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少年兵×悪魔×超兵器×ヤクザ  作者: ハナブサハジメ
1/8

プロローグ

 最後の審判がもたらされる時、災厄をもたらす天使が降臨し、世界は終焉を迎えるとされる。

 紅蓮に染まった地上の光景を見つめながら、少女はそんな宗教的伝承を思い出していた。

 何百、何千と林立するビル群はいずれも鉄の骨を晒し、松明の如く燃え盛っている。熱をはらんだ風が吹き、かたわらには赤子を抱いた母親の亡骸が転がっていた。

 街中至る所に死体はあった。ある者は焼け焦げた身体を胎児のように丸めて。ある者は崩落したビルの瓦礫に潰されて。焼け溶けた戦車や、ビルに突っ込んだヘリの中で死んでいる者もいた。機械仕掛けの鎧に身を包み、絶望に満ちた死に顔をヘルメットに隠した者も。

 地獄に生まれ変わった世界を祝福するように、大通りで異形達が音楽を奏でている。

 青、緑、黄、赤――異形達の頭上には、様々な色彩に輝く光の冠が浮かぶ。それは彼らが、この世ならざる霊的存在である証だった。

 獣や蜥蜴(とかげ)の頭を持った楽団員が太鼓を打ち、バイオリンを弾き鳴らす。上空では、蝙蝠こうもりの翼を備えた者らがトランペットの音色を降らせ、奏者らの背後に控える鳥頭の声楽家達は王を称える唄を天に響かせていた。

 赤黒く染まった雲の奥、天を覆うほどに巨大な六枚翅のシルエットが揺らめく。翅は蛾の如き眼状紋に彩られ、己が眷属の声に応えるように鮮やかな光を明滅させている。

 人類に終末をもたらしたおぞましき異形達の王は、地上の地獄を高みから見下ろしていた。


         *


 イスラは自らの叫びで目を覚ました。

 額や首筋に汗が滲み、短く切り揃えた髪が頬に張り付いていた。動悸が激しく息苦しい。精神の安定を求め胸元のロザリオへ手を伸ばしかけて、ふと片手に重なる感触に気付く。

「おはよう、イスラ」

 聞き慣れた声に顔を上げると、鏡映しのように自分とそっくりな顔をした長髪の少女――セルが穏やかな笑みを浮かべていた。悪夢にうなされている間ずっとそうしてくれたのか、イスラの片手に彼女の手が重なっていた。

「落ち着いた?」

 そう訊かれ頷き返すと、セルはベッドボードに置かれたコップをこちらに手渡し、

「喉が渇いたでしょう。イスラがお寝坊さんだから少し冷めてしまったけど」

 口許にコップを近づけると、仄かに生姜とレモンの香りがした。

 ニホン州出身の施設職員から教わったレシピに、セルがアレンジを加えた特製の生姜湯だ。生姜汁入りの白湯には、レモンとハチミツのコクと酸味がよく合う。イスラは猫舌なので、冷めているぐらいがちょうど良かった。息を吹きかけながら、少しずつ口をつける。

 半分ほど飲んで、周囲を見渡した。壁の空きスペースにはセルが描いた風景画が飾られ、左右の壁際には机が二台。備え付けのラックには、私物の本がそれぞれ並んでいる。

 向かって左側のセルの棚には、美術関連の本や古典文学。右側の自分の棚には、神学、哲学など人文系の書籍に、カトリックの聖典。互いの研究分野である、分子工学と量子物理学などの専門書は置いていない。プライベートな空間にまで研究を持ち込みたくはなかったし、そもそも既存の学術に今更学ぶべき事柄もなかった。

 見慣れた自室の風景を確かめ、安堵の息を吐く。ベッドボードの有機ELディスプレイは二〇〇八年八月九日の日付を示していた。

 良かった。今自分が身を置く、この空間こそが現実だ。眠る間に幻視したあの地獄は、まだ現実のものにはなっていない。()()()()()()()()()()()()()()()()

 すっかり温くなった生姜湯を飲み干すと、イスラはセルに向き直った。

「ありがとう、セル」

 空になったコップを取って、「お粗末様」とセルも微笑み返す。

 イスラとセルは同じ年の同じ日に、同じ遺伝子から生まれた十五歳だ。

 背丈はそう変わらないし、顔もよく似ている。銀に近いブロンドの髪も、色素の薄い青灰色の瞳も。違うのは、髪の長さと互いの得意分野、それから内面だ。

 昔からセルは特別だった。兄弟姉妹(きょうだい)の中では誰よりも賢く、〝お父様〟に期待されていて、言動や他人との接し方も大人びていた。同年代と言うよりは一つか二つ上の姉のように思えて、幼い頃の自分はいつも彼女の影に隠れていた。

「私、またあの夢を視たわ……」

 同い年の姉の優しげな表情に促されるように、イスラは抱え込んでいた不安を口に出した。

「大きな街が燃えて、兵士も、普通の人も、大人も、子供も、皆死んでた。もしあの地獄が現実のものになったら……。本当にあんな化け物が現れたら、世界中の軍隊を集めたって止められない。そうなったら、きっと世界はもう……――」

 通常の夢は、精神と記憶を基に形成された幻覚に過ぎない。しかしイスラ達の視る夢は、常に特別だった。

 彼女らの夢に登場する光景はこの世界が辿りうる未来そのものを示している。喩えそれが如何に荒唐無稽(こうとうむけい)なものであっても、夢に視た以上は現実となりうる。文字通り悪夢のような光景でさえも――。

 言葉に出す内、ビジョンが脳裏をよぎり、忘れかけていた恐怖が蘇ってくる。震える手で、首に提げたロザリオを握りしめた。

「大丈夫よ、イスラ……大丈夫」子供をあやすように、セルはイスラを抱きすくめた。

「……セル、貴女は平気なの? 私と同じ夢を、貴女も視てるのに。どうして――」

 イスラは途中で言葉を切った。自分の肩を抱く両腕もまた、震えていると分かったからだ。

「怖いのは私も同じよ。フォンも、クレンも、バーグも、アクソンも――皆、一緒。けど、あの未来は可能性の一つにすぎない。定められた運命なんて、どこにもないのよ」

 向かいの壁へセルは目を向けた。視線の先には、二日前にセルが完成させたばかりの絵が飾られている。船の残骸にしがみつき、嵐の海を漂う六人の男たち――イスラにはその姿が、運命に抗う自分達兄弟姉妹(きょうだい)に重なって見える。

 セルが腕に力を込める。イスラも強く抱き返した。そうして互いの体温を感じる内に、心の波が静まっていく。やがて震えが収まるとセルはゆっくり身を離し、顔を綻ばせた。

「私だって、あなたが思うほど強い訳じゃない。こうして心が折れずにいられるのも、皆が一緒だからよ。一人で全部背負ってるなんて思わないで。あなたには私達がついてるんだから」

 自分と同じ色の瞳を見つめ返すと、イスラは頷いて礼を言おうとした。と、その時、イスラは視界の端に佇む人影に気付いた。

「あー……お邪魔だったかな?」

 ドアの傍に自分達と似た顔をした少年が、バツの悪そうな顔で立っていた。

「フォ、フォン! い、いつからそこに――!」

 慌てふためくイスラを無表情に見下ろし、おほんとフォンは咳払いした。

「君達が抱き合ってるところからさ。一応ノックはしたんだが、返事がないので勝手に入らせて貰った。ところで、〝我らの父〟が皆を呼んでいる。君らも準備をした方がいい」

 言いながら、フォンは右手をこちらに差し出した。指先に、何かが書かれた紙切れが挟まれている。じっと目を凝らす内、イスラはハッとなった。

〝翌八月十日〇三〇〇(マルサンマルマル)、予定通り作戦決行〟――メモにはそう書かれていた。

 無言のままフォンの目をしばし見つめ、セルは頷いた。「……えぇ、分かったわ。今準備するから、少し待ってて」


 この〝箱庭〟の館には、左端にあるイスラとセルの部屋を含め、三つの二人部屋が横一列に並ぶ。部屋を出て、天蓋に覆われた白い大理石の通路を渡ると、その先には石畳が続き、人工の空が広がっている。

 この空間は地下深くに位置し、イスラ達は本物の空を見たことがない。鮮やかな青も、夏めいた積乱雲も、空中投影されたホログラム――紛い物にすぎないが、陽の光のみは地上から光ファイバーで送光した、本物の太陽光だという。施設で働く職員達も、ここが地下であることを時々忘れそうになるそうだ。

 この作り物の夏空を含め、施設内にはこうした設備が幾つもある。そのどれもがこの時代に存在するはずのない、未来の技術に由来するものだ。

 中庭の中央には貴族の食卓を思わせる長いテーブルが置かれ、自分達に似た顔をした三人の少年少女と若い男の姿がある。上座にかけた男は鷹揚な笑みを浮かべ、

「遅かったね、二人とも。さぁ早く席につくといい」

「はい、お父様」

 目尻を下げ、口端を上げ、イスラもまた上辺の笑みで応じた。

 男は二〇代半ばほどの外見――兄のフォンをそのまま成長させたような容姿をしている。遺伝的にも〝創造主〟という意味でも、男は〝父〟と呼ぶべき存在だった。

 この男の正義を信じ、命じられるがまま自らの才を使うことに何の疑いも持たずにいた。地下深くに築かれた〝箱庭〟で一生を終える運命を、当然のものとして受け入れてきた――この場所に、人類に破滅をもたらす〝災いの種〟が眠っている事実を知るまでは。

 イスラ、セル、フォンの三人が席につき、六人の兄弟姉妹(きょうだい)が揃うと、無言で食事が始まる。父は無神論者のため食事前に祈る習慣はない。心中で主の恵みへ感謝を述べ、イスラもまたナイフとフォークを手に取った。

 あと十数時間後――テーブルを囲む自分達六人は、生まれて初めて父に反旗を翻す。この男の手から〝災いの種〟を盗み出し、地上へと逃れるために。

 首に提げたロザリオへ意識を向け、イスラは心中で言葉を紡いだ。

 ――天にまします我が神よ。我ら兄弟姉妹(きょうだい)に未来を見通す目を授けて下さった、全能なる主よ。私は貴方のご慈悲を信じます。喩えこの身が果てようとも、どうか世界に一縷いちるの希望を。



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