5 妖精よ忘れずに
解放戦争、つまり王都陥落から三年後のことだった。まだ各地で泥臭い小競り合いが散発的に続く、揺れている時代。
とある青年は調べにより、王宮の宝物庫……ではなく書庫で『それら』を見つけた。それも機密書類を保管する厳重な書庫ではなく、単に雑多な未整理の書類を突っ込んだだけの、ほこりに埋もれていた言わば物置から。
学者を目指すその青年は、とんでもない宝を発掘した功を上げたのだ。しかし、それを自慢する気はなかった。なぜなら「英雄扱い」には辟易していたからだ。
そう、青年は英雄と知られていた。解放戦争時に辺境の砦の武器庫を破って伝説の自動小銃を見つけた功に加え、しかもその銃を使っての機動戦術すら青年は提案し、結果王国軍に対し決定的に数でも質でも劣っていた解放軍は勝利したのだ!
そのときはまだ幼き十四歳のかれも一竜騎兵として、解放軍を率いる女指揮官に付き従い砲弾乱れ飛ぶ最前線を突っ切ったものだ。
ゆえに青年はまだ十七歳にして、堂々たる名声を手にしていた。かなりの富も。将来がもてはやされ、比類ない天才にして英雄と目されていた。
英雄扱い。これには三年前からいささか閉口していた。外見を少し――あるいはけばけばしく――手入れしただけの、軽薄な中身からっぽとしか思えない女どもがきゃあきゃあ声を上げては周囲に群がり、青年を誘惑しようとするのだ。
恋愛とは互いの価値を認め合う、尊敬の念を互いに真摯に抱くものである、と青年の師は語った。それをけっして忘れず順守することに決めていた。
青年の名声と羽振りの良さに近寄ってくるだけの女は明白に低能、どんな価値があるというのか。外見の美しさも心醜いなら無意味となる。
ところで共和国防衛軍の参謀職へ繋がる士官学校に招かれていたのだが、士官になるなど青年にはそんな気はさらさらなかった。仮に軍人でなくとも高官役人となる道は多々だが、それも興味ない。
何故って青年はなにより『独立独歩』を名誉とするのだ。
解放軍に入ったのもそのためだ。けっして社会という名の機械のくだらない部品の一つになんかに甘んじる気はない。
というか、実は青年にとって民主制改革なんてどうでも良かったのだ。単にそれが個人の自由への道と信じて参加した。それも体制側の為政者となるや、もはや青年に解放軍にいる理由はなかった。自由と権利あってこその義務だ。
とにかく書類を自宅のちっぽけな書斎の自室――青年の生まれは代々安価に病人けが人を世話する薬草師だった――に持ちかえり。今日は雨天で薄暗いので、鯨油ランプの明かりの下確認しようとする……? 部屋に何故か女の子が……
背はそこそこあるが決定的に線が細い。ほんの十歳くらいか、まるで子供ではないか。衣装は飾り気こそないが生地はなかなか上質の木綿製のブラウスにスカートだ。侵入を許してしまうとは不覚だが、こんな子が誘惑目的に来るはずもない。
戸惑ってしまった青年に、女の子は微笑むと無言でお辞儀し、一枚の手紙を差し出した。(この子は熱心で優秀な生徒だから、君の下で学ばせてほしい)、との旨が書かれ、末尾に青年が唯一頭の上がらない、解放軍女指揮官の署名があった。
共和国最高評議会の下した命令でも平気で断れる青年だが、直属の上官には逆らえない。やれやれ、と承諾する。とりあえず話しかける。
「手伝ってくれるのかな? きみは読み書き計算、どのくらいできる?」
「母国語なら、古語も少しは嗜みました。あと、四則演算に加えて初歩の関数とかなら少しだけ」
女の子の年齢に似合わず明確な答えに、青年は安心した。利発な子供だな。
「それは頼もしいな。では始めよう、いっしょに書類を読んでくれ」
まずは古代帝国の兵法書を青年は読んだ……これは名著だと気付く。
「捨て置かれていて幸いしたな。王国軍がこれを正しく実践していたら、解放軍は勝てなかった可能性が大きい。いくつも写本して、共和国各都市の図書館に寄贈すべきだな」
「それは机上の空論ではないですか? 論理だけ、論理通りの完璧にはけっして社会は動かないかと思います」
この理解力は将来楽しみだな。状況判断ができない人間は、知識だけ詰め込んでもまるで役に立たないから。
「賢いね。了解、留意して読むよ」
女の子はここで別の書類を差し出した。
「それより、この詳細な辺境地図の中身といったら。こっちのほうがはるかに重要に思えます……詳しくはわかりませんが、作戦に組み入れられるのでしょう?」
「そうだね。地の利を生かすことは、戦略の基礎だからね。これも無視されるとは、王国軍にはとことん見る目がなかったな」
ここでしばらく戦略案について話し込んだ……しかしやがて諦める。戦争とはもはや過去のもの、と信じたいから。
だからそれらは一時しまい。続いては高速帆船の設計図に取り掛かる……性能分析は難儀だった。青年にはこれを理解できる才能までは無かったが、実現されたなら素晴らしいことだけは解る。
「素敵な船ですね!」
と、嬉々という女の子だった。次いで水圧による抵抗や風圧による推力の概算をそろばんで試みる当たり、この子は実に優秀だ。幼少期から数を習えば単純な計算能力なら、こんな子供の方が成人をケタ違いに上回るものだ。
だから青年は船よりも女の子に感心していた。
「そうだね、文字通りの性能が発揮できるなら、交易商船にすれば経済にどれほどの貢献となるか。漁船にも連絡船にも……いまさら軍艦なんて、無粋なものはあえて考えないさ。きみならどう使う?」
「冒険に出るべきです! 見果てぬ海の向こうへ……」
即答する女の子に驚く。子供の夢、と一蹴できない。器が大きいな。
調べ物を続ける。他にも数点書類があったが、これらすべては一人の商人が王宮へ持ちこんで一日で売ったものらしい。
それも……ひとつ当たりたった金貨一、二枚なんて買い叩かれて! 価値の解るひとなら、ひとつ金貨百枚単位で取引する逸品ばかりというのに。……?!
日付を確かめ愕然とする……これが取引されたのは、最初の農民武装蜂起が起こった冬の夜のまさに前日ではないか! これを女の子に告げた。
はっとして答える女の子。
「すると……その商人はいまの共和国の敵の可能性がありますね。格安で大切な商品を王国に与えたのですから」
「そうとは限らないが、ただ野放しにできないな……この商人は極めて有能で危険な男だ。世界を動かせる器かも知れない」
そんな男はこの世に自分だけで好い、と内心皮肉る青年だった。
青年は現在、どこの学校にも入っているわけでもなく、職もないから完全に自由の身だ。この商人一人、探してみる時間は裕にある。
国を旅するに必要な経費も、過去の武勲からもらった報奨金が額を漏らすと角が立つほどの貯蓄だ。その大半は親族にあげたつもりで預けてある。
ではさっそく旅支度に掛かろう……としたが。青年は、まさかこれに女の子が就いてくると言い出すとは思わなかった。慌てて断る。
「だめだよ、子供が旅なんて。街の外は、法の力が効かないんだよ、危険なんだ。兵士崩れのチンピラが弱いものを狙っている! 恩と最大の武勲ある指揮官の娘さんをそんな場に連れまわすわけにはいかない」
女の子はうつむいて半ば泣き声を漏らした。
「わたしは……母の実の娘ではない。生まれのわからない孤児です。女指揮官の娘として育てられました。母は……夫を亡くし、子を残せなかった。そしてなまじ地位に責任があるから、再婚もできない。でもわたしがいなくなれば、きっと……」
「きみがいなくなれば、あの指揮官なら悲しむと思うよ」
だが殊勝なことだ。ふと幸せを運ぶという妖精の伝説を思い出す。この子一人幸せにできなくて、自分になんの価値があるだろう。だから提案した。
「わかったよ、そうだな、冒険隊を組もう。腕の立つ信頼できる傭兵が二人はいるね。解放軍のつてで募集しよう。それに野外活動に長ける冒険者も。六名程度で旅をするなら、なかなか心強いよ。荷馬車も用意しようか」
しかし、どれだけ才覚ある者の計画も、完璧にはならない。まるで予想しなかった事態に陥るのがこの世の皮肉なまったくの常だ。
誤算は探してつき止めようとしていた当の商人が、旅に出るまでもなく首都の商店街ですぐに見つかったことだ。壮年と呼ぶにも若い好青年だった。地位こそかなり高いのに、若輩の青年に快活に話しかけてくる。
その商人は過去王国に「売り損ねた」商品、つまり青年の見つけた書類に喜んでくれた。逆に金貨数百枚で買い取ってもらえた。この器量にいささか驚く青年だった。
商店街のひとたちにも聞いてみると、この商人は難民援助の多々の功績から免税待遇受けたほどの度量ある男で――軍人などではなく、こうしたものこそ、英雄の名にふさわしい――界隈ではかなりの有名人なことが発覚し。
これに心服し青年は商人の協力をする、部下になってしまったのである。
青年はその見識を生かし、比類ない数学の才で数多の功績を上げ、商人の片腕と目されるまでになった。首都に開いた本店の財務長などの要職を歴任した。
幾年商人として働いたろう。歳を重ねるたび女の子は才色ともに格段に成長し、魅力ある女性になりつつあった。青年は、この子には明確な価値を見出していた。