肉体的にはしがない老人に過ぎなかった。だがあの女が堕術使いであるなら、最早それは正真正銘の悪魔だ。奴には両腕を機械化した大男でさえ、女子供同然の非力な存在に見えたのだろう。もし女と会ったのが店の外であれば、今頃ボリスは墓の下に居たかもしれない。

 一体、何者なのだろう? 自分の知る殺し屋(プロフェッショナル)のように、理性で人を殺すタイプには見えない。顔の特徴はスラヴ系だが、同郷ではなさそうだ。ボリスの会話にもロシア語で応じていたが、妙な訛りがあった。もし勘が当たっているなら、あの女の出自は……。

 ――いや、やめよう。これ以上の詮索は無用だ。

 深入りしたところで、ろくな結果にならない。自分はこの生活が続けば満足だ。どこの誰がその毒牙に掛かろうと、知ったことではない。

 思索を断ち、次のページをめくろうとすると、玄関でドアベルが鳴った。

 入店したのは黒人の男達。一人はサングラスを掛けた五〇絡みの男。足が悪いのか片脚を引きずり、杖をついている。もう一人は若い男――いや、男と言うよりは少年だろう。顔にあどけなさが残り、身体つきも細い。成長の途上という印象を受ける。

 妙な奴らだ、と思った。両者がどんな関係なのかまるで読めないし、こんな場所に用がある連中とも思えない。

 男の方が杖をつきつつ、ラックに近づく。カラシニコフを手に取ると、片手のみを使い、器用に射撃姿勢を取った。堂に入った構えだ。任務中の負傷が原因で退役した、軍出身者といったところか。

 ボリスも雑誌を膝に置き、男に視線を向けていた。これまでこの店で、トラブルが起きた例はそうない。とはいえ、過去に数度妙な考えを持ったバカもいた。怪しげな奴を見かけたら注意するよう、この用心棒にも言い含めてある。仮にも組織が寄越した男だ。堕術使いはともかく、生身の人間など敵ではない。

「いい銃だな」

 しゃがれ声で男が言う。ウクライナ訛りのロシア語だ。

「ありがとうよ。だが、こいつが製造されたのは半世紀以上も昔のことだ。良い品なら、今時他に幾らでも手に入ると思うがね」

 気の無いこちらの返事に気を悪くした風もなく、男はこちらに笑みを向けた。

「なぁに、他所の国じゃ今でもコイツは現役さ。むしろ最近のは骨のない奴らばかりだ。ちょっと乱暴な扱いをしただけですぐ壊れやがる。まるで甘やかされたお嬢ちゃんだ。その点、コイツは優れものだ。多少部品が歪もうが、泥を被ろうが、問題なく撃てる。本当にいい物ってのは、長く使われ続けるもんさ」

 ほう? とオレグは声を漏らした。母国生まれの傑作を褒められて、悪い気はしない。

 声音にも嘘の響きはなかった。確かな実感を込めて言っているようだ。軍出身者という、こちらの見立ては当たっているらしい。

「お前さん、元軍人ようだが、国はどこかね?」

「オクラホマ出身さ。ウクライナに駐留してたこともある。まあ、昔の話だがね」

「成程、そこでロシア語を覚えたようだな」

「分かるかい?」

「分かるさ、訛り方でね。ところで、お求めの品はカラシニコフ(それ)かね? 良ければ、他のも紹介するが」

「いいや、今日ここへ来たのは銃を買うためじゃない。実はつい二日前にも、これと同じ銃を買った奴らがちょっとした火遊びをしたものでね」

 読みかけの雑誌をボール状に握り潰し、ボリスが立ち上がる。男に向けていた警戒の視線も、はっきりと敵意を含んだものに変わっていた。

 あの怪物じみた客について、上からは何も知らされていないが、例の事件のことは知っていた。この店で売った銃が使われたことも、傷顔の男の正体が主犯格のピギー・ザ・ハードラバーであることにも、見当がついていた。

 この男……サツか? いや、ヤクザの遣いか? 心中に沸いた疑念を飲み込み、オレグはそ知らぬふりを続けた。

「売ったのは中国人(キタヨーザ)だろう。向こうで大量のコピーを作っているのは有名な話だ。それに連中は、ヤク絡みでヤクザとも揉めていた。シマ荒らしを手伝う動機も十分にある」

「おや? 妙だな。こちらはただ〝火遊びをした奴らがいる〟と言っただけだというのに、何故それがヤクザ絡みの事件だと分かる?」

「あの事件は、ここの住人なら誰でも知っていることだ。二日前に起きたと言われれば、それに結び付けて考えるのは当然だろう」

「成程、成程。そいつはごもっともな言い分だ。カラシニコフにしても世界中で腐るほどコピー品が出回っているし、島内でそいつを扱う業者も多い。ロシア発祥の品だからと言って、それを売ったのがこの店とも限らない。だが、アンタを疑う理由は別にあってね」

 男は銃をラックに戻すと、懐から写真を取り出した。そこに写っていたのは顔面が傷だらけの、あの巨漢だった。

「本名クレイグ・ランドール。ピギー・ザ・ハードラバーの異名で知られる堕術使いだ。ある筋からの情報によれば、事件前に奴がこの店で銃を買ったそうだ」

「ふむ……それがあのピギーの正体かね? 悪いが、そんな客が来た覚えはないな。他を当たるといい」

「へっ、覚えがないと来たか。笑わせンなよ、ジジイ。夢にまで出てきそうな化け物面を拝んで、忘れたってのか? まだ耄碌もうろくするような歳にゃ見えねぇぜ」

「ボリス……彼は来る店を間違えたようだ。丁重に送り返して差し上げろ」

 サーボモーターの唸りとともに、鋼鉄の義肢が駆動する。左の掌に右拳を打ち付けられ、金属の打音が響いた。

「今の内に帰ることを勧めるよ。こちらとしても、溝鼠の血で店を汚したくはないのでね」

 純粋に人を殺すだけなら、銃の方が遥かに効率はいい。だが鉄の腕には、銃以上の抑止力がある。

 ボリスの握り拳は生身のそれより何倍も大きく、人の頭部とほぼ同じサイズを持つ。

 頭に当たれば、骨の殻ごと脳髄を吹き飛ばし、胴に当たれば、内臓を抉り、人体を貫通する――そんな生々しい予感を抱かせる、暴力の気配がある。

 並みの人間なら、相対するだけで戦意を失くすだろう威圧感。しかし男は、尚も不敵な笑みを浮かべている。

「やってみろや。そこの飼い犬にそんな度胸があるならな」

 その表情に恐怖の色は見えなかった。虚勢を張った、上辺だけの笑みとは違う。

 急に嫌な予感がした。何かこいつは、切り札を持っている。下手に動かぬようボリスに命じようとしたが、もう遅かった。

 男の挑発に理性が弾け、鎖を解かれた猛獣の如くボリスが豪腕を振るった直後――男の横合いから強い風が吹き付け、小さな影がその懐に飛び込んでいた。

 少年だった。男の背に隠れ、まるで存在感がなく、さっきまでそこに居ることさえ意識から抜けていた。

 避けることはおろか、反応する間さえなかった。少年の肘が鳩尾に刺さると、ボリスの上体が前のめりになり、続け様の裏拳が突き出た顔面にめり込む。

 砕けた前歯が血飛沫と一緒に宙を舞い、重い何かが倒れる音がした。

 あの細身のどこにそんな力があるのか、三倍近くは目方が上であろうボリスの巨体が、仰向けになったまま動かなくなっていた。

 身体が竦み、膝が笑う。その場にへたり込みつつ、オレグは思った。何故直感が働かなかった? これほど危険な男達を前にして、何故自分はその本質を見抜けなかったのか?

 ふいに気付く。これは〝擬態〟だ。それも途轍もなく巧妙な。

 自然界には風景に溶け込み、或いは餌のフリをして獲物を狩る捕食者が居る。男は仕草、表情、発散するオーラをも変え、少年は自らの存在感を極限まで希釈化させることで、捕食者としての本質を欺瞞(ぎまん)していたのだ。

「さて……さっきの話の続きというこうや」

 床に転がるボリスを、引きずっていたはずの片脚で蹴飛し、平然と男は言った。

 不自由な脚も演技の一部だったらしい。恐らくその顔も、素顔ではないのだろう。人種も違っているのかもしれない。

「アンタはこの写真の男を知っている。いいか? 疑問形じゃなく、断定形だ。アンタがこの男を知ってることは知ってるんだ。ややこしい言い方になるが、要は下らない誤魔化しなんざ、何の意味もねぇってことだ。まずは、こっちで掴んでる情報を一通り挙げさせて貰う。コイツはアンタの店に来た。コイツ以外にも白人の男と女が居たはずだ。この二人が何者か、アンタは知ってるんじゃないか?」

 杖の先端がこちらを向く。刃の切っ先を突き付けられているような緊張感を覚える。

 知っているも何も、男は組織の上役だ。女の正体についても、大体の見当はついていた。

 しかしそれを話せば、確実に自分は組織に消される。今日まで築き上げてきた立場も無に帰し、海外へ逃亡しても安息とは程遠い日々を送ることになる。どうにかシラを切り通すしかなかった。

「た、確かに、この男は店に銃を買いに来たが……それだけだ。一緒に居た男と女もそうだ。それ以前に会ったことなどないし、名前も知らん。全くの初対面の相手だ」

「ほう……? では、三人とも見ず知らずの相手だったと?」

「ああ、そうだ。悪いが、お前さんが期待するような情報など何一つ持ってはおら――」

 言葉の途中、男が少年に目配せした。すると少年は自然かつ素早い動作で上着のポケットからナイフを取り出し、躊躇なくオレグの掌に刃を振り下ろした。

「なあ、ブレジネフさん。オレグ・ブレジネフさんよォ。知ってっか? 嘘を見分けるコツってのが幾らかあってな。目線や筋肉の強張り方、口数の多さなんかで、そういうのは分かっちまうんだわ」

 ナイフはオレグの手の甲や指を紙一重で避け、床に突き立っていた。

「指っていいよな。何がいいって、両方合わせて十本もあるってとこだ。足の方も合わせりゃ倍になる。一本や二本切ったところで、他が残ってりゃ拷問は続けられるんだぜ?

 断っとくが、万が一にでもシラを切り通せると思うなよ。俺は百パーセント嘘は見抜くし、そこのガキは全自動拷問マシーンみてぇなもんだ。アンタが痛がろうが、泣き叫ぼうが、心を痛ませたり、手を止めるなんざ、まずありえねぇからな」

 自らの意思とは関係なく全身が小刻みに震え、股の間から濃いアンモニア臭が漂った。ナイフの切っ先が手を掠めたことへの恐怖からではない。

 少年の目を見て、この男の言葉が事実だと理解したからだ。

 この少年は何も感じていない。他人を傷つけることへの、喜悦も、罪悪感も、何もない。創面(そうめん)の男とも、あの女のとも別種の――しかし奴らにも劣らぬ〝怪物〟だ。

 自らの快楽のために、他者に苦痛を与えるようなことはない。その代わり一度(ひとたび)命令を受ければ、悪魔と同等か、それ以上に残虐な所業に手を染めることさえ厭わないだろう。

 ああ、とオレグは嘆息した。自分はとうに詰んでいたのだ。

 一体、いつからこの袋小路に迷い込んでいたのだろう? この男達の正体に気付けなかった時からか? 上役があの怪物達を店に連れてきた時からだろうか? それとも、もっと以前――あの時代、あの国に生まれたことだろうか?

 後悔が何の意味も持たないことは分かっていた。どのみち、今の平穏な暮らしは終わりだった。今自分に出来るのは、僅かばかりの望みに命運を託すことのみだ。


         3


「それで、手掛かりは掴めたのか?」

 携帯端末越しに、五十嵐の声が尋ねてくる。玄関ドアの札を〝CLOSED〟に裏返しつつ、情次は答えた。

「ああ、あの豚野郎は露助(イワン)の武器屋で銃を買っていた。この一件に連中が絡んでるのは間違いねぇ。今から店の親父をそっちに連れて行く。詳しい話はそいつに訊きな。痛めつけるまでもなく、何だってゲロるだろうぜ。一度裏切った以上、奴は元居た場所にゃもう戻れねぇ。〝毒を食らわば皿まで〟って奴だ。知ってる限りの情報を洗いざらい吐いてテメェに取り入るしか、生き残る道はねぇからな」

 《大人しく口を割りゃあ、VIP待遇で迎えてやるよ。こっちも年長者を痛ぶる趣味はねぇしな》

「へっ、お優しいこって。貴重な情報源だ、せいぜい守ってやんな。ピギーの二の舞にならねぇよう気ィ付けろよ」

 《抜かしてろや、クソ神父》

 通話が切れる。店に戻ると、口にナイフを咥えたカルルが、床に転がる用心棒を拘束していた。暴れないよう配線を切ってあるので、義手は単なる重りと化している。目覚めても自力で逃げ出すのは、まず不可能と言っていい。

 オレグは床に座ったまま、不安そうな眼差しをこちらに向けていた。

「オイオイ、そんな目ェしてんじゃねぇよ。心配すんなって。向こうもアンタを歓迎するとよ。後はせいぜい腹ァ括るこったな」

 無言のままオレグは口端を持ち上げた。表情筋の引きつった愛想笑い。先刻までの老獪ろうかいさが嘘のような、卑屈な表情。無理もない。今や己の命運を完全に握られているのだから。

 ……と、何やらカルルがこちらの顔をじっと見ているのに気付いた。

「何だ? 何か訊きたげな顔じゃねぇか」

 すると相手はコクリと頷きを返し、傍に立つ堕群人(ダムド)の台詞を代弁した。

「〝意外ですね、貴方が他者の身を気遣うとは〟」

「あァん? 俺がいつ、誰を気遣ったって?」

「〝組織を抜ければ、あの老人は命を狙われる。殺されるか自ら死を選ぶか以外、道はなくなります。ですが、ヤクザに身柄を渡せば、証人として彼らに守って貰える。それがあの男が生き延びられる唯一の方法です。貴方は彼に助け舟を出したのでしょう〟」

「別にンなつもりはねぇよ。あのジジイのガラを五十嵐に渡しゃ、奴に恩を売れる。テメェの利益を考えてたら、たまたまそうなったってだけだ」

「〝ただ自分の利のみを考えるなら、あのようなことを言う必要もなかったでしょう〟」

「あァ?」

「〝貴方は老人を痛めつけないよう、あの男に進言していました。それは彼の身を思いやってのことでしょう。貴方も多少なりとも慈悲の心を持ち合わせているようですね〟」

 敬虔なる信徒を自称する、見えざる異形に向かい、情次は舌を打った。

 人の身であれば如何に注意を払おうと、完全に気配を断つことは難しい。匂い、音、殺気――僅かであれ、無自覚に漏れるものがあれば、百パーセント感知出来る自負がある。

 だが霊体である堕群人(ダムド)は現世において実体を持たぬ、契約者以外には認知不能な存在だ。さっき電話で交わしたやり取りも、気付かぬ間に立ち聞きしていたらしい。

「……慈悲だか思いやりだか、そんな大層なもんじゃねぇよ。見捨てんのも寝覚めが悪い。そうすりゃ今日飲む酒がマズくなる。単にそう思っただけだ。オイ、ジジイ。テメェはズボンを履き替えてこいや。小便の臭いが車に移っちゃ堪んねぇからな」

 いそいそとオレグはカウンター奥に向かい、当然のようにカルルもその背に続いた。

 このタイミングで刺客が口封じに来る可能性は低いし、状況的に奴が逃げ出す懸念も少ない。とはいえ、僅かであれその不安がある以上、見張りをつけるのが正解と言える。 こちらが指示を出すまでもなく、生まれながらの兵士である少年は、常に最適な行動を取る。

 カルルとオレグが戻るまでの間、情次は得た情報の整理を行うことにした。

 オレグ曰く、豚野郎ことクレイグ・ランドールとスラヴ系の女が、上役の紹介で三日前にこの店で銃を買ったそうだ。となれば、チェルノボグがこの一件に関わっているのは間違いない。豚共の正体を知らなかったのは本当のようだが、女の方について、オレグは一つ気になることを口にしていた。

 そこで横たわる、ボリスとかいう大男が件の女と言葉を交わしたという。女は流暢なロシア語でそれに応じたが、喋り方に微妙な日本語訛りがあったそうだ。

 ――日本語訛りのスラヴ系女に、ロシアンマフィア――……どうにもキナ臭ぇ組み合わせだな。三善の奴に調べさせるか。

 三善に宛てたメールを作成しながら、情次は今後の予定を今一度振り返った。

 これからあのジジイを五十嵐に届けに行き、ついでに例の絵を受け取る。カルルの奴は先に教会に帰らせておくか。あいつを連れて行けば、ブギーマンの正体を五十嵐に勘付かれるかもしれない。無闇に手の内を晒す趣味はない。ましてやブギーマンは最強の手札だ。正体を知る者は最低限度に留めるのが理想と言える。考えをまとめる内、ふと自嘲が漏れた。

 ――そういやあの女、ナルの奴。この俺に〝慈悲〟があるだのと抜かしてやがったが、見当違いもいいとこだぜ。まだ十五、六のガキを駒扱いする外道に、そんなものがあってたまるかよ。

 情け容赦ない世界で、嫌と言うほど他人と自分の本性に向き合ってきた。今更そんな偽善めいた感情を持つには、あまりにこの両手は血に塗れている。オレグを助けたのも、ほんの気紛れに過ぎない。

 他人に向ける情は、全て己に向けると決めた。獄界(ダーコーヴァ)なんてものが本当にあるんなら、とうの昔にそこ行きの片道切符を手にしてるはずだ。

 ……と、床から声がした。気絶していた大男が目を覚ましたのだ。

 猿轡さるぐつわを噛ませているので言葉のていを成していないが、大方ロシア流スラングでクソのような罵り文句を垂れ流しているのだろう。情次は深く息を吸い込むと、

「るっせぇな! ブチ殺すぞ、カスが!」

 今にも噛みつきそうなツラを足蹴にした。顎の骨が折れる手応えがして、再び大男が昏倒する。口から猿轡は外れていたが、顎が壊れたので声を上げられる心配もなくなった。

 背後から、オレグが短く悲鳴を上げるのが聞こえた。間のいいことに、ちょうど着替えから戻ってきたようだ。傍にはカルルも佇んでいる。

「〝……前言を撤回します。やはり貴方は最低な男のようです〟」

 無表情に少年が相方の言葉を繰り返すと、情次は唇を歪めて言った。

「よく分かってるじゃねぇか」



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