2 妖精なんて、いないから 2
翌日の夕暮れ。活気ある大通りに面した街のにぎやかな酒場にて。
「足元見やがって。王宮には金銀が山の単位で貯めこんであるくせによ」
カウンターで商人は一人つぶやくと、ビールのジョッキをがぶりとあおった。
「あれだけ揃えて、金貨七枚とはね。商売を広げようにも荷馬車も持てやしない。ちくしょう、神なんていねえよな」
と、返事があった。
「それは人の心の中に。だからわたしがいるんでしょ?」
見れば、となりの席に昨日の少女が座っていた。ぜんぜん気付かなかった。酔っていたかな。商人は、少女にお茶をおごった。
「そうだな、妖精さん。母が言っていたよ。悪魔は現実に存在するのかも知れないが、神は唯、人の心にのみ存在するって」
「あなたって、よくお母さんを引き合いに出すのね。どんな人なの?」
商人はジョッキを見つめながら語り出した。
「王都の外の、ただの農民さ。先祖代々、ぼくの祖父母もそうでね。祖母はたくさんの子供を産んだけど、働き手にならない女の子はなかなか育てられなくて。ぼくの母以外はね。女の赤ん坊は、みんな沈められていたって話だ。
……母は丈夫そうな子供だったから育てられたけど。ぼく以外の子を産めなくてね。しかたないから、男に混じって力仕事までしていたものさ。それがたたって、胸を病んだよ。
……ぼくは一人っ子。畑仕事を全部まかなえるはずもなく。父の反対を押し切って、なけなしの財産を元手に商売を始めた。やってみると意外なほどうまくいってね。金貨何百枚になったかなあ。農民は、金貨なんて見ることも触ることも無く死ぬ人のほうが多いっていうのに。
……でも、馬鹿高い税金に搾り取られたよ。母が病に伏せてからは、薬代も高くついた。なにより教会への祈祷代でみんな消えちゃった。いまじゃ最初から出直しさ。そんな中、母は結局苦しみながら死んだ。ぼくは、そのとき以来、神なんて信じなくなったね」
「それで、信じられるのがお金だけなの……さみしい話ね」
少女は悲しげに眉根をよせていたが、商人は皮肉に言い放った。
「どうせ、人生に意味なんてないのさ。だったら生きていくのに必要なのは金だろ」
少女は声を上げた。
「そんなことない! 人生には定められた意味はたしかにないけど、目標を作ることはできる。その目標に向かって、みんな生きているのよ。ときにはそれが誰かの役に立ってね。喜びが生まれ、人は絆を作るの」
「ぼくには縁の無い話だなあ」
「あなたにも目標はあるし、あったし、乗り越えてきたはず。思い出して。言葉を覚えたとき。文字を学んだとき。計算ができるようになったとき。それらを使って、初めて商売が成功したとき。お母さんの役に立ったとき。あなたとお母さんには、きっと強い絆が結ばれたはずだわ」
「母は死んだよ。もう、結ばれてはいない。費やした金も戻ってはこない」
「世界は、移ろい行くのよ。お金なら、また稼げばいい。きずななら、また別の人と作ればいい。なにを恐れているの? 失うものより得るものの方が、まだ多い歳でしょう」
商人は、言い返せなかった。少女が正しいことを言っているのはわかる。だが、そんなにまっすぐに前向きに人は生きられるものか。
今年も王国の畑は凶作だった。故郷の村では、年端のいかない娘が身売りされている。体力の無い幼児や老人に、死者が出ないことを祈るばかりだ。祈る? 誰に。埒も無い。
そのときだ。突然、ガンガンと金属を叩く音が響いた。あまりに大きく、耳にさわるそれはどこか遠くで響くと、たちまち街中いっせいにひろまり、耳に痛いぐらいになった。非常時の警鐘の音だ。
火災? それとも。
商人と少女、それに酒場客の多くは酒場の上の階へ上り、三階の屋上から周囲の様子を窺った。すっかり暗くなった夜の町。異変はすぐにわかった。たくさんのかがり火が、街門の外に燃え盛っているのだ。
それは、幾千という大勢の農夫たちだった。彼らは鋤や鎌を手に、王都に押し寄せていた。商人は息を呑んだ。これは、故郷の村の若者も混じっているだろう。
「減税を求める農民たちの反乱か。だが……」
警鐘の音に混じって、鋭い呼び笛の音がした。街の警備兵たちが鎖よろいをまとって槍を構えた姿で街路を走り抜け、門へ向けて集結しつつあった。
…………
戦いはあっけなかった。警備兵たちがときの声を上げると、農夫たちはひるんだ。威嚇で矢の雨が降ると、もう大混乱になった。
警備兵たちは機を逃さず突撃した。農夫たちは散り散りになり、逃げさった。さもないものは、突き殺された。
商人と少女は、あちこちに散らばった農夫の遺体に、沈痛な眼差しを送るしかできなかった。
…………
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今日はこの二つまでにします。
2話は4部合わせ一万字くらいと、やや長いですね。
書き忘れましたが、この『妖精伝奇』は転載作品です。
とある別サイトにも掲載してあります。