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妖精伝奇  作者: 酒のつまみにあたりまえ
妖精はどこに
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4 妖精は祝福す

 それはまさに解放戦争時……。歴史と世界が変わろうとしているときだった。


 ごく平凡な容姿の、中年近い女性の召使いが女の赤子を抱えて王宮の裏口を抜けたのは、日も上がらない早朝だった。

 真夏の空の下というのに、むしろ召使いは寒さすら感じていた。

 気ばかり焦る。急がなければ。王都の外壁を抜け、逃げ落ちなければ。

 王都は戦火に包まれていた。王国の軍隊――正規兵、警備兵、私兵、民兵――と、地方から集結した反乱軍が相対し王都内で戦っているのだ。

 召使いの夫も息子も戦いで命を落としていた。せめてこの赤子だけでも助けなければ。

 

 王都は大混乱だった。反乱軍は王国正規兵より少なかったろうが、王国軍から民兵が離反し、反乱軍に就いた。この騒ぎに乗じて卑劣にも住民の一斉蜂起が起こっている。焼き討ちされた施設、略奪を受けた倉庫の被害は甚大なものだ。

 外にあふれる、逃げ惑う住民の群れ。王国警備兵により、住民は家から離れるなとの戒厳令が敷かれていたものの、無駄というものだった。


 銃撃戦の激しい炸裂音轟く中、召使いは必死に逃げた。

 後に『一週間の血戦』として知られる半ばの朝だった。召使いは幸運だった。なんとか王都の外へ出られたのだ。召使いを見とがめる王国兵も反乱軍もいたが、なんら持ち物はなく赤子一人抱いている召使いを、あえて捕らえようとするものはいなかった。

 召使いは街道を避け、誰もいない草原から木々まばらな林に入り、一息ついた。澄んだ泉を見つける。召使いは両の手のひらですくい、喉を潤した。渇いていた。何回も飲む。

 それから、ひっそりと王都の様子を伺う。

  

 反乱軍の最精鋭である竜騎兵隊(騎馬狙撃兵部隊)は王国の厳重な防衛線に突撃を敢行した。『人の命より高価』とされる致命的で強力無比な自動小銃を手にできるのは、選ばれた猛者だけだ。苛烈な砲火の雨に突入する際も、尻込みするものはいなかった。

 竜騎兵隊は多大な犠牲を払いながらも防衛線を突破してのけた。突破口から次々と反乱軍の後続歩兵部隊がなだれ込む。

 それが、決壊となった。王国不動の神話が揺らいだのだ。後は数に劣っていても、反乱軍の思うままだった。都市の住民も、王国にもはや味方しようとはしなかった。

 

 黒煙が見て取れた。王城が燃えている……王都が陥落するなんて。自分が生きている内に、まさかこんな光景を目にしようとは。王都に生まれて生きて三十五年、召使いは思いもしなかった。

 召使いは心に問うていた。夫と息子は無駄死にをしたのだろうか、と。王族を護る近衛兵だった夫と息子は。自分にはなにも残されていない……。

 不覚にも、涙があふれていた。強く生きなければいけないのに。

 

「大丈夫ですか、あなた」

 不意に声をかけられた。見ればまだ十二歳くらいだろうか。小柄な少年が泉の淵に、彩り豊かな綺麗な花束を手向けていた。

 少年は、召使いに微笑んで穏やかに語る。

「あと数日もすれば、戦火も収まるでしょう。それからは、もう泣く人を出さずにおきたいものですね」

「きみは……なぜ泉に献花を?」

「友達が、この畔で亡くなったのです。昨年の冬に」

「昨年というと、あの最初の農民反乱の時?」

「ええ、まあそのときですね」

 

 なんて痛ましい。こんな少年の友人ともなると、ほんの十歳ほどの子供だったろう。それを思うと、召使いは複雑だった。王家、王城に仕え勤めていたのだから。

「そんな目をしないでください。ぼくの友達は、成すべきことを果たして亡くなったのですから」少年は、あくまで落ち着いて穏やかに語った。「その子、あなたのお子さんですか」

「え? ええ、もちろんよ」

 思わず戸惑って答える。なんでこんな問いをされたのだろう。

「かわいい女の子ですね。きっと大きくなったらたいへんな美人になるでしょうね」

「当然よ、なんといってもこの子は……」

 慌てて語尾を濁す。この子は召使いの娘ではないのだ。それも。王妃さまの正当な末娘、王女なのだ。召使いはその乳母なのだ。


 目をそらし、泉を見つめる。煌くものが目に留った。泉の中に、なにか輝いている……。指差して問う。

「あれ、なにかしら。誰かの落し物では?」

 聞くや少年は迷わず泉に数歩踏み入り、それを拾い上げた。

 泥を泉の水で洗い流す少年。見れば緻密に造形された、銀のロザリオだった。それも純銀製だろう、到る所に宝石が散りばめられている。

 少年は、ためらわず召使いにそれを差し出した。はっと驚く。


「え? 坊や」

「だって、あなたの見つけたものですし」

「でも拾ったのはきみよ」

「ぼくが持っていても無駄ですし。ぼくは神とは縁がないもので」

「罰あたりなこと、言ってはだめよ」

「内乱を引き起こした元凶の教会は、断罪されようとしています。これからの時代は、信仰こそ罪となりますよ」

「でも、こんな見事なロザリオ、拾っていいのかしら。そもそも、誰のものかも解らないのに」

「王国が滅びようとしているのに、いまさら法なんて関係ないでしょう。それに泥に沈んで忘れ去られるよりは、誰かが預かっていた方がいいに決まっています。いずれ好い機会があれば、神官なりに手渡せばいい。ですから、どうぞ。隠し持って。誰にも気付かれないように」

 

 召使いはロザリオを受け取った。細い銀の鎖で、首に掛けられるようになっている。なぜか不思議な感覚に囚われる。切なさだろうか。神への――憎まれ、存在を否定されたものへの――憐み。

「きみも王都から逃げ落ちたくちね。行くあてはある? よかったらついてきなさい、村はずれの修道院に向うから。寝場所になるし軽い食べ物くらい出るはずよ」

「遠慮します。どうも神さまって苦手なもので」少年は澄んだ瞳で、泉をひとしきり見回した。「ぼくはこれで失礼します。願わくは、あなたと子に祝福あることを祈って」

「ありがとう、坊や。あなたこそ元気で」

 少年は純真な瞳で微笑むや、去って行った。召使いも、泉から離れ歩き出した。なんと礼儀正しい気持のいい少年だったろう。こんな混乱の時代に、道過たず実直に生きている。あの子は神とは縁が無いとはいっていたが、むしろ信仰深いのではないか。

 ほんとうの信仰とは……誠実に生きひとを、自らを偽らないこと。それに比べたら神への忠誠など、二の次だ。

  

 それから召使いはロザリオを腰にした小袋に隠し、夏の日差しの下ひたすら歩いて修道院へ向かった。街道へは、もう戻って平気だった。大勢の避難民が、荷物を貨車で引きながら歩いている。

 反乱軍は、王国を打倒せんとする民衆の有志だ。民衆を襲ったり奪ったりはしない。むしろ民衆同士で奪い合いが無いようにと、街道を警備していた。

 ところどころの要所にある休憩所では炊き出しが行われ、難民に温かいスープと握り飯が無料で振る舞われていた。それを召使いの身で頂くのは、後ろめたい気分がした。

 なんとか半日で、目的の修道院に辿り着いた。もう夕刻だ。

  

 召使いは王都の教会を取り仕切る、いちばん高位である責任者の司教さまから任務を帯びていたのだ。陛下の末娘を召使いの生まれた農村近くの修道院の司祭に預けると。

 この子がやがて成長し、王国を立て直しその軍で捲土重来の暁には、本来あるべき地位に就くことを頼りに。

 

 しかし修道院に辿り着くなり、失望した。なんてひどい。

 まさに惨状だった。修道院は無残に荒らされ、金、銀、翡翠、大理石、彫像、絵画、その他金目のものがみな引き剥がされていた。

 もはや廃屋の、からっぽの修道院。代わりに、大勢の避難民の集う一晩の宿となっていた。反乱軍の警備隊が、これ以上の暴動の無いよう見張っている。


 王女を預ける頼るべき司祭は見当たらなかった。夜逃げしたのだと、避難民は語り合っていた。金目のものを真っ先に持ち出したのは、司祭だと。

 王都の司教が自殺したとのうわさが伝えられたのは、その少し後だった。さらに、国王の処刑が決まったとの話も。王族はすべて辺境へ流刑するとも。王侯貴族の財産は、ことごとく没収して民衆に分け与えられるとのことだ。

 

 なんということだろう。王宮仕えの召使い、それも乳母として責任を任されていた召使いにとっては、決して王族は敵ではなかった。王様も王妃さまも、愛情に包まれた生活を営んでいた。

 たしかに、王侯貴族は貧しい民衆から徴収……搾取した税で、酒池肉林の毎日を送っていた。召使いだって、飢えたことなどない。

 失って初めて気付いた……豊かだった。満たされていたことに。

 不健全な豊かさだったのだろうか。大勢の民衆の犠牲の上に成り立っていたとすれば。王族が肉料理を食すとき、貧民は野菜屑をあさっていた。王族が絹のシーツの寝台に寝る夜、貧民は路地裏で毛布すら持てず震えていた。

 金持ちと街の庶民の貧富の格差は、一千倍なんて当たり前だった。まして人口の圧倒的多数を占める土地とともに物のように売り買いされる、自由と権利なき農奴なんて……かれらを対等の人間として扱っていなかった。

 飢えて渇くもののあふれる中で、具材豊かな料理を食べ、酒をほしいまま存分にあおるものがいる。

 反乱軍、いや解放軍の掲げる『万民の平等』の意味を噛み締める。人の子は、生まれながらにしてみな平等なのだという……。

 

 こうなっては、この子は乳母たる召使いが育てるしかない。自分ではこの子をとても王女には育てられはしないだろうが、それでも。

 発覚の心配はない。ほとぼりが冷めたら王都に戻ろう、召使いの家へ。荒らされたかもしれないが、どうせ奪われるような財産はなにもない。せめてこの子に人並みの幸せを与えなくては。

 召使いのほんとうの乳飲み子の末息子は、別都市の遠縁の夫婦に預けてある。その実の子とは、もう二度と会えないだろう。

 だから、せめてこの子を。王女に生まれながら、その地位につくことも、ほんとうの家族に育てられることも逢うこともできないであろうこの子をどうか。心からの慈しみを。

 富でもなく、家や血筋でもないとしたら、どんな形に変えて――わたしは、世界は――、この子に愛を与えられるだろう……

四話はこれで終わりです。

伏線は後で回収されます。

王女とか。(第二話ですでに登場しましたが)

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[良い点] >召使いだって、飢えたことなどない。 こういう表現が大好物です (∩´∀`)∩ お上手~♪
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